第27話 迷子の季節
「随分と遠回りを……おや」
試験、そして夏休みを間近に控えた暑い日が続く中、人通りの少ない往来で、膝を抱えて座り込む女の子を見つけたのは、とある買い物を済ませて戻る道中だった。
…何だか今日はやけに人通りが少ない。それに町が妙に静まっている気がする。だからこそ、それはよく目に焼き付いた。
「………」
迷子だろうか。いや、家族や友達を待っているだけかもしれない。
それに私が行かなくてもあの年頃の女の子であれば誰か他の大人の人が……─
踵を返そうとして、止まった。
「………」
助けない理由はこんなにスラスラと思い浮かぶのに。
今更ながら、あの人はあおさんに対してよくやったものだと感心してしまう。
己の情けなさに呆れの溜息を吐いて、私は振り返って一歩踏み出した。
「(うん)」
きっと兄さんならこうしただろうから。
とりあえず助ける理由としては十分だ。少なくとも私にとっては。
■
「うう……」
どうしよう、どうしようどうしよう。
ちょっと様子を見にいくだけのはずだったのに、まさか迷子になってしまうだなんて。
大人しくお爺さんの忠告を聞いて、後一月程待っていれば。後悔先に立たずとはこういうことを言うのか。
「早くお寺に行かないと……」
気持ちを奮い立たせ立ち上がり、目の前の知らない景色が目に入ってまた座り込む。
「ううぅー…」
「すみません」
「!」
突然、声をかけられて思わず身構える。頭を悩ませすぎて、いつの間にか隣に人がしゃがんでいたことに気づかなかった。
「(な、何でこんな所に人が??)」
今はしゃがみ込んでいて目線が同じだけれど、背が高くてスラッとした、美人のお姉さん。ただ、長い黒髪から覗く瞳がぞっとするほど冷たかった。
「な、何ですか。知らない人とは話しちゃいけないんですけど…」
「もしかして迷子でしょうか?」
………
「は。…はー!?迷子じゃないですし!私お姉ちゃんですし!!失礼しちゃうなぁ!!」
「ですか」
「「…………」」
しまったつい反射的にあああああ私の馬鹿何言ってるのせっかく声をかけてくれたのに馬鹿馬鹿馬鹿。
「…お寺に行きたいんですか?」
「は?…まぁ!?それも中々吝かではないですけどね!?お気になさらず!!」
「ですか」
「「………………」」
あ、死にたい。いや、必要ないか。
この人めっちゃ睨んでくるもん。こんなのもう殺意の塊だよ。
助けてお爺さん。変な人に絡まれちゃった。
いやダメダメダメ、これ以上心配かけるわけにはいかないよ。ここは恥を偲んでこの人に助けを求めて─
「た、助」
「では、助けてください」
「は?」
は?
「私はお寺に行きたい迷子です。助けてくださいお姉ちゃん」
「………」
無表情で可愛らしく(?)首を傾げる変な人。思わず私は口をポカンと開けて―
「姉は妹を助ける義務があります」
「私、お姉さんのお姉ちゃんじゃないけど!?」
「そう仰らず、まずはお試しでも」
「いらない!!」
助けてお爺さん。変な人に絡まれちゃった。
■
「――それでね、私の弟はそれはもう〜お姉ちゃんっ子で毎日私に会えないとギャン泣きしちゃうくらいお姉ちゃんっ子なんですよ。いや〜困っちゃいますねぇお姉ちゃんは」
「ほう」
「それでそれで─あ、ここ、丁度この位置ですね」
「素晴らしい。現代っ子ここに極まれりですね」
「ふふん。まあ?私お姉ちゃんだし?」
お姉さんに手渡された携帯を二人で覗き込んで、地図を頼りに神社へ歩く。
まさかこの人が地図も読めなかったなんて。全くいい年して情けない。これは私がしっかりしなければ。
「で、ここを右に曲がる訳なんですよっ……て、妹!そっち反対!!」
「え」
もう、何やってるんだか。ちょっとよそ見していたら、反対側に何の迷いもなくスタスタと歩いていくお姉さん。
「たくもうー、私がいないと何も……」
彼女の手をとり引っ張ろうとして、そして気付いた。
お姉さんの向かおうとした先に、途中目的のはずの目印がある…?
「………」
「失礼しました、お姉ちゃんさん。なるほど、そちらから曲がると近道になるのですね」
「ぇ?……そ、……そうだよ!!全く、これだから方向音痴は困るよね!!?」
「返す言葉もありません」
全く。全くだよ。その通り。よく見たらこっちに細い路地が合流しているではないか。何か釈然としないけど、お姉さんの手を引っ張って私達は反対側に歩を進める。
「え」
「ほう」
…何か凄く寂れた道がそこにあった。果たして手入れされているのかと疑問に思うほど草の生い茂ったその道は、昼間だというのに暗く、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。草藪の中から手とか飛び出してきても不思議じゃないくらい。
「う」
「お姉ちゃんさん」
思わず後ずさる私の隣で、ぼんやりと前を眺めていたお姉さんが徐ろに口を開いた。
「…な、何?」
「手でも繋ぎながら、歌でも歌って歩きませんか?」
「何で?」
え?本当に何で?この人マイペースすぎない?
「お姉ちゃんさんは歌がうまそうですよね」
「急に?」
「ここは一発景気づけにどかんと」
「何の?…まぁ、いいけど」
…気も紛れそうだしね。
さて何を歌おうか。元気が出そうな歌…歌…
よし。ここはお母さんがよく歌ってくれたあれをチョイスしてみようか。あれいい感じに響いてアガるんだよね。
こほんと小さく咳払いして喉を整えると、力強い一歩を踏み出して私は真っ直ぐ前を見据えた。
「それでは聞いてください。『津軽海峡冬景色』」
「まさかの」
■
「テレビも!?」
「ねえ」
「ラジオも!?」
「ねえ」
「車もそれほどはしって!?」
「ねえ」
興が乗ってその後もいくつか曲を歌いながら歩いていれば、いつの間にか私達は見知った景色の中を歩いていた。
「せんきゅー!!」
「うぇーい」
「………」
素晴らしく感情の抜け落ちた合いの手と乾ききってカピカピの拍手が私の精神をごりごりと削っていく。そして私を両人差し指で指す顔は虚無。ことここに至り、私の繊細な心が未だ折れていないのは奇跡だろう。
「コブシの効いた素晴らしい歌声ですね。寂びの中に確かな愛を感じます。これこそまさに「あ!」あ」
向こうに見えてきたあの大きな門はっ。間違いない。お爺さんのお寺だ。
「つ、着いた……着いたーーー!!」
「…………………」
涙ぐむ程の歓喜にうち震え、思わず走り出した私の後ろをやはりマイペースにお姉さんは歩いてくる。何か謎に寂しそうだったけど。
急なブレーキが間に合わず、門の前で思わず一、二歩たたらを踏むと、私は大きく息を吸い込んだ。
「ああ〜お寺の音ぉ〜♡」
微かに聞こえたような気がする木魚の音が私に癒やしを届けてくれる。やっぱり今をときめくのは木魚だよ。木魚はこの世の全ての争いをポクってチンしてくれる。私はポクるけど、今の若者ってポクらないのかな?そんな私の好物はポークソテー。はい嘘です。
「ありがとうございます、お姉ちゃんさん。助かりました」
「ふふーん。まぁ?私お姉ちゃんですし?」
のんびりと私の後ろに辿り着いたお姉さんがたおやかに頭を下げる。長い黒髪がサラリと流れ、陽の光に照らされて艶々と輝いた。
「もしもあの場で見捨てられていたらキツめのエクストリーム駄々っ子をかますところでした」
「嘘だっ!!」
絶対そんな性格じゃないよこの人!子供の私でも分かるよ!!だってあの歌を歌って尚、頑なにローテンションだもん!絶っ対涙一筋流さないよ!
「………」
「どうかしましたか?」
そしてお姉さんは今も相変わらずの無表情で私のことを見つめている。
最初は何て冷たい顔なんだと思ったけれど、今なら分かる。この人はとても優しい人だ。そして─
「ねぇ、妹」
「はい」
「演技へたくそだね」
「………」
「……………」
「……………………………………………………………………」
「え、何でそんなこの世の全ての絶望を煮詰めたような顔するの?」
「お、女の子に『下手』と言われることに少々トラウマが……」
「何故そんな思春期の男性みたいな……あゴメン。ゴメンて。謝るから膝つくレベルで落ち込まないで。ね。ここ往来だから。ね。誰かに見られたら恥ずかしいからまじで。ね。あ、アメちゃん食べる?いや駄目なんだっけ?」
何で私この人を慰めてるんだろう。
■
「お見苦しいところをお見せしました」
「ほんとにね」
歳下の少女に胡乱な目で見つめられる。中々無い経験だ。さりとて、彼女の案内で漸くここに辿り着いたのだ。お礼はして然るべきだろう。例え、嘘だとバレバレでも。
「このお礼はいつか必ずや」
「ううん。いいの」
「え」
意外と言うべきか、彼女は静かに首を横に振る。
その顔は、今までとは打って変わった落ち着き払った様子で。
「もう、もらったから」
そしてそう言って、私の手元を指さして。
「妹。あの子を、よろしくね」
「………」
「遠回りも悪くないけど、たまには真っ直ぐ我儘言ってもいいんじゃない?」
「!」
「だって家族なんだから」
別れを惜しむことも無く、そびえ立つ大きな門へと少女が足を進めていく。さっきまでの快活さが嘘のように、その背中が儚くみえて。
「っお姉ちゃんさん!」
「………」
思わず私は声をかけてしまう。
けれど、一体何を言えば。
「…名前を、教えていただけませんか?」
「必要ないよ」
散々の懊悩の末、苦し紛れに絞り出した言葉は何とも頼りない。
けれどそんな事を気にした素振りも無く、くるりと振り返って、白い歯を見せて、爽やかに彼女は笑った。
『またね!』
瞬間、向こうから強い突風が吹いて、乱れる長い髪を思わず手で覆う。
もう一度前を向いた時、町に漂っていた妙な気配は影も形も無くなっていた。
そして―――
「?…………夢……?」
現か、それともうだる暑さがみせた白昼夢だったのか。答えられる人は、もういない。
「(いや…)」
どちらでもいいではないか。きっと彼女は『ここ』にいた。
この手に残る温もりこそが―――
「――…戻りました」
「うん、お帰り。…しかし花買うだけなのに随分遅かったな?」
「…混んでいました」
小さな墓石を丁寧に拭いていた兄さんが私の足音に気づいて顔をあげる。
「へえ、珍しい」
「………」
私がついた何てことのない嘘を特に疑問に思うこと無く、兄さんが掃除を再開する。
その後ろで手に持っていた花を分けながら、私はそっと墓石の側面を覗き込んだ。刻まれた名は─
………
「穂村真守」
「うん?」
「良い名ですね」
「……そう、だな?」
「はい。とても良い名前です」
本当に。
「…?お盆にはまだ早いし、母さん達がマメに来てるっぽいし別に無理に来なくても良かったかもな」
「いいえ。ついて来て良かったです」
「そうか?……そうか…」
「はい」
「…………??」
私の根拠の無い力強い肯定に兄さんが首を傾げるのを見て思わず、可愛らしい。などと思ってしまって。
…夏休みにも入っていないというのに、せっかちな方だ。けど、それこそが彼女の我儘だったのだろうか。…思わず笑みが溢れそうになって、鼻を鳴らして誤魔化すと、私は空を仰ぐ。
雲一つ無い晴れ晴れとした晴天に、あどけない笑みが重なった気がした。




