第31話 私達のお祭り
「…どうして、分かったんですか?」
「ん?」
「私があそこにいるって」
決して自分のせいではないのに、有りもしない責任を感じてかしゅんと大人しくなってしまった葵をおぶって店に帰る道中、彼女がぽつりと口を開く。
これ程までに密着しているのに、辛うじて聞こえるレベルの消え入りそうな掠れた声。けれど、背中に押し付けられた胸からは鼓動を強く感じられる。きっと大層心細い思いをしたのだろう。ここまで不安にさせてしまったことに、こちらこそ責任を感じるべきだというに。
「…何でだろうなぁ…」
「ぇ?」
けれども情けないことに、その質問に対して俺は歯切れの悪い答えしか返すことは出来ない。…お前は何を言っているんだ、って思われるかもしれないし、実際、俺もそう思うんだが。
「葵だったら公園にいるかも……不思議と、そう思って」
「………」
「ごめん。訳分かんないな」
きっと後ろを振り向けば『何言ってんだこいつ…』と、呆れ果てた白い目がお待ちかねなのだろう。反応すらないのがその証だ。
冷え切った視線は酷く暑い熱帯夜にはちょうどいいのかもしれないが、風邪をひくのもご遠慮願いたい。
暫しの間、俺は無言で歩を進める。
「分かりますよ」
耳元で囁かれたその言葉と、俺の首に回された腕に強く力が込められるのはほぼ同時だった。
葵の頭が擦り寄せられ、自然、柔らかな感触といい匂いが背中から広がっていく。
その言葉の意味を問うよりも、まずその感触やら俺の身体やら色々な諸問題を解決するために全精神を集中させねばならぬ訳で。
「ありがとうございます。兄さん」
「……うん、はい……うっす……」
「ふふ。変な声」
楽しんでくれたなら何より。お兄ちゃんはエンターテイナーだからね。そのまま抱きついてくれて構わんとも。だから、どうせ真っ赤であろう俺の耳に気づかないでくれ。
■
『うおおぉっ!!風峰は今!たことシンクロしている!りゆにおん!!』
『言ってる意味は分からんが謎に料理上手いなお前』
『“謎に“???』
『『………』』
俺の後頭部に顔を埋めたまま俯いて、何も話さなくなった葵をおぶって俺達は無事出店へと戻り、隼人と、そして何故かたこ焼きを作っている風峰さんと合流した。
そして葵を見て即座に事態を察し、後を引き受けてくれた心がイケメン(姑息な手段を用いようとしたが)な店長にその場を任せ解散。晴れて俺達の家に帰ってきたのが少し前の事。
少し気が引けたけれど、とある目的の為に葵を置いて、俺は今一度町へと繰り出し、そして戻ってきたところだった。別れ際の彼女が大変寂しそうだったので、出来るだけ早く。ダッシュで。
「ふぅ〜…」
息を整え身なりを正すと、玄関から家には入らず、回り込む形で庭へと出る。さも余裕綽々でございますが?といった面持ちで。
しかし、その余裕はいとも容易く打ち砕かれる。
「………〜♪」
縁側で、月明かりに照らされた浴衣美人が痛々しい包帯の巻かれた裸足をぷらぷらさせながら退屈そうに月を眺めていたから。
耳に微かに届く透き通る歌声。その光景は、俺に絵心さえあればぜひ形にして残したいと思う程に。
「…月が綺麗ですよ」
ぽつり。歌を止めると、空を見上げたまま葵がそんな事を口にする。
一歩一歩、土を踏みしめる音に連動する様にゆっくりとこちらに顔を向けると、彼女は薄く微笑んだ。
「…ただいま」
「お帰りなさい。怪我した従妹を一人置いていくなんて、酷い兄さん」
「う」
「ふふ。無論、冗談です」
ぷらぷら。いつからそうしていたのだろうか。浴衣がはしたなく捲れて、膝上まで顕になった白い脚が夜だというのにとても眩しい。
ぽんぽん。葵は自分の隣を優しく叩いて俺を招く。けれど、俺は座らない。
「何をしていたんですか?」
庭に入ってきてからここまで、俺の身体は不自然に彼女の方しか向いていない。それは汗だくの背中を隠すためではなく。
機嫌を一切損ねることなく小首を傾げた葵が、こちらを下から興味津々に覗き込む。
「ああ…その、な?」
「?」
暫しの逡巡。けれども葵は一度たりとも急かさない。
俺の顔をきょとんと見上げたまま、じ〜っと。今までと違うのは、口元が緩く弧を描いていること。つまりは、無表情でさえ可愛かった上目遣いに笑みがプラスされたのだ。この意味をよく考えてほしい。テストに出ます。
「っ!」
覚悟を決めて、意を決して、俺は後ろ手に隠していたそれを取り出した。葵がそれを見て、そして認識するなり、きょとんとしていた目を更に丸くする。大変幼く見えるその顔は、まさに妹の名に相応しい。
「………花火……?」
「ああ」
「…どうして?」
「…み、見れなかったから、埋め合わせ、というか…?」
「……」
屋台に姿を見せてから、花火の時間が近づくにつれそわそわと何処か落ち着かない様子を見せていた葵。当然、そこに込められた意味に気づかないお兄ちゃんではない。
さぞかし楽しみにしていたのだろう。なのに、変な所で目敏いくせに肝心な時に情けないお兄ちゃんが下手こいたせいで花火どころか痛々しい怪我まで拵えてしまって。
ここで多少なりとも挽回しておかなければ、いよいよ俺に兄たる資格は無い。
「…………」
「う、打ち上げは流石に無いけど、数は揃えてきたぞ?」
「……………」
「えと、あ、ほら線香。葵、線香花火好きだったろ?…ん?そうだったっけ?」
「………………」
俺の手元を見つめたまま、何の反応も示さなくなったお嬢様に並々ならぬ焦燥を感じながら、ぽいぽいポイポイ猫型ロボットが如く四次元エコバッグから花火を並べ出す俺。事ここに至り、葵は面すら上げてくれない。いかん心が折れる。
「兄さん」
「へいっ!」
葵が静かな声と共に俺を手招きする。反抗することなく、出来る訳もなく、そしてするつもりもないが俺は直ちに葵様の下へ。
「―――」
抱き締められていることに気づくのは、その直後。
「ありがとうございます」
「え、ちょ」
「大好きです」
「へ!!??」
その言葉の意味に気づくのは、もっと後。
「花火」
「………………、あ、…花火、…ね、そっか…」
「………も」
少し身体を離すと、俺の頬に手を添え、葵は微笑む。出会った日と比べると、驚く程の柔らかい微笑み。それは何処までも俺の心を惹き付けてやまない。…今はまだ、どちらの意味なのかは判断しづらい、けれど。……。
「やりましょう花火。鬱憤を晴らすが如く」
「あ、や、やっぱ怒ってる?」
「…ふふ。怒ってませんよ。兄さんに怒る理由なんてありません」
「そ、そうか…」
上手く動けない葵に代わって、あらゆる準備をさっさかさっさと押し進める。…保護者がいないから注意は念入りに。…あれ?近いうちまた顔見せるとか言ってた様な?
「ほら」
「はい」
ゆっくりとしゃがみ込んだ葵の手に花火を渡せば、淡く照らされる儚く美しいその横顔。
それに一瞬見惚れていれば、不埒な気配を察知したのか花火から目を離して葵が俺を見上げてくる。
「兄さんの分は?」
「え、ああ、あるある」
「ですか。では、共に」
「あ、ああ、ちょっと待って」
急かす様に俺の裾を下からくいくい引っ張って隣に導くと、そこからは兄妹並んで花火の時間。
幾重にも色を変える鮮やかで美しい光に目を奪われ、吸い込まれそうになり堪らず顔を背ければ、そちらにも負けず劣らず美しい微笑み。
何故俺を見ているのか、そんな質問は不要。つまりは俺と似たようなものなのだろう。
ふっと光が消え、闇が訪れる。花火がその短い命の役目を終えた。けれども俺達は動かない。
見つめ合ったまま、今度はその潤んだ瞳に吸い込まれる様に互いに―――
『……おお。先輩先輩、何やら大変インモラルな雰囲気ですよ』
『コラ覗くな』
『まも……。弟がついに大人の階段登るわよ……共に見守りましょうじっくりねっとり…』
「どぅおあだだだ誰ぇ!?」
『…この馬鹿………ああ、どもっす、おばさん」
「よう、隼人くん。この可愛らしい娘どなた?君のコレ?」
「ただの後輩っす」
「「!?」」
しゅばっ!!
塀の向こうから聞こえてきた素晴らしく聞き覚えのあるお声に、俺達はすかさず身体を離す。
「ぅ゙、お゙、お゙、ぉ゙……」
「あ、わ、悪い……」
「だいじありません゙…」
結果、足首に奔った鈍い痛みに、もれなく葵が身を震わせて悶絶している。
そんな彼女を支えながら、二人揃って目を向けた先には
「あ」
ひょこり。顔だけを覗かせる、天狗。
「ど、ども〜…」
…の面の下から現れる後輩。
「…おう、…何かすまんな」
「外では止めときなさいな。少なくとも初めてくらいはね」
にょきにょき。その横から生えてくるは悪友とおかん。
塀に立ち並ぶ生首共は、揃って気まずそうなお顔を……いや一名はいやらしくニヤついていた。
その姿が見えなくなったと思ったら、すぐに3人がぞろぞろと庭に遠慮無く上がり込んでくる。
知らないおばはんに隣からニコニコ顔を覗き込まれてカチコチ緊張気味な風峰さん。そんな風峰さんと隼人、よくみれば二人の手には見覚えのある物が。
「あの、…あーちゃんが何か落ち込んでたみたい?だから…花火とか、買ってきたんですけど…」
「………」
「よ、余計なお世話、でしたかね?…ごめんなさい、私、毎度察しが悪いというか……」
俯いて所在無さ気に指先をつんつんとするいじ峰後輩。
抱え込まれたそれは、彼女の気遣い、そして優しさ。
この場にいる誰もが分かっている。誰一人悪い感情など持つ筈が無い。隣で何も言わない隼人も、それを理解しているから文句一つ言わず付き合っているのだろう。
「いいえ」
当然、この中で彼女と最も絆の深い葵が理解出来ない筈もなく。
「皆で一緒にやりましょう。私達のお祭り」
柔らかいその声に顔を上げた風峰さんが、手招きする葵の傍に直ぐ様嬉しそうに駆けていく。
特に惜しむこともなくその場を譲り、俺は隼人と共に仲良しこよしの女子を見守る後方腕組み男子へとジョブチェンジ。
「ちゃんとお兄ちゃんしてるじゃない」
「ん?」
更にその横にいた母さんが懲りずにからかい口調でそんなことを言ってきたので、憎まれ口の一つや二つ叩いてやろうと思い顔を向ければ、意外にも俺を見るその顔に一切のいやらしさなど欠片も無かった。
予想外のその反応に俺は思わず口を噤んでしまい、挟まれた隼人がそんな俺を見て可笑しそうに鼻を鳴らしたが甘んじて見ざる聞かざる。
「……そうなのかな」
「あれ見りゃ分かるわよ」
そう言って葵を見やる母さんは、何故か大層嬉しそうで。
その言葉に何も返さず、俺達はまた葵達を見る。片や引っ付いてわいわい、片や引き剥がすでもなく頷くだけ。けれども二人の間に気まずさなんて微塵も無い。そして、かつての無表情も。
俺達の視線に気付いた葵が面を上げる。
彩られる光の中で交差する、二人の視線。
「…ありがとうございます、皆さん」
「……私は、果報者です」
そして葵は、そう言って穏やかに笑うのだった。




