放課後アオハル
「加藤ってさぁ、山口君の好きな女の子のタイプ知ってる?」
昼休み、弁当を食べ終わって、部活の用事があるという友人たちが教室を出て行き、一人残った拓真が音楽でも聞くかと思っていた時だった。クラスメイトの仁科遥希が前の席に勝手に座り、そう聞いてきたのだ。
「はぁ? 何、いきなり」
「ほら、男同士で好みのタイプの話くらいするでしょ? 加藤って山口君と仲良いじゃん。だから好きな女の子のタイプくらい聞いたことあるでしょ。ちょっと思い出してみてよ。あっ、言っとくけどわたしが知りたいわけじゃないからね。友達が知りたがっていたから、加藤なら知ってるかなって思って聞いてみただけだからね」
拓真は妙に言い訳くさいなと思いながら、遥希を胡乱な目で見た。
彼女はどちらかというとはっきりと可愛い部類に入るが、クラスの目立つグループに属しているわけではない。だがギャルのような女子とでも、モサい男子とでも誰とでも自然に会話ができる性格で、拓真とはお互い林間学校の班長をさせられてから、それなりに話す仲だ。
「おい、連の好みのタイプなんて、どれだけの女子が知りたがっていると思ってんだ。そんな簡単に教えられるわけないだろ」
「いや、別に好きな子を教えてって言ってるわけじゃないし、好きなタイプってだけだし、いいじゃんそれくらい」
拓真はため息を吐いた。
「お前はわかっていないな、モテ男の苦労を」
「いや、自分がモテ男みたいな言い方すんなし」
「普通の男なら好みのタイプを女子に知られたくらいどうってことはない。しかし、他校にもファンがいるようなモテ男は女子に知られたが最後、女子ネットワークで瞬く間に拡散され、この地域の同年代ほぼ全員に周知され、好みのタイプに近づこうとする女子が急増するんだぞ。これは最早ホラーだ」
「あ、うん、確かに……そこまで知られるのは怖いかも」
想像したのか遥希は眉尻を下げて頷いた。しかしすぐにハッとする。
「いや、待って。わたしは言いふらすつもりはないから。その知りたがっている友だち一人だけにしか教えないから。その子も絶対に言いふらしたりしないし。約束させるし、約束破るような子じゃないからさ」
「女の絶対言わないは信用できねぇな」
拓真はわざとらしくそっぽを向いて足を組んだ。抗議のためか遥希が机を叩くまねをする。まねなのは注目されて会話を聞かれたくないからだろう。
「偏見だ! わたしは口の堅さには定評のある女だよ! さっき弁当の中身つまみ食いして黙ってた友だちをあっさり売ったあんたよりも堅いよ!」
「それは売ったって言わねぇ!」
なんでそんなしょうもないやり取りを見てるんだよと拓真は思ったが、考えるまでもなくその中にモテ男の連がいたからだろう。
遥希はへらっと笑いながら手を合わせて下手に出た。
「お願いだよ。ちょっとしたことでいいからさ。山口君のプライバシーが拡散されることは絶対にないから」
合わせた両手が額の前にあるので、いわゆるあざと可愛いおねだりをされたわけではない。しかし拓真はちょっとほだされた。遥希は約束を破る人間ではないと知っているし、さっきの女子ネットワークで拡散うんぬんはとっさに出てきた言い訳に近いからだ。
拓真はそれなりに友だち思いであると自認しているが、か弱い少女のように友人を守ってやる気はないので、これくらいならまあいいかと思った。
「仕方ねぇなぁ」
「えっ、いいの!?」
遥希がパッと顔を輝かせた。
ちょっとイラッとした。
「……おしとやかでちょっと人見知りするような子だ」
機嫌の悪さを滲み出しながら、拓真は本当のことを言った。一度面白がって根掘り葉掘り聞いたことがあるので知っている。その中でも、どう考えても遥希が該当しそうにない部分を敢えて教えてやった。
「ありがとう、恩に着るよ!」
しかし、遥希は更に顔を輝かせる。
「別に」
ムカつくなぁ、こいつと思いながら、拓真は教えたことを後悔した。
「えーと、じゃあさ、あの、その……か」
「お前が好きなんじゃねぇの?」
「え?」
唐突に核心を突くようなことを言った拓真に、遥希は目を瞬かせた。
「だから、友だちが知りたがっていたとか、どうせ口実だろ?」
「……えっ? え?」
明らかに動揺した遥希が椅子ごと後ずさった。図星を突かれたとしか思えない反応だ。
じわじわと頬が赤らんで泣きそうにも見える遥希に、拓真は言葉を失った。お前、そんな顔できんのかよ。
「いや! いやいや何言ってんの! 早とちりすんな。そんなわけないし!」
遥希は急に立ち上がって顔を背けた。
「じゃ! 教えてくれてありがとう!」
さっと右手を上げて、足早に去って行く。そんな彼女の赤くなった耳を見ながら、拓真はすさまじく不機嫌な声で呟いた。
「何なんだ……」
翌日の放課後、拓真はずっしりと黒く重い空気を纏った友人に肩を叩かれた。
「拓真、お前の好きな女子のタイプは何だ?」
「……何なんだ」
帰ろうぜ、ではなく唐突なこの質問である。
顔は笑っているのに目が笑っていない友人に拓真は引いた。同性にさえ、さわやかイケメンと言われる少女漫画のヒーローのような友人の初めて見る表情と、質問の内容がかみ合わずちょっと混乱した。しかも似たようなことを昨日聞かれている。自分のではなく、目の前の友人のタイプだが。
「いいから教えろ。お前、俺には散々聞いたことがあるくせに、自分のことは話してなかっただろ」
「ちゃんと話しただろ」
「それはあれだろ、えーと、なんだったっけ。気の合う子?」
「しゃべってて楽しい子」
「それだよ! そんなの好みのタイプだなんで言わないだろ! ほとんどの人間が該当するだろうが。もっとちゃんと答えろ」
キレ気味に聞くようなことなのだろうか。拓真はまた女子に変な絡まれかたをされたんだろうなとちょっと同情した。
「男にそんなことペラペラしゃべっても楽しくないんだが」
「人に根掘り葉掘り聞いていたやつが言うことじゃないだろ!」
「いや、何でそんなこと聞きてぇの?」
当たり前のことを聞くと、連は言葉に詰まってじろりと拓真を恨みがましい目で見てきた。
「いや、何なの」
「人に聞かれたんだよ。お前の好きなタイプを」
「えっ誰に?」
「絶対に教えん!」
連は怒ったように断言した。
拓真としては、自分のことを人を介して聞かれたというから、反射的に誰だと聞いただけなのだが、ここにきて何かおかしいと思い始めた。
「というか、お前さっきから何を怒ってんの?」
すると、途端に連は風船がしぼむように怒りを消失させて項垂れた。
「……いや……悪かったな」
情緒不安定である。たまにちょっとウザいくらいにさわやかな連だが、ここまで感情の起伏が激しくなっている姿を拓真は初めて見た。もしかしてと思う。
「その俺のタイプを聞いてきたやつって……お前が好きなやつ?」
連は更に項垂れて沈痛な面持ちになる。
「……そうだよ」
「おぅ」
まさかの肯定。連に好きなやつがいることすら初めて知った拓真は、どうすればいいのかわからなくなった。
これって修羅場というやつなのか。三角関係なのか。と若干人事のように考えていた拓真は、すぐに、いやそりゃないだろうと自分で突っ込んだ。
伊達にモテ男の友人はやっていないのである。この高校に入ってから、話しかけられた女子の九割以上が連が目的だったのだ。ちょっと可愛い子に声を掛けられて、内心で少しテンションが上がってしまっても、すぐに自分のことは目に入っていないのだと思い知らされることを繰り返してきたのだ。耐性は充分すぎるほどに付いている。
「好みのタイプ聞いてきただけなんだろ。ただの話の流れってこともあるだろ」
「かなり直球で聞いてきたぞ」
「いやでも、友だちに頼まれただけかもだし」
「だったら普通そう言うだろ。そんなこと一言も言っていなかったぞ」
連はすでにお通夜状態だ。なぜか拓真の椅子に座って俯いた顔を覆っている。大抵のことはさわやかに笑って誤魔化している連のこんな様子はかなり珍しい。
「でもはっきり聞いたわけじゃないんだろ。お前、モテすぎるからって、フラれ耐性なさ過ぎだろ。それくらいで他のやつのこと好きなんだな、フラれたわって落ち込んでるんだったら、最初からお前のことを好きなやつを選んでおけって。たくさんいるだろ。うっとうしいぞ」
「……相変わらずキッツいな、お前は」
「失礼だな。優しさだぞ」
これは激励である。拓真は胸を張って言った。
「……んー……」
連は曖昧な返事をすると、項垂れたまましばらく黙った。少し可哀想になったので放っておいてやると、連はおもむろに立ち上がった。
「……帰るか」
「おー」
立ち直ったわけではないようだか、何やら納得したらしい。
それから拓真が鞄を持ち上げて帰り準備をしていると、声を掛けてくる人物がいた。
「加藤ー」
声だけでわかる。遥希だ。拓真は何気ない風を装って振り向いた。
遥希はよく一緒にいる黒髪ストレートの大人しそうな女友だちを引き連れていた。
「ねぇ、そっちも今日は部活休みでしょ? だったらさ、ボウリングでも行かない? 結構いいクーポン見つけたんだよ」
「ふーん、どれ?」
「ほら、これ」
遥希はスマホの画面を拓真の眼前に持ってくる。近くのアミューズメントビルの限定クーポンが表示されていた。なかなか割引率が高い。
ほとんど話したことがない女子が一緒にいるので、これでカラオケなどと言われていれば断っていたが、ボウリングならいいかと思った。別に用事もない。
「連、どうする?」
振り返って聞いてみると、連は固まったように遥希たちを見ていた。
「山口君、行こうよ。ボウリングなら四人くらいがちょうどいいしさ」
「あ、ああ、そうだな」
「やった! じゃあ、決まりだね」
無邪気に喜ぶ遥希と、話をちゃんと聞いていたのか怪しい連を交互に見て、拓真はまさかなと思う。
四人でアミューズメントビルへの道を歩きながら、拓真はなぜあっさり誘いに乗ってしまったのだろうと考えた。いつも通りにしようとして、そのことを意識しすぎていたのだろう。このメンバーは嫌な予感がしてくる。
ふと隣に気配を感じて、拓真は目を向けた。
かなり近くに遥希がいて、少し驚く。
「あのさ」
顔を前に向けたまま、気まずそうに遥希が口を開いた。
「何」
「昨日の、言い訳とかじゃなくて、本当のことだからね」
「……あー、ハイハイ」
やってられんと思ったことが声音に出てしまい、適当な返事をした拓真を、遥希が恨みがましい目で睨んでくる。全く怖くはないのだが、地味にダメージをくう。
「わかったって」
「それと、もし何か気づいたとしても、余計なこと言わないでよ」
どっちだよ。拓真は腹が立って文句を言おうとしたが、遥希の肩に力が入っていて、どことなく緊張していることがわかったので、思わず少し優しい声を出してしまう。
「わかった。言わねぇよ」
すると遥希は明らかにほっとした。
俺は何をやっているんだろうなと拓真は心の中で自問していまうが、これはもう仕方のないことだろう。
話は終わったと思っていたが、遥希は黙ったままずっと隣を歩いていた。拓真が後ろを振り返ってみると、遥希の友人が真っ赤になった顔を俯けながら歩いており、そんな彼女の様子をちらちらと覗いながら連が何やら話しかけている。
そして、そんな二人の様子を遥希が振り返って覗っていた。
気になるなら向こうに行きゃあいいだろうが。と言いたかったが、余計なことは言うなと言われたばかりの身なので口を噤んでおく。
拓真はため息を吐いた。ボウリング場に着くまでは二人の間に微妙な空気が流れていた。
とはいえ、所詮は高校生である。
実際に遊ぶ段階になれば、そんな空気は吹き飛んでいた。
「負けた奴がシェイク奢りな」
「えー、そんなの美羽が負けるのほぼ確じゃん。ほとんどやったことないんだからさ。あ、そうだ、チーム対抗戦にしようよ」
「いいね。誰と組む?」
「山口君、強いよね。山口君と美羽が組んだらちょうどいいんじゃない?」
「ちょっと、ハルちゃん!」
初めからそうすることを決めていたかのように即座に提案した遥希は、赤くなった友人に抗議の声を上げられていたが知らんぷりだ。
「山口君、美羽に教えてあげてよ。この子、小学生の時に初めてやってガーター出しまくって以来やってないんだって」
「ハルちゃん、言わないで……」
「ごめん、ごめん」
恥ずかしそうに俯く友人に、遥希は妹を見るような目を向けて笑っている。
「いいよ。村木さん、教えてあげるから一緒にやろう」
無駄にさわやかな笑顔で連が請け負った。
拓真としてはそんなもの面倒くさくないのだろうかと聞きたくなる。少しも嫌がらない連のこういう所は真似する気は毛頭ないが、素直にすごい奴だとは思う。
「手加減はしないからね。美羽がんばってよ!」
「え……う、うん、かんばる」
真剣な顔で美羽が頷く。奢るのはたかがシェイクなのだが、大真面目に負けて迷惑をかけてはいけないと思っているようだ。
なぜか上機嫌でボールを選んでいる遥希に近づいて、拓真は小声で聞いた。
「というか、仁科は何で連のほうが上手いと思っているんだよ?」
実際問題、拓真と連では日によって勝敗が変わるのだ。それにボウリングは二人とも何度もやったことがあるわけでもないから、遥希があんなことを言うのはおかしい。
「えー、てっきりそうなんだと思って」
遥希は思いっきり顔を逸らしながら言った。
思い込みかよとささくれた気持ちになる。
「お前、ガーター三回出したらポテト奢りな」
「ちょっ、そんなに下手じゃないから、失礼な!」
失礼なのはどっちだと言いたくなったが、意外にも遥希が楽しそうに笑っていて、拓真は何も言えなくなった。まあ、こんな時に機嫌が悪くなるほどガキではないし。
気を取り直してゲームを始めると、初めてのメンバーにも関わらずそれなりに盛り上がった。
遥希はそこそこ上手く、連は絶好調だった。こいつはいつも以上に格好つけているんじゃないだろうか。教えるのもやたら丁寧だし。
しかしやはり小学生の頃にガーターを出しまくって以来やっていない人間が、丁寧に教えてもらったからといって急にハイスコアを出せるわけもなく、勝負は拓真と遥希の勝ちとなった。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうに恥じ入る友人の肩を遥希がポンポンと叩く。
「いやいや、すごいよ美羽。かなり上手くなったじゃん。まさかストライクを出せるようになるとは思わなかったよ」
嫌味ではなく純粋に感動しているらしい。確かに彼女がストライクを出した時はおおいに盛り上がった。最初に二回連続でガーターを出した時はどうするんだこれと思ったが。
「そうそう、それに楽しかったからいいんだよ。またやろうよ」
「山口君……。ありがとう」
顔を赤らめた美羽が俯く。
あれこれ、何かいい雰囲気になっていないか。
「加藤、ガーター一回しか出してないからポテト奢ってよ!」
そんな二人に気づいていないのか、遥希はにこにこと笑いながらそんなことを要求してきた。
「何でそうなる」
「はは、冗談だって。でも加藤たちほどじゃないけど、わたしも結構上手いでしょ?」
「そうだな」
「球技は得意だからね!」
「これは球技なのか?」
「球技でしょ。玉転がしだし」
「変な言い方すんな」
「え? 変?」
遥希は首を傾げた。それを見て拓真は笑いが漏れる。
「仕方ない。後でポテト一本やろう」
「一本かよ!」
文句を言いつつも遥希は嬉しそうだ。
「じゃあ、行くかー」
拓真は連たちがいるほうを振り返る。するととても複雑そうにこちらを見ていた連と目が合った。何だ、こいつ。
それからは遥希との距離感が明らかに近くなった。
今まではそれなりに話すクラスメイトという程度だったが、今でははっきりと友だちと言えるくらいだ。そしてちゃっかりと遥希は連とも仲がよくなっていた。
ただ二人だけで話していることはほとんどなく、大抵は美羽が一緒にいる。むしろ遥希は彼らを残してどこかに行ってしまうことが多かった。さすがにあれだけ何度もしていれば意図は明白だ。
何だかなと拓真はなげやりにシャーペンを転がした。
「あ、終わった?」
前の席に横向きで座っていた遥希が拓真のノートを覗き込みながら聞いてくる。
「終わったよ」
「よし、じゃあ、チェックしてあげよう」
得意げに言った遥希が拓真のノートを覗いてくる。
苦手な英語の課題を忘れていて居残りをさせられていた拓真に、週に三日しか部活がない遥希が暇だからと付き合ってくれているのだが、やってくれるのはほぼ添削だけなのでなかなか終わらない。まあ、助かってはいるが。
「加藤、ここ間違ってるよー」
「どれ」
熱心に遥希は拓真のノートを見ていた。多分、男友だちに対するには優しすぎるのではないかと思う。こんな態度を取られると普通なら自分に気があるかもしれないと疑うものだが、モテすぎる友人がいる拓真はもうよっぽどのことがない限り、そんな疑いは持たないようになっていた。
それに拓真は遥希が元々優しすぎる性格であることを知っている。
以前、林間学校の時にそれが原因で呆れてしまったことがあったのだ。
遥希は昼食作りが上手くいかなかった班にねだられて自分の分を減らしてまで分けてやっていたし、明らかに適任ではないのに班長を押しつけられていた人間のフォローをずっとしていた。彼女はほぼ二つの班の面倒を見ていたようなものだったのだ。
拓真はそこまでしてやる必要はないだろうと思っていた。
だいたい自分たちがやりたくないからって、気が弱くて少し鈍臭い人間に無理やり班長を押しつけたのはその班の奴らだ。そいつらが困ったことになったところで自業自得だろう。
それを遥希に言ったところ、彼女は朗らかに笑った。
「でも実際に一番に困るのは班長のあの子だからさ」
断り切れなかったそいつのせいでもあるだろ。口には出さなかったがそう思ったのが顔に出ていたのだろう。遥希はまた笑った。
「いいんだよ。わたし、優しくされるの好きだからさ」
「は? 仁科が優しくされているんじゃなくて、しているんだろ」
「だって言うじゃん。優しくされたかったら、優しくするんだよって」
拓真は少し驚いて遥希を見た。放っておくことに罪悪感を持ってしまうタイプなんだろうと思っていた。
でも遥希は引きずられやすいわけでもなく、人の顔色伺いすぎるわけでもない、ちゃんと自分の意思でそうするんだと決めているのがわかるような表情をしていた。だからなのか、彼女はこんな性格でも、面倒事を押しつけられやすい人間ではなかった。
「ふーん」
ちょっとすごいなと思った。
冗談半分に他人に興味がない奴だとよく言われている拓真には、同意はできないが理解はできた。
だからこの時は拓真もちょっとだけ遥希に手を貸してやっていた。
――しかし、最近はもう理解もできなくなってきているかもしれない。
そこまで優しくしてどうするんだ。馬鹿じゃないのかと思うことすらある。
村木美羽は明らかに連のことが好きだ。
そして彼女は狙ったかのように連の好みドンピシャなのだ。
連の好みのことを知らない連中にとっては、連のことを好きな奴なんてたくさんいるので彼女は特に目立ってはいないし、拓真も最近、距離が近くなったから気づけたことだ。
遥希の言っていた、連のことを好きな友だちは本当にいて、本当に遥希は友だちのためにそれを拓真に聞きに来ていたのだろう。それなら別に遥希に好きな奴なんていないのではないかとも思えるが、拓真の頭にはあの時、口実だろうと言った後の遥希のあの表情がこびりついて離れていかない。そのせいで机に思い切り額をぶつけたくなる。
あーもー、やってらんねぇ。さっさとフラれりゃいいのに。
やさぐれた気持ちで拓真はまあまあ最低なことを思った。
だいたい好きな奴まで友だちに譲るってなんだそりゃ。それって優しいって問題なのかよ。そんな馬鹿なことしてないで、今すぐにでも告白すりゃいいんだ。
そしてフラれてしまえばいいんだ。
そしたら――。
「加藤?」
遥希が不思議そうに拓真を覗き込んでいた。
「どうしたの?」
脳天気にこんなところで拓真の課題の手伝いなんかをしていることも腹が立ってきた。
「仁科はさぁ、何でこんなことしてるわけ?」
「え? ええ……何でと言われても、別に」
「余計なことばっかしてないで、はっきり言えばいいだろ」
「え?」
「口実なんだろ。何で誤魔化してんの? 自分の気持ちくらいはっきり言ったらいいだろ。それともフラれるってわかってるから言わねぇの? でもそれで友だちのことは焚きつけてるって何かおかしくねぇ?」
遥希は驚いて何も言い返してこなかった。
だが腹が立っていた拓真の口は止まらない。
優しいからって自分も好きなことは隠して、友だちの恋を応援するってそんなん逃げてるだけだろ。
いつもの拓真なら本人の勝手だと言って気にしないようなことだ。しかし、このことに関してはそんな気持ちにはなれなかった。
「はっきり言えばいいだろ。結果がどうあれ」
少なくとも友だちには。そう言おうとしたが、黙ったままの遥希が俯いて顔が一切見えなくなり拓真は少し焦った。言い過ぎたかもしれない。
「そうかもしれないけどさ……」
泣きそうな小さな声が聞こえてきて拓真は固まった。やってしまった。
友人としての助言っぽく言ったつもりだが、拓真は言い方がキツい。連などは慣れているし普段ちやほやされている分、むしろキツく言ってくれと頼まれることもあるが、遥希はそうではない。これは言い過ぎだ。
遥希がパッと顔を上げた。目に涙を溜めて拓真を睨んでくる。
「でも加藤だって、そんな回りくどい言い方しないで、はっきり言えばいいじゃん!」
「え……」
頭の働きが鈍った拓真はぽつりと一言声を漏らすことしかできない。
「そんな遠回しに言わなくったって、フるのならはっきりフッたらいいでしょ!」
ガタンと音を立てて遥希は立ち上がった。
「余計なことばっかして、悪かったわね!」
そう言うと遥希は走って教室から出て行った。
ポツンと残った拓真は頭が真っ白だった。
「え……」
状況が理解できない。
はっきりフッたらいいってどういう意味だ。
何かおかしい。ぼうっとしている場合ではないので、必死に脳みそを動かそうとした。
あの言い方。もしかして遥希は拓真にフラれたと思っているのだろうか。
どう考えても、そうでなければあんな言い方を拓真に向かってするわけがなかった。
ということは。
拓真の認識が根本から違っていたということになる。
それはつまり、遥希が好きなのは連ではなく、拓真だということだ。遥希は拓真と話す口実がほしくて、連のことを聞きに来ていたということだ。
思わず口を手で覆う。
「嘘だろ……」
自分が最悪なことをしたということをようやく理解した。
日が短くなっているせいで、もう外は夕暮れから夜と呼べそうな空模様に変わりつつある。
拓真は額に流れる汗を拭った。
段々と焦りが強くなっていくが、何度も見た教室をもう一度訪れて、遥希の鞄がまだあることを確認してほっとする。もう一時間以上探しているが遥希は見つからなかった。
少し迷ってからここで待つのではなく、また校内を駆け回ることにした。すれ違いにならないことを祈りながら。
課題のことがちらりと頭を過ったが、もうこの際それはどうでもいい。後で怒られればいいだけだと諦めた。
拓真は屋上に続く階段を上がった。屋上への扉は閉鎖されているが、その前にある空間は隠れるにはちょうどいい場所だ。最初のほうに探していたが、もう一度見てみたほうがいいだろう。
果たして遥希はそこにいた。
足音で誰かが上がって来ていることは気づいていたのだろう。体育座りの体勢で、少し赤くなった目を丸くして拓真を見ていた。
「なんで……」
「いたぁ」
拓真は安堵で座り込んだ。このまま見つからなければ、取り返しがつかないのでは思っていたのだ。現時点でそもそも取り返しがつくことなのかどうかはまだ不明だが。
「何してんの……」
「ごめん!」
何はともあれ拓真は潔く謝った。
「ごめん。違うんだ。仁科をフるつもりなんてなかった。勘違いしてたんだよ。仁科は連が好きなんだって思ってたんだ」
「え……」
遥希はぽかんと口を開けた。
「え……何で……友だちがっていう話してたよね」
「よくある、友だちっていうことにした自分の話だと思ったんだよ」
「それも違うって言ったけど」
「慌ててたから否定してるけど図星なんだと思ってたんだ、すまん……。あと、俺に連の話ふってくる女子はほぼ連に近づきたいがためだったし」
「ああ……」
納得したような声を出した遥希は、当然だがそれだけでは許してくれない。ふいと顔を逸らす。
「だからってあんな言い方することないじゃん」
早口で言うのは怒っているというよりも気まずいからだろう。自分から拓真のことが好きなのだとバラしたようなものだから。
「それもごめん。その……苛立ってたんだ。すごく気になっていた奴が、友だちのために自分の好きな相手を諦めようとしているんだって思っていたからさ」
「え……」
遥希が拓真の顔を見た。しかしすぐに逸らしてしまう。
「……どういう意味?」
拓真は心の中で気合いを入れた。
うん、そうだな。こういうことははっきり言わないといけない。拓真だってさっきはっきり自覚した。遥希がものすごく気になる奴どころではないことを。
「仁科のことが好きだからイライラしていたんだよ、ごめん」
後頭部に向かって言う。すると恐る恐るというように遥希が振り返った。信じられないという顔をしている。
「だからってあの言い方はないと思っている。反省している。だから……頼む。見限らないでほしいんだが」
最後のほうはちょっと情けない声が出た。
拓真は審判を待つつもりで遥希をじっと見つめる。
呆然としていた遥希だが、拓真の視線に気づくと一気に顔が赤くなって動揺しだした。目線がうろうろとさまよっている。
「……何か言ってほしいんだが」
「えっ! うえっ?!」
遥希はびくりと肩を揺らすと、なぜか腕で口元を隠した。まだ動揺しているらしい。拓真はたたみ込むことにした。
「頼む。ちゃんと大事にするからさ」
遥希の顔がボッと音が出そうなくらい更に赤くなった。
そこまでのことを言ったつもりはない拓真は、こんなに赤くなるものなのかと思ってしまう。そしてふと気がついた。遥希にこんな顔をさせているのは自分なのだ。今だけではなく、あの時も。
何だそれ、可愛いな。
口元がにやけそうになるのを必死で抑える。
油断するのはまだ早い。返事はまだ聞いていないのだ。
じっと見つめている拓真に、遥希も何を要求されているのかようやく気がついたらしい。伏し目がちにぼそぼそと口を開いた。
「う、うん。そう、じゃあ……仕方ない、かな」
その仕方ないがどれにかかっているのか、いまいちわかりにくい。大事にするのなら仕方ないで許してくれるのか、誤解していたことが仕方ないのか。
どういう意味だと聞こうとしたら、遥希は足を抱えて膝に顔をうずめた。
「その、わたしも……大事にします」
くぐもっていながらも拓真の耳にはっきりと届いたのは予想外の言葉だった。
そうくるのか。
拓真は小さく吹き出してしまった。
「何で笑うの!」
赤い顔を上げた遥希が怒る。
「いや、可愛いなと思ったんだよ」
ぴたりと動きを止めた遥希は、嬉しそうな拓真を見て今度はふるふると震え出した。
「何か……加藤、キャラ違うくない? そんなこと言う奴じゃなかったじゃん」
「どういう奴だと思ってたんだよ。本当にそう思ってる時くらい言うぞ」
「っう……」
なぜダメージを受けたような声を出すのか。
面白いし可愛い。
もっと話していたかったが、もうそろそろ見回りの教師が来そうな時間だった。何をしていたのか聞かれてこの雰囲気を台無しにしたくはない。
「とりあえずもう暗いし帰るぞ。家まで送ってくし」
「……遠回りじゃん」
「それ、関係あるか?」
「…………ありがとう」
遥希は立ち上がった。俯いているのはまだ顔が赤いからだろう。拓真も立って階段を降りる。
廊下で改めて窓の外を見てみると、すでに空は紺よりも黒に近い色へと移り変わっていた。
急いで帰らなくてはいけない。部活がある日よりも遅くなっている。
でももったいない気もした。何せ今から彼氏彼女の仲だ。もっと話していたいし、実感が湧くようなこともしたい。ちょっとしたことでいい。手を繋ぐとか、そういうことで。
拓真はなぜか斜め後ろにいる遥希をそっと振り返って覗った。
彼女は何かをじっと見ていた。視線の先にあるのは拓真の右手だ。
「ん」
拓真は遥希の目の前で右手のひらを開いて促した。遥希の視線が拓真の顔に移る。
これはカッコつけて失敗したかもしれない。そんなつもりじゃなかったと思われていたらどうしようかと拓真は内心焦った。
杞憂だということはすぐにわかった。
遥希がとても嬉しそうに笑ったからだ。
拓真の手を取って真横に並んだ遥希は、拓真と目を合わせると、もう一度はにかむように笑った。
―――クッソ可愛い。
口元を手で覆った拓真は赤くなった顔を逸らした。