誓約の街
***
踏み出す足に血が滲み、頭はガクガクと歩みで揺れる。灰色のボサボサで絡まった髪に、擦り切れた薄っぺらい服。手足は骨だけと言えるほどに細く、薄汚れている。
幽鬼。見たもののほとんどがそう言うであろうそれ。
それが、大通りの端の端をゆらゆらと進んでゆく。チラリとそれを視界に入れた誰も彼もが一瞬顔を顰めて、無視をした。
各地から運ばれた品物の並ぶ露店。その裏がそれの通り道であった。
それに裏を通られた露店の店主がチッと舌打ちをした。客の意識が逸れて、交渉の流れが途切れたからだった。
「で、どうです? この逸品! 今なら10枚で追加に一枚おつけしてこのお値段。金貨5枚さ。で、どうする。買うか?」
仕切り直しとばかりに、さぁと実物を差し出す。
客、目元だけが覗く装いの女の翡翠の目に、ガラスのように反射されて、品物が浮かんでいた。
「買うわ」
即答。
片方の手に金貨5枚、もう片方の手を品物を受け取るために出して女は店主を急かす。
「はいよ、まいどあり! 品物はそのままでいいかい?」
女の急いでいる雰囲気を察してーー察せなければ商売人として致命的だーー店主はクルクルとそのまま持ち運べるように品物の紙を巻く。
「えぇ、ありがとう。それじゃあ、いい誓いを」
「いい誓いを! ありがとなお嬢さん!」
女は品物をつかみとって、ひらりと手を振りながら店主の言葉を待たずに背を向けた。
喧騒の大通りに飛び出て、歩きながらに女は背負ったままの荷物袋に、受け取ったばかりの品物を慣れた手つきでしまう。ちらりと露店の方を確認して、先程露店の裏を通ったなにかの進んでいった方向へ足を向けた。
露店どうしのの切れ目から裏に入って、女は目を細める。さほど時間はたっていない。あの先程露店の裏を通り過ぎたなにかは、まだこのあたりにいるはずだった。
その目を凝らした先、布を垂らして裏を見せないタイプの露店のすぐそば。白っぽい……どちらかと言えば灰色で埃っぽい、細長い物体が地面に横たわっている。
目当てのものだった。否、目当ての人物であった。
駆けて近づいて、髪を分け、息を拾う。
それは気絶しているようであった。
女はちょっと目を寄せて小さくため息をついた。ローブの長い袖を少しだけ捲る。
よいしょっと掛け声とともにそのひとを抱え上げた。
「軽い……」
ひょいと言う効果音が似合う持ち上がり方に女は少し目を見開いて小さく頷き、歩き出した。
***
それはゆっくりと瞼を押し上げた。雑多な生活音が遠くから響いていた。
見えた木目の天井に、それは小さく目を瞬かせて、周囲を探る。
白い壁。
装飾のない白さが逆に高級感を醸し出す。
ベッドの上らしき高さ、近くに見える左側の壁の逆、右に顔を向けて内心首を傾げる。
知らない女性だった。
椅子に座るその女性は全体的に黒と茶と赤でまとめられた、見たこともない旅の服をその身に纏い、背負い袋を床に下ろして、なんらかの作業を行なっている。
袋のうちからいくつものものを出して、見たり叩いたり撫でたりしてから袋にしまいなおしていた。
ふと、目が合う。
神秘的な緑の瞳、口元を布でおおったその女性は、それを目にして目元をほころばせた。
「あら、目が覚めた?」
口を開こうとして、それは咽る。
それの上半身を起こさせ、背中に枕を挟ませる。
そして、コップがそれに手渡される。コップの中身は水だった。近くにあった水差しから水をコップに注いで女性が手渡したのだ。
それは力が腕に入らないのか、危うげに受け取り、一瞬ためらったのち一口含んだ。
そのまま勢いよく水を飲み干してコップを両手で握る。
「……あ、りがとう。……あの、あなたは」
かすれた小さな声に、女性は目を瞬かせそれに近づく。ゆったりと体を覆う布地が揺れる。
女性はコップをそれの手から取り、近くの机に置いた。
「私はアヅサ。えっと、覚えてない?」
それはアヅサの言葉に記憶を巡るが、思い当たる記憶はない。
アヅサを見つめ、小さく首を傾げた。
その反応にアヅサは服の中に手を突っ込んでどこからか、数枚の金のプレートであり、カードであるものを取り出した。それの目の前に差し出される。
見たこともない文字が並ぶ中、一つだけそれにも読める文字で書かれていた。
『アヅサ 探索者(全)、研究者(地圏、特性)』
「私は〈地圏対応協会〉の探索者の1人よ。あなたを保護する依頼を受けたの」
数枚のカードをしまい、床に置いた背負い袋のうちから石板を取り出した。
その石板、ボードが取り出す際にいきなり大きくなったように見えて、それは戸惑う。けれど、何もなかったようにアヅサは続けた。
「これが依頼書、のコピー。……貴方はフェイ、よね」
それはピクリと名前に反応して、目を彷徨わせる。
長い沈黙ののち、小さくうなづいた。
「そう、よかった」
「あの、僕はどうなるんですか」
アヅサはボードをサッと見て、フェイを見た。
「貴方は、どうしたい」
「僕は……わからない、です」
アヅサはボードを背負い袋になおし、ベッドに腰掛けた。
体を捻った状態で俯くフェイの手に手を重ねた。
「故郷に帰るでも、世界を見るでも、こんな目に合わせた存在に復讐するでもいい。貴方は、どうしたい」
「……僕は」
沈黙が続く。
「……まだ、わからないっか。なら、とりあえずは身なりを整えることにしましょう、いいかしら」
「え……」
「髪はボサボサ、体もボロボロのドロドロ、それに、栄養失調状態でしょ、そんな状態で考えても良い答えは出ないはずだわ」
立ち上がり、覗き込むように手を差し伸べる。
「対価は要求しないから、安心して保護されなさいな、貴方」
「……わかった」
手に手を重ね、目を細めながらも小さくフェイはつぶやいた。
がしりとアヅサは手を握って、目がきらりと光って、勝ち誇ったように笑ったようだった。
「さて、じゃあ出発しましょうか」
「え」
バサリとフェイに布をかぶせ、床に置いた背負袋を片手で軽々と背に乗せ、フェイを抱き上げた。
目を瞬かせたフェイはびくりと体をこわばらせ、腕の内でとてもおとなしくなる。
ローブで全身を覆い隠され、さながら誘拐される子供だ。
「あらあら、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。と言っても難しいかしら」
「……どこにいくの」
「お風呂屋さんよ」
人を1人抱き上げているとは思えないほどの身軽さでアヅサは部屋から出て、鍵を閉める。片手は塞がっているというのに、鮮やかな手並みだった。
「そうね、宿から出る前に貴方のお名前を貴方自身の口から教えてもらえるかしら、いつまでも貴方と呼ぶのは忍びないもの」
フェイを覗き込むアヅサの目はまっすぐで、フェイは目を逸らすこともできずにその目をじっと見返した。
「……フェイ。よろしく、アヅサさん」
抱き上げられている状況に、警戒したままのこわばって掠れた声。
けれど、その目だけは怯えた光を宿しながらも芯の強い光が宿っていたのだ。
往来の多い通りを抜け、薄暗い裏通り。大通りよりは狭いとはいえ、2台の馬車が横並びで通っても多少余裕があるくらいには広い通りである。
早歩きに近い速度で歩くアヅサの腕の中で、フェイはいまだに体をこわばらせていた。
十分も経っていないほどの位置。建物と建物の切れ目がかなり遠い場所で、壁にしばらくぶりに存在する扉をアヅサはノックした。
扉の横、フェンス越しの小窓が空いて、年老いた女が顔を見せる。
アヅサがどこからか金のプレートを見せると、女はすぐに引っ込んで扉を開けた。
中の光がアヅサの顔を照らす。アヅサの目元の肌が象牙に輝いていた。
「注文は」
「一人用二つと下男を一人、この子の方に」
女のぎょろりとした目がフェイを捉える。
ジロジロと眺め回され、びくりと反応したフェイにアヅサが少し力を入れた。
「そっちは」
「払うよ」
片眉を跳ね上げて、舌打ちをした女。
居心地悪そうにフェイは身動ぎをした。
「二倍だね、口止め料込みだ」
「わかったわ」
アヅサは袂から袋を引っ張り出して、六枚の大金貨を渡した。
「受け取るが…」
「御礼よ、もらっておいて」
「んじゃ、有り難く。入りな」
女が鈴を鳴らせば、若めの男がぬうと現れて、礼をした。
ついてきてください、そう言われて扉のうちに入る。
塵ひとつ落ちていない黒のカーペットの上をしばらく歩き、何度か途中で曲がった。
数枚の使用中と書かれたプレートのかかったドアを通り過ぎ、何もプレートのかかっていない扉の前で男が立ち止まる。
「まずは、アヅサ様のお部屋になります。説明は必要ですか?」
「いらないわ、ありがとう。……フェイ?」
ぎゅっとフェイがアヅサの胸元を握った。
顔にかかる布をかき分け、頬にアヅサが触れる。
固まったままの表情、けれど、フェイの目は不安を訴えていた。
「心配しないで、ここは王族や皇族、長の一族も使う場所よ。だから、何かが起こることなどないし、顧客の秘密はなんであれ守ってくれるわ。だから、だいじょうぶ。綺麗になったあなたを待っているわ」
壊れ物を扱うようにフェイを床に下ろし、頭を撫でたアヅサは背負い袋から袋を取り出し男に渡すと、もう一度フェイの頭を撫でて扉の向こうのオレンジに消えていった。
閉じられた扉に、これまで通り過ぎてきた扉にかけてあったのと同じ使用中というプレートをかけた男。
撫でられた頭を自身の手でなぞったフェイは、男に促されて歩き出す。
男の足取りは先ほどよりも遅く、フェイの身を気遣っていることがわかる。
「では、こちらへ」
男が扉を開け放つ。
オレンジ色の光が斜をつくる。
先ほどアヅサの消えた扉との間に扉はなく、隣どおしの部屋である。
継ぎ目のない部屋の中に続くカーペットを踏み、オレンジの光にフェイは晒される。
黒のカーペットは四角く切り取られ、その向こうは板敷になっていた。
男はカーペットの上で靴を脱ぎ、立ち止まったままのフェイに濡れたタオルを差し出す。
「足を拭いて上がってください」
フェイは男の差し出す手に捕まり、言われた通り、片足づつ拭いて板敷に傷だらけの素足をのせた。
部屋は奥行きがダントツで広かったが、それ以外のニ辺も長く、三十人もの屈強な男たちがたむろってもまだあまりあるほどであった。
廊下の明るさとは段違いに光量が強く、太陽の下にいるかのような眩しさ。白い壁に木の棚、そしてところどころにある緑の観葉植物らしきものがリラックスできる空間を演出している。
奥には磨りガラスの扉が空間を間仕切っている。
右側の木の棚にはフェイの掌大の小瓶がずらりと並んでいた。
立ち止まったままのフェイに、男はタオルや手拭いなどを左側の棚から取り出している。
小瓶に目が入っていることに気づいた男が話しかけた。
「どれを選んでもいいですよ」
フェイは男をぼんやりと見て、首をかしげる。
この状態になっても、まだ、フェイは何もわかっていなかった。
棚から作為的に、一つの小瓶を男が取り出して、栓を抜く。
小瓶を手渡され、フェイはじっと男を見つめた。
「香りを嗅いでみてください」
その言葉の通りに行動して、首をかしげる。
「好きな香りですか?」
よく、わからなかった。香りの良し悪しは。
表情を変えず、雰囲気も芳しくないフェイに男は小さく微笑んだ。
「私が選んだものでもよろしければ、そちらを使わせていただきます」
コクリと小さくうなづくフェイ。
いくつかの小瓶を手に取った男はすりガラスの手前のテーブルに並べた。
フェイが興味深そうに近づく。
「それでは、脱いでいただけますか?」
びくりと肩を跳ねさせ、フェイは男を見上げた。
「……え」
「体を洗いますからね、脱がないといけないでしょう?」
男の言うことは至極真っ当なことで、フェイは目を泳がせる。
真っ当なことを言われているとはいえ、フェイは躊躇する。
フェイにここの知識はないのだから。
男はフェイの目線に合わせてしゃがみ、問うた。
「何も、他には漏らしませんよ。……そう、ですね。誓いを立てますか?」
ここは〈誓約の街〉。
立てた誓いが必ず守られる街。
守らなければ、それ相応の罰がある街。
「誓い?」
「はい、ここは〈誓約の街〉ですから。立てた誓いは必ず守られるのです」
「かならず、まもられる」
「はい、必ず」
フェイの紫紺の瞳と男の黄緑の瞳が交差する。
やがて、フェイは小さくうなづいた。
では、と男は右手を胸に当て、片膝をつく。
「ここに誓いを。私はこの場で見たこと、聞いたこと、感じたことを他に漏らしません。誓いをここに」
男の右手の甲に丸が浮かんで消える。
フェイはじっとそれをみて、確かに誓いは成ったのだと感じた。何も、知らないけれど、確かにそう感じていた。
「これで、私は誓いを守ることになります。では、脱いでいただけますね?」
「……うん」
男はフェイの体を何度も洗い流すはめになった。
初め黒く濁った水は、徐々に澄んだ色になる。
五度目に体まで洗い、水を流して、あらわれた美しい輝きに男は目を見張った。
「美しい、ですね」
美しい人や物を多くみた男でもそう言うほどの煌めき。
白銀の髪、照明に反射している。顔のパーツはまさしく人形のよう。完成された美。研磨された宝石、そういった方が正しいかもしれない。
肌も毛も、白くまるで雪によう。瞳は透き通り、どこまでも沈み込みそうな紫紺、アメジストのよう。
男はフェイの顔をみて、ふと引っかかったような反応をする。じっと瞳を見て、全体を見て、目を見張った。そして、小さくなるほど、と呟いてフェイの髪にボトルから手にとった液体をなでつけた。
ツヤツヤ、サラサラの髪が揺れて、フェイが振り向く。
それほどまでに男の口にした言葉は驚きだった。
「口の中や耳、目や鼻、爪のお手入れもさせてもらいますね」
どうしますか、と選択を委ねられたフェイは少し考えて、おずおずとうなづいたのだった。
目と鼻を専用の洗浄液で洗われた後、口内の洗浄液を渡され、口に含んでうがいをするように言われて、フェイは目を彷徨わせる。
「あの、マウスピース、外した方がいいですか」
「そう、ですね。外した方がいいかと」
男は一瞬目を見開くが、さっと小皿を差し出し、マウスピースはこちらにと告げる。
フェイは口に手を差し込み、奥歯の横を押す。小さくかちりと音がして、マウスピースが浮かび上がる。小皿にふたつ、マウスピースを乗せて、洗浄液を口に含んだ。
吐き出された液体を無言でシャワーで流し、もう一度口を洗浄するように男は促す。
見えた歯の色は、瞳と同じ紫紺、透き通った宝石そのものの歯は、なんとも艶かしく、異形じみている。
やはり、この子は。男はそう思い、小さく息を吐いた。
どことなくふわふわとした足取りで磨りガラスの間仕切りをぬけ、棚に並ぶ小瓶の反対側に設けられた鏡付きの洗面台前のソファにフェイは誘導される。
湯でのぼせる寸前に、連れ出されたのだ。全身が解けてゆきそうな中、耳の赤さと、体の温度に男がギリギリで気づいたからでもあった。
大きなタオルで、男にされるがまま体を拭われる。下着を手渡され、身に纏い、乾いた大きなタオルを体にかけられて、ソファに座らされた。
白銀の絹糸の髪の毛をタオルで抑えられた後、温かい風の出る道具で水分をとばされる。うまいこと乾かし終えると、男はまたもや小瓶を取り出して、フェイの顔や体に塗りつけていった。
キラキラと肌も艶めき、一種の宝石そのものの容態である。どこを切り取っても、色も形も美しい、まさしく宝玉であった。
磨き上げたその体に思わず、ほぅとため息をつく男。
ウトウトとうたた寝を始めたフェイ、その動作の幼さが逆に危うい魅力を醸し出していた。
肢体に布を纏わせてゆく。
滅多に市場に出回らないその布材は、アヅサが昔着ていた物だった。帯を締められ、フェイはグッと息をつめた。
小皿を手渡され、マウスピースを手に取ってはめる。
黒いカーペットの上にはいつの間にか履きやすそうな靴が並べられていた。
「……お似合いですね」
立ち上がって、鏡を見て首をかしげるフェイ。
フェイの顔立ちに似合うとはいえない服だが、逆にエキゾチックでまるで雪の精のように儚さが際立っていた。
男に連れられて部屋に入れば、アヅサはまっていたようで駆け寄ってきた。
フェイの目線に合わせて屈む。
「いいわね、ありがとう」
男の方を見ていった御礼に男は笑って一礼を返す。
「いえ、喜んでいただけるならば、こちらとしても幸いでございます」
フードを深く被った大小二つの影が大通りを行く。
咄嗟にフードを深めたアヅサに、フェイもならった。
また、裏通りに入って、もう一度表通りに出て、また裏通りに入る。
人の少ない道を抜けて、周囲に人影はない道。太陽の差し込み口は狭く、薄暗い。
看板も何もない、普通の家にアヅサは堂々と入っていった。
手を引かれたフェイもおっかなびっくりその建物に入って扉を閉める。
さぁとさしこんだ光に目を細めた。
木製で整えられたカウンターに、応接用らしきソファーとテーブル。
カウンターの向こうには、一人の女性が手仕事を行なっていた。
「レム!」
「お久しぶりです、アヅサさん。この〈誓約の街〉にはしばらく来ない予定でしたのでは?」
アヅサの声に手元から顔を上げて、その女性は微笑んだ。
黒髪に翡翠の瞳。ふわりと笑う雰囲気がどこかアヅサに似ている女性だ。
この街でよく見かけるブラウスを身につけた、町娘のような可憐さのあるそんな人だった。
アヅサはフードを払って、似たような雰囲気で笑ったようだった。
「それが依頼でね、こっちに来ることになったの。でも、しばらくは来てないわよ? 5年ぶりだもの」
「5年? ……あぁ、そうです。5年ぶりですね」
「故郷に帰ったの?」
「えぇ、2日くらいですけれど。ところでそっちの子は? まさか、あなた子供でも作ったのです?!」
2人の妙に噛み合わない応酬をよそに、フェイはカウンターの向こう、色とりどりの布が収められた棚を興味深そうに眺めていた。レムの目線にびくりと体を跳ねさせて、フードをより深くする。
「そんなまさか。ところで、貸し切ってもいいかしら。第三席の依頼の関係なの」
「っいいですよ、ちょっと待っててください」
驚いた顔をしたレムは立ち上がってカウンターから出た。
入り口の鍵を閉めて、ソファの方にアヅサとフェイを案内する。
少しの間カウンターの奥に姿を消したレムはお茶と茶菓子の乗ったお盆とスケッチブックを手に、戻ってきた。動きやすそうなパンツスタイルの彼女は優雅に足を組んだ。
「で、なんのようです?」
「ありがとう、レム。あのね、この子の服を仕立てて欲しいの。できるだけ早く」
フードを外すようにアヅサは言い、フェイはゆっくりと手を震わせながらそのフードを外す。
レムは、はっと目を見開いて、ごくりと喉を鳴らした。
「なるほど、です。いいですよ、彼用の服、仕立てましょう。どんな物が何着必要です?」
「そうねぇ、故郷の服10、〈灼熱の砂漠〉あたりのものに似てある程度融通の効くものを10ね、寝巻きも10くらい。まぁ後は必要な物を諸々ってところかしら。靴は十個ほど調達しておいて」
「わかりました。それにしても、それだけですか? あなたにしては少ないですね」
フェイが数に首を傾げている間にレムはスケッチブックを広げ、何やら書きつけている。
「まぁ、しばらく旅するだけだもの。10年とかにはならないし」
「それもそうです。採寸するからこっちにきてください」
カウンターの裏に手を回し、採寸用の紐を取り出したレム。
フェイをソファのすぐ横に立たせて、全身を測り始めた。
スケッチブックにデザインを描き込み始めたレムに、また明日来てくださいと追い出され、アヅサは笑ってため息をついた。デザインを考え出すと、邪魔だからと追い出されるのが常だったのだ。
「あれは全部3日で作り上げてもおかしくないわね。さて、と。フェイ、もう太陽も落ち始める頃だし、何か食べ物を調達して宿に戻りましょうか」
「……うん」
大通りに展開された露店はすでにだいぶ減っており、片付け始めている人もそこそこである。遠くで陽の光を受けた黄緑の木の葉が金に染まっていた。
残っている露店の食べものを買い、片付け始めた露店のものを安く押し付けられたりして、道を進む。
食べ物は木の蔓を編んだカゴに他の荷物とは分けて入れていた。
宿に帰りつき、アヅサは木の籠をテーブルに置いた。
疲れたでしょうとベッドの上に座らされたフェイにさっとコップが手渡され、水を注がれる。
「飲みなさいな」
テーブルの上に買ってきたばかりの食べ物を並べ、アヅサも椅子に座った。
取り分けられる食べ物を恐る恐る口にして、しばらく。
フェイは戸惑うように口を開いた。
「アヅサさんは、なんでここまでしてくれるの」
僕にそんな価値はないでしょ、そう言外に告げる紫紺は暗く澱んでいた。
ゴクリと口の中を開けて、手に持っていたサンドウィッチをテーブルに置く。そして、暗く澱んだ紫紺を覗き込んだ。
「単純に依頼だからよ。……けれどね、私、子供が不幸なのは嫌いなのよ」
「僕は」
「不幸じゃないって? 誘拐されて奴隷同然に過ごすことになったのに?」
フェイは息をつめた。呼吸音が短く鳴って、動きが止まる。
翡翠が紫紺を貫く。
フェイは浅い呼吸をただただ繰り返す。はくはくと言葉は宙に消えた。
「全ての命は、確かにただあるだけとも言えるけれど。けれど、どんなものにも価値はあるのよ。他者が慈しむだけの価値がね」
そこまでいってのけたアヅサは、決心したようにうなづいた。
「貴方にどうしたいって聞いたけれど、その前に貴方にはとある人に会ってもらうことにするわ。そのとある人は遠い場所にいるから、長旅をすることになるけれど、いいかしら」
笑うアヅサに、フェイはしばらくの間黙っていたが、やがてこくりと小さくうなづいた。
***
翌朝。
短い睡眠に浸っては目覚めていたフェイの顔色は、昨日よりはマシになっていた。
昨日買った食べ物の残りを朝食として平らげた2人。身支度を整えるアヅサにフェイが問いかけた。
「今日も行くの?」
「えぇ、必要なものはまだまだあるもの」
立ち上がったフェイにローブを渡して、アヅサは背負い袋を手に持った。
「どこにいくの」
「そうね、今日は雑貨屋にでも行きましょうか」
フェイはローブを羽織り、アヅサに近づく。
フードを被り、口布を上げたアヅサは、目元だけでにっこりと笑った。
雑踏を進む。
日の出と共に活動を始めた人々、すでに太陽は十分に明るく、露天も賑わっていた。
ここ、〈誓約の街〉はかなり大きい街で人も物も集まる場所であった。
中央にある大きい建物を中心として、放射線状に長い道路が伸びていて、アヅサとフェイが泊まっている地区は南東であった。
そこから1時間ほど歩いて、中央に近い、北西の地区まで来ていた。
「やっと、ついたわ。ここよ」
アヅサの声に、フェイは顔を上げた。
その紫紺の瞳に『カリッサ』という店の看板が映った。その看板には小さく〈フォルトナー商会〉とも書かれている。
「ここが雑貨屋?」
「えぇ。品揃えはいい店だからたいていのものは揃うはずよ」
いかにも高級そうなその店に構わず入っていくアヅサをフェイは恐る恐る追いかけた。
広々としたエントランスにフェイが固まっているのをよそにアヅサは奥に進んで、受付らしき場所で何かを見せた。
何かしらの手続きを終えたアヅサは、ようやくアヅサの近くまでやってきたフェイの手を捕まえて、受付嬢に示されるように奥の扉へと進む。
扉の向こうは、見渡す限り、縁を残して凹んだ台が並び、そこに置かれたものを手にとって観察する人や、それについて説明をしている人がちらほらいた。
「ここは……」
「〈フォルトナー商会〉っていう〈地圏対応協会〉がある場所には必ず支店をおいている商会の雑貨屋よ。その中でも、〈カリッサ〉という店のブランドは〈地圏対応協会〉と提携を結んでいて、誰が何を買ったかがわかるようになっているの」
注意深く観察したフェイは、品物を手に取って観察する人の服装は様々でありつつも動きやすそうな服の人が多いのに対し、品物についての説明をしている人たちは制服のように紺色のベストを必ず着用していることに気づく。
「さて、いくわよ」
アヅサに手を引かれて、進む。
入り口付近は瓶に入った液体や、同じく瓶に入った丸い小さな固形物、色のついたボールが並んでいた。
しばらく進むと、またガラリと並ぶ品物は変わり、小型の何に使うのかもわからないような箱や機械が並んでいた。
そこを過ぎたあたりでアヅサはようやく立ち止まり、紺色のベストを着た人に声をかけた。
「旅の基礎雑貨を買いに来たの、火付け、水差し、毛布、寝袋、テント、獣除け、虫除け、この辺りを見せてちょうだい」
「かしこまりました。まずは火付けから」
二つほど向こうの台に案内されアヅサはフェイを前へと突き出した。耳元で囁いたのち、店員に声をかける。
「詳しくは分からなくてもいいから、ちゃんと見てなさいな。……おすすめはどれ?」
「おすすめはこの三つですね」
おいてあった形もさまざまな品物のうちから手早く三つの品を手に取って、フェイの前に置いてみせた。
一つは瓶に入った青い炎。もう一つは直方体の金属製の箱にボタンがいくつかついたもの、もう一つは白い掌台の筒だった。
青いふわふわと浮いている美しい炎の塊の入った、手のひらに包み込めるくらいの瓶を手に取った店員は、キュポリとその瓶を開けた。
「こちらは〈鬼火の墓地〉産の炎を〈灼熱の砂漠〉産の耐熱瓶に入れたものになります。使い方は細長い枝や紙などを突っ込むだけで枝や紙に火をつけることができます。〈鬼火の墓地〉産の炎ですので、半永久的に使えます。またこちらは耐熱瓶とはいえど、ほのかに熱を通しますので、カイロがわりにもなります。そしてさらに、熱を完全遮断する皮袋もおつけして金貨8枚です」
流れるような説明、それに目を白黒させつつもフェイは飲み込む。分からない単語ばかりではあったけれど、簡単で安全だなとフェイは思った。
瓶の蓋を閉じた店員は続けて、3つほどのボタンのついた直方体の金属製の同じく掌大の箱を手に取った。
「こちらは〈咲花の都〉の発明家、キエリ・オルトン氏の作品になります。ボタンを押すだけで火花や炎が飛び出るようにしたものです。一応セーフティとしてこちらのボタンが硬めになっておりまして、このボタンを音がするまで押し切らないと他のボタンを押せないようになっております。また、このボタンは一度他のボタンを押すと再度押し直さないといけない仕様です。手軽に使用できる品ではありますが、材料に〈輝炎の森〉産の花や鉄を使っておりますので割高かつ、使用年数が限られております。こちら、金貨15枚です」
へぇと声を漏らしたフェイに大人2人は優しい目線を向ける。店員は金属製の箱を瓶の隣に置いて、白い筒を手に取った。筒の先についているカバーを片方外すと、筒の中にはチロチロと赤い炎が踊っていた。
「こちらは〈不忘の草原〉で作られている火付けになります。筒の反対側から空気を吹き込めば、その反対側から炎が出る仕組みになっています。空気を吸い込んでしまうと、炎がこちらに向かってくるという欠陥品でもありますが、使い方を間違えない限り、一回で大きな炎を出せるので、獣が襲ってきた時に使うと怯んで逃げていくという効果もあります。こちらは、金貨3枚です」
カバーを戻した店員は筒を金属製の箱の隣に置いた。
ジッと興味深そうに見ているフェイに、よければ触ってみますか? ときいてくる。
アヅサを見れば、笑っていたので、フェイはこくりと頷いてまずは瓶を手に取った。
フェイが手に取った瓶は、フェイの手には少し大きい。
手で包むようにその瓶を持てば、手の先からじんわりと伝わる熱がなんとも心地よかった。手の隙間からちらちらと青い光が漏れているように思えて、丸っこい瓶の口の方を掴んでみれば、アヅサがそっと教えてくれた。
「〈鬼火の墓地〉っていう地圏は、文字通り鬼火がそこかしこに浮いているとちで、中心には墓地があるからこそ、墓地と名付けられているのよ。〈鬼火の墓地〉で生まれる鬼火は熱量があって、技術はいるけれど捕まえることのできる光源でもあるわ。この鬼火は小さいからそんなに明るくはないけれどね」
「きれい」
「はい、お客様のおっしゃられる通りでございます。それに、〈鬼火の墓地〉は名前に反してとても景色が綺麗な土地なんですよ。怖がりな人には向いていない観光名所でもありますが、ね」
にっこりとおどけるように笑っていった店員。彼女に金属製の箱を差し出されて、フェイは瓶と交換した。
フェイの手でも遊べるほどに軽いその箱。
「こちらは見本品なので、実際に火をつけてみてもいいですよ」
店員の言葉にこくりと頷いたフェイは、先ほど店員がやっていたようにセーフティがわりのボタンを押し込もうとするが、動かない。
何度か両手で押し込んでみるも動かず、途方に暮れたようにアヅサを見上げた。
苦笑したらしいアヅサが手を差し出すと、その上にフェイは持っていたうんともすんとも言わない箱をのせる。
アヅサはその箱を数秒眺めたのち、別段力を入れた様子も見せずに、ボタンを押し込んで、火をつけてみせた。
「筋力不足ね」
アヅサのその言葉に愕然とした表情を見せるフェイ。
それを気にした様子も見せずに、アヅサは店員に金属の箱を返した。
「それではこちらはいかがでしょう。ただ、これはこの場でお試しいただくのはちょっと困るんですが」
営業スマイルというには輝かしい笑みを浮かべた店員は白い筒をフェイに向かって差し出す。恐る恐る受け取って、白い筒の両端についているカバーを両方外した。
白い筒を覗き込んだフェイは、中で踊る赤い炎に目を輝かせる。
「きれい」
「フェイ、どれにする」
アヅサに尋ねられて、フェイはカバーを付け直して白い筒を金属製の箱の横に置いた。
「これにする」
ぴっと指差したそれにアヅサは小さく頷いた。
「じゃあ、鬼火の火付けでお願い。まだまだ買い物するから渡すのは最後でいいわ」
「かしこまりました。お次は何をご覧になられますか?」
「水差しを」
「水差しですね、最近とてもいいのがはいったんですよ!」
またしても4つほど台を移動し、並ぶ大小様々な水差にフェイは目を瞬かせた。
店員が指し示す水差しはさほど大きくはなく、700竓入るであろう大きさであった。
「今のおすすめはこちらですね。〈岩清水の崖〉産の粘土で作られた本体に、〈水没の街〉産の石を組み合わせることで、空気から水を作り出せるようになっています。それに加えて、〈灼熱の砂漠〉産のガラスを所々に使用することにより、断熱効果が得られておりまして、一定の温度の水が手に入るようになっております」
「もしかしてこの幾何学的な配置は、下手に効果を混ぜ合わせないため、かしら」
「はい、おっしゃる通りです。いくつもの昨日を同じ素体に組み込むのは効果が混ざって危ないことがありますが、こちらは完全に効果が安定した配置であると〈研究狂〉ルザラート家が証明している、そうです」
ルザラート家がねぇ、と小声で呟いたアヅサの顔は懐疑的だ。今代の目にこれが止まるのかしらと呟かれたそれに店員は苦笑する。
フェイはじっと石やガラスを見ては、首を傾げていた。
「フェイはどう思う」
「……これはいや」
「そう、別のものを見せてちょうだい」
「かしこまりました」
台の上に戻すのではなく、台の下に水差しが片づけられたことに、片方の眉を上げたアヅサ。店員は笑顔のままつるりとした生物由来にも思える円筒を指し示した。
「では、こちらはいかがでしょう。〈水没の街〉産の、必ず水で満たされている水筒です。一回に出せる水の量は500竓弱とそこまで多くはないのですが、蓋を被せるだけでもすぐに水が空気から作り出されます。こちらは金貨4枚になります」
「あら、シンプルだけどいいものね。限界量はあるのかしら」
「ロングセラー商品ですけれど、水がつくられなくなったとは聞いたことがありませんね。筒自体が壊れない限りは大丈夫ですよ」
蓋を開ければ、チャポリと水の揺れる音がして、透明な水が水筒いっぱいに入っていた。
「ほかはどうなの」
「他のものは、水を作り出す際に多少時間がかかったり大きなものになりますので、お客さまには合わないものになるかと思います」
「ぼく、これがいい」
「あら、そう? ならこれで。つぎはそうね、毛布をおねがい」
「かしこまりました」
次の移動はかなり長かった。
奥に進むだけじゃなくて、横にも移動することになった。
たくさんの布が壁にかかり、布見本と思しきカタログが台の上にある。
「お二人は旅をされるんですよね、でしたらこちらがおすすめになります」
店員がそう言って取り出してきたのはかなり分厚めの布の綴じられたカタログであった。
台の上で広げてみれば、布の上に幾つかの性能面での項目が書かれていて、丸・三角・ばつと表記されている。それに幾つかの追記事項とも思しきことが書かれていた。
「わ、ふわふわ」
「これは、〈不滅の村〉の!? この大きさをよく確保できたわね」
「はい、〈舞踏皇子〉がしばらく逗留してくださったとのことで、彼の提供によるものですね」
「なるほど、彼なら納得ね。それにしても、これは400年もののアゾブー(熊と鹿の混ざった姿の獣)でしょう。それに〈不滅の村〉にいたとすると、この量を採取するのはとても難しいでしょうね」
しかも、皮付きである。どれだけその獣は暴れたことだろうか。
〈不滅の村〉文字通り、獣は死ぬことなく、人も死ぬことなく。形は変わりうれど、自ずから崩壊する、劣化することのない、ある種最悪な特性の一つでもある。
そういえば〈舞踏皇子〉はあの特性保持者だったわね、そう呟くアヅサ。彼ならば、問題なく皮を取ってこれることは確かだった。
「えぇ、それに〈不滅の村〉の獣ですので、こちらの皮は手を入れない限り劣化することがないのに加え、湿度や温度によって毛の質が変わりますので年中どこでもお使いになれますよ」
ふーんと店員の言葉を聞き流したフェイ。しばらくその毛皮を堪能していたが、徐にカタログを捲り他の布も触っていく。
〈綿の海〉産の綿や、〈四季の森〉産の絹や麻など、他の布も触ってみるけれど、あまり惹かれた様子のないフェイにアヅサは問いかける。
「どれがいい?」
「これ」
指し示されるのは、一番初めに触っていた〈不滅の村〉のアゾブーの皮つきの毛皮ともいうべきもの。一番長く触っていただけあって、相当気に入ったらしい。
「表も裏も、一番触り心地がいい」
「本当ね、この大陸でも指折りの職人技だわ」
「こちらは、〈舞踏皇子〉が処理をされたと聞いております」
「多才ね……。どれくらいの大きさがあるかしら」
「最大で100糎×200糎は確保できますが」
そうね、と言いながらフェイを見やる。
「大きい方がいいわね、最大の大きさでお願い」
「かしこまりました」
「確か、ここで寝袋の方もお願いできるのよね?」
「はい」
台の下から取り出してきたのは、綿の見本と先ほどのカタログよりかは薄い、布のカタログだった。布のカタログも種類を変えて、薄めの耐久度が高そうな布を集めたものになっている。
店員はフェイの前に布のカタログを置いた。
「やっぱり、一番質が良くて年中使えるのは〈綿の海〉産の綿ね」
「えぇ、どこのものも〈綿の海〉のものに比べると一歩劣ってしまいますからね、綿製品は〈綿の海〉のものに限ります」
「なら、中身は〈綿の海〉産の綿で、外は……」
きゃらきゃらとひとつの綿を触り合って笑う大人二人に対し、フェイは布のカタログを開いて、色々と触り比べていた。
「いいのは見つかったかしら」
「どれでもいいよ」
「あら、どうして」
「どれもあんまり変わらないし」
そう? といってアヅサも触ってみるが、確かにとても大きな違いはない。先ほどの〈不滅の村〉のアゾブーの毛皮と比べれば、どれも同じと言っていいくらいには違いはわかるものではなかった。ならば布の性能を見るべきだろうと、アヅサは布の性能の項目を見て幾つかに絞る。
汚れにくく、ある程度丈夫で、風通しは少なくとも、湿気を溜めにくいもの。そういった条件づけをすれば、三種類程度に抑えられた。
その三種類を見比べたアヅサは、見本とはいえ、布の生地の美しさをみて唸る。肌触りは素材としては最高級とも言えるほどにいいものであった。あまりの均一な織り目にアヅサは言葉を漏らす。
「腕のいい人がやっているのかしら、それとも機械や模型を使っているのかしら」
「我が〈フォルトナー商会〉は腕のいい職人を抱えておりますからね」
にこりと笑った店員にアヅサは感嘆のため息を漏らした。
「じゃあ、両方とも〈綿の海〉産のものにするわ。大きさは、成人男性のMサイズでお願い」
「かしこまりました」
「次はテントね。テントは……私も使っている〈嵐の山〉のものでお願い」
「〈嵐の山〉?」
「えぇ、〈嵐の山〉の動植物は年がら年中、嵐の環境で生き延びるために必要なものを備えているから、どんな嵐が来ても水漏れしたり、風が隙間から入り込んできたりということがないようにできるの。もちろん、高度な加工技術も必要だけれどね」
店員はかしこまりましたと承って、メモ帳に何かを書きつけていた。
「そうね、獣よけと虫除けも私も使っているものにしてちょうだい。あぁ、それから、全部一緒にもらいたいのだけれど、毛布や寝袋はいつできるかしら」
「そうですね、既製品でよろしければ今日中にご用意できます」
今日中ね、少し考え込んだのち、アヅサは背負い袋から財布がわりの袋を取り出した。
「なら、明日くるわ。代金は先に払っておくわね、いくらになるかしら」
「全て合わせて、金貨48枚なのですが、アヅサ様は協会所属の金ランクの探索者ですので、金貨45枚になります」
言われた枚数の金貨を取り出して、アヅサは店員の差し出した盆の上に置いた。
「はい、ちょうどお預かりします。まだ、店内をみて行かれますか?」
ちらりとフェイを見て、退屈そうな色に気がついたアヅサは、かぶりをふった。
「やめとくわ。今日はありがとう、いい買い物ができたわ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
アヅサとフェイは店頭まで送られ、店を離れてからも暫くの間、見送られた。
暫く歩いたところで、アヅサは道の端によって、足を止めた。
「もう一箇所別の場所によってもいいかしら」
太陽はすでに中天を過ぎており、道ゆくそこかしこで美味しそうな匂いが漂っている。
ちらちらと、露店や屋台の方に目をやるフェイに、アヅサは苦笑した。
「先に、お昼ご飯にしましょうか」
店内に入れば、太陽光は多少遮られた。
熱のこもるフードをフェイは外し、アヅサはフードをそのままに日替わりランチを頼んで、空いている二人用の席に座る。入口からも、店の厨房からも程よい位置の場所であった。
「ねぇ、アヅサさん」
「なにかしら」
「地圏って何?」
アヅサは目を瞬かせる。アヅサにとってみれば、想定外の質問だった。けれど、そういえば、フェイは知らなくてもおかしくはない。
「そうねぇ……世界の法則が乱れた場所、地域のことよ」
「世界の法則?」
「えぇと、そうね、地理的なことから説明しましょうか。
まず、私たちが今いる場所は、この大陸を二つに分けていると言われる〈空越の山脈〉の東側に当たるの。確認できる限り、〈空超の山脈〉より東側のほぼ全土が地圏で満たされているわ」
「地圏のない場所はほぼ存在しない?」
「えぇ、そういうこと。そして、地圏が確認されたのは地歴以前の話。今が、地歴7993年だから、7993年前よりも前から存在しているわ」
「7900年以上前から? ずっとあるの?」
驚いてフェイは目を見開いた。想像もつかないほどに昔の話だ。そんなにも昔からあるものだったとは思ってもいなかった。
アヅサの語り口にちょっとした違和感を覚えるも、そのまま続きを聞く。
「ずっとある地圏もあるし、できた地圏も、なくなった地圏もあるわ。
そして、地圏には他にはない異常が見られるの。ここ〈誓約の街〉では誓ったことを守らなければそれ相応の罰がくだることが世界の法則の一部になっているの。けれど『誓ったことが守られなければ罰が下される』という法則は、〈誓約の街〉以外の場所では起こらない。
それと同様に、例えば……そうね〈灼熱の砂漠〉では最低気温が20度になる、みたいにね」
「どんな法則でもあり得るの?」
「そうね、とんでもない三大地圏と言われているのはあるわ。ほんの数センチたつ場所が変われば、時の流れが大幅に変わってしまう〈時変の湖畔〉、光にあたれば死の〈光死の洞窟〉、1米高いところに登れば、10米分登っていることと同じになる〈空超の山脈〉よ」
「えっ、光を浴びただけで死んじゃうの?」
「えぇ、詳しい原理は不明。光量や因果関係も不明、耐えられる時間も人によって違う、適応できた特性保持者だけが安全に〈光死の洞窟〉を移動できるわ」
お待たせしましたと、食事が提供されたので一旦二人は話を止める。
「パルフィア」
「いただきます」
それぞれに食前の挨拶をして、ナイフとフォークを手に口に運ぶ。
兎の香草焼きに、焼き野菜の付け合わせ、林檎も添えてであった。
「特性って何?」
「あら、あなたも特性は持っているでしょう?」
「……」
「……あぁ、ごめんなさい。言うべきことじゃなかったわね」
アヅサは依頼書の内容を思い出す。きっちりと書かれているわけではなかったが、フェイがフェイの持つ特性のせいで攫われることになったのは確かだった。
「特性というものは、地圏に影響されて出てくるものだと言われているわ。地圏には、地圏独特の法則があって、その法則が動植物にも影響を与え、動植物も特性を得るのよ。いわゆる環境適応であり、地圏内では、その地圏の影響を受けるということよ」
「同じ地圏内でも、違う特性ってことはあるの」
「えぇ、人によって微妙にどの方向性が強く出るかとかは違うもの。それに、向き不向きもあるしね。稀に波長があい過ぎちゃう人もいるし、逆に合わなさすぎる人もいる。だから、同じ特性だっていっていても、微妙に違うことの方が多いわ。顕著にわかる特性もあるけど、特性によるからね」
ナイフとフォークを置いて、ナプキンで口を拭い、アヅサは口布を付け直した。
いまだに皿の上に残っているフェイを安心させるように笑って、アヅサは自身の片づけた皿をテーブルの端に寄せた。
それに、と内心でアヅサは付け加える。
特性は、成長するもの、適応を増していくものだ。成長という言い方は多少語弊がないわけではないが、はたから見ていればそうであるのは間違いない。
そして、本来ならば成長しなければ出ないはずの特性が、相性が良過ぎたせいか、生まれた時からその特性を持っている人がいるのは珍しいことだが、あり得ないことではなかった。
フェイが食べ終わって、口を拭い、フードを被り直したのを見てアヅサは席をたつ。
会計を終えたのちに、フェイは尋ねた。
「これから、どこに行くの?」
「〈地圏対応協会〉よ」
体感十分も歩くことなく、〈地圏対応協会〉の〈誓約の街〉支部にはたどり着いた。
交わる二本の剣の背後に大樹の意匠、それこそ〈地圏対応協会〉のシンボルマークであり、旗やドアに意匠として刻まれているものであった。
両開きの扉は軋まずにアヅサとフェイを迎え入れる。
待合として机や椅子が並んでいる向こうに、幾つもの窓口が設けられている。用途別に分けられたその窓口。
アヅサは迷うことなく、一番左端の受付へと足をすすめた。
奥から出てきた協会の職員が感情の見えない声で言った。
「登録票の提示と、依頼管理番号を」
「7993ー3Aー3よ」
あの金のカードを受け取った職員は少し目を見張り、依頼管理番号を聞いて、一度奥へと目を向けたようだった。少しの間席を外しますが、お待ちくださいと告げた職員は数分ののちに戻ってきた。
「では、ついてきてください」
二階の応接室に案内されて、出されたお茶と茶菓子にアヅサは悠々と手をつけた。協会に入った時から緊張の拭えないフェイの手にお茶菓子とお茶を持たせ無理矢理に食べさせる。そうして、フェイはほんの少し息をついた。
入ってきた扉ではない方の扉が開いて、神経質そうな眼鏡をかけた男が現れる。
「お待たせいたしました。アヅサ様」
アヅサに向かって一礼をしたのち、その男は向かいのソファに腰をかけた。
「お久しぶりです、あなたは覚えているかはわかりませんが、3年前、ここの支部長、マスターに任命されたアール・トニカと申します」
「あら、貴方。確か、よく特殊依頼の受付をしていた子よね?」
「はい、あの時はよく分かってはいませんでしたが、前マスターが私をマスターにさせようとされていたのだなと今になって思いますね」
「でしょうね」
緊張感のない歓談に、フェイは驚いていたが、アヅサは何関せずにお茶を手にくつろいでいる。
「前マスターはお元気?」
「えぇ、グランドマスターになって日々大変だとぼやいてはおりましたが、大層元気で楽しそうに仕事をしておられますよ」
「さすが、滅多に見ない仕事中毒者ね」
「本当に、あの人が抱え込んだ仕事を分散するのに二年はかかりましたよ」
困ったように肩をすくめたアール。だが、その目は優しい光を灯しているようにフェイには見えた。
あまり興味なさそうに話を聞いていたアヅサは、ちらりと周囲に目線を巡らしたのち、アールを見た。
「すみません、本題に入りましょう。アヅサさん」
「そうね」
アヅサは持っていた袋のうちから、板を取り出す。
フェイも見たことのあるそれは、依頼のコピーを記録してあるボードであった。
「第三席〈Dr.イーローゼ〉による依頼、7993ー3A−3は完了したわ」
「はい、承知しました。以降はどうされますか?」
アヅサはちらりとフェイに目をやって、目を彷徨わせた。
おや、とアールが珍しそうに目を瞬かせた。
「第七席に会わせたいの。今彼女はどこにいるかしら」
「……第七席の居場所は……グランドマスターでしたら知っているかもしれませんが、それよりは数ヶ月後に円卓会議が行われる予定ですので、その頃でしたら会えるかと」
アヅサは、そう、円卓会議がそろそろ行われるのねと呟く。
依頼のコピーを記録したボードを返され、アヅサは静かに考え込む。
「そう……」
「そういえば、アヅサさんはどれくらい〈誓約の街〉に滞在されますか」
「そうね。3日ぐらいは確実にいるけれど、それ以上はどうかはわからないわ」
アールによる話の転換に、アヅサはもう一度フェイのことを見た。
お茶を片手に、フェイは静かにそこに座っていた。
ふと、アールが思い出したことを告げた。
「あぁ。そろそろ新学期が始まりますので、ラヒストリア家の方々が帰ってくる頃ですよ。それに、学生も増えてきますね」
「それはちょっと困るわね。一週間以内には多分旅に出るわ」
フェイはふと、首を傾げた。
わからない単語が多かったが、それでも、新学期が始まるということが自身の動きに関係していたからであった。
「では、依頼は何か受けて行かれますか?」
「この街を出るときに受けるわ。そうね、〈鋼の丘〉に向かうから、〈不忘の草原〉のものがいいわ」
「流石に〈点滅の森〉の方は受けてはくれませんか。わかりました、〈鋼の丘〉で完了報告を出せる〈不忘の草原〉の依頼をピックアップさせて用意しておきます」
「頼んだわ。じゃあ、お茶美味しかったわ」
アールは苦笑して残念だとも思っていない顔で、小さく息をついた。まるで、仕方のない人だともいうような顔である。
アヅサはアールの言葉に当然のようにうなづいて、お茶に対する礼を言ったかと思えば、フェイを促してさっさとその部屋を出た。
残されたアールは、大きく息を吐き出す。
いまだ、年数の重ねていない彼にとって、アヅサは存在だけでも、とても重い相手だった。
「それにしても、〈鋼の丘〉か」
ラウンドマスターと呼ばれ、十二の席を有する彼らの会議を円卓会議と呼ぶ。
そのうちの一人が、アヅサにフェイを保護させる依頼を出した第三席のDr.イーローゼであり、もう一人がアヅサが会いたがっている第七席である。
円卓会議は、時期関係なく基本的には、ラウンドマスターの意向によって開かれる。
大抵の場合、場所は〈咲花の都〉でだ。
「地圏の狭間を縫っていけば、すぐに〈咲花の都〉にもつけるだろうに」
フェイを慮ったが故に、〈鋼の丘〉に行くのか、それとも。
「アヅサさんのことだから、他にも目的はありそうですが」
もう一度ため息をついたアールは、息を吸うと共に立ち上がり、大きく伸びをした。
考えても意味のないこと、仕方のないことだった。
「さて、仕事に取り掛かりますか」
とりあえず、グランドマスターへの報告と、部下たちへの指示を出さないといけないと、アールはその部屋を出た。
***
宿の部屋に帰ったアヅサは、フェイにさっきのはどういうことなのときかれ、小さく驚いたのちに、薄く笑った。
「さっきのって、新学期のことかしら」
「ううん、アールさん? と話していた内容について知りたい」
じっとアヅサを見つめてくるフェイの目。その紫紺の瞳を眇めたアヅサは座っていた椅子の上で組んだ脚を組み替えた。
「すべてはいえないけれど、ある程度なら話してもいいわよ」
「じゃあ……第七席ってどんな人? なんで僕に会わせたいの」
「それは、そうね。その前に、私が受けることになった依頼から説明した方がいいわね」
足元の背負い袋から、依頼のコピーを記録したボードを取り出す。
「私が受けた依頼は、あなたを保護すること。これはラウンドマスターという、地圏対応協会のトップの人たちからだされた依頼になるの。
第三席、が出したとされているけれど、ここまで個人を名指しした依頼を出すのは、第三席個人にはできるはずがないわ。だから、裏で指示した人間がいるだろう、と思ったのよ。
そして、裏で指示したとすれば、第七席に他ならない。第七席は〈嘆きの巫女〉、いろんなことを知っていて、繋げる人。だからこそ、あなたを保護するような依頼を出した真意が知れれば、あなたにとって有益かなって思ったわけよ」
滔々と語るその目は真剣で、フェイは知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込んだ。
未だ、自身がこうして保護を受けて、身綺麗になっていることも、あの悪夢から抜け出したことも信じられないような心地で、ベッドの上で座っていた。
わからない。それが本音だった。
「なんで?」
「そうね……なんででしょうね」
薄く笑った顔を維持したまま、組んだ足の上で頬杖をついた。
アヅサにとっても、〈嘆きの巫女〉の真意は謎だらけであった。
「まぁ、でも彼女と話すことで悪いことはないわ」
じっと、アヅサを見つめる。
わからないことだらけだった。
助け出されてしまったことも、こうして、生きていることも、何をすればいいのかも。
「……うん」
「あとは、新学期についてかしら。ここ、〈誓約の街〉には学校があるの。この学校は、ラヒストリア家という、この大陸の歴史を探り求める一家が共同で研究しているのよ。多分、学期外だからフィールドワークでもしていたのでしょうね。そして、私はラヒストリア家の人間と会うのはちょっと遠慮したいワケがあってね」
苦笑しているアヅサの声をぼんやりと聞きながら、フェイはぼうと考えていた。
「この辺りかしら。他に何か聞きたいことはある?」
「次に行くのは……」
「〈鋼の丘〉よ。その向こうにある〈雷鳴の城〉に情報通がいて、そこでちょっと聞きたいことがあるわ」
そういったアヅサは依頼のコピーを記録したボードを袋にしまって、苦く笑った。
***
翌朝。
今日はどうしようかしらと食事をとりにフロントに降りたアヅサとフェイに従業員が声をかけた。
「お客様、レムという方から、半分出来上がったので店にくるようにと」
「わかったわ、連絡ありがとう」
目を擦るフェイの手を引いて、二人は宿の一階に併設されているレストランで朝食をとった。
部屋で支度をした後、レムの店へと行く。
前に来た時とは違って、既にクローズと札がかけられている。
ノッカーを打ち鳴らす。数秒ののちに、ガチャリと扉が開いて、レムが顔を見せた。
「アヅサさん! ほとんどできあがったので! 是非! 見てください!」
テンションが高い。まるで徹夜明けだ。
いや、実際徹夜明けなのだろう。
驚いたフェイが、アヅサの後ろに回り込む。
「はいはい、わかったわよ。ほら、いくわよフェイ」
フェイの背を押して、レムの店へと入った。
カウンターの上に布が何枚も広げられている。アヅサにとっては久々に見る修羅場明けだ。
フェイの背をレムがおして、奥の部屋に連れて行く。
「アヅサさんはそこで座って待ってて!」
ひょっこりと部屋から顔だけ出したレムがそう告げて、部屋の中に消えていった。
ソファに座って、まつ。
裏からはフェイの悲鳴が少し聞こえて、レムのテンションの高い声がそれをかき消した。
しばらくして、ガサゴソとしていた音が聞こえなくなって、袋を手に持たされた、装いの変わったフェイが姿を現した。
「アヅサさーん、元来ていた服はどうしますかー?」
「そうね、受け取っとくわ」
「わかりました! じゃあ、後半分は数日で仕上げるので、また来てください!」
これまたさっさと追い出されて、フェイと二人で目を見合わせる。
またしても追い出されてしまった。
扉の外で、アヅサはフェイをじっと見つめた。
「似合ってるじゃない。あとは、もう少し肉をつけたら良いわね」
笑って言ったアヅサに、フェイはただ目を瞬かせた。
そしてアヅサは、フェイの手からさらっと袋を取り、背負い袋にいれる。
「さて、火急の用は済ませたことだし、昨日買った品々を受け取りに行きましょうか」
***
昨日は通っていない道を通って、〈誓約の街〉の南東地区に向かう。
エントランスでアヅサが取り出したのは、金のプレートであった。〈地圏対応協会〉のものだ。
それを確認し、何やら手元のボードに書きつけた受付嬢。
「あ、いつものように受け取りだけで良いわ」
アヅサの言葉に畏まりましたと告げ、もう一度手元のボードに何かを書きつけた。その後受付嬢はカウンターからでてきて、昨日入った扉の右手側にある扉にアヅサとフェイを案内した。
さして長くはない廊下にいくつかの扉が見えて、一番手前の扉に通される。
応接室に、昨日頼んだ荷物が梱包されて置かれていた。アヅサは数と種類を確認した後、背負い袋を取り出し、荷物を入れていった。
背負い袋の口のところで急に小さくなる荷物に受付嬢は驚くことなく佇んでいる。
全部しまったアヅサはその背負い袋を、ひょいとかついだ。
「本当はフェイに持ってもらう荷物だけど、もう少し体力ついてからね」
こくりと頷いたフェイの頭を優しく撫で、アヅサは受付嬢に合図する。
サッと扉を開けた受付嬢に先導されてエントランスに戻り、店を後にした。
食事を済ませたりして、宿屋に戻る。既に空は赤く染まり、夕暮れを演出していた。
フェイは自身の持つべき荷物をアヅサから説明を受けながら、背負い袋にしまっていた。
「とりあえずはこんなものね、もし聞きたいことがあればいつでも聞いていいわ。あとはおいおいってところかしら」
「うん」
ベッドの脇に置いた、背負い袋が久々の自身の持ち物となることにほんの少し違和感と、それ以上の感慨深さを感じながらフェイはベッドに下ろしていた腰を上げる。
ちょいちょいと、テーブルの上に紙を広げたアヅサが手招きをしていた。
「明日からの予定を話しておくわ。フェイの服が完成次第、私たちはこの街を出て、〈鋼の丘〉にむかうわ。その時通るのがこの街道よ」
テーブルの隣の椅子にフェイが乗ったのを確認したアヅサ。
紙の上の細い2本の線にアヅサは指を滑らせた。
その2本の線が繋がる黒い丸の片方・東側には〈誓約の街〉、もう片方・西側には〈花鋼の街〉と飾り文字で示されている。そして、〈花鋼の街〉を含む黒い丸をいくつか囲む点線の内側に〈鋼の丘〉と示されていた。
東西に伸びる2本の線の北側を〈点滅の森〉、南側を〈不忘の草原〉が広がっている。
「この街道を使った時、歩きなら必要時間は五日ほど。けれど今回は依頼を受ける予定よ。その依頼にもよるけれど、〈不忘の草原〉のほうによるだろうから、もう少し時間はかかると見ているわ。だから十日ぐらいかしら。何か疑問点はある?」
「夜はどうするの」
「場所によるけれど、道の途中に、小屋がいくつかあるの。その小屋があれば、そこに泊まることになるわ。なければテントをはって、夜営ね」
フェイはこくりと頷く。小屋がどういうものかはわからなかったし、野営は初めてだったけれど、これまでの経験よりひどいことはないだろう、そう思えたからだった。
アヅサは小さく笑って、紙をしまい、2人は寝支度を始めるのであった。
翌朝、結局妄想が爆発したのか1日で仕上げたレムから連絡を受け、服を受け取り、アヅサとフェイは〈地圏対応協会〉に向かっていた。
2人は今日、〈誓約の街〉を出ようとしていた。
〈地圏対応協会〉の〈誓約の街〉支部に入り、前と同じように左端の受付へと足をすすめ、奥から出てきた協会の職員にアヅサは金のカードを見せた。
小さく頷いた職員は一度奥に戻り、手にボードを持って姿を現した。
「ピックアップした依頼ははこちらになります」
ボードを受け取ったアヅサは、文書を読むように目を下に滑らせ、ボードを職員に見せ、指で指し示した。
「これを受けるわ」
「では、依頼用ボードをお渡しください」
背負い袋から依頼をコピーしたボード、依頼用ボードを取り出し、職員に渡す。
依頼用ボードを受け取り、職員はカウンター奥の手元で何やら操作をした。
「では、こちら7993ー不忘の草原ー採集E、を受領を確認しました」
「えぇ、ありがとう」
依頼用ボードを見て、内容と名前を確認したあと、アヅサは背負い袋にしまい直した。
出てゆくアヅサとフェイを職員は小さく頭を下げて見送る。
***(7993年)
門の前、門を抜けるための方に並ぶ人は、時間帯のためかそう多くはない。
けれど、別の街に行こうとする人の多くは馬車や荷車を持っていることもあって、かなりの場所を取り、列は長くなっていた。
あまり進みの早くない、けれど進む時は一気に進むその列に並んで1時間ほど。
アヅサは昨日も出していた地図を手に、フェイに依頼用ボードを渡していた。
「受けた採取依頼のものが取れる場所はこのあたりとここね」
「取れる場所が決まっているの?」
「えぇ。〈不忘の草原〉は採取するならとてもやりやすい場所よ。決まったものが決まった場所に生えてくるから。けれど、逆に狩猟はとてもやりにくい場所でもある。同じ動物相手に、1度失敗した手段は2度と通じない場所なんだもの」
依頼用ボードと地図を交互に見ながら、フェイはふーんとアヅサからの情報を咀嚼した。
決まったものが決まった場所に生えてくる、同じ動物相手に1度失敗した手段は2度と通じない。それがきっと、〈不忘の草原〉の特徴なのだろうと考えながら。けれど、どういうことだろうとも考える。一貫した特徴がわからなかった。
〈誓約の街〉は、「誓約を交わせば、その誓約は必ず守られる」という特徴があることをフェイは知っている。そして、「誓約を守らなければ、罰がある」ということを知っている。
内心の疑問に小さく首を傾げたフェイ。けれど、それを言葉に出すことはなかった。
アヅサはフェイのその様子に気付きながらも、表には気付いたことを出さなかった。
「採集できる場所は2箇所?」
「えぇ、けれど依頼のためのものは〈鋼の丘〉に近い方で採集するわ」
アヅサの言い方に含みを感じて、フェイはまたも首を傾げる。
「2箇所ともで採集するの?」
「今回は練習も兼ねるから、両方行って両方で採取するわ。依頼用のものを〈鋼の丘〉で採集する理由はわかるかしら」
「新鮮なものの方がいいから?」
「えぇ、その通りよ」
前に並んでいた人が動いて、大きく開いたその場所を詰める。
彼らが門に着くのはすぐであった。
鎧を身に付け、武器を履いた門番に相当するであろう人が、動き回っている。
そのうちの1人がアヅサに声をかけた
「身分証明書の提示を」
「えぇ」
いつもの〈地圏対応協会〉の金のカードを差し出したアヅサ。
金のカードを少し驚きながらも受け取った門番は少々お待ちくださいと言い、門のそばにある家屋に消えていった。
しばらくして、書類を持って現れた門番は金のカードを返して、アヅサに問いかける。
「そちらの少年は」
「保護の依頼を受けたわ」
「身分証明書は」
「ないわね」
門番は眉を顰めた。面倒なことになったとでもいうような顔だ。
アヅサは鋭く光らせた眼のまま、何か問題でもというように態度を崩さない。
「こちらにおいでください」
小さく息を吐いた門番は、アヅサとフェイに家屋の方を示して言った。
家屋を入ってすぐ、もののない応接室、むしろ尋問部屋のようにも見えるそこに2人は案内されて、座る。
数枚の書類を持ってきた門番はアヅサにそれを埋めるように指示した。
アヅサは文句もなくその書類を埋めていく。時折フェイに質問をして、その内容を書類に記していった。
埋め終わった書類を見て、門番は大きくため息をついた。
「なんで〈地圏対応協会〉で登録しなかったんです? 一番楽でしょうに」
「彼の意思がちゃんと定まってからの方がいいと思ってね」
「……さすが金ランクですね」
「そうかしら」
笑ったアヅサに、門番はもう一度大きくため息をつく。やめてくれと大きくその顔に書いてあった。
「しばらくお待ちいただきますが、よろしいですね」
「えぇ、待ってるわ」
書類を持って門番は部屋を出た。
沈黙。手持ち無沙汰にペンを弄ぶアヅサ。
「……身分証明書って何?」
沈黙を割くように声に出したフェイをアヅサの布の間から覗く一対の翡翠が貫いた。
「ある人がどんな人であるかということを証明するためのもの、かしら」
「僕のは作ってないの?」
「そうね、もしかしたら昔作っていたかもしれないし」
「さっき一番楽に地圏対応協会で作れるってあの人言ってたよね」
フェイの言葉に、アヅサは多分笑った。
「そうね、一番楽に作れるのは確かね。でも、貴方、〈地圏対応協会〉で登録したいの?」
「……楽になるでしょ?」
「えぇ、でも、縛られるのは確かね」
「縛られる?」
例えば、とアヅサは言う。
どこかに所属すると言うことは、そこに所属したものとしてラベリングされたのと同じ状態になるのだと。
つまり、「そこに所属している」ということがその人を形容する言葉になるのだと。
フェイはアヅサの説明に腑に落ちていない様子を隠さずに聞いている。
「それは、悪いこと?」
「一概に悪いとは言えないわ。けれど、選択肢を狭めるものではある。だからきくわ。貴方はどうしたい、フェイ」
「……」
黙ったフェイに、アヅサは目を細めた。
「ゆっくり考えなさい。自分の目で世界を見なさい。こんなふうに世界を見れるモラトリアムが与えられることはほぼないに等しい。貴方は確かに、幸運なのだから」
そういった直後、扉が開かれて門番が入ってきた。




