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闇の竜王、スローライフをする

闇の竜王、スローライフをする コミック発売記念短編 『翼の双子、西へ東へ』

作者: 稲荷竜

「ねぇ、どうして僕らは老いないのかな」


『彼女』の墓前で口をついて出た言葉は、寒々しくなり始めた季節の空気に解けていった。

 しんと静まり返った空気は耳が痛いほどだった。


 彼は──


 翼を持つ青年クラールは、自分がこの場所に一人きりで、周囲には誰もいないんじゃないかという気持ちになってきた。


 だから遠くの空から視線を落として、墓前に戻す。


 よくわからない四つ足の動物をかたどった、あまりにもファンキーな墓石の前で、翼を持つ、髪の長い女性が片膝をついていた。

 その右手が胸に置かれていることに宗教的な意味はない。けれど、翼を持つ彼女がこうして熱心に瞑目し、片手を胸に当てたまま片膝をついてジッとしていると、それをなんらかの宗教の祈りの所作だと思う者もいるのだろうなと思えた。


 翼を持つ人種。


 自分たちはかつて人々から乱獲されていた人種なのだそうだ。空を飛ぶ翼を持ち、みな美しく、そして優れた知性を持ってもいたそうだ。

 学術においてならぶ者はなく、兵としても精強で、優れた法を布き、完璧な統治のもとすごしていた人々。

 公明正大で他種族を差別することもなく、世界の平和に貢献していたらしい人々。


 それがなぜか、人々から一斉に攻めこまれ、見かければ捕らえられ、奴隷として売り買いされたのだという。


 クラールが生まれるよりずっとずっと前の、歴史の向こう側にある出来事だ。すでに遠い過去でもはや伝聞でさえも伝わっていない、なくなった歴史のうち一つ。

 光の竜王がいなければきっとクラールたちも知ることのなかった過去であり、このようなことをクラールたちに聞かせた光の竜王が何を意図していたのかは、わからない。

 おそらく特別な意図などないのかもしれない。あの竜王は『知ること』を喜びと感じる性質を持っているようだし、もしかしたらサービスのつもりで話してくれただけなのかも。


 竜王のことは、最後までよくわからなかった。


 でも、わからないことは、嫌いということとはまた違う。


 だって自分たちは、彼女のことだって、最後までよくわからなかったのに……

 彼女のことを、こんなにも好きなのだから。


「クラール」


 妹のニヒツが、墓前で片膝をついたまま声を発する。


 相変わらず口を開けば悪罵ばかりという妹なので、クラールは妹が自分に声をかけるたびにいまだにちょっとビクッとしてしまう。


「なにかな、ニヒツ」

「これから、どうする」

「……どうする、っていうのは?」

「もう、ここにいる理由もなくなった。竜王たちは消えたし、『仙界』に戻るような気分でもない。だっていうのに、ニヒツたちの余生は長すぎる」


 翼を持つ人種の特徴として、永遠に近い寿命があるのだという。

 それは光の竜王による品種改良によって制限が設けられてしまったのだけれど、それでもニヒツもクラールもまだまだ百歳にもなっていない。あと数百年は寿命で死ぬことはないだろう。


 そしてもう、居場所もない。


 子供時代を過ごしたあの集落は消え失せた。

 ……正しくは、より発展し、より人が増え、より整備され、ずいぶんと住みやすい場所に変化した。

 それは年老いた彼女にとってはいいことではあったけれど、肉体の全盛期をずっと維持したままのニヒツとクラールにとっては、子供時代の思い出が開発によって塗りつぶされていくという感じが強く、なんとなく座りの悪くなるような変化であった。


 仙界は……


 光の竜王が消える前に里帰りして見た限りにおいては、光の竜王なしでも統治されていく根幹ができていた。自治権・管理権を住民にゆだねて存続していくという話だが……

 ……正直なところ、クラールには、竜王という超越存在なしであの仙界の統治が維持できるとはまったく思えなかった。

 人々は気勢をあげ、やる気充分、今までのような暮らしではなく、自分たちで未来を作り上げていくぞ──なんて燃えていたのだけれど、ついついそれを冷ややかに見てしまうのだ。

 ニヒツなんて『自給自足が必須な環境で絶対者がいなくなったらやっていけるわけがないのに』なんて口に出していた。クラールはいさめたけれど、まあ、ようするにそういうことだ。


 ともあれニヒツもクラールも、そもそも仙界でほとんど過ごしていないわけだし、闇の竜王と過ごした集落は変わり果ててしまったので、『彼女』もいなくなってしまった今、もはや『故郷』とか『居場所』とかいうものを失ってしまった、という状態だった。


 居場所がない。


 たったそれだけのことなのに、これからどう生きていっていいのか、わからなくなっている。


「……ねぇ、ニヒツ。僕たちのすべてはさ、この場所にあったんだよね」

「……」

「僕たちは『外』に居場所を作ったり、大事な人を増やしたりっていうことを、してこなかった。ずっとここでの記憶にすがりついて、大事なものを作るチャンスを避け続けて……そして、彼女がいなくなった今が、ここにあるんだ」

「何が言いたい」

「同じだよニヒツ。『これからどうしようか』っていうことさ。そして……僕たちはずっといっしょだったから。ずっと同じ居場所にすがりついて来たからさ。……ニヒツが答えを出せないようなことは、僕にも答えが出せないんだよ」


 これからどうしようか、なんて。考えたこともなかった。

 ……いや、考えたことはきっとあった。でも、考えを形にしたことはなかった。


 終わりを意識するのが、おそろしかったから。


 彼女のいなくなったあとのことを想像するのが、いやだったから。


 だから、逃げ続けてきたのだ。


 クラールの言葉を受けて、ニヒツはようやく立ち上がった。

 そうして振り返ると、過ごしてきた時間と、性別の差とが現れた、かつて見分けがつかないほどそっくりだった双子の妹の姿がそこにあった。


「楽しかった」


 ニヒツがつぶやく。


 クラールは「そうだね」とつぶやいた。


「虫取りとか、したな。いっぱい遊んだ。村の中を走り回ったりして……ケガとかもした。クラールが」

「そうだね」


 幼いころの思い出を語られると、どうにも胸の奥底がくすぐったくなったような感じがした。

 だからクラールは苦笑いを浮かべながら声を発した。

 その当時の情けなかった自分……まあ、今も性格はさほど変わっていないけれど、情けなくて、弱くて、何もできなかったころの自分が記憶の中にはいて、それを思い出すとくすぐったく、少しばかり恥ずかしく……

 でも、それを笑って振り返ることができる程度には、強くなっていた。


「なんか、ばーって人がいっぱい来て……むっちゃんと恋バナしたこともあった」

「そうだね」


 自分たちの大事な彼女は、自分たちのどちらとも結ばれることはなかったのだ。

 まあ、別にクラールも女性として彼女を愛していたということはない。お姉さんのような、妹のような……そういう対象ではなかった。

 愛だの恋だの、そんな言葉で表現できるような絆ではなかった。

 それは自分以上にニヒツのほうこそそうなのだろう。

 ニヒツは兄への敬意、なんていうものを鼻で笑うような妹だが、『彼女』への親愛の情だけは、ずいぶんと深かったように思う。


「結婚しちゃったな」

「そうだね」


 ……愛した女性、とは言わないけれど。

 彼女が結婚した時には、寂しさというのか、喪失感というのか、そういうものがあったことも事実だ。

 たぶん、終わってしまったことを突きつけられたからだろう。

 ……すでに幼い日の三人はそこにはいなくて、否応なく大人になるしかないぐらいの時間が経っていた。

 体は大きくなって、いろいろなことを覚えて、それでもなんとなく幼いころのままだと思っていた関係は、彼女が結婚というかたちで、自分たちの思い出にいなかった人と結ばれてから、明確に『終わり』を突きつけられたのだ。


「ミニむっちゃんが生まれて……」

「……ミニむっちゃんではないけれどね」


 ニヒツは彼女の子供のことを、ずっと『ミニ』呼ばわりし続けた。

 本当に失礼なことだと思う。大してミニじゃなくなってもずっとミニ呼ばわりされていた彼は、ニヒツという『村の古老』に強く物を言うこともできず、結婚して子供ができてもミニ呼ばわりを許す羽目になったのだ。

 もちろんクラールも『やめなよ』と何度か言ったし、時には強めに注意もしたが、それでもニヒツはミニ呼ばわりをやめなかった。


 たぶん、『彼女が子供を産んだ』という事実をずっと受け入れられなかったのだと思う。


 自分たちの世代がどんどん古いものになって、彼女がどんどん『前の世代』になって、世界がどんどん変わってしまうことを、うまく受け入れられなくて……

 まるで闇の竜王の発生させる竜骨兵のような扱いをすることで、心を守っていたのではないか──と、クラールは思うのだ。


 ……そして。

 思い出を想起させる話の中で、クラールは、『彼女』の容姿をうまく思い描けない自分に気付かされた。


 彼女は、歳をとっていった。

 幼い子供だった期間なんか、ほんの五年程度だっただろうか。

 どんどん大人びていき、実際に大人になっていき……

 朗らかさはずっと子供のころのままだったけれど、それでも、変わっていったのだ。


 だというのに、変わったあとの彼女をうまく思い出せない。


 思い出を振り返ればそこにいるのは、いつまでも子供のままの彼女で、自分たちだけが歳をとり……

 そして、止まるのだ。


 彼女が老いて死んだ今なお『青年』と呼べる容姿のままの自分たちの横で、彼女は幼い子供のまま、いつまでも元気にはしゃぎ回っている。


 ……妹も妹で彼女の身に流れた時間を受け入れられていないようだが。

 自分も自分で、受け入れられていないことを、クラールは今さら思い知らされた。


 ……そして。


「……なんで死んじゃったん?」


 ニヒツが無表情のままたずねてくる。


 クラールは答えを持っていなかった。


『そういうものだから』


 そういうもの、だから。……それ以外に言いようがない。

 だって彼女の死は幸福なものだった。普通に生きて、普通に死んだのだ。不幸が彼女の寿命を奪ったということはなかった。老いた彼女が不幸だったということもなかった。元気に生きて、元気に生きて、元気に生きて……


 元気に、生き抜いた。


 だから、彼女を殺したものなどどこにもいない。死の原因としてあげられる事件もない。

 本当に『そういうものだから』としか言えないような……当たり前に迎えるのが実際のところ難しい大往生を彼女は迎えたのだ。


 クラールは無言のままだった。


 ニヒツも、無言のまま、じっとクラールを見ている。


 その視線の強さはにらみつけているようだった。ぜんぜん答えられないクラールに怒っているかのようで……


 でもきっと、涙でもこらえているんだろうなあ、とクラールにはわかった。


「死んでほしくなかった?」


 クラールはやっと口を開くことができたけれど、出てきたのはそんな問いかけだった。


「当たり前だばーか」


 ニヒツは雑な悪口を交えて答えた。

 この妹はわりと癇癪持ちなところがある。感情がすぐに高ぶってしまうのだ。それを制御するために、こうして雑な悪口を交える。とても抱えきれない感情、いっぺんに発露したらひどいことになってしまいそうな激しい感情を、こうして少しずつ、雑な悪口で吐き出すのだ。


 だからクラールは笑って、


「僕は、彼女が死ねてよかったって思うよ」

「……」

「だって、彼女はきちんと生きたじゃないか。あまり長くても、もう、やることがなくなっちゃうよ。僕たちみたいにさ」

「いっしょにいたらいい」

「いっしょに生きて、いっしょに死ぬ?」

「そう」

「それは素敵なことかもしれないね。でも、それをしている僕らは、それを素敵だと思い続けることができるかな」

「……」

「長すぎる寿命をもてあましかけている僕からすれば、彼女は……死ねてよかったと思う。彼女はあそこで終わっていいぐらい、きちんと元気に精一杯、生き抜いたと、僕は思うよ」

「……それは、そうかもしれんけど」

「ねぇニヒツ。僕らもそろそろ、生きてみない?」

「……どういうこと」

「それぞれ、違う場所で、違う人生を送ろうっていうお誘い」

「………………」

「そして、手紙を交わしたり、たまに会ったりして旧交を温めるんだ。近況報告をしたりなんかしてさ。……僕らがこれからすべきことがあるとしたら、きっと、そういうことなんだと思うよ。ようするに……独り立ち、だよ」


 楽しく美しい幼年時代はいつの間にか終わりを迎えてしまった。

 少年時代も青年時代もそれとわからぬまま過ぎ去っていき、気付けばともに過ごした彼女は鬼籍にその名を記している。


 自分たちは自分たちの人生を誇れない。けれど、自分たちは彼女の人生なら誇れるはずだ。

 だからこそ、これ以上、彼女にすがりついてばかりもいられないと、クラールは思う。


 終わったのだ。

 精一杯やって、終わったのだ。


 だから、新しい居場所を探して飛び立つのはきっと、今しかない。

 今を逃せばたぶん、自分たちが独り立ちする機会は永遠に来ないと、そう思うから。


「お前なんかどこにでもいってしまえ。ばーか」


 ニヒツはぷいっと背を向けた。


 髪は長くなった。背は高くなった。体つきも女性になった。

 だというのにニヒツは成長できていない。それが愛おしく、それがかわいらしく……

 兄として。そのままではいけないとも、思う。


 ……ニヒツにわからないことは、クラールにもわからない。なぜなら二人は同じ人生を歩んできたから。

 でも、ただ一つ、ニヒツとクラールで違うところがあるとすればそれは、クラールはお兄ちゃんなのだった。その一点だけが、『彼女』の死のあとにどうするかという話に、答えを出させたのかもしれない。


 独り立ち。


 何度か頭の中で繰り返してみれば、本当にもう、それしかないような気がしてくるから不思議だ。


 独り立ち、すべきなのだ。

 ……したいわけではない。幼い日の楽しい思い出の中で永遠に過ごせるなら、それがいいだろう。


 けれど、すべては変わっていくし、終わっていく。

 だから、『すべき』なのだ。


 したくなくても、すべきなのだ。

 今しないときっと自分たちは、この墓前から動けないから。


「ニヒツ、僕は西のほうに行ってみようと思っているよ。王都だったかな? 水の竜王さんと、ヴァイスさんが行ったところ。そこに行ってみようかと思ってる」

「……ほんとに行くのか」

「うん。ついてくる?」


 ずるい物言いだった。

 ニヒツの性格を知っているから、こう聞けば、絶対に『ついて行く』とは言わないことをわかってたずねたのだ。


「ばーか。ばーか。ばーか!」


 ニヒツは雑な悪口を繰り返して……


 翼をはためかせ、飛び上がった。


「どこにでも行っちまえばーか! もうお前のことなんか知らんからな!」

「一年経ったら、またお墓参りにここに来るよ」

「知らんわばーか! じゃあな!」


 そう言って、ニヒツは飛び去って行った。

 方向は東である。


 ……最後までさんざんな妹であった。いや、たぶん、一年後にはいろいろ言い訳しつつ墓参りに来るのだろうし、そこで再会するのだろうけれど。

 ともかく情緒もへったくれもなく、こうして独り立ちは成立したのだ。


「……なんだかなあ」


 あの妹を『説得』できるとはまったく思っていなかったが、こんな時でもあの調子だ。

 ……まあ、あの調子なら、元気がないということもないだろう。クラールはそう思うことにして、自分も翼をはためかせ、飛び上がった。


 ……まあ、独り立ちなんて、こんなものでいいのだろう。

 盛り上げるだけ盛り上げて、なんだか泣けるような雰囲気を作って、大事な決断みたいにして、抱き合って、お別れのためにまる一日使う──なんて。そういうものでは、ないのだ。


 さっさと自然にやっておくべきこと。


 それが今さら行われたというだけの話。


 翼の双子は飛び去った。

 墓前には一輪の花があるのみだ。


 お別れはこのぐらいのそっけなさで。

 そのほうがきっと……


 再会する時に、重苦しくならなくていいだろう。

 一つの話は終わっても、どうにもこうにも残念ながら、まだまだ命は続いていくのだ。

 暮らしもあるし、仕事もあるし、きっと出会いもあるだろう。


 だから家族なんかたまに思い出すだけでいい。

 思い出して寂しくなったら会いに行けばいい。


 墓前でいろいろ紛糾したが、つまりこれは、そういう話。

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― 新着の感想 ―
[一言] クラールとニヒツも、とうとう青年期が終わったんだな… なんだかんだ世間に揉まれて、それでもどうにかやって行く様な気がするよ 仙界の連中は全てが上手く行かないとしても、過去を繰り返したり、ヴァ…
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