最終話 見上げる空はいつも青
『適当に食べていて』
赤城家のテーブルにはいつもどおり母のメモ書きが置いてある。
朝からこれである。
赤城百合は今日も一日この家で一人で過ごすのが確定したと、ため息を吐いた。
朝食も取らずに家を出る。そこら中にあふれるレンガ造りの異質な建物。異世界からの侵食は完全には止まっておらず、失われたものも帰っては来ない。
そして、百合の日常も変わらない。
いつも通りの時間の電車に乗って文庫本を読みながら学校へ向かう。満員電車特有の嫌な臭いに耐えながら、たまにいる痴漢のオヤジにいちいち反応するのも面倒と思いながら、学校近くの高田馬場駅へ。
嫌だ。
何のために毎回こんな嫌な思いをしてるのかわからない。
赤城百合には将来の夢も何もない。
憧れを最後に抱いたのもいつか思い出せない。
今、ぼーっと考えたら、ドラマに出てくる女刑事をカッコいいと思ったのが最後だった気がする。兄を笑えない。所詮自分も同じ穴のムジナだということか。
結局は正義の味方っていうのが好きな血らしい。
「お~う、赤城!」
肩に腕を回される。
「三崎、四柴……」
普段つるんでいる奴らだ。
タバコくさい……。
「赤城、今日もさ~、あんたんち使わせてよ。あたしのこといいなって思ってるっぽいイケメンがいてさぁ~……しかもそいつ芸能人の息子みたいでメチャクチャ金持ってんのよ! あんたにもいつかなんかおごってやるからさ、ゲーム部屋使わしてくんない?」
三崎が言う。
三崎は男に金を貢がせることを覚えてから、すっかり赤城家をヤリ部屋と認識し、男を連れ込んではやっている。
「……ねぇ、赤城。なんか問題あるの?」
反応が鈍い百合を、三崎は睨みつけ、語気を強める。
「もしかして、珍しく親が帰ってきたり、する? だったら諦めるしかないけど……でも私に対して嘘だけはつかないよね。友達、だもんね? 友達が望むことだったら、何でもしたいって思うのが当然だもんね。私も赤城が困っているときは助けたいって思うし、赤城も私が困ってるなら助ける、よね?」
三崎の手に力がこもる。
ぎりぎりと肩が締め付けられる。
……怖い。
何で、朝からこんな脅されなきゃいけないんだ。私が何をしたって言うんだ。何も悪いことをしていないのに、何でこんな嫌な気分に……。
あ———。
「おい、三崎。警察と騎士がいる」
「あん?」
四柴が岬の脇を小突く。
遠くで青年に職質をしている鎧を着た騎士の少女とスカジャンの刑事。
トゥーリと———赤城白太だった。
小汚い自転車を押している大学生風の青年に話しかけている。恐らく職務質問だろう。
あれから、白太は警察の立場を失いかけたが、トゥーリというローナ・シュタインの妹の魔法のおかげで何とか戸塚警察署の刑事としての席を確保し、トゥーリ自身もちゃっかり魔法で現実世界の記録と記憶を書き換え、戸塚警察署の職員として働いている。
とはいえ、トゥーリは現実世界に来てからは日が浅く、常識知らずであるため白太とバディーを組んで現実世界の、日本の常識というものを勉強しながら正義の番人として身を粉に働いている、らしい。
四柴はそんなことは知らない。
ただ、カツアゲの光景と誤解されることを恐れて三崎を諫めるが、
「別に友達同士でじゃれあってるだけじゃん。そんな過敏に反応するなよ。そっちの方が怪しまれるだろ」
四柴を払いのけ、百合の耳元に口を近づける。
「なあ、赤城……いいだろ?」
「……ハァ、三崎やめときなって」
「あ?」
「お金目当てで人と付き合い続けても何にもならないし、いつか後悔するよ」
三崎の表情が歪む。不快感で顔が満たされる。
「何生意気言ってんの? 偉そうに説教? あんた人に説教できた口?」
「別に……まぁ、友達だから、忠告しておきたくなっただけ。お金をくれる男をとっかえひっかえしているけどさ。一人の男とずっと付き合い続けるっていうことはできないの?」
「うるさ……んなもん、飽きるしつまんないにきまってるじゃん」
「そんな飽きて直ぐに捨てるような女を、愛し抜いてくれる男っていると思う?」
「ハッ……!」
三崎が嗤う。
「お前、世間知らねぇだろ。いくらでもいるんだよ、女なら付き合いたいって男はこの世にいくらだって。年とっても、女に相手にされなかった童貞野郎がいくらでも金を払ってくれる。そういうのの中には、勉強ばっかして誰とも付き合ったことのない医者とかいるから、そういう奴と結婚すれば、安泰。人生イージーモードよ」
馬鹿なくせに真面目なことを言うな。やりたい放題しても人生、なんとかなるもんだ。
三崎は百合の背中をバンバンと叩く。
「そんな女を愛したことのないような男で満足できると思っているの?」
「————ッ!」
パシ———ッ!
三崎が百合の頬を張った。
「み、三崎、やばいってそれは」
「あ———」
四柴の声で自分が何をしたかわかったようで、口元を手で押さえる。
後悔の表情を一瞬浮かべたが、直ぐに意地になり、歯を食いしばり怒りの色で顔を染め上げる。
「クソうぜぇ。もう構ってやんねぇ」
「あ、三崎!」
頬を赤くした赤城百合を置いて、三崎と四柴は先に行ってしまう。
「…………」
暴力を振るわれた、友達もいなくなった。痛くて涙が出そうになる。
だけど———百合の心は晴れ晴れとしていた。
「湿布とか買ってこようか?」
いつの間にか、目の前に白太が立っていた。
「何? 喧嘩? 話を聞こうか?」
全く事情を知らないトゥーリが気遣いの声をかけてくれる。
「ああ、大丈夫です。兄貴もこんなところでサボってないで真面目に仕事しなさいよ」
「別にサボってるわけじゃない。街中で何かトラブルがあったら駆けつけるのがお巡りさんだからな」
「そんな大したことじゃないから」
「そんな大したことじゃなくても、気にしなきゃいけないのがお巡りさんの辛いところだ」
トホホと肩を落とす。
「————プッ」
何だか、おかしかった。
赤城白太の顔は———晴れやかだった。
「ありがと。兄貴、もう大丈夫だよ」
「そっか」
「お仕事頑張ってね。今日は暇?」
「悪い、今日も多分仕事で忙しい」
「そっか」
「だから、いきなり実家に帰るかもしれないけど、その時に一緒に食べたりしような」
「了解。簡単なものでも作るよ」
「ああ、じゃあな」
白太が軽く手を振り、トゥーリを伴って朝の学生たちがごった返す高田馬場の人ごみの中に消えていった。
「さて」
空を見上げる。
ビルに挟まれた小さな青い空を———。
「せっま……」
こんな空を見ても、綺麗だとは思わない。
だけど———都会の空がこんなにも狭いものだと、初めて実感した。
最近、うつむいて歩くことばかりだったから。
〇
普通に赤城百合は学校に来て授業を受けた。
教室はいつも通りだった。ローナも藤吠牙も、みんないつも通り。
チャイムが鳴って昼休みになった。
ここからがいつもとは違う。
「あ」
四柴が百合に声をかけようとするが、三崎が彼女を見もせずに教室を出て行ってしまったので、声をかけずに四柴も出ていく。
一人ぼっちになってしまった……。
いつも一緒にご飯を食べる人がいないって言うのはこんなにも寂しいことなのか……。
でも、やりたいようにやった結果だ。
それに一度やりたいようにやったのなら、もう、躊躇う必要はない。
「藤吠、ちょっといい?」
「え————?」
藤吠牙とローナは学食で飯を一緒に食べる相談をしていた。
「一緒に屋上で食べない?」
「えぇ……屋上って汚くない?」
「たまにはいいじゃん」
「それよりも、どうして赤城さんが私たちを誘うんですか? いつもの人たちは?」
ローナが警戒心をむき出しにする。
百合は、そのローナの態度すらも心地よかった。
「ん~……今日は藤吠たちと一緒に食べたい気分だったんだよね。ねぇいいでしょ?」
まぁ、ダメでもいいけど。
藤吠牙は頭を掻き、
「まぁ、偶にはいいか」
「えぇ~……」
ローナは不満げだが、私たち三人は屋上へ向かった。
やっぱり、やりたいことをやるっていうのは気分がいい。
「何笑ってんだ?」
「別に———ただ、屋上から見た空ってどんな顔をしてるのかなって思って」
「なんだそりゃ」
今日も————青い空は広がる。
どこまでも。
どんな世界でも。




