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崩界地圏の旅人たち  作者: 燐火
地歴7993年
4/8

不忘の草原



***(7993年)



「じゃあ、行きましょうか」


 門を抜け、歩き出す。

 右手には森、左手には草原が広がっている中を一本の幅広い道が貫いていた。


「ここ数日、街でかなり出歩いていたから大丈夫だとは思うけれど、しんどくなってきたら言いなさい。無理は禁物、わかったかしら」

「うん。わかった」


 食事をしっかり摂ったとはいえ、病み上がりに近い状態、かつ、アヅサの都合とはいえかなり連れ回すことになったのだ。この〈不忘の草原〉を行く日程も、健常な人間でも普通に疲れるぐらいの早さになる。フェイのこれまでを考えても、問題のある日程ではあった。

 されど、未だフェイは緊張を解くことなく、本当にほっとしたわけではない。未だ、夢見心地のような、フェイ自身と現実の間に一枚の膜があるような心地でいた。そのことをうすうすアヅサはわかっていながらも、急がねばならない都合があり、理由があった。


 アヅサとフェイよりも前に出たであろう人影は豆粒のようで、かなり先をいっている。

 背にした門の向こうから街の喧騒がかすかに聞こえて、けれど、それ以外は自然の音がする、そんな長閑さがあった。


 いきなり街道の端によったアヅサの後ろをフェイがひょこひょことつけて避ける。その背後を馬車が通り抜けて行った。

 会釈をする馭者にアヅサは会釈を返す。


「馬車が通ることはちょくちょくあるから、馬車が通ったときは気をつけなさいね」

「こうやって避けるの?」

「えぇ。稀にとんでもなくはやかったり、意地悪な人が運転していると危ないから、周囲には気を配っておくことね。滅多にないことだけれど」


 のどかな景色が続く。門はすでに遥か彼方で、喧騒はすでに途絶えている。

 姿の見えない鳥の鳴き声や、木々のざわめきが辺りを満たしていた。

 しばらく歩いて、幾度か馬車が端を歩く2人を追い越して行った。


「そろそろ休憩しましょう、街中よりも長い時間歩いているもの」


 2人は街道から降りて、〈不忘の草原〉のほうによる。

 アヅサが座り込んだのを見て、フェイもその場に座り込んだ。


 アヅサの手から渡されたコップの中身を飲み干し、フェイはほうと息をつく。

 年季の入った水差しをアヅサは草をかき分けるように置いて、コップの中身を飲み干した。


「もう少し飲んでいきなさい」


 アヅサに促され、フェイは水差しから水を注いで、飲んだ。

 冷えすぎることのない、ちょうど気持ち良く感じる温度の水が喉を通り過ぎてゆく。

 自由な状態で、外の風を感じながら飲む水をフェイは美味しく感じていた。


「はい」


 アヅサから小さな何かを渡され、フェイは手を出して受け取る。ころんと手のひらに転がったのは、飴玉であった。

 琥珀色の飴玉を不思議な面持ちで眺めるフェイをよそに、アヅサは自分の分も瓶から取り出して口に含んでいる。ちらりとフェイがアヅサを見たのに気づいて、アヅサは飴玉をモゴモゴと動かして言った。


「疲れをちょっとだけ癒してくれるものよ、甘味と塩味の補給、といってもいいかもね」


 フェイは、手のひらの中でほんの少し転がして、べたついてきた飴玉をひょいと口の中に放り込んだ。取れにくいベタつきを、アヅサが水で流したらと言ったので、フェイは水差しからそのまま水を流して、手を洗う。

 手ぬぐいを渡されて、手を拭い、そばに置いていたコップの中には、いつの間にかアヅサが水を注いでいた。


 ざぁと風が通り過ぎてゆく。

 太陽が中天に差し掛かりかけた頃、そろそろお昼時でもあった。


「お腹は空いてるかしら?」


 フェイは首を横に振る。

 空いていないように感じていたし、実際お昼ご飯を食べたいとはまだ思っていなかった。


「そう、じゃあもう少し歩いてお昼にしましょう」


 そう言って立ち上がったアヅサに続いて、しばらく。

 稀に、向こう側からくる馬車が横切るようになっていた。


「あそこまで行って、お昼にしましょう」


スッとアヅサが指し示したのは、遠くに見える石の柱。


「あの、石の柱、のところまで?」

「えぇ」


 近づけば、アヅサの身長よりも高い、大2メートルほど、幅1メートルほどの柱が地中から生えていた。

 真っ黒いその石は太陽の光と熱を吸収して黒々と光り、遠くから見ても存在感があった。

 地面に近いところは所々が緑色の苔に覆われている。そして、その石にはアヅサとフェイが来た方向、すなわち〈誓約の街〉側からみれば1と、反対側、すなわち〈鋼の丘〉側から見れば18と彫り込まれ、白い石が嵌め込まれていた。


「これが標石。標石と標石の間は場所によって少し変わるけれど大体10キロメートルくらいよ」

「数字は何を示しているの?」

「この数字は、一番近い街から、何本目かということを示しているわ。だから、反対側を見れば大体どの程度歩いたかはわかるし、次の街までどれくらいかかるかも計算できるわ。じゃあ、お昼にしましょうか」


 くるりと石の向こう側まで回り込んだアヅサは、石から少し離れて座り、背負い袋を下ろした。




 昼食をとり、休憩をとりつつも夕方まで歩いた2人は、昼前に着いた標石合わせて3本目を通り過ぎ、街道のそば、〈不忘の草原〉の側にある小屋を目視できるところまで進んでいた。


「さて、今日は幸運にも小屋まで辿り着けるから、あの小屋で夜を明かしましょう」

「あの小屋? 使っていいものなの?」

「えぇ、誰でも使える小屋よ。だから危ないと言われればそうなのだけれど、ここは〈誓約の街〉に一番近い小屋でもあるから、そこまで危なくないし、何より便利だからね。暗黙のルールとかはあるから、それは守らなくちゃいけないけれど、ね」


 小屋の輪郭だけが夕日に照らされて浮き上がっている。

 ようやっと小屋まで辿り着いて、ぼやけていたその姿がはっきりとわかるようになる。それまで逆光によって姿を眩ませていたその小屋を目にして、フェイは思わず呟いた。


「古そうなのに、新しい?」

「えぇ、その通りよ。この小屋は〈時長の谷〉で材料が作られ、加工されたものだからよ」

「〈時長の谷〉?」

「えぇ、外での一年が一日になっている場所。その地で育ち、加工されたものは一年を一日として時を刻むの」


 懐かしそうに目を細めて言葉を紡ぐアヅサ。夕陽がその寂しさを際立たせているようにもフェイには見えた。


 木でできた小屋だ。10人入ればもう一杯一杯、そんな印象を受ける小屋だ。

 いわゆるログハウス、すなわち丸太を組んで作られた一部屋だけの家である。

 小屋からは煙突が伸びていて、中には暖炉があるようだった。


 音もなく開いた扉。

 しっかりと手入れされ、きれいなその小屋にフェイは目を見開いた。


 小屋に入ったアヅサは、フードを払い、荷物を背から下ろした。部屋の脇に設けられた少し高くなっていて座れる場所に、荷物や履いていた剣、ローブを畳んで置いた。


 小屋は2人きりで過ごすには、多少広かった。そして、あかりのないその小屋は窓もなく、夕日さえ入ってこない。静寂と暗闇に沈んでいた。


「この辺の夜は寒くはないけれど、一応火を一度入れておきましょう」

「なんで?」

「ここは暗いし灯の代わりと、暖房としてよ。一度火を入れると、灰があったまるから小屋全体もあったまってくれるの」


 いつのまにか火付けを取り出していたアヅサは同じくいつのまにか手にしていた枝に火をうつし、暖炉に火を入れていた。

 パチパチと火が爆ぜる音と、木材の焼けてゆく匂いが漂う。

 手をかざしたアヅサに習うようにフェイも手をかざす。じんわりと手のひらを炎に照らされて、あったまった。


「疲労はどう? ちょっとしんどいかしら」

「もうちょっとはいけると思う」

「そう……ならしばらくは今日ぐらいのペースにしましょう。歩く量はもう少し考えるわ」

「え」

「急いでいるわけじゃないし、完全にダウンする寸前まで毎日というのはもっとダメだもの」


 背負い袋のうちから、食料として分けて入れた籠を取り出したアヅサは、歩き疲れて床に座り込んだフェイの横に座りこんだ。

 籠からパンやチーズ、干し肉を取り出してナイフで必要分を削りとりながら、小さく笑う。


「徐々に慣れればいいわ」


 暖炉の火に照らされて、口元を見えないように黒い口布で隠されているというのに、目元が優しげに綻んでいて、笑っているとわかる顔だった。

 日々の営みが美しいことを知っている顔だった。

 日々の営みがいかに脆くて、得難くて、けれども、ありふれているものでもあることを知っている、そんな笑みだった。


 渡されたパンにチーズと干し肉を乗せて、アヅサがやっているように見よう見まねで、火で炙る。

 燃えないように焦げないように、時間をかけて温めた夕飯に、2人はかぶりついた。


 無言だった。

 けれど、二人ともそんなに気にならない時間だった。


 焚き火と昔語はついて回るものだ。

 少なくとも、旅をしているアヅサにとっては、そういうものであったし、火に照らされていると口が緩みやすくなるような気もしていた。いや、それはもしかしたら疲れを癒すためにほんの少し口にしたお酒の効果だったかもしれないが。


 けれど、アヅサが過去の話、特に具体的な話をすることはあまりにも少なかった。

 子供にせがまれたから、教訓となるから、そんな理由でしか話すことはなく、彼女の知り合いも、アヅサの具体的な昔話を聞くことはほとんどない。


 二人きり、そして焚き火ではないとはいえ炎の前。


 過去を話すには、まだ何かが足りなかった。

 フェイにとっては、時間であっただろう。

 アヅサにとっては、覚悟であっただろうし、まだほかにも足りないものはいくつかあった。


 だから、無難な目先のことや今後の話題を繰り返す。

 火に、古ぼけた紙に書かれた字や図形が赤々と照らされていた。


 食べ終わって、鉄瓶に入った白湯を2杯のコップに移し、フェイはそのコップを手に持っている。アヅサの分は床に置かれていた。

 床に広げた地図を見ながらアヅサは何かを考え込んでいる。思わず、フェイは疑問を口にしていた。


「いつぐらいに着くの?」

「そうね、ペース的には7日後かしら。採集を入れると、8日……いいえ9日後ね」




***(7993年)




 寝袋から起き上がったアヅサは淡々と朝の準備を始める。

 暖炉の火をつけて、鉄瓶に水を入れ火にかけ、それから着替えをし、寝袋をしまう。

 いつものように、背負い袋を取ればすぐに出られるように整えて、寝ぼけ眼を擦って起き上がったフェイを見た。


「寝れたかしら」

「……うん」


 明らかに寝不足の顔で頷くフェイにアヅサは苦笑する。

 旅に慣れぬ身であれば、よくあることであった。されど、ある程度物資に余裕があるとはいえ、不測の事態というのはいつでもありうる以上、予定通りに進むべきである。そのため、アヅサは苦笑するしかない。徐々に慣れてもらうしかなかった。


 着替えて、寝袋や着替えをしまい、朝食としてパンとスープをとる。

 アヅサの手で、さっと手早くつくられたスープは、素朴だけれども、美味しいものだった。


「さて、出るから準備なさいな」


 使ったものを軽く洗ったり、使ったところを小屋に置いてあった箒や雑巾で綺麗にしたあと、小屋を出る。

 背後から少し上った朝日が2人を照らし出していた。


「昨日と同じペース、それに街道からそれる予定だから、今日はテントを張る必要があるわね」

「街道から逸れる?」

「えぇ、採集のために、採集できる地点まで行く必要があるのだけれど、街道からは少し離れているから〈不忘の草原〉の中を行くことになるわ」

「そうなんだ……テントで寝るの?」

「そうね。テントの中で寝袋を敷くことになるわね」


 ふと思い出したようにいうアヅサに、フェイは困惑した表情を見せる。フェイにとっては、何もかもが初めてのことばかりであった。採集地点の近くまでは歩きやすい街道を行くわ、といったアヅサに従って、二人で街道を歩く。

 昨日と同じように何度か馬車が通り過ぎていった。


 太陽が昇り、徐々に暖かくなっていく。黒っぽいローブを纏うアヅサは暑いだろうと思い、フェイはアヅサを見るも、特に暑そうにしているわけではない。そういえばと、フェイは自身のローブも同じような色であるのに、暑いと感じないことに違和感を覚えた。

 4つ目の標石を通り過ぎてしばらく。この辺ね、そう言って立ち止まったアヅサは、街道からおりて〈不忘の草原〉へと足を踏み入れた。ふと、後ろを振り返ったフェイは、遠くの方で街道が森に隠れてしまっていることに気がつく。


「もう〈誓約の街〉が見えない……」

「そうね、街道がほんの少し〈不忘の草原〉の方に張り出しているから、〈点滅の森〉の影になっているのよね」

「なんで?」

「〈不忘の草原〉は危険度はそうないけれど、〈点滅の森〉の危険度はとても高いの。だから、〈点滅の森〉の領域、地圏に入らないようにこの街道が作られているからよ」


 ざっくざっくと、足元の草をかき分けて進むアヅサをフェイは追った。街道を進む時と同じようにアヅサの左側に並ぶ。

 足元の草は、さほど長くはない。時期的なものもあったが、〈不忘の草原〉は〈誓約の街〉よりも乾燥した気候であった。ひょろながい木がポツポツと、点在している以外に背の高いものはないようであった。

 見渡す限りの草原、地平線が見えるほどに広かった。だがしかし、フェイの目線からならば地平線はさほど遠いところにあるわけではない。一刻(2時間)もたたぬうちに見えている範囲の地平線まで行くことができただろうが、その範囲内には何もない。ただ、草原が広がっているだけであった。


「〈不忘の草原〉はどういう地圏なの?」

「そういえば、それは説明していなかったわね。

 〈不忘の草原〉は、物事を忘れない、忘れられない地よ。人の記憶、生き物の記憶、物事の状態、生物の状態、全てをそのままにしてしまう、それが常識。〈不忘の草原〉のルール」

「名前の通り?」


 えぇ、とフェイの声に反応するアヅサの声音はいつも通りだ。さきほどまでの重苦しいような真剣な声音が嘘みたいだった。フェイは、アヅサの言葉を飲み込むように頭の中で反芻する。覚えなくちゃいけないことなのだと、なんとなく思っていた。


「そうね、どこの地圏もその地圏の特性を鑑みて名付けられるから、名前の通りと言えるわ。けれど、なかには名前よりも凶悪な地圏があるからそこは注意ね。〈不忘の草原〉はほとんど注意事項はない、やさしい場所よ。狩人にとっては難易度の高い場所ではあるけれどね」

「なんで?」


 軽く、尋ねたフェイはアヅサの顔を見て驚く。アヅサにしては珍しく、酷薄な笑みを浮かべていた。


「記憶を忘れられない地なのよ? 獲物に逃げられたり、狩の仕方を見られたら簡単に対策を立てられて、こっちがやられる、そんな場所だもの」





 それから歩いてしばらく。

 フェイの目にも、何やら柵で囲まれた人工的な場所が見えてきた。柵の内側では緑色の植物が繁茂していることがわかる。よくある畑のように、畝がつくられ均等に30センチメートルほどの丈の茂み、緑の葉が並んでいる。

 近づいて、それらがいくつかの種類ごとに畝で分けられていることもわかる。

 近くに管理人などいるわけでもなく、ただぽつりと柵に囲まれた耕地が存在しているだけである。


「さて、ついたわね」

「すごく、つくられたみたい」

「えぇ、ここは実際に作られた場所よ。〈不忘の民〉がここに有用だとわかっていて、採取や育成のしやすい植物を植えて、記憶させたものよ」

「記憶させた?」


 作ったという割には不思議な、記憶させたという言葉が出てきて、フェイは首を傾げる。そして、〈不忘の民〉というのも、あまりよくわからなかった。

 柵を開けて、アヅサは中に入り込む。その後ろにつづいてフェイも柵の内側に入った。

 無数の足跡によって踏み鳴らされたとわかる畝以外の場所。よくよく見てみれば、短い丈の植物もちょくちょくあることがわかる。


「えぇ、これを見てみなさい」


 フェイは、アヅサが指で挟んだ茎の先を見る。茎の途中からいきなり細く新芽のように、柔らかく新しいと一眼でわかる茎と葉が伸びていた。見渡せば、短いなと思ったところは大抵そのようにして茎が伸びていた。まるで、元通りに戻ろうとするかのように。


「本来ならば、あり得ない生え方と言ってもいいのだけれど、ここ〈不忘の草原〉では、あり得ることなの。

 植物か、土地か。どちらかはわからないけれど、一度この植物が成長した姿を記憶しているから、その通りに成長するし、元に戻ろうとするの。だから、ここの採取はやりやすいのよ。

 本来ならば考えて切らないといけないものをあまり考えずともできるし、痛めるということもほとんどないから、もし間違えたり失敗しても迷惑はかけなくて済むもの」

「ここは練習場所なの?」

「いいえ、もともとは〈不忘の民〉、〈不忘の草原〉に住んでいて、〈不忘の草原〉に適応できるようにか、〈不忘の草原〉とにた性質をその身に宿した人たちーー〈不忘〉の特性を持っている人たちのことを言うのだけれど、彼らの畑だったの。でも〈不忘の民〉は家畜を飼って家ごと移動をする遊牧民だから、畑を置いて行ってしまったの。

 それを、うまいこと使っているのが〈地圏対応協会〉であり、探索者ね」


 ふうんと頷くフェイ。自分と同じように性質を持っていて、けれど、自分とは違った性質を持つ人がいるのだ、そのことは理解しているフェイだったが、性質によって人が分けられて名前をつけられていることはフェイにとっては少し遠い話だった。

 すっと腰からナイフを取り出したアヅサに、フェイは慌てた。フェイの身は、疲労度合いを危惧したアヅサによって、未だ身軽なままだったからだ。アヅサは一本をフェイに、切れ味が鋭いから気をつけなさいと注意して渡し、もう一本ナイフを取り出した。

 短くなっているところのない植物を見つけ出したアヅサは、その前でしゃがみ込んで見聞するように茎や葉を触った。


「採取には技術がいるわ。草花にしても素材にしても鉱石にしても、全て基本は覚えれば採取依頼の難易度Cまでなら誰でもやることができるわ。それ以上は専門で覚えることが増える。場所か、専門のものか、どちらかは絞るべきね」


 ナイフの鞘を払い、植物の茎を片手で挟み込み、ナイフを持った手で抑えながらナイフを茎に当てる。


「ここなら、切ってもここに新芽があるから伸びが早いし、取り尽くすなんてことにはならないわ。ここだと意味のないことではあるのだけれど、知識は重さのない宝物だもの、知っておきなさい」

「……うん。ここ?」

「えぇ。そこよ。手を切らないように気をつけて」


 アヅサの手つきを真似して、けれども辿々しく植物を刈っていく。アヅサがひとつ、フェイが4つ切り取って、アヅサはフェイをとめた。


「初回にしては上出来ね。次も〈不忘の草原〉で採集するけれど、次はこんなふうな感じじゃないから、今の感覚を忘れないように、新しい知識もちゃんと覚えなさいな」


 フェイはこくりと頷く。アヅサの渡してきた植物もあわせて5つを、アヅサの指示に従って茎の根元で括ってひと束にして、アヅサが別に出してきた袋に入れた。


「依頼や人から頼まれたときはこんな形で持っていくことが多いわ。自分で使う用として取るならば、自分が分かりやすければいいのだけれどね」

「アヅサは自分で使うの?」

「これは、あんまり使わないかなぁ」


 ナイフや袋をしまって、柵をこえる。

 アヅサは足を踏み出す前に、フェイに聞いた。


「同じ道を通って街道に出る? それとも、少し遠回りになるけれど、〈不忘の草原〉の内側を通ってから街道に出る?」


 フェイは少しの間首を傾げてから、言った。


「〈不忘の草原〉をもうちょっと見てみたい」

「わかったわ」




***(7993年)




 草原の道無き道を歩いてまたしばらく。

 ふと、思い立ったようにフェイは疑問を口にした。


「依頼って採集以外に何があるの?」

「依頼の種類? 一応、採集以外には討伐があるわね。基本的には動物や、地圏独特の生物があるけれど、大抵がその生物の素材の採取と一緒になっていることが多いから、討伐単体のものはほぼないと言ってもいいわね」


 〈地圏対応協会〉は、その土地にいる人々のためのものであるし、またその土地を訪れる旅人のためのものである。

 その名の通り、成立当初においては地圏そのものに対応するためにある協会であって、されど、地圏の影響によって発生した物事に対しても対応するように徐々に変化し、今に至っている。

 〈地圏対応協会〉には、ほぼ全てのその地圏において生じたことが記録されている、いわゆる知識庫でもある。そして、地圏において何らかの異常が発生した際に、真っ先に頼られる場所でもあるのだ。


「ということは知識がないと、依頼はこなせない?」

「そうなるわね。依頼はそういうものね」


 そんな風に、たわいもない話をしながら西へ西へと歩いて行く。

 草原の中で、テントを張って夜を過ごし、また西へと進む。

 そうして、太陽も天辺を過ぎた頃、不意にアヅサが立ち止まった。


「これは」


 周囲を見回しながら、ゆっくりと歩き始めたアヅサに従って、フェイも足をすすめる。アヅサの気づきが何であるかは、フェイには分からなかった。

 それでも、アヅサの目線を追ったフェイは、1箇所分かりやすく草の生えていない場所を見つける。


「草が生えてない……」

「えぇ、そうね。これは〈不忘の民〉の町というか集落の跡地ね。この生えてない部分は、火を使っていた場所でしょう」

「跡地」


 アヅサはゆっくりと歩きながら、痕跡を追い、フェイに指し示して見せた。


「いえ、この跡。わかるかしら?」

「んっと、背の低い草が多いことと、ところどころに空いた穴のあと?」

「そうよ。もとの草原に戻りかけというところを見ると、最近移動したあとね。2、3ヶ月、いえ、1月前かしら。となると、近くに〈不忘の民〉の集落があるでしょうね」


 立ち止まったアヅサにつられて、フェイも立ち止まる。

 ちょうどそこで草の高さが変わっていて、確かに何かがあったのだとわかる場所であった。


「大きい」


 ぐるりと草の高さの違う境目、ちょうど円形の建物があっただろう場所を歩いたフェイはいう。

 子どもらしいその動きに、アヅサは小さく笑っていた。


「そうね、これはかなりの人数が入れる家の跡ね」

「何人くらい?」

「うーん、10人くらい住めるんじゃないかしら」

「これで10人」


 へぇと、少し間を開けていくつもある草の高さの変わる境目を歩いていくフェイを見て、アヅサは笑った。

 そのまま、ちょうどフェイの練習にと、その場でテントを建てて、夜に備えることになった。

 テントの建て方、紐の結び方、焚き火の仕方、火の管理など、アヅサから教わることはたくさんあった。



 翌日、ようやく寝不足も無くなってきたフェイ。

 片付けて、昨日と同じように草原を歩く。

 それまで変わり映えのしない景色が続いていたけれど、太陽光線が熱を帯び出す頃、遠くに白い何かの集まりが見えていた。


 近づいていって、フェイは気付く。白い何かではなく、白い建物の集まりだと。


「これ、は」

「〈不忘の民〉は一定の場所に留まる民じゃないの。〈不忘の草原〉の性質上、いくつかの場所を順に巡って拠点にしているのよ。だから、これは移動できる町なの」

「すごい」


 白い大きな布を被せたような建物がいくつも並んでいて、それなりの大きさの集落を形作っていた。

 歩きやすくなったことにフェイはやっと気付く。集落の近くということで、草が刈り取られて、地面が踏み固められていた。


 白い建物群の中で、白い人影がウロウロとしている。

 全員が全員、下にきた色とりどりのシャツの上から、真っ白な貫頭衣らしきものを白い帯で締めているようであった。

 顔が見えるほどに近づけば、大きく手を振っている人影もある。アヅサとフェイは、その人影に手を振り返して、さらに近づいていった。


 挨拶をされて挨拶を返し、〈不忘の民〉の一人に先導されて、集落の内側に連れていかれる。

 草を刈り払った広場に、机を置いただけで露店のようになっていた。

 ゆっくりと見ていってくださいと元気よく言われて、アヅサとフェイは机に近づいた。


 〈不忘の民〉が近くにいなくなってから、アヅサは小声でフェイに言った。


「これは、私たちが来ることがわかったから準備したものね。訪れる人がおとしていくお金で〈不忘の草原〉の外のものを買うのよ」

「じゃあ、買うの?」

「気に入ったものがあればね、買ってからいらなかったりして、その品物を捨ててしまうのはしのびないし。好きに見てみなさい」


 こくりと頷いて、細工物や薬が多いのだなとふらふらと机の前を移動しながらフェイは思う。

 これは何とアヅサに聞けば、答えてもらえるそんな贅沢な状況。そんな中で、フェイは紐のペンダントに興味を持った。ペンダントトップは、動物の牙らしきものを彫ったものや木彫りのもの、石のようなものまで、さまざまなあった。


 唐突に、アヅサの隣に1人の人が立っていた。

 実際には唐突でもなく、けれど、まるでその場に急に現れたかのようにするりと、その人はアヅサの隣にいた。周囲の店番をしていたりする〈不忘の民〉と同じ服装の女性。同じ服装であるのに、フェイにはその人の着ているものの方が高級そうにも見えた。

 にこにこと笑うその人を、アヅサは驚きの表情で見つめた。


「あらあらあらあら! 変わらないのねー、アヅサさんは!」

「貴女とここで会うなんて思ってもなかったわ……ファイレン」


 ファイレン。そう呼ばれて、その人は笑みを深める。

 快活な印象を与えるその笑みを、アヅサはじとりと睨めた。


「ええ! そうでしょ、私ここにいるの珍しいの! ちょっとルーケに頼まれちゃって」

「ルーケ、〈Mr.ルーケ〉に? 貴女が? ……なにを?」


 ボソリと最後に呟いたその疑問を丁寧にファイレンは拾い上げた。


「あら、不文律を忘れたの? アヅサさんともあろう人が?」

「……はぁ、いいわ。そう言うってことは私には関わりのないことなんでしょ。〈Mr.ルーケ〉によろしく伝えておいて、ファイレン」

「はぁい」


 後ろ姿を見せたファイレンに、アヅサは大きくため息をついた。小さくなるその背中を見つめたままのアヅサに、フェイは恐る恐る声をかける。


「仲、悪いの?」

「さぁね、悪くはないと思うわ」


 首を竦めて言ったアヅサ。

 さっきの二人の話は一体どういうことだったのか、フェイは気になったけれど、アヅサの表情が疲れているようにも見えて、口をつぐんだ。


 気を取り直すように、フェイはそっと別の机に移動した。


「お肉、あんまり売ってないね」

「そうね、肉というか獣は狩りにくいから流通量が少ないのよ」

「代わりに卵が多い?」

「そうね」


 一周目は、ただ見てアヅサの解説を聞いているだけであったフェイは、もう一度机を見回って、ひとつのペンダントを指した。アヅサの視線にフェイの心臓が跳ねる。パッと上げた顔を、アヅサに覗き込まれていた。


 胸元で揺れる木彫りのペンダントトップ。

 それだけを土産に、2人は〈不忘の民〉の集落を後にした。



 そうして2人は、街道の方へと足を進めた。

 半日かからずに街道まで辿り着く。非力な人間の足で数日では、さほど周囲の景色は変わらなかった。

 街道のそばで幾度か夜を越し、また西へと、〈鋼の丘〉に向けて歩を進める。


「やっぱり、街道の方が歩きやすいんだ」

「道として整備されているもの。やっぱり草原は歩きにくかった?」

「うん」


 フェイの独り言じみた言葉を拾ったアヅサ。

 変わらない景色であったけれど、フェイにとってもアヅサにとっても新鮮なことであった。

 ふと、アヅサが目を凝らした。歩みを一度止めて、耳に手を当てる。

 アヅサに合わせて、フェイも立ち止まった。


 前方が騒がしい。

 アヅサは腰に履いた剣に手を伸ばしていた。


「何かいるの?」


 フェイの問いに、ハッとしたように顔をフェイに向け、アヅサは剣に伸ばしていた手でフェイの腰を掴んで抱き上げた。


「え、えええ」


 思わず声を上げたフェイをそのままに、アヅサは駆け出す。

 徐々に近づく前方の喧騒。見えてきた光景にフェイはあっと声を上げた。



 ゆらゆらと陽炎のような何かをまとう、動物のようだった。陽炎によって、全身の見えないその動物だと思われるものは、4足歩行をしているようであった。見えにくいその動物の大きさは人と同じくらいで、陽炎に判別をつけにくくされているせいか、数もかなりいるようにも見えた。


 そして、その動物が迫っていっているのは、人間のようであった。

 狩をしているのだろう。円形に包囲して、ゆっくりと狭めていく。

 飛びかかるのはすぐだろうとも、思われるほどであった。


「っ、あれは何?」

「〈点滅の森〉の地圏生命体、点滅の狼の群れね」

「危、険?」

「えぇ、〈点滅の森〉で相手はしたくないわね。街道まで出てきてくれているのが救いだけれど。ここまで出てくることは滅多にないのに……。さて、抜けるわよ」


 かなりの速度で走るアヅサに抱えられるフェイはしゃべりにくく感じながらも声を出す。正面から風を受けているだろうに、アヅサの応答は平然としていた。

 アヅサとの会話が続けられないほど、急にグンと速度が上がる。

 フェイが気づいた時には、狼の群れを越え、迫られていた人間の元に辿り着いていた。


 グルルルル。

 立ち入ってきた人間に気がついたように、唸り声が増す。フェイは、陽炎の密度も濃くなったようにも感じた。


「あ、あなたは」

「話はあと、抜けるわよ!」


 座り込みかけたその人の腰あたりの布をフェイを抱いている手とは逆の手で引っ掴んだアヅサ。

 そしてまた、速度が増した。

 狼の群れを越え、〈不忘の草原〉側にフェイと助け出された人は降ろされた。

 緩急の激しい動きに、フェイは気持ち悪くなりながらも、助け出されたその人のそばによる。そのほうが、アヅサが動きやすいだろうと判断してのことだった。


 そんな二人を横目で確認したアヅサが、一歩前に進んだ。


「えぇ、完全に消えないものね、ここなら。なら問題はないのよ」


 小さなひとりごと。そして。


 一陣の風が抜けた、そう表せるだろう。

 終わりは一瞬にて、陽炎はその一瞬ののちに掻き消えていた。


 陽炎が消えて、薄い灰色の体毛が見えるようになった全ての狼が刺殺、または斬殺されている。

 どさどさと倒れていく狼達につけられた綺麗な切り口から鮮血が溢れていた。


 消えた陽炎の向こうから、アヅサが走ってきた。

 フェイには、アヅサがいつ移動したのかさえわからなかったけれど、この光景をつくったのがアヅサだということはわかった。否、そうとしか思えなかった。


 フェイの隣で、座り込んでしまった、助け出された人が大きく息を吐いたのがわかった。


「だいじょうぶ?」


 フェイが声をかければ、その人は虚をつかれたように一瞬息を止め、それから強ばった表情のまま、おずおずと笑みをかたどった。そして、周囲を見回す。

 アヅサがフェイの隣までくると、その人は安全だと判断したのか、ようやっとぎこちなく破顔した。


「あ、ありがとう。助かった。あなたは」

「私はアヅサ、旅人よ。貴女は輸送屋かしら」

「あぁ、輸送屋を営む〈風の民〉ラーカス・ルレイという。……本当にありがとう!」


 フェイは口の中で〈風の民〉と繰り返す。

 立ち上がるのを助けるために出されたアヅサの手を、ルレイは両手で掴んでお礼を言っていた。

 少し困ったようにアヅサが笑っているのが、フェイにはわかった。



 少しして、落ち着いたルレイが立ち上がったので、アヅサは息絶えた狼たちを街道を下りた、〈点滅の森〉の方でひと所に集めた。

 流れ落ちる血をそのままにひと所に積み上げたので、狼の積み上がった奇妙で悪趣味なオブジェが気味悪いだけでなく、辺りは血生臭い臭いが漂っている。


「狼、どうしようかしら」

「馬車があれば引き取れるんですが……」

「そうよねぇ。森の深い所ならまだしも、街道のすぐそばはちょっとまずいわよねぇ。……それにしても、こんなふうに集団で狩りをしてくるなんて」


 困ったようにその奇妙なオブジェを見る大人二人とは対照的に、フェイは恐々と高さ一メートルほどのオブジェを視界の端で捉えていた。

 結局、焼き払うことにした二人は、浅めの穴を掘って、狼の死体を入れたのち、発火剤になるものと、火をつけた木の棒を投げ入れた。


 消えることのない血の匂いと肉と油の焼ける匂いを遠目に、街道を挟んで向かいに陣取って、火の具合を見ながら座り込んでいる。


「さて、ユアンは逃げ切れたかどうか……。アヅサさん、同行させていただいても?」

「そうねぇ、貴方食料は?」

「もってないなぁ、お金は少額なら身につけてはいるが」

「……まぁいいわ。買える分は買って頂戴」

「それはもちろん」


 消えない血の匂いに気を取られていたフェイが、アヅサの方を向いたことに気がついて、その目にどういうことと聞くように見てとれたアヅサは、ちらりとルレイの方を見た。

 ルレイが頷いたのを見て、アヅサは小さく会釈した。


「そうね、今言ったことをもうちょっと、詳しくいうなら、『貴方、食料はどうやって確保するつもり?』」

「『食料自体持ってないし、狩で手に入れるのはちょっとできないな……お金は少し持ってるから、買ってもいいかい?』」

「『そう、持っているお金以上食べても構わないわ、でも払える分は払ってね』ってところかしら」


 掛け合うように説明をする二人。アヅサは優しい親のような顔つきであったし、ルレイもぎこちないながらも、どこか微笑ましいものを見るようでもあった。


「人を助けるって、責任がいるの?」


 その質問は無垢だ。

 だが、無垢ではあるが、歪だ。


「人は、理由もなく人を助けてしまうこともあるけれど、余裕がないと他所様の人を助けることはなかなかできないでしょうね。すぐに過ぎ去るような問題ならそこまで大きな責任はないでしょうし、責任を負うような必要はないかもしれないけれど、問題がいくつも続くような状態ならば、助けた後が重要になることもあるでしょうしね」

「そうですね、私自身助けられた身である以上なんともいえませんが、助けた責任は負うべきです。しかし、助けられた責任は負わすべきではありません。責任を負うのが大人、責任を負わせるのは子供です。まぁ、持論にすぎませんが」


 血生臭い匂いを避け、〈不忘の草原〉のほうで火が消えるまでを見送った3人、多少なりとも歩いた後、小屋を見つける。陽が暮れるというには早い時間ではあったけれど、フェイもルレイも慣れないことで疲れていたので、これ幸いと小屋の中に入った。


 閉鎖された空間の、外とは格別された空間で火にあたって、ルレイはやっと気を落ち着かせたらしく、全身の力が抜けたようで床に座り込んだ。

 フェイもほっと息をつく。肩から荷をおろしたような、そんな心地だった。

 ただ、アヅサだけが通常運転のまま、肩から荷をおろしていた。


 火で温めた食事をして、温かい飲み物を飲みながら、緊張をほぐすように会話をする。

 死を感じさせる場から、帰還してきたのなら、それが有効であるとアヅサは知っていた。


 ややあって、ルレイは緊張が解けたように、狼に襲われる少し前の話を始めた。ここまでは、もう一度襲われたらという考えが抜けなかったらしく、話すことも躊躇していたようあった。

 饒舌にとはいかないが、スラスラと水が流れるように話し始めるルレイ。どうにも経緯としては、唐突に現れた陽炎を纏う狼をルレイが惹きつけて。


「逃げろっ、ユアン! 俺は置いて、いけっ!」

「父さ、ん。……っ、さよならっ」


 と、娘を逃したということらしい。

 ははっと笑うその体の緊張は、解けていない。けれども、笑えるほどには、なんとかなったとも言えるのだろうか。

 フェイはそんな彼を見るのが少し忍びなくって、目を逸らす。必死に言葉を探して、ふと、思い出したことをアヅサに問いかけた。


「ねぇ、さっきの狼って何?」

「点滅の狼のこと? あれは言った通り、〈点滅の森〉にだけいる生命体。普通の生命体とは違って、その地圏独特の特性を身につけた狼よ。〈点滅の森〉は……、事象が点滅する場所。言わば、物事があったりなかったりする場所。そして、それを身につけた狼は、彼ら自身の姿をあったりなかったりさせたり、動きをあったりなかったりとさせる」

「……つまり、見えなかったのは、そういうこと? アヅサが〈点滅の森〉であの狼とやり合うのは避けたいっていうのも?」

「えぇ。あの森はかなり厄介でね。特に、同じ特性持ちの相手とは相乗効果を生むからね」

「そう、なんだ」


 わかったような、わからないような。

 フェイには、ふんわりとしかわからなかった。


 つまるところ、街道を挟んで北に〈点滅の森〉、南に〈不忘の草原〉がある。

 〈不忘の草原〉は、忘れることのない場所。

 〈点滅の森〉は、あったりなかったりする場所。


 地圏は、独特な法則があって、それに人も物も、従う必要のある場所。

 地圏の法則が、人や物に特性として、出てくることもあるということ。


 地圏と、地圏の法則が合わさると、とても厄介なこともあること。


「確かに、〈風の民〉の間でも厄介な地圏と特性のひとつとして噂ですな」

「そういえば、貴方は輸送屋らしく〈風の民〉だったわね。……〈風の民〉というと、メイベルのことは知っているのかしら」

「もちろん、大元締を知らない〈風の民〉はいませんよ」

「元気にしてる?」

「風によると、元気にしているそうですよ」


 フェイが気がつけば、あづさとルレイの間で話は盛り上がっていた。

 ルレイの体の緊張も解けていて、フェイは少しほっとする。


 ほっとしたら、フェイは少し眠くなってきた。ふわぁとあくびをする。手に持っていたカップはそっとアヅサに預かられていた。


「今、メイベルは〈雷鳴の城〉にいるのかしら」

「ここ数ヶ月は〈雷鳴の城〉の街にいるみたいですけど。アヅサさんはお知り合いなんです?」

「えぇ、古い知り合いよ」


 2人の声を子守唄として、フェイはうとうとと眠りについていた。




***(7993年)




 フェイが目覚めた時、フェイは自身の寝袋の中で、楽な装いになっていた。

 既にアヅサとルレイは目覚めていて、暖炉の前で会話をしている。


「おはよう、フェイ」

「おはようございます、フェイさん」

「……おはよう、アヅサ、ルレイさん」

「今日からは〈花鋼の街〉に向けてまっすぐに進むことになるわ。準備しなさいな」


 アヅサの言葉にフェイはこくりと頷く。

 いまだに覚醒してない頭では、アヅサの言葉に従おうということだけがフェイの至上命題であった。

 ここ数日で慣れてきた手つきで、寝袋をしまい、靴を履いてすぐに出られるように準備する。

 いる人が、一人増えたとはいえ。変わることはない。

 いつもと同じだ。


 そのいつもがたった十数日前に作られたものとはいえ。

 同じように食事をして、前回小屋に泊まった時と同じように清めて、外に出る。

 またも、同じ朝日だ。

 景色の変わらない街道を、ただただ歩く。


 ただ、アヅサとルレイの会話だけが、いつもと違っていた。


 日が上ってくる。

 背後を暖める日は、自身の影が徐々に短くなることで、時の移り変わりをフェイに教えていた。昼食を挟んで、ほぼなかった影があらわれだした頃、アヅサの声が鋭くなって漏らされた指示語のような言葉に、フェイはアヅサの方を振り向いた。


 すたすたと、一つの目標に向かい歩いてゆくアヅサ。その先にあったのは、広い空間と黒く変色した土。何か大きなものが止まった痕跡。アヅサの示す指の先を見て、フェイもようやっと気がつく。

 ルレイは慣れたように土に残る車輪の幅を測り頷いた。


「これは、野営の後ね。目的地は〈鋼の丘〉の〈花鋼の街〉でいいのよね?」

「はい。そこに5日ほど宿を取って活動する予定なので、もしものことがない限り入れ違いとかにはならないでしょう」

「そう」

「娘の教育はほぼほぼ終わってますんで、大きな心配事はないんですが。亡霊と間違われないかどうかが強いて言えばの心配事ですね」


 笑い飛ばしてはいるが、フェイにはルレイの目の奥底が鈍いように見えていた。そう見えたフェイにとっては、ルレイの表情がいかにも笑っているのが歪であった。


 そこから特に大きなことはなく変わりもなく、時間は過ぎて、歩いた距離は伸びていった。

 一夜を街道脇で過ごし(ルレイには毛布をアヅサが貸していた)、〈鋼の丘〉の地圏に入ったのはもうすでに日が傾きオレンジ色に染まりかけた頃合いであった。そのころには、街の門も遠くに見えてきていた。


「まずい、急がないとしまっちゃうわね」


 アヅサはフェイを抱え、走り出す。それに慌ててルレイも走り出した。

 街道脇で揺れる草が銀色と赤錆びた色で。銀色の草は陽の光を浴びてキラキラと光っていた。名に違わぬ状態。〈鋼の丘〉はその名の通り、鋼でできているものばかりであった。透明な塗装剤越しに、オレンジの光を反射して薄赤く染まった外壁。

 長いこと走ってもあまり息の乱れないアヅサだったが、急いでいる中で何かを聞くことがためらわれたフェイは、黙ったままアヅサの腕の中で揺られていた。


 十数分走り通して、ルレイが息も絶え絶えになっているなか、ようやっと辿り着いた門と外壁。


「ぎりぎりついたわね。門が閉まる前に」

「もう薄暗い……」

「宿を探して明日の朝イチに会いに行ったほうがいいんじゃないかしら」

「そうですね、手続きが進んでいたとしても数日はかかるでしょう。合流はこの街でできるはずです」


 太陽の光は半分以上を地平線の向こうに隠し始めていた。





 


 

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