鋼の丘ー月鋼の街ー
***(地歴7993年/18の月/1週目/水の日・18/5)
道程を急ぐとはいえども、やることにさして変わりはない。むしろ急ぎすぎては体に負担がかかり逆に遅くなってしまう。
1人増えたと言っても、言葉数が多少増えるぐらいであった。アヅサはともかくとして、フェイにはいい刺激となった。
〈陽鋼の街〉を出てから数日がたつ。
〈鋼の丘〉の中心部から徐々に離れていくということもあり、徐々に鋼へと置き換わっている草も少なくなっている。時折姿を見せる動物も、体の一部が鋼に置き換わっているものが多くなり、全身が置き換わっているものは見なくなっていた。
月明かりが薄く辺りを照らしている。
テントの中ではフェイが眠りについており、ルスーとアヅサは焚き火の前で飲み物を手にしていた。
まだ夜が更けるには早く、されど、星明かりと月明かりが周囲をやさしく照らし出している。
「本当に、貴方とこんなにも平穏に旅をするだなんて。月日は偉大ね」
「……月日の問題か? それに、俺はお前に殺されかけているしな」
「それはお互い様じゃない?」
「それはない。絶対にない。お前が眠りかけていたから覚えていないだけだ」
「そうかしら? 私はその後にエリックに殺されかけたんだもの」
「あー、ほぼ相打ちで終わったあれな。御師さんもお前も容赦なかったからな……」
あたりに人影はなく、動物の気配もない。
無人の草原で、他者に聞かれてはまずい話を彼らはしていた。彼らのこれまでの共通した経験上、物騒な話である。彼らの所属的に、敵対ではなくとも、仲は良いわけではないので。
「で、私に話しておくことがあるんじゃなくて?」
「あぁ、あるな」
ルスーは片手でローブの内側を探り、一枚の紙を引っ張り出した。
小さな紙に書いてあるのは日時くらいである。だが、ルスーにはそれで十分であった。むしろ、アヅサ相手であるからこそ使用しているのであった。
「ことが判明したのは、3ヶ月前。15の月の2週目、風の日(15/12)のことだ。悪質な人身売買の痕跡が見つかってな。根っこはいくつか潰したんだが、頭が見つからなくてな」
「そういえば、その頃に結構な捕物があったって聞いたわね」
「多分それだ。で、パイプらしきものは推測できたもんで、その筋で探ったら16の月の5週目、土の日(16/28)に〈誓約の街〉で1つ見つかってな、17の月の1週目、風の日(17/6)にとっ捕まえに行った。が、子供らの数が合わなくてなぁ」
「その1人が、フェイね」
「あぁ。それに関連書類もなかったから、また根っこだけ潰せたようなもんだな」
言葉の割には淡々とルスーは話している。
仕事において彼は合理的な結果主義者であった。
「貴方たちがそんなにも後手に回るほどなの?」
「どうにも結構な技術者がついてるらしい。うちよりひどい組織……かもしれないな」
「比較がおかしいわよ、それ。だから書類が見つかってないのね」
「だろうな。結構時間かけてさらったし、さらわせたんだがなぁ」
「それは厄介ね」
パチパチと火が爆ぜている。
ルスーは紙をもとのようにしまって、飲み物に口をつけた。
「……お前んとこの上層部の綺麗さが怖いくらいだよ」
「〈嘆きの巫女〉がいるもの、そうなるわ」
「『暗部が一番綺麗な組織でなくてはならない』だったか」
「あら、懐かしい言葉ね」
「あの場、あの状況での〈嘆きの巫女〉の言葉だからな。覚えもするさ」
2人の話題は、尽きることはない。
何せ、対峙するであろう事が大きく、彼らの背後の組織も大きい。
互いに避けなければならない、隠さなければならないことは多くあれど、彼らの重なった年月は短くなく、語るべき事柄は多いものであった。
こんな時でもなければ、語れないのだから、と。
***(地歴7993年/18の月/1週目/風の日・18/6)
翌日。昼頃になれば、街が視界に入ってきたのであった。
〈風の草原〉が近くなったが故か、雲の移動する速度が少しだけ速くなっているようで、太陽は雲に覆われては表れを繰り返し、艶消しをされているらしい外壁は強弱はあれど鈍く光っている。近くで見ると生物の鱗のように、薄くしなやかにプレートを重ねて作られた外壁であることがわかった。
アヅサとフェイはここからさらに南下して〈風の草原〉の中心部に位置する〈雷鳴の城〉へと向かう。
ルスーは大陸のさらに東にある〈凪の丘〉に向かうために、〈粉粒の川縁〉へと向かう。
ゆえに、この街〈月鋼の街〉で別れることになった。
実際は〈風の草原〉の手前で街道が分かれるため、そこまで一緒でもいいのだが、どうやらルスーのほうでトラブルが発生したらしい。急ぎではないようだが。アヅサは、ただ単にフェイと一緒では飲みあかせないからではないかと睨んでいる。ルスーはフェイの純粋なそっか、お別れだねという言葉とアヅサの視線を受けて目を背けたので、多分それが正解である。
昼食は街で共にとることとし、その後アヅサとフェイは、あっさりとルスーと別れた。
ローブを翻し、ヒラヒラと手を振って、雑踏に紛れていった。
その後ろ姿を見送って、アヅサはフェイに向き直った。
「さて、今日は買い物をしたらゆっくり休みましょう」
「わかった」
その後は、〈陽鋼の街〉にいた時と同じように日が落ちてゆく。
これからの旅、〈雷鳴の城〉までにかかる日数は多く見積もって10日ほどだとアヅサは言う。一旦宿に荷をおろし、洗濯などを頼んで食料などの必需品の調達をする。これまでの旅路で必要だった量の2倍近くになる量を買い込んで、アヅサとフェイで分けて持つように宿に戻ってからしまっていく。
宿に料理屋もついている場所だったことと、アヅサがこういう場所も経験しときましょうかと言ったこともあり、宿で夕食をとって部屋に戻る。テントや調理器具、武具のメンテナンスを終えればもう窓の外は暗くなっていた。
翌朝、目覚めたのは珍しくフェイの方が先であった。珍しいというよりは、初めてであった。
カーテンの向こうからチラチラと、朝早いせいか未だ橙色の光が漏れている。フェイはベッドの外に出て、カーテンを開けた。差し込む陽光に目を細める。陽光はアヅサの顔を照らしていて、眩しいであろうにアヅサが起きる気配はなかった。
アヅサのベッドの横に立って、フェイはまじまじとアヅサの顔を見た。こんなにも近くで、警戒の必要もなく見るのは、フェイにとっては久々のこと。
アヅサの顔は綺麗だった。そして綺麗であるが故に印象に残らない顔であった。けれども、不思議と目元だけで人を惹きつけるような引力を発している。ならば、口元も含めれば言わずもがなである。フェイはアヅサが顔布を垂らし、フードをかぶっている理由をやっと実感した。眠っていて、身動ぎもしないアヅサは良く作られた人形のようでさえあった。
静かだった。
微かな吐息と、フェイ自身の脈が時間を刻んでいるようでさえあった。
アヅサの肩を布団越しに揺する。軽い肩だった。何時か、フェイ自身を軽々と抱き上げたことをフェイは覚えていた。
緩やかに瞼が持ち上がり、玉のような翡翠色がうつる。焦点の合わぬぼやけたその玉は、次第に美しくフェイを見つめた。
「……アヅサさん」
「ん……きょうはいつ?」
「え……18の月の、2週目の陽の日(18/7)だよ」
「……そう。ありがとうフェイ、おはよう」
「おはよう、アヅサさん」
緩慢な動きであった。
その動き方はきっと、眠そうと評するのがいいのだろうとフェイは、それでもくるくると動きだすアヅサを見ながら思った。
そこからは日常になってしまった動きと変わることはない。フェイはようやっと慣れてきた手つきで、アヅサは緩慢に身支度を整る。
朝食は宿についている料理屋でとることにしていた。すぐに出るために荷物を持って行くことも考えてはいたが、まだ洗濯を頼んだ服が帰ってきていないために一度部屋に戻ってくることにした。鍵付きの部屋のため、一応安心である。
朝食を終えて、フロントで呼び止められたアヅサは、洗濯された服の入った袋を渡された。
服をそれぞれの荷物にしまい、準備をして下に降りる。鍵と袋をフロントに返し、行ってらっしゃいという声を背後に宿を出た。
〈風の草原〉へと続く街道の門に近い宿をとったために、街中を歩く距離は短い。旅をする人向けに開けているらしい露店をいくつも通り過ぎ、門で身分証明書を見せて通り過ぎる。
門を抜ければ、鋼色に染まった草が所々に丘を彩っていて、その中を街道が黒々と貫いている。いい天気である。雲は多少あるが、色は白く、雨は降りそうにはない。しばらくは晴天を期待できそうである。
遠くの方で、鋼色一つもない草原が広がっているのが、うっすらと見えていた。
***(地歴7993年/18の月/2週目/陽の日・18/7)
その二人組が門を通ったのは、ちょうどアヅサとフェイが〈月鋼の街〉の門を潜る時であった。
茶色いローブを着た、旅装束の二人組である。他の旅人と同じように身分証明書を見せて、街に入る。簡単に人混みに紛れそうな見目をしながらも、どこか常人とは違った雰囲気を醸し出している二人組でもあった。
儚い雰囲気を持つ、茶髪の女と見紛うような男はちらりとアヅサの方を見て、門を通り抜けてから少し間を空けて隣を行く長髪の男に言った。
「あれは……〈翡翠の旅人〉! まさか彼女がこんなところにいるなんて」
「……〈翡翠の旅人〉であるか」
2人の違和感のある会話を誰も気に留めない。小声ではないにも関わらずだ。
それもそのはず、長髪の男はある程度の範囲を操ることのできる〈領域の民〉であった。特性をフルに活用しているのだ。
2人は足早に町を通り抜ける。露店に目も向けず、宿に泊まる予定もないようであった。
「えぇ。ということは……隣にいたのは逃げた子の1人でしょうね」
「では、取り返した方が良いのではないのか」
「いいえ、もう書類に載ってしまった子だろうし、なにしろあの〈翡翠の旅人〉が隣にいるんだもの。手出しは無用よ。でも顔を見逃したのは大きいわね……」
彼らこそ、ルスーの追うべき組織であり、ルスーとアヅサの言及した裏にある大きい組織(仮)の構成員であった。
ここで、フェイがアヅサと共にいることを知られなかったのは大きい。そして彼らがアヅサの現状をあの一瞬では看破できなかったことも。
2人ともアヅサのことを知っているが、その知識にはかなり差があった。
「〈翡翠の旅人〉か。かの名前ばかりは吾らのうちで浸透しておるの。吾は詳しく知らぬのだが、其の世代では有名と聞く。ならば、其は知っておるのだろう?」
「そうねぇ。よぉく知っているわ。いっとき旅を共にしたもの」
「! では、其が」
「彼女、〈翡翠の旅人〉と呼ばれるのはなぜだか知っているかしら」
茶髪の男はうっそりと笑う。遠くを見つめながら言うその姿は、まるで遠い記憶を思い出しているようでもあった。
そして、長髪の男はこてりと首を傾げた。随分と幼く見える振る舞いでもあった。
「かの名が有名だからではないのか?」
「他の名前が物騒だったからよ。〈皆塵の黒剣〉に〈地圏崩し〉、〈万寿の悪魔〉は序の口よ、一番マシだったのが〈翡翠の旅人〉ってわけ」
長髪の男は口の中で、茶髪の男が口にした名を転がす。確かに、〈翡翠の旅人〉が一番マシな名だ。でも、普通一番マシという理由で名前が残るだろうか。普通であれば一番最もな、もしくは言いやすい名が残るのが普通のはずである。
「ならば、かの名を決めたのは」
「もちろん本人よ。そのあとのことは〈嘆きの巫女〉の仕業でしょうね。なんたって〈嘆きの巫女〉もやったことですもの」
やれやれと言うように、茶髪の男はため息をついてみせる。見てきたかのように語る彼は昔馴染みについて語るようでもあり、楽しそうにも見える。だが、それを指摘しない方がいいことを、長髪の男はこれまでの短くない付き合いから学んでいた。
長髪の男は彼自身のバディがある程度のことまでは受け流す性質だが、一定以上となると面倒なことに噴火することを自分相手ではなかったが何度か目撃していた。
「であれば、手出しは無用であるな。ならば、本題に入ろう」
「えぇ。〈讃断連会〉によって、プール先の1つが潰されるだなんて。うちの仕業とはまだ勘づいていないのならば上々なんだけれど」
「だが、入ってくる話によれば、あまり良くない場と聞くが」
「だからよ。その方がこっちに忠誠心を植え付けられるじゃない。貴方もそうでしょ」
「……吾らで作られたものではないがな」
茶髪の男の告げた〈讃断連会〉こそが、ルスーの所属している組織である。
〈アルカディア大陸〉と古称されるこの大陸は〈空越の山脈〉によって東西を分かたれ、行き来することは不可能に近い。〈アルカディア大陸〉の東側、〈空越の山脈〉の東側には様々な地圏が広がっていて、ほぼすべての街にシェルター兼仕事や知識など様々なもの、こと、人の集積場として〈地圏対応協会〉が置かれている。もはや政治機構の一つとして、〈アルカディア大陸〉の東側の生末を決めるほどの組織である〈地圏対応協会〉を公的と評すならば、〈讃断連会〉やこの二人組が所属している組織は私的と評すべきである。会社であったり、商会であったり、宗教団体であったりする組織ともいえる。
そして〈讃断連会〉もこの二人の所属する組織も質の悪い部類であった。この二人の所属している方がより酷いものでもあった。処罰が苛烈であるのも、後者である。
「特に〈宝石の森〉の子と〈乖離の砂漠〉の子がいなくなったのは痛いわね」
「上が目をつけていた中の者たちだな」
「〈翡翠の旅人〉がつれている子がそうじゃないといいのだけれど……」
「期待は薄いのか?」
「〈翡翠の旅人〉の背後にいるのは間違いなく〈嘆きの巫女〉よ。だから、間違いなく何かがあるわ。そうなると、目をつけていた中の子たちの1人の可能性の方が高いのよねぇ」
プール先も一つというわけではないので、ほかにも目をつけられている子はいるのだが。〈宝石の森〉の子は先天性であるがゆえに、〈乖離の砂漠〉はそもそもが厳しい地圏であるために絶対数が少ないということもあって、手塩にかけて育て上げられた姿を期待されていたのである。
よりにもよって、そこを……という気持ちは、結構な人間が抱いている思いであった。ゆえに、せめてもの形で実力者であるこの二人が派遣されたのだから。
「なるほど。しかし、探さぬわけにはいかぬか」
「えぇ。だからさっさと行くわよ〈誓約の街〉に」
「動ける人員が少なすぎぬか?」
「仕方ないでしょ、多くは別の方にかかりきりなんだから。新体制の流布がまだ終わらないらしいのよ」
「まだ終わってなかったのか……」
「技術屋の上がどうにも騒いだらしくってね……」
「それは……強くはいえぬやつであるな」
「そのせいで、偽装工作とか護衛とか、もろもろに人員が取られてってるのよねぇ」
「そういうことであったか」
事実として、アヅサの状況がどうであろうと、アヅサと共にいるのがフェイでなかろうと、彼らも動こうにも動けなかったわけであるので、どっちもどっちであった。
どちらも都合がよろしくないことに変わりはなかったのである。
そして、彼らは〈誓約の街〉に向かう。
その姿を見ていた、ルスーに気がつくことなく。
「……あいつらは、確か。……いや、俺は俺がすべきことをするだけだな。だが、上に報告は入れておくか」




