十二月十六日
もうすぐ一年が過ぎ去る。
この頃は精神が落ち着いている。或いは老いたともいえるのかもしれない。
自分の中で外に向かう渦のようで、無数の針のように棘ついていた精神のエネルギーがもう今はすっかり出払ってしまったような気がする。
自分のことを憎むような、心配するような気持ちもあまり強くわかない。湧いたとしてもそれが私の胸の中で痛みを生み出すことは無くなった。そして同時に産み出すものからも毒気が抜けた。
毒。私の中に渦巻いていたエネルギーは毒であり劇薬、つまりは薬でもあった。新しいものを私色に染めたまま創出する力だった。自分らしさ、という小さすぎる足場を唯一のよりどころにしていたせいで、自信の特別性を信じ、プライドに意固地にしがみついていた。どれだけ周囲が恐ろしくても、その力のおかげで生きていけたのだ。性欲も随分なくなった。死にたいこともなくなった。殺したいこともなくなった。
世界はこうであると決めることもなくなった。
私の精神は創作も破壊もしなくなった。まさに毒にも薬にもならない。
そのことを一つの悩みだと思っているが、スランプのような一時的なものではないと思う。今の私の能力は成長し、新しいステージに入ったともいえるし、老いて衰えたともいえる。
この悩みは昔のように命にかかわるような精神崩壊しそうなほど悩む原動力にはならない。もはやすべての事柄に私は死も殺意も感じない。今私の中にある週末のシナリオは老いだ。血の出ない死なのだ。そして、それは死だけではなく、生でもある。老いることは生きることである。老いることは死ぬことである。ゆえにどちらでもなく、中間的で奇抜ではない。私らしくはないのかもしれない。しかし、私は私らしくなさと和解してもいいと思っている。
こうして穏やかな老いを受け入れてなお、何も思いつかないのに何かを作りたいという残留し年だけが残り続けている。
はた迷惑とはまだ言えない。もうすこし縋りつきたくなる若さ。
 




