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読めない君が笑う時  作者: ゆー
2章 迷子の季節
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第26話 勤労従兄妹

『いら…しゃい、ませ』


『ご注文を、お伺い、します』


『はい、ありがとうござい、ました』


後輩が名残惜しそうに店を去ってから数時間。再び客入りが多くなってきた夕方の時間帯。葵は最初の接客こそぎこちなさ満点ではあったが、その持ち前の学習能力の高さ故か、時が経つにつれててきぱきと仕事をこなす様になっていた。難点は体は動いても首から上は未だぎこちないまま、ということだろうか。


されどもここで助けになったのは、お客さんが皆、緩いマスターに慣れ親しんだ顔触れだったこと。こう言っては悪いが、この店はそんな、町の外から大勢の観光客が訪れる程に繁盛した店ではない。あくまでも町の片隅にある小さな喫茶店。

固い動きで業務をこなしていた新人のアルバイトのことを、俺も接客した覚えのある方々は皆、微笑ましいものを見る目で眺めていてくれた。


そんな訳で手慣れてしまえば、俺が手を貸すまでもなく優秀な葵ならどうにかしてくれる。早々にお役御免となってしまった俺と言えば、一人寂しくカウンターの中で食器を拭きながらその小さな背中を眺め、急成長っぷりに一人でニヤついていた。


「頑張ってるじゃない、妹ちゃん」

「真面目な子ですから」

「…そこでドヤる少年も大概ねぇ」


そんな俺の背後から近づいてくる、大変嫌らしい気配。馴れ馴れしく俺の肩に手を置いて、横から覗きこんでくるお顔は気配に違わず鬱陶しい。

けれど俺は何もしない。あの頑張りの前では年増のちょっかいなんて可愛らしいもの。秒であっという間に霞んでしま


「何か今失礼なこと考えなかった?」

「まさか」


頑張る女性はいつだって美しい。何も失礼なことなんて無いではないか失礼な。あー本当失礼。

だからちょっと失礼させてもらおうかな。なんて。


『―ご注文を確認させていただきます』

「何だかんだ笑顔も……若干…うん…若干…、作れてきてるし。…あ、愛されてるわねぇ、お兄ちゃん♡」

「…………」


葵が何を思い浮かべて笑顔を作っているのか、当然マスターは存じている。

それが果たして何を意味するのか。少なくとも悪い意味ではないだろう。その笑顔に込められた感情はきっと家族への親愛。


「…マスター、俺在庫の確認に…」


もう俺が口を挟む必要なんて何も。そう思って奥に下がろうとしたその時。


「ちょい待ち、少年」

「え?」


マスターによって力強く肩を掴まれ、瞬く間に俺は引き戻されてしまう。一体何事かとマスターの方を振り向けば、先程までのほんわかした雰囲気など欠片も無い、めちゃくちゃ面倒くさそうなお顔が。


「ちっ。あいつらまた来たのか…」

「また?」


その美しいお顔を存分に歪めたマスターが視線で示す先。そこには当然葵と、……2名のチャラそうな男性が。会話が聞こえずとも背中ごしに、葵が何やら絡まれて困っている雰囲気であることがよく分かる。


「…あれは?」

「最近ちょこちょこ来るイキり勘違い大学生よ。他のバイトの子にもちょっかいかけやがってねー…。こないだちょっと圧かけたら尻尾巻いてビビり散らして逃げたくせに懲りないわぁ」

「何やってんすか」

「私の店ぞ。客は私が選ぶ。我こそが法」

「暴君」


ということらしい。周りの客も、チャラ男共の場を弁えないでかい態度とマナーの悪さに辟易し始めているようだ。


「うわ、酷いっすねあいつらっ゙」

「呑気に眺めてないで。お兄ちゃん、さっさと助けてあげなさいよ。ちゃんとお兄ちゃんを遂行しなさい」


流石の俺も目を顰めざるを得ないその醜さ。あんなのが自分よりも年上なのだと思うとうんざりする、などと思っていた俺の脇腹に繰り出される容赦の無い肘鉄。マスターはチャラ男ではなく俺の方にうんざりしておられたらしい。


「…分かってます」


言われるまでもなかったが、彼女の言いつけ通り、俺は葵を助ける為に出動する。


「まったく……あんなへらへらしたままで頼りになんかなるのかしらね…?」











「あお、……山さん」

「あ、兄…村さん」


葵の後ろから声をかければ、明らかにほっとしたように葵が表情を和らげる。そしてその奥では、いきなり現れたいけ好かないガキに舌打ちを隠そうともしない大人げない大人共。こんな奴らに葵の名前を知られる事すら気に入らないので、失礼ながらも、俺は適当な名前で葵を呼ぶ。そこに込められた意味に気づいてくれたのか、それとも仕事中に兄と呼ぶことを躊躇ったのか、結果的に葵も俺と似たようなことを。


「マスターが呼んでるよ。ちょっとお願いできるかな?」

「あ、……はい」


笑顔を浮かべたまま、葵と男共の間に割り込む様にして体を滑り込ませる。交錯した葵の視線から伝わる確かな安堵と、…怯え。


「………」


また大きな舌打ちが背後から聞こえ、何なら足をわざとらしく蹴られた。


「…ありがとうございます」


その光景を見逃さなかった葵が温度を失った目で男達を見下ろして、直ぐにその場を離れようとする。

次の瞬間、男が何かよく分からない言葉を喚きながら葵の手を乱暴に掴み取る。

そして更に次の瞬間、葵の手を取った男の手を俺は優しく掴み取った。


「お客様」


勿論、特に暴力を働くつもりはない。

俺は優しく、優しく、出来うる限りの慈しみを持って男性に微笑みかける。ありがたいことに男性は何故か顔を歪めながらも葵の手を放してくれる。葵は俺を一瞥するも、すぐに背を向け、マスターの方へと足早に去っていった。

それを笑顔で見送ると、俺は改めて男性に向き直る。汚い手で乱暴に葵に触ってくれちゃってまあ。


「申し訳ございませんが」


何だろうな。昔、隼人が『お前のそれ怖いんだよ…』とか、何か傷つく事を言ってきた時を思い出す。あれは何時のことだっただろうか。隼人が困っていた時、誠に遺憾ながらもちょっとしたじゃれ合いに首を突っ込む羽目になった時だろうか。

毎日毎日身体を酷使していたせいで無駄に体力だけついたものだから、気づけば皆、やばいものを見る目で俺を見ていたな。


「他のお客様のご迷惑になりますので」


そうそう。ちょうど今目の前のこの人みたいに。


…………。










「マスター。なんかお会計だそうです」

「………………」

「マスター?」

「…やるじゃない少年」

「はい?」







「兄さん」


ありがとうございましたー。なんて口にする訳もなく、無言かつ満面の笑顔で2名のお客様を見送る。『も、もう来ねーよこんなしけた店!』とか、『こ、このババァ!!』とか、『ああ!?なんだてめぇら今何つったクソガキぶち◯されてえかいや今◯す三回ぶっ◯ぉす!!!!』『ひいぃ!!?』『止めろ止めろマスター止めろ!!!』『また死人が出るぞぉ!!』とか騒がしい声を右から左へ聞き流していると、葵がいじらしく寄り添ってくる。


「お、葵。大丈夫だったか?怪我してないか?」

「する訳ありません。兄さんが助けてくれました」


嫌な思いをしたのは自分の方だろうに、それを感じさせぬ薄い表情で俺の手を取る葵。その手が微かに震えていることに、俺は心の中で何度も謝りながら気づかない振りをする。今一度嫌な事を思い出させることはしたくなかった。


「兄さんこそ、変なことされませんでしたか?」

「変なこと?」

「お尻触られたり」

「される訳ないよね」

「ですか」


常と変わらぬ低い落ち着き払った態度。けれどそれはきっと強がり。無表情という仮面の下に己の思いをひた隠し、誰にも気づかせないまま時間に全てを風化させようとしている。


「……、」


いつの間にか、俺は葵の手を握っていた。

振りほどくことなく、葵ももう片方の手も使って俺の手を包み込む。


「ありがとうございました、兄さん」

「…うん」


そして浮かび上がるのは、作ったものではない、自然と溢れ出た微笑み。

…この子が、いつか素直に感情を露わに出来たならば、と思う。嬉しいことも、悲しいことも、二人で一緒に分かち合えたならばどれだけ。

それに、ずっと溜め込み続ければ、いつか必ず決壊の時が来る。何もかも背負いきれる程、人はそう万能ではないのだ。図らずも、何処ぞの馬鹿なお節介がそれを証明している。


「ったく最近の若者は…少しはうちの可愛い少年達を見習ってほしいものだわ……って、ひゅ〜何かやらしい雰囲気。二時間くらいでいい?テーブルでなら許すわよ」

「この人は一体何を言っているんだ」


飽きもせずに見つめあい始めていた俺達の元に、マスターが帰ってくる。

何処となくスッキリしたお顔が先程のチャラ男達の未来を心配にさせてくれるが、所詮チャラい未来略してチャライなので台詞ともども気にしないことにする。


「お帰りなさい、マスター」

「おぉ〜…お〜………妹ちゃん。後片付けご苦労さま。んふふーマスター気分良いからボーナス弾むわよ〜」

「ほう」


『帰りを迎えてくれる人がいるって羨ましいわよね。……少年、ヒモ…養ってあげるからお姉さんと住まない?』以前死んだ目でそんなことを言っていたマスターが、何故か哀しい涙を滲ませながら葵を撫でくりまわす。そんな勤労に励む学生に何とも甘いお言葉を口にする彼女が懐から取り出したるは。


「はいこれ。今度やるお祭りで使える特別割引券。『特別』よ、お姉さん関係者だからね。崇めなさいちやほやしなさいマスターを」

「おお」

「しわくちゃ…」

「うっさい。二人で仲良く使いなさいな。ま、当然、お兄ちゃんが全部奢ってくれるだろうけど」

「…………」

「当然、お兄ちゃんが全部奢ってくれるだろうけど」

「うっす」






――そんなこんなで、葵ちゃんの初めてのアルバイトは面倒事こそあったものの、彼女自身の努力もあって比較的スムーズに終わり、俺も存分に体力を温存出来たのだった。


『次はミニスカもいいかもね…』

『…マスター?』

『ああんお兄ちゃんセコム…』

『?』


マスターも葵の事を気に入った様で、バイトがしたければいつでもウェルカムとの好評価。そしてそれに違わぬ好報酬。…恐らくは祭りを楽しむ少年少女に向けた色もついているのだろうが。全く、足を向けて眠れない。


帰路の中、並んで隣を歩く葵を見やる。目敏く気付いた葵もまた、腰を曲げて俺の顔を見上げる。


「兄さん。…私は役に立てましたか?」

「俺の仕事無くなっちゃうね」

「、……ふふ。…ですか」


夕陽に照らされたその淡い微笑みが、やけに目に焼きついた。




…にしても祭りか…。

出店の手伝いあるし、特に約束とかもしてなかったんだけど、そういうことなら思い切って誘ってみるのも……ありかな?

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