十二月十七日
今日はとある芸術祭に参加した際のメンバーで打ち上げ会をした。
それは遡ること文化祭のシーズン、私が夏の大阪文フリの文芸誌の表紙となったコラージュ作品を展示したときの集まりだった。
もうその集まりから一か月半分ほど経っていた。
人とのかかわりが薄くなっていく冬の季節にどんな薄い縁だろうとも誘いがあるならば行くことにしていた。酒さえ飲んでしまえばどれほど薄くとも楽しく過ごせるという絶対の確信があった。そして、それはその通りだった。
集まったメンバーは七名となった。
みなこの芸術祭のために集まったために誘い合った個個同士の繋がりはあっても、全体として知り合っているわけではない。けれども、お互いに創作を趣味にしている者同士だから必然的に趣味性も似てくるところがある。加えて女性が多かったのも一因かもしれない。これが男性創作家ばかりだときっと初速は盛り上がりに欠けただろうが、今回の打ち上げは一定のペースで皆無理なく話し続けることができた。
他のメンバーは大学四年生が多く、卒業旅行の話題なんかもでていた。一人はインド、一人は四国など私が行ったことのない地方へ行って来るらしい。インドにはタージマハルがあるという。名前だけ聞いたことがあるが、寺院なのか墳墓なのかもよく分かっていない。四国はきっとカツオが美味いことだろう。
私にはその辺の文化的素地がないから、卒業旅行を決める前に興味を持ち、下調べをしなくてはならないなとシャルドネを飲みながら思った。
昨日もまた深夜にコラージュを作ったクリスマスをモチーフにリースをイメージして作り始めたが、そのうちにリースではなくなっていった。最初はバイト先で発生した捨てちゃう使用済みのスタンプ台紙をコラージュしてモノを作るつもりだったが、そのうちに色合いや構成がまったく私好みじゃなくなって別の色々なものを足していった結果廃材として集めたものの方が邪魔になってしまった。
いつか廃材アートをしたいと思う。それは廃材と呼ばれるような消えてもいいような素材を己のイマジネーションだけでまとめ上げ、素敵な作品に統合するという才能が欲しいという意味でもある。
分散したパーツを統合する。このイメージは自分の精神にも当てはめることができるだろう。
これまでのディスオーダーを整えればたちどころにしてそこには希代の天才芸術が出現する。
人生もまたコラージュや廃材アートのように、一発逆転の奇跡を持ち合わせているはずだ。




