第34話 彼方の記憶
「なぁ、隼人」
「………」
別に特別でも何でもないありふれた休日。部屋で二人、仲良くゲームをしながら俺は隣に声をかけた。
かちゃかちゃと、ほんわかとは程遠い四苦八苦した様子としわくちゃの険しいお顔でコントローラーを弄くりまわす我が友に。
「隼人」
「………」
「はーちゃーん」
「ぐっ…!」
呑気そうに話しかける俺とは対照的に、真剣な眼差しで画面を見つめる、いや睨む隼人。
努力は報われる。世にはそんな言葉もあるが、今の彼の努力は絶賛俺の手によって叩き潰されている真っ最中で。結果、残念なことに画面には俺が余裕のよっちゃんで完勝した結果が映しだされているのだが。
「相変わらず弱いねぇ」
「うるさい」
見た目の強面ヤンキーさに反してあまり遊んでいない隼人は、当然ゲームもそこまでの腕前ではない。こちらとしては気持ちよく勝てるので全然問題はないのだが、如何せん彼の負けず嫌いが一度顔を出すと、勝負が無駄に長くなってしまうことが玉にキズ、というところだろうか。ただ、その分上達も速かったりするので油断ならなかったりする。
そうして負けず嫌いがまた再発したところで、二人してキャラクターを選択していると、場にそぐわない静かで丁寧なノックが響いてきた。
「どうぞ」
特に何か片付けるでもなく、けれど僅かに身は正して、俺はすぐに返事を返した。
わざわざ丁寧にノックするような人物など穂村家に存在しな…いや、母は遠慮なくずけずけ踏み入ってくるけど、父は一応外から声をかけることが多い。でもまあ答えは一つしかない。というか今はそもそも選択肢が一つしかない。
「兄さ…あ」
「邪魔してる」
扉から顔だけを覗かせた葵が、直ぐに俺と隼人の姿を認識する。軽く手を上げる隼人に、僅かにコクリと頷くことで挨拶を返す葵。何と言うか、年頃の高校生らしからぬ枯れた雰囲気と言うべきか。そんな奇妙で微妙な空気に密かに笑いを堪えながら、俺は扉からちょこんと顔を出したままの葵に声をかける。
「どうかした?」
「…少し出てきます」
「分かった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
行ってきます。その言葉だけははっきりと発して、静かに扉を閉めると葵の足音が少しずつ遠ざかっていく。
きっとまたタケ爺の店にでも顔を出すのだろう。以前、一度訪ねてからというもの、何やらちょこちょこ覗いているみたいなので。
「お前と行きたかったんじゃないのか?」
「え」
そんな呑気にものを考える俺に隼人が横から発したその言葉は、まさに青天の霹靂と言っていいものだった。
思わずお間抜けに口を開ける俺。隼人は特に何か含みを持っていた訳でもなく、何となく思ったことを言っただけのようだが。
「…そう、思う?」
「そう見えたが」
「そうか…」
隼人は割と人の機微に敏感なところがある。そんな彼が言うのだからもしかしたら本当に葵は俺と出かけたかったのかもしれないが…時既に遅しというか。
「……そうか……」
…ただそれはそれとして葵を理解した風な口を聞く隼人が何故か気に入らなくて、その後の俺は少々大人気なく彼を負かしたことをここに記しておく。
そして暫く後。
「じゃあまたな。…次こそは負けねぇぞ」
「はいはい」
散々に叩きのめされて、表面上は落ち着いていてもきっと内心ぷんぷん丸な隼人がこちらを一睨みして帰っていく。それを苦笑しながら見送ると俺は壁に掛けられた時計に何となく目を向けた。
まだ日が沈むには少々早い時間。…今ならまだ迎えに行ってみるのもいいのかもしれない。自分でも何でそんな風に思ったのかは分からないけれど、どうにも隼人の言葉が頭を離れなくて、軽く身支度を整えると俺もまた外へと足を向けた。
■
「…いた」
特に探し回る必要も無く、予想通り、やはり彼女は陶芸店にいた。というか絶賛・閑古鳥の店の前でタケ爺とのんびりオセロをやっている。ここで格好良く将棋を指す、とならないのがタケ爺のタケ爺たる所以だろうか。
葵もまた、相変わらずの無表情だけどどこか穏やかな雰囲気で頭を悩ませる好々爺を見つめている。多分。
そんなことを呑気に考えていたが、バチンと勢いよく駒を置く物音でふと我に帰る。
「王手!」
「オセロに王手はありませんよ」
「角取りゃ王手みたいなもんじゃろがいっ!!」
「ほう」
タケ爺の持論を無表情で聞き届けた葵が無慈悲に駒を置けば、面白い様に盤とタケ爺の色が変わってゆく。角をとっているはずなのに、そんなことある?と言わんばかりに一色に染まる盤。とても既視感のある光景に思わず乾いた笑いを漏らして、俺は二人の元へと歩を進める。
その時だった。
「…相変わらずじゃのう。お嬢ちゃんは」
「そうでもありませんよ。昔はもっと笑えていました」
「儂から見れば、十分笑えておるがのぅ…」
「…相変わらずですね。タケ爺さんは」
肩を落とすタケ爺とそれを眺める葵。微かに耳に届いた二人のその会話に、思わず足が止まった。
…今の会話はどういうことだろうか。ひょっとしてタケ爺は以前から葵のことを知っていたということか?…けれどこの間は互いに初対面のように見えたのだが。
「(いや…)」
『タケ……お爺さん。これを買います』
『興味がありゃ、またいつだって来るとええ』
そう言えばあの時。確かに葵はまだ名乗ったことのないタケ爺の名を呼んだ。…いや、だがこの間俺が近所のお爺さんの話をしたこともあるし、そこからヒントを得たと言う可能性も大いに考えられる。だがタケ爺のあの何処か嬉しそうな顔。あれは少なくとも初対面だとか、女好きだとかそんな単純なことで片付けられない気がする。もっとこう、昔を懐かしむような…。
昔?
考えれば考える程に頭がこんがらがって、その内それは鈍い痛みに変わっていく。
突如として頭を襲った耐え難い衝撃に、思わず膝をついた。
「む」
「……兄さん?」
俺が出した物音に二人が気付いたのか、小さいけれど二人の声が確かに耳に届いた。直ぐに葵が慌てて駆け寄ってくるであろう足音が頭上から聞こえてきて、彼女は俺の元へと辿り着くとすぐに膝を着く。
「兄さん!?どこか具合でも……!?」
「…いや、大丈…」
珍しく焦りたおした様子で俺の顔を覗き込む葵を、俺は手を翳すことで制して…いや、無意識にその手をとっていた。とても白く、細い手を。
不躾に掴んだというのに、葵は何も気にすること無い様子で、寧ろ進んで俺の手を両手で優しく包み込んだ。
予想外の行動に俺も思わず面を上げれば、真正面に彼女の顔がある。俺を心配そうに見つめるその表情を、今にも消えてしまいそうなその儚い顔を─
─…俺は前から知っている?
「……大丈夫だ…」
「…ですか」
…っああ駄目だ。一片にあれこれ考えるべきじゃない。強くなる頭の痛みを誤魔化す様に大仰に何度も頭を振って立ち上がると、俺は未だ困惑した様子の彼女にそっと手を差し出した。
…まあ、恐らく彼女からしてみれば何も誤魔化せてないんだろうけど。
俺の顔に浮かんでいるだろう脂汗まではどうにもならないのだから。
「迎えにきた…んだけど。…ごめん、すぐ帰る」
「………」
彼女は何も言わないし、聞かなかった。
何処か不安げだった顔を取り繕うようにいつもの無表情に戻すと、俺の手を掴んでしっかりと立ち上がる。一緒について来る気であろうことは、聞かなくても分かった。
無駄に騒がせてしまった詫びも兼ねてタケ爺に軽く頭を下げる。何故か葵も横で一緒になって頭を下げるのがちょっと可笑しかった。
「タケ爺。また今─」
「総護」
「…え……?」
「焦るなよ」
俺が問題ないことを察したのか、いつの間にかなんてことの無いように盤を片付けていたタケ爺から発せられた静かな声。
まるで見透かす様ないつものタケ爺らしからぬ言葉から目を逸らす様に前を向くと、繋いだままの葵の手を引いて俺は歩き出した。…正直、これ以上何かを考えたくはなかった。
家に着くまで俺も葵もただ無言で、けれど繋いだ手は決して離すことなく、彼女はずっと寄り添うように俺の隣にいた。




