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崩界地圏の旅人たち  作者: 燐火
地歴7993年
8/8

風の草原



***(地歴7993年/18の月/3週目/空の日・18/15)



 風は全てを攫ってゆく。

 全てを風化させ、全てを塵に、攫ってゆくのだ。


 故に。全てをどこまでも、どこまでも。

 何もかもを形が変わることはあれど、連れていき届けるのだ。



 領域、〈風の草原〉の地圏内に入った途端、すぐに変化したことがわかった。

 さらさらとした風が肌を撫でてゆく。服をはためかせる。留まることのない空気の流れ。それが、どこよりも動いているのが〈風の草原〉であった。なお、空気の流れが激しい場所は他にあったりする、〈嵐の山〉とかがそうだ。


 領域の境はかなり劇的な変化をするところもあれば、そうではないところもある。〈鋼の丘〉と〈風の草原〉は変化の少ない方であった。けれど、ところどころ鋼に変化していた草が唐突になくなるのだから、目に見えての変化がある。とはいえ急に地形が変わることはないので、少ない方とみなされている。


「地圏同士の力が拮抗している場所がここだからなのよね」


 そうつぶやくアヅサの真意はフェイにはわからなかった。思わず漏れたような、そんな呟きでもあった。

 ここ一週間ほどのアヅサは、フェイから見て変であった。動きに精彩がない、それどころかずっと緩慢な動きをしていて、表すならきっと、眠そうというべきであるようなあり様であった。


 そして、〈風の草原〉の領域に入ってから6日目のこと。〈月鋼の街〉から出て、8日目のことであった。久々に〈時長の谷〉でつくられたという小屋に泊まった日のことであった。

 ぱちぱちと暖炉で火が爆ぜている。〈風の草原〉は風が空気を連れていくこともあって、夜になると寒くなる場所である。そうであるがゆえに、暖房となるものは欠かせぬものであった。


「フェイ、少しいいかしら」


 改まった様に居住まいを正して、アヅサは座っている。フェイはつくった寝床に横になろうとするのをやめて、アヅサの隣に座った。大事なことを話そうとするアヅサは、いつにも増してわかりやすく、けれども表情はわかりにくいままであった。アヅサはフェイの前に白湯を入れたコップを置いて、そっと切り出した。


「ここ数日の私がおかしいことには気が付いているわよね」

「うん……眠そうだった」

「……えぇその通りよ、私はずっと眠かったの。だから、明日一日をここで眠るのに費やしてもいいかしら」


 フェイはアヅサのうかがうような顔をじっと見た。

 何が起こっているのか、は教えてくれた。けれど、何故寝たいのか、は教えてくれていない。理由を教えてくれることの多いアヅサにしては珍しいことで、フェイは首をかしげてみせた。


「いいけど、なんで?」


 フェイは知っている。アヅサが、フェイと同じ時間かそのすぐ後には寝ていたことを。朝もフェイの起きる少し前に起きていたことを。だから普通であれば睡眠時間に不足はないはずであった。だからこそ、アヅサが寝たいという理由はフェイはよくわからなかった。


「私の、体質のせいよ。……詳しい話は〈雷鳴の城〉についてからでもいいかしら」

「……うん、いいけど。……明日、僕はどうしたらいいの」

「……ありがとう。……そう、ね。明後日、歩ける状態でここにいればいいから、本でも読む?」


 明らかにホッとした様子のアヅサ。

 なぜ、そんなにも話すことを後回しにしているのか、フェイは不思議に思いつつも、アヅサの問いにこくりとうなづいて見せる。


 アヅサは小さく微笑むと、袋の中から本を取り出す。何冊も何冊も、気がつけば床に2つもの本の山が出来上がってしまうほどの量であった。


「これとかどうかしら、あとほかにも」

「……一体何冊持っているの?」


 まるで底なし沼、倉庫の如き有様の袋である。一応収納限界はあるとアヅサは言っていたが、満杯になった状態を見ることはかなり縁遠そうな物であった。

 その中から泉が湧いてくるようにアヅサの手によって出され、渡される本は様々である。それこそ、思い立ったように手に入れた本をそのまま突っ込んだかのような。植物学、博物学、ただの小説もあれば、地圏学も。知らない言葉ばかりがタイトルを飾っているものまである。


「何冊あったかしら……だいぶ前に故郷に帰ってから貯めてるはずだから……100冊はあるかもしれないわね」

「……そっか。……選ぶね」


 フェイはそっとアヅサを覗き見る。出会った時から思っていたことではあったが、やはりアヅサは不思議な人である。これら全ての本の内容を理解している、そうでなければきっと手に入れていないだろう。そう考えるのならば、アヅサは若すぎる。いや、アヅサの頭がフェイよりもとても良いのならば不思議ではないのかもしれない。けれども、だ。これほどまでの本を揃えるのにはいったいどれくらいの年月がかかるのだろうか。けれど、きっとアヅサは答えないだろう。フェイはそんな気がしていた。


 多少の時間をかけて、フェイはタイトルを見てゆく。

 どこか申し訳なさそうに、それでも少しだけ楽しそうなアヅサが並べた本を、手に取ってパラパラとめくってみたりもした。

 そして、3冊を選び取った後、アヅサにこの辺も読んでみたらと10冊ほども渡された。その上で、ちゃんと食事をとって少しは外で動くことと忠告もつけられて、その日は寝床に入った。



 翌朝。

 いつも通り、日が昇った後にフェイは目覚めた。ここ一週間ほどの日課となっているように、アヅサを起こそうとして、今日は眠らせておくと言ったことを思い出す。


 いつも通りに身支度を整えて、ゆっくりと朝食を取る。いつも一緒に食べる人は寝ている。隣で、呼吸だけをしている、まるで人形のように動きはほとんどない。

 静かな食卓だ。大きなテーブルはないけれど。近くに座って一緒に食べている人がいないだけで、とても寂しく感じる。


 いつもよりも味気ない食事を飲み込んで、片付ける。いつもよりも時間のかかる片付け。

 隣に1人いないだけでここまで寂しくなるとは、フェイにとっては不思議にも思えた。


 ローブを羽織って、荷物を持って、そこで気がつく。


「……そっか、アヅサさんは寝てるんだ」


 荷物だけを小屋の中で下ろして、外に出た。


 風がさっと頬を撫でていく。太陽が空で燦々と輝いている。

 草原に足を踏み出す。


 ふらふらと歩いて、気がつけば小屋がギリギリ見えるくらいの位置まで歩いていた。

 小屋に戻らないと、そう思って踵を返して、フェイはふと立ち止まる。



 夢を見ていた、そう思えるほどの現状を、フェイは夢の中のようだと現実視していなかった。

 だからこその言葉であり、振る舞いである。


 未だ、フェイの精神は、悪夢に囚われたままのようなものであった。

 肉体だけが動いているような、厚いヴェールの向こう側から現在を覗き込んでいるような、そんな感覚で動き、歩いていた。


 五感でさえも、精神とは乖離したように。感情は薄くしか発露されず、会得した情報もふわふわと表面を流れて落ちていく。

 今でもフェイは、時折思い返している。そう、悪夢の頃も、いつ頃からか乖離した感覚のままで毎日を過ごしていたことを。それがいまだに抜けていないのだ。


 ぼぅと空を眺めてしばらく。

 ふと、太陽が結構移動していることと足の重さに気がついて、フェイはゆっくりと小屋に向けて歩き出した。


 小屋の中は、灯りをつけていないこともあって外から入ってくると暗く感じた。入り口から伸びた光がアヅサの布団を照らしている。顔に光がかかると覚醒しやすいからと、顔に光がかからないようにほんの少し傾けられているのは、昨夜のアヅサの手によるものであった。

 アヅサは変わらず、スウスウと微かな呼吸音だけをさせて、人形のようにそこにいる。


 入り口の近くで下ろした荷物を元の寝床の位置まで戻して、昨夜と同じように寝床を作り直す。朝、フェイは無意識のうちに、身支度を整えた後、寝床を仕舞ってしまっていたからだ。


 荷物の中から昨日選んだ本の1つと、アヅサに渡された辞書を取り出す。

 パラパラとめくってみて、思ったよりも小屋の中が暗かったので、外に出た。


 街道とは逆側の壁に背をもたれかけさせ、ローブと草をクッションにして地面に座った。

 持ち出した本のタイトルは『色んな地圏〜あなたの知らない世界の秘密〜』である。


 身近な道具である火種や水瓶を含む生活用品や、日頃身に付ける服などを紹介しつつ、それらの材料となるものが一体どこの地圏で採取されたり、特殊な加工が必要なものがどこでどうやって加工されたのかなど好奇心を広げる形で、かなりの地圏を紹介している本である。幾度か辞書を弾きつつ、本の内容に夢中になっている間に、太陽は中天に浮かんでいた。半分と少しほどのところで、空腹に耐えられなくなって、小屋の中に戻る。


 1人で食事をすることは、慣れないものではあったけれど、アヅサは寝ているだけで隣にいると言うことが、フェイの感じた寂しさを少しだけ緩和しているようにも思えていた。

 昼食の後、同じように外で本を読む。何度か馬車が道を通って行った。そして、太陽光がオレンジに変わる頃には本を読み終え、小屋の中に入る。夜が更けるまでまだまだ時間はあるとはいえ、外で本を読むにはいささか厳しい光となってしまった。

 小屋の中で灯りをつけて、2冊目の本を手に取る。読んでいる途中で夕食をとって、その本を読み切るために、ほんの少しだけ夜更かしをして。


 翌朝、フェイによって起こされたアヅサは、ほんの少しだけすっきりとした表情を見せた。

 いつものように支度して、小屋の中を片付ける。小屋が綺麗になったことを確認した後、荷物を背負って、外に出た。


「じゃあ、行きましょうか」

「うん」


 雲が流れるのが早いとはいえ、晴天。歩きやすい、旅日和であった。





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