第38話 茜色に重なる面影
「あ、月城さん。荷物なら俺持つよ。いーのいーの気にしないで」
「これ何処まで持ってくの?え、遠。俺やるよ。どうせこの後暇だし」
「先生、しめしめ、みたいな感じでついでに乗せないで」
■
「……兄さん」
「違うんスよ」
俄に学園が祭色に染められ、慌ただしい風景がちらほら見受けられるようになった放課後、両手いっぱいに大荷物を抱えて廊下を歩く俺を、顔を傾けた従妹が白い目で見つめている。長い前髪に隠された昏い瞳と口元にかかる一筋の長い髪のせいでホラー感がやばい。気の所為か背後にゴゴゴとドス黒いオーラまで。
感嘆しているのか、はたまた呆れているのか。まあ間違いなく後者だろう。
葵は無言で俺に近づくと、いくつかを取り上げ己の胸の内へと引きあげる。
「何も言っていません。凄いですね。前が見えなくなる程の量の荷物一人で抱えて。一人で。抱え込んで」
「違うんスよぉ」
「凄い凄い流石」
「うちの子が凄い白々しい」
ひ〜これは葵ちゃんおこやで。さりとて、両手の塞がった今の俺では、ご機嫌取りのなでなですら出来ること叶わず。声無き慟哭を漏らしながら、二人仲良く横に並んで廊下を歩く。
いつの間にかお馴染みとなったこの距離感が、どうしようもなく楽ちんで、そしてそこはかとなくもどかしくて。
「いや〜今まで大人しくしていた反動か、つい……ね?」
それを誤魔化すかの様に、気づけば俺も白々しく口を動かしていた。
因みにさっきまで、俺が持っていたのは己のクラスの物だけではなかったりする。それを見ていたら、葵ちゃんは更に怒髪天を衝いたことであろう。助かった。
「………この間出来たクラスのお友達が騒いでいました。中々に優しくて…優しい先輩がいる、とかなんとか」
「へ〜…」
裏で胸を撫で下ろす小賢しい奴には気づかずに葵がぽつりと。声色こそ不機嫌を滲ませているものの、その横顔から垣間見える瞳は柔らかい。
先日、ちょろっと目撃したりはしたが、いつの間にやら葵の周りも賑やかになりつつある様だ。兄としてはその変化を大変嬉しく思う。男としては若干複雑…とは言わない。そこまで狭量ではない…はず。
「…兄さん。もう女性に優しくしない、というのは如何でしょうか?」
「何故!?」
「…ですよね」
狭量なのは我が従妹の方だっただと!?ぎょぎょぎょ、と某クンさんでもないが驚愕を隠せない俺に、葵も分かっていたけど、と言わんばかりに肩を落とす。
「一体どうした。どうした葵」
「…異性にばかり優しくするから、チャラいだの、浮ついているだの、使い勝手のいいアッシーだの、次々と私の知らない兄さんを生み出すのです」
「俺今そういうキャラなの?」
知りたくなかったぁ。
「べ、別に女の子に限ったつもりはないぞ?」
「では比率を変えましょう。兄さんは今後、男性に目を向けていれば良いのでは?」
「え、いや、それは…」
それこそあらぬ誤解を生み出しそうなんですが。あらぬというか、あってはならぬ冤罪。つきましては僕達の物語に新しいタグを加えなければならなくなります。これが…時代…!
「それは……何ですか?」
だが、この曇りない眼にそれを教えちゃって良いものか。だからといって、どういうことなのかと深堀りされたらすばらしく面倒なことになりそうな予感が。純粋培養なうちの子に、そんな界隈の知識はいらない。腐られても困っちゃうので。
「…自重するので、許してもらえませんか」
「…別に怒っていません」
…だろうな。口だけならばなんとでも言えるのだし。目の前の従妹から覗く感情は、怒りと言うよりも寧ろ。…だからこそ、己の浅はかさにほとほと呆れてしまうんだけど。
治したいと思って治せれば苦労しないよなぁ。始まりこそ人探しみたいなものだけど、もう俺のスタイルみたいなものだし。
黙り込んでしまった俺に、まさか自分が言い過ぎたとでも思っているのか、葵は足早に前に回り込むと、抱えた荷物を覚束なく翳してみせる。
「で、これはどちらに?」
「ん?…ああ、とりあえず第三資料室」
「第さん……?」
「しりょー」
「しつ…」
俺から出てきた馴染みの無い名称に首を傾げる葵。それもそのはず、第三資料室など、よっぽどの暇人か救いようの無い方向音痴くらいしか近づかない僻地にある、ほぼほぼ使われていない部屋なのだから。
俺のこの残りの荷物なんてせいぜい『ん?これ使うか……?使…わな…使…うか?…いや、……念の為……一応……ん?使わないか?……いや使…う、…とっておくか……?』レベルの資料だからね。あの先公ええ加減にせえや。『よろしく〜♡』じゃないよ。ちょっと可愛いからって調子のるなよ。総ちゃんは決してハニトラにはかからないんだから。これは自前の優しさなんだからね。
「遠いぞ〜」
「………」
からかい混じりの俺の言葉にピクリと片眉を動かして反応した後、葵は呆れた様に俺をちらりと一睨みし、されども荷物は一つも返すこと無く、黙って俺の隣を往く。この睨みがあの先生には効果抜群なのだ。最近では葵を逃走中のハンターばりに恐れているからねあの人。彼女を前にすると『ワ…ワァ…』ってなんかちいさくてかわいそうなせんせいと言った感じでプルプル震えるもん。膝。
「いつもありがとな」
「……ん」
礼を言えば、恥じらう様におずおずと頷くその姿。何ともいじらしい。
…彼女は言った。私はお目付け役だと。
加減を知らずに無茶ばかりする馬鹿の袖を引っ張って引き戻すのが役割だと。
実際に引き戻せているかどうかは置いておいて、なら、今の俺が変わってしまったのならば、役割がもう必要無いとなったのなら、彼女はどうするのだろう。俺達のこの関係はどうなるのだろう。約束だってした。けれどそれは、あくまで俺が変わらないからで。
終わってしまうのだろうか。去ってしまうのだろうか。
少しくらいは名残惜しいと思ってくれるのだろうか。寂しい、とそう思って。
「(俺は……寂しいなぁ…)」
ぼーっと歩いていれば、いつの間にやら目的地に辿り着いていた。
会話も無いままに、山程あった大荷物をある程度だけ揃えて適当に置いていく。
「きゃ」
「おっと」
そんな中で耳に届いた、あまり聞いたことの無い、葵の慌てた様な高い声に反射的に俺は振り向く。
積み重なった荷物に躓き、バランスを崩しかけてこちらに傾いていた彼女に直ぐ様駆け寄ると、その華奢な身体を抱き留める。胸の中のそれは、細くて、簡単に折れてしまいそうなのに、驚くくらい柔らかくて。
「あ、…ありがとうございます、兄さん…すみません…」
「うん…」
幼子の様に目を丸くしてこちらを見上げる葵と暫し見つめ合う。
長い前髪に隠されて分かりづらいけれど、恐ろしく、そして年不相応に美しく整った顔。その上には、以前とは比べ物にならないくらいに感情が見え隠れし始めている。
「…ここ、本当に人の気配がありませんね」
「そうだな」
「…良い隠れ家を見つけました…」
「葵さん?」
「…無論、冗談ですとも」
ぺろり。あくまで表情は薄くはあるものの、悪戯心を滲ませて、葵がわざとらしく明後日を向いて舌を出す。それはまさしく年相応の妹らしい振る舞い。
つまり。…つまり?
「………」
「兄さん」
「………ん」
肩を抱いたまま固まってしまった俺を何故か一度抱きしめて、その背をぽんぽんと優しく叩くと、静かに離れた葵が窓から差し込む夕焼けの光を背に手を差し出してくる。
「戻りましょう?」
逆光が彼女の姿を黒く染め、そして連動する様に頭に奔る、僅かな痛み。そしてざわめくノイズの中に微かに霞みながら重なって見える、小さな女の子の姿。
「…ああ…」
頼りなく手を伸ばせば、葵が優しくその手を掴み取ってくれる。…夢の中では、いくら伸ばしたところでこの手が届くことは無かったのに。
「(…これこそ、いつまで続ける気なのか…)」
…多分、答えはもう、すぐ近くにある…のだと思う。
けど、俺の中で肝心な何かが抜け落ちている。点と点を繋ぐ決定的な、大事な欠片が。不自然なくらいに。
…まるで、誰かがそれだけを持っていってしまったかの様に。
「(まさか)」
…そんな非現実……そう、非現実的なこと、考えたところで詮無きことか。
とりあえずは……これ以上葵ちゃんのご機嫌を損ねない様に、彼女の言う通り比率を変えてみようか、なんて。………いや、全く持って本当に気は進まないが。
茜色に染まる廊下を、手を繋いだまま二人連れたって歩いて行く。
人の気配が近づく頃に自然と離れてしまった手の温もりが、少しだけ寂しかった。
「…あーちゃん知ってます?近頃、同性にしか優しくしない怪しい妖しい先輩男子が出没するらしいですよ。男子諸君が後ろの貞操の危機を感じて日々震えているそうで」
「…………っ!!!」ゴッ!!!!!
「!?どど、どうしました突然机に豪快なヘッドバットして!?あーちゃんご乱心ですか!?」
「(ごめんなさい兄さん……!!)」
その後、数日も立たずに言いつけは無くなったという。




