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読めない君が笑う時  作者: ゆー
2章 迷子の季節
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第28話 細やかな約束を

真っ白な空間だった。


何もない白い、白い空間。目が覚めた時、俺はそこに座り込んでいた。


『妹も悪くないね』

「…何だよ急に」


そして目の前には机に置かれた花瓶を眺めて、何故か嬉しそうににやにや顔を綻ばせるクソガキ。

次会ったらとりまガチの拳骨、とか思っていた俺の決意もこの隠しきれていないもにょもにょの前では途端に気勢を削がれてしまう。


『いいなぁ妹。…ふむふむなるほどこれが『尊い』って感情?守りたい、あの無表情ってね』

「………はぁ?」


こんなにやにやする程可愛がって、されど無表情の妹?そんなのまるで葵みたいではないか。

けれど夢の中の存在であるはずのこいつが葵と会ったことなんて、会える訳なんて無いと思うのだが。…そういや、以前俺の記憶がどうこう言ってたな。まさかこいつ俺と記憶共有してる?嫌だな下手な事出来ないじゃん。何がとは言わないけどさ。


いや、それにしたって『尊い』っていうのはよく分からん。俺はどちらかと言うとか………何でもない。


『君、今からでいいから取っちゃわない?いや取っちゃおうぜ』

「………何を、とは聞かないけど絶対嫌だ」

『けち』

「そもそも俺はお前の妹どころか弟でもない」

『…そだね』


その言葉を聞いた時、微かに少女の顔が翳ったのだが、辺りを見渡していた俺は気づかなかった。それは果たして良いことだったのかそれとも。最も、この時の俺は知る由も無いが。


『安心しなよ。暫くは私も大人しくするから』

「はあ?」


座り込む俺に近づいて視線を合わせる様にしゃがみ込んだ彼女は、くそ生意気にも俺の頭を撫で始める。葵よりも遥かに小さなその掌。簡単に跳ね除けられる筈なのに、何故かそうする気も起きず。


『随分自由なことですねぇ、ってめっちゃねちねち怒られたからね。もう正座したくないでやんす』

「そっすか」


何かよく分からないけど、色々あったらしい。

よくよく見てみれば微かに目元が赤い。相当絞られたのか、泣くほどに。…とにかく色々あったらしい。


『お祭り、楽しみなよ』

「え」


とん。他愛無い考え事に気を取られていた俺の額を小さな人差し指が押す。すると、自分でも驚くくらい軽々と俺の身体は地面へとぐらついて―――落ちる。


『二人共仲良くね』


そのまま吸い込まれる様に意識は闇へと落ちていくのだった。












「いっせーの」

「のー…」


「「せ」」


部屋で二人向かい合いながら、俺達はそれを同時に、そして力強く前に出す。


「…やっぱり敵わなかったか…」


それ、というか、ただの今回のテストの答案用紙なのだが。

綺麗に揃えられた赤い数字を、俺は目を凝らして見比べる。

…分かっていた事だが、何度見比べたところで結果が変わる訳でも無し。どれだけ優秀な先生の下で勉強を重ねようと、時に現実は残酷である。


「おお……兄さんも点数上がりましたね。よくできました」

「そういう葵さんはほぼ満点っすか……」

「ふっ」


…現実は残酷である。心做しか得意気に、ふんすと鼻を鳴らす従妹。

こういう年相応なところを見ると、確かに妹が悪くないというあの言葉も……誰が言ってたんだっけ?


「お…」


そして一通り優越感を味わい終えたのか、葵はすすすと音もなく俺の横へと移動すると、僅か下から俺をじっと見上げてくる。その瞳には、明らかな期待。


「…頑張った従妹を撫でてもいいんですよ?」


上目遣いでそんな事を言ってくるものだから。

聡明な読者諸君であろうと、その破壊力など微塵も想像出来まい。まあそれは余りに可哀想なので、代わりに当事者たる俺が説明してあげよう。


あのね、その、ね、うん、めっちゃかわいいよ。分かる?俺は分かる。以上。


………。


「…つまりそれが今回の葵さんのお願いってことでよろしいので?」

「……意地悪です」


照れ隠しにもならない俺の苦し紛れの言葉に対するお返事は、むすっとむくれた可愛らしい膨れ顔。あの無表情が代名詞だった葵ちゃんがこんな顔を見せるだなんて。聡明な読者諸君以下略。


「冗談じょーだん。ほら、おいで」

「ん…」


何気ない笑顔で何気なく葵を招いて何気なく頭を撫でる。俺は優しい総護お兄ちゃん。


「……ふふ……」


撫でられた葵が、心地良さそうに口元を和らげる。微かに漏れたその吐息を、胸の中にばっちりはっきり感じてしまって。


「………」


…読者諸君にはお分かりだろうけど今めっっちゃ頭の中テンパってます。けど決して表には出しません。だってお兄ちゃんだから。

……まずいな。ここ最近、うちの子が可愛いぞ?これは何だ?あれか?庇護欲か?守りたい、この無表情ってか?わろてるやないかい。


「え〜……葵、さん」

「はい、兄さん」


俺のたどたどしい口調にも、一切詰める事なく素直に応える葵。この素直さにつけ込む輩が出て来ぬ様、俺が守護らねばならぬ。


「…その、負けた方が一つ、お願いを聞くという話、ですけど」

「………」


兎にも角にも、何は無くとも、本日の本題は結局のところそれ。その為にこうして顔を突き合わせているのだ。…そうでなくとも割と葵は傍にいるけど。俺達の間にソーシャルディスタンスは存在しない。


「………」


しかし代わりと言っては何だが、暫しの沈黙が俺達の間に。


「葵?」


不思議に思い葵の顔を覗き込めば、そこには妙に緊張した風に唇を噛む彼女の姿が。


「に、…兄さんっ」

「はいっ」


葵が動き出したのは、それに俺が反応を示すよりも先だった。


「あのっ」

「うん」

「わた、私っ」

「うん」

「…あの…っ…」


これまで見たことの無いくらいの勢いで、わたわたと唇を動かして、そして言葉を詰まらせる。本当に珍しい光景。


「………わたし……お願い、というか、…わがまま、を、」

「葵、落ち着いて」


けれど、ここで急かす様な真似はしてはならない。あの感情表現に乏しい従妹が、これまでろくに我儘を言わなかったあの葵が、今初めて己のしたいことを伝えようとしてくれているのだ。


「ゆっくりでいいよ」

「………」


こくり。落ち着いてくれたのか、葵は無言で頷いた。膝を握りしめていた両手を胸元まで持ち上げると、柔らかく握りしめる。


そして彼女は紡ぎ始める。


「私」


たどたどしく


「に」


けれど一つ一つ


「兄さんと、お祭り」


確かに


「…回りたい、です」


はっきりと


「時間があったらで、いいんです。ほんの少しでも、兄さんの時間を分けて頂けたら、と……」


自分の願いを。




「………」


少し、いや少しなんてものじゃない、凄く驚いた。

誘うかどうかをうじうじ悩んでいた俺より先に、葵から手を伸ばしてくれた事が。

二人共、同じ気持ちでいた事が。

兄としても男としても大変情けない。けど、兄としてではなく男として、…嬉しい。

どれだけ抑えようとしても、顔がニヤケ始めてしまう程に。


「……兄さん?」

「!」


勿論、葵がそんな事分かるはずもなく。

返事もせずに黙り込んでしまった俺を不審に、いや不安に思ってしまったのだろう。消え入りそうな声で呼ばれて、俺は直ぐに緩んだ頭を引き締める。


「その」


どう言えば、恥ずかしくないのだろう。


「(いやいやいや)」


全くもって違うだろう。どう言えば、葵を喜ばせてあげられるか。今考えるべきはそれだけだろう。


「その」

「は、はい……」


先に言えなかったお前が、今更体裁を気にしてどうする。


「店、手伝わなきゃいけないから、どれだけ時間がとれるか分からないけど」

「それは、も、もちろん、わかっています」

「うん」




「そうだな。俺も葵とお祭り、回りたい」

「――」

「いや、回って、くれないかな?」


緊張で声が震えてやいないかとびくびくしながら、そっと俺は手を差し出した。

目を真ん丸くしてその手を見つめたまま暫し停止していた葵だったが、ゆっくりと動きを再開させると優しく俺の手を包み込む。

…手が冷たい人は心が、何て言うけれど。どちらも温かい、いや温かくしてくれる人は果たしてどこが冷たいのだろう、なんて。


「…はい」

「……」

「はい!私も兄さんと回りたいし、私と回ってほしいです」


顔を赤くした葵が俺の手を解くと互いの小指を重ね合わせる。

その顔を観てかちりと、何かが噛み合う音が頭の片隅に響く。けれど、今は気にしない。気にしてなど、いられない。


「約束、ですか?」

「……うん」


だって、目の前の葵が、こんなにはっきりと笑っているのだから。


「約束だ」


それは、俺達兄弟の始めての小さな我儘。そして何より大切な大きな約束。

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