第36話 悪い子達の残暑
祭が終わるな。
祭が終わるとどうなるんだ?
知らんのか。
祭が始まる。
■
「え〜……それじゃ、何か意見ある人、いるかn「「「はい!!!」」」食い気味」
我がクラスが誇る絶世のイケイケメンメンことミスター星野が教壇に立ち、その端正な容姿を遺憾なく衆目に見せつける。
嫌味なくらいにお顔の整った彼が今求めることは、直に行われる学園祭にて俺達凡人が凡庸な頭で捻り出す平凡な出し物について。
そして、今の言葉を聞くやいなや、喧しいお声とあちこちから上がる大小様々な手。前言撤回、自己主張激しい優秀なクラスで何よりである。
「ふわ〜ぁ…」
正直、どんな出し物であろうが雑用ならばっちこいの一向に構わん系男子である俺は、それを他人事の様に外から眺める勘違いやれやれ系男子として壁の染みの一部と化していた。
「やっぱ水着喫茶だろ!!涼しい上に眺めも最高だぜ!?もちエプロンもな!」
「うっわ男子最低。輪廻転生の輪から弾かれて未来永劫煉獄を彷徨って」
「誰がお前らの貧相な水着なんて求めたよ俺らが着るにきまってんだろ!!」
「……。………?…………、…っそれこそ誰が来るのよ!?」
「俺らの完成された肉体美に魅入られた将来のエースだよ!!」
「制服開けてサイドチェストすなきしょい!!!」
「はーいそこの水泳部お二人もういいかなー?」
水着かぁ……。葵ってどんな水着着るんだろう。いやあくまでお兄ちゃんとして。
「め、メイド喫茶はいかがでしょうか…?定番ではありますが、故に堅実かと…」
「んー…まあ、検討はしとこうか。少なくとも筋肉よりはマシだし」
「…!は、はい!ではその時は星野くんお願いしますね!!!!!ね!!!!」
「え、…うん…?」
「ほ、星野くんは当然にして…後は穂村くん……いや、土方くんも案外……?ふひ」
「うん???」
メイドかぁ……。葵の制服似合ってたなぁ。けど何だろう、凄まじい寒気がする。
「ひょっとこ喫茶とかどうすか」
「却下」
「座ってろ」
「そういうとこだよ」
「うっす」
「皆の喫茶店にかける情熱何?」
ひょっとこかぁ……。葵のひょっとこいやこれは何か色んな意味で駄目な気がする。
「あ〜だ」
「こ〜だ」
「そ〜だ」
「よ〜だ」
クラスメイト達の迫真の意見の応酬を聞き流しながら、俺はふとそれに気づく。
…俺は何故いちいち葵を経由して物事を考えているのか。
「………ん〜……」
いよいよ誤魔化せなくなってきたその事象から目を逸らして晴ればれと澄み切った空を眺めれば、うん、今日も素晴らしくいい天気。こんな日は葵と帰りに買い食いでもしてもいいかもしれな……
「総護」
「………うーん……」
「おい、総護」
「え?」
またしても頭の中に無表情ダブルピースで華麗に登場した従妹の姿に、傾げた首を捻り上げれば、前から葵の可憐さとは程遠い男らしい声が。
見れば、会議中だというのにお行儀悪く振り返った隼人が呆れた目で俺を見つめていた。
数秒間の無言の交錯。
「…どうしたん?はやたん」
「誰がはやたんだ。前見ろ」
「ん??」
窓際最後尾の俺から隼人がちょんちょん指差す前、つまりは教室しか無いのだが、俺がその大柄な体躯から覗き込む様に回らない頭をひょっこりすれば。
「ん????」
絶賛、白熱しているはずのクラスメイトが揃いも揃ってこちらを見つめて輝く笑顔を向けていた。
「漸く帰ってきたか穂村ぁ」
「皆が力を合わせなきゃならないこの瞬間に上の空とか随分いいご身分じゃないのぉ」
「さぞかし素晴らしい意見をお持ちなんだろうなぁ」
「え」
余談であるが、我らが住まうこの町は謎に祭りが3度の飯より大好物である。飯なら祭りの屋台で済ませろ、とでも言わんばかりに。
そしてそんな町で育った一部のクラスメイトも、例に漏れずお祭りガチ勢の傾向が強い。そんな中で一歩下がって冷めたポジションに居座る俺は、ガチ勢様にとって異端と言えるのだろう。
「いや、俺はどうせ雑用に回るんで…」
「それは考えを放棄していい理由にはならないわよ」
「そうだぜ、水着エプロン喫茶に決めたとして、お前は当然ウエイター側だからな」
「そうね、客寄せにはなるわやらないけど」
「ちゃんと身体絞っておけよどこかの誰かさんは絞れないみたいだけど」
「どうせやるなら納得して楽しんだ方がいいでしょ?変態喫茶はやらないけど」
「あ?」
「あ゙?」
…俺に負けず劣らずお節介なクラスなことだ。
そうだな、確かに斜に構えて気取っていたらいつの間にか見世物にされていました、なんて三枚目キャラもいいとこだ。
黙ってそれをしない、押し付けないクラスメイト達のなんて二枚目なことか。
そういうことなら、俺もクラスの一員として、無い頭を必死に捻るとしよう。
冷めていようが異端だろうが、結局のところ俺だって祭は好きなのだから。
■
「ま、決まらないんですけどね」
熱戦・烈戦・超激戦。逆転に次ぐ逆転で異議ありやら待ったやらの怒号がドッカンドッカンひしめく燃え尽きる気配の無いでぃ、でぃべえと、が漸く一段落した昼休み。俺は一時の安らぎを求めて未だ熱冷めやらぬ教室を後にしていた。
とはいえ、お弁当を持ち出しておいてこれと言って目的地がある訳でもなく、さてどうしましょうかと早くも途方に暮れ始めたその矢先。
『にーさん』
「ん?」
『にーいさん』
幻聴だろうか、最近はもう毎日聴いて最早耳に馴染み過ぎた低く透き通った声が何処かから。
平坦で、けれども何処か弾んでいるような気がしなくもないそのお声に反応する様に振り返れば
「こっちです」
「お」
かもかもと、曲がり角から葵が顔だけをちょこっと覗かせて手招きをしていた。
何時になく幼い、いや考えてみれば年相応ではあるのだが、動きに思わず目を丸くして、深く考えもせず俺は人気の無い階段を上がる彼女の後ろをついていく。
短いスカートを揺らし、ニーハイに包まれた眩しい脚を下から眺めるその光景を男としてどうするべきか、兄として注意するべきかをひたすら考え
「着きました」
ぬく様な時間も無く、葵は扉の前で足を止める。
「ここは……」
扉。そう、扉だ。階段を上がった先にある扉。
つまりは屋上に続く。
「葵?」
静かに振り返る葵と目が合う。
俺が何を考えているのか、言われずとも葵は察しているのだろう。
この学校には、よくある物語の様に屋上が解放されている、だなどと魅力的な設定は存在しないのだから。
俺が何かを発する前にし〜、と、お互いの唇に白い人差し指を添える葵。その唇は、珍しくもいたずらっぽく僅かに歪んでいた。
「内緒、ですよ?」
そして葵は不思議な一言と共に扉に手をかける。
がちゃがちゃ。当然ながら、扉には鍵がかかっており、その重たい体躯を動かす様子もない。
「え」
と。
ぎい。葵が3度ほどノブを弄くり回すと、錆び付いた音を奏でながらいとも容易く扉が開き、屋上への道を開けてくれた。
「ちょっぴりコツがありまして」
「うちの従妹が悪い子だ」
「はい。ですので知ってしまった兄さんもこれで共犯です」
「悪い子だ…」
知らぬ間に罪を被せられたことに苦笑しながら、差し出された手を自然と握って未だ暑さの引かない猛暑の青空の下へ。
長い事放置されているとはいえ、所詮は屋上。閑散とした何も無い光景、あるのは眼下に広がる見飽きた町並みだけ。けれどやはり、多少背徳感はあるとはいえ新鮮なものは新鮮だった。
「やはり、まだ暑いですね…」
「よく来るの?」
「たまに」
「悪い子」
「ですね。では悪い子同士、仲良くご飯を食べましょう」
「仕方ないか、共犯だし」
「はい、仕方ないです」
顔を見合わせ笑いながら(俺だけ)、早々に日陰に避難して、二人で隣り合って座り込むと揃って弁当を広げる。
「兄さんのクラスは何をするのか決まりましたか?」
「んー?」
暫しの間、無言で食事を進めていたが、ふと葵が横からこちらを覗き込んで話しかけてくる。
話題は勿論、学園祭について。去年一度経験済の俺とは違って、葵は初めての学園祭。そうでなくとも、こう見えて意外と物事には興味津々な葵ちゃん。無表情の裏で実はそわそわして仕方ないのだろう。
「いや、荒れてるなぁ…」
「ですか」
「葵のとこは?」
「似たようなものですね」
しかし悲しいかな、そんな彼女に提供できる話題は今のところ。
去年の話でもしようかと思いはしたが、せっかくの初めて。余計な情報を入れていいものかと。結局、大した話題も無く食事は進む。
「(あ)」
そしてふと気づく。葵の口の端に小さなご飯粒が一つ、その存在をさり気なく主張している。
「葵」
それを取るべく俺は手を伸ばして。
「?」
首を傾げた葵が伸ばしたその手をとって。
「………??」
至極自然にすりすりと、心地良さそうに頬を擦り寄せる。
「……―」
「……???」
「「…………」」
無言。
俺は何も言わず、巧みなテクニックで擦り寄せられた手の親指だけをそっと伸ばして葵のご飯粒を回収する。つい、瑞々しい唇に指先がかすってしまって心臓が跳ねたが、幸い気づかれた様子も無い。
そして、特に何のイベントも無く、手は離される。
「何でしょうか?」
「いや、…何でもない」
「?」
そのきょとんとしたお顔に、何故何の疑問も持たず流れる様に俺の手に擦り寄ったのかと大いに興味津々ではあったが、俺はとりあえず指に付いた邪魔なご飯粒を口に放り込むと黙って食事を再開する。
そう、邪魔なご飯粒を……。
ご飯粒が邪魔だから………。
「………」
「兄さん?」
「なん゙、でもっない!」
■
「…ふ〜……」
何はともあれ太陽燦々、未だ収まることの無い炎天下。早速暑さに辟易してだらしなくなり始めた俺とは違い、普段通り姿勢良く食事を終える葵。従兄妹なのに対照的なその光景が何だか面白くてつい吹き出しそうになり、この容赦の無い温度もあってため息の形で吐き出すことで雑に誤魔化してしまう。
「兄さん」
「あ、いや…」
無論、すぐ隣にいる葵がそれを聞き逃す筈もなく。
「お疲れですか?」
「ん?…そう言う訳では…」
葵が懐からハンカチを取り出すと汗を拭いてくれる。今ではすっかり分かる様になった彼女の気遣いが心に染み渡る。
本当に全然そういう訳では無かったのでちょっと申し訳ないが、彼女の無垢な瞳に射抜かれると、不思議とそうだった様な気がしてしまう。
「では」
「では?」
そんな中で耳に届いた謎の一声に首を傾げて、思わず隣を見やる。
ぽんぽん。葵が何故か正座して何故か片手で膝を叩いて何故かもう片方の手を広げて何かを期待する様に待ち構えていた。
「……………」
「……………」
「……………」
「どーぞ」
「……………」
『どうぞ』。人に丁寧に願い、すすめる気持をあらわす語。(ネット検索)
今、この場においてそれは一体何を意味するのか。
「……」
「兄さん?」
いや意味も何も。見たままが全てだろう。
それは世にあまねく生きる男子諸君が夢見た理想郷。いつか帰ることを希う聖域。
そこに秘められた深い愛情はこの世に存在する全ての闇を包み込み、そして浄化していくと伝えられている古の理。
またの名を、ーHIZAMAKURAー。
………。
…というか、先日やりましたね。
一度経験したものだから、葵の中で何かが外れたのだろうか。
「………」
「?よいしょ」
「――――っ」
再び巻き起こったドリームに思考を完全に停止したD系男子の情けない姿にいつもの様に首を傾げながら、葵は俺の両手を優しく握るとゆっくりと、けれど躊躇いなく自分の方へと手繰り寄せる。
あわれ、お兄ちゃんは微塵も抵抗する様子も見せず柔らかな、いや柔らかすぎる太腿の上へ。ふわぁこうとうぶやわこい。しゅごいぃ。
「痛くありませんか?」
「ずっといたい……いや、いたくありませんです……」
「ですか。後でちゃんと起こしますので」
「ぇ、あ、はぃ?……はい…」
一体我が身に何が起きているのか、目の前に突如広がったこの豊かな山脈は一体何なのか、一体葵は声だけ残して何処へと消えたのか。一体いったいいったいぜんたい。
この間と違って、意識がはっきりしているものだからその温もりが余計に。
「今はゆっくりと休んでください、兄さん」
「は、い。……お、やすみ、…ナサイ?」
「ふふ、また変な声」
あ。また笑った。多分。
見たいのに。目に焼き付けたいのに。されどもこの誘惑に抗える俺が存在するはずもなく。
胸を優しく叩く心地よいリズムが、俺をあっという間に夢の中へと引きずりこんでいく。
『〜♪』
落ちるその瞬間、微かに透き通った歌声が耳に届いた気がした。




