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大学生日記  作者: 江戸銀(エディ)
退寮後編
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八月二十六日 励まし


 何から書けばいいのか。

 私は今ぼんやりとした柔らかく、それでいて霧散しないゼリーのような不思議な色の霧の中に包まれている気分だった。穏やかだが、恐ろしい波の中でゆっくりと自分というものが削り取られていくような気分だった。川の中の岩が年月とともに丸くなるような。私は自分の間隔という者や自分というものがどんどんと削り取れて、何もなくなってしまうのではないかという小さな不安がここ数か月あった。それは長すぎる休みの中を感情の起伏を激しくせずに過ごしてきたからだろう。

 この夏は充実したものだった。ずいぶん昔の頃の知り合いと久々に会って展覧会を見たりした。ロンドンとパリに父とともに行った。昔なじみのネット友達と伊勢・志摩旅行をした、私は殆ど苦労をしなかったのが後ろめたい。大学の友人に誘われ同人小説雑誌を作り、その表紙を担当した。そして、明日には高校の頃の馴染たちと栃木に一泊二日する。それが終わり次第大学の友人と観劇に行く。思えばこうしてたくさんの思い出が私を構成しているのだ。あぁ、思い出してきたおかげで私は蘇りそうだ。しかし、これは『思い出』がたくさんあるおかげなのか、個々の思いでに私が感動していたからなのだろうか。私には前者に思えてしまう。全てのことに大きく感動することができなかった。小さな事実の積み重ねで、本質として私は心の底から喜べたか怪しい。けれど、こうして振り返るとどうして遠くにある点々の思い出がひと夏という短い間をとても彩っている気がして、「あぁ生きていてよかった」と単純な言葉を紡がせてくれるのだ。


 しかし、その点々の隙間には今日のように退屈な日々がある。私は毎日に全力を出せているだろうか。毎日「生きていてよかった」と思える瞬間を過ごせているだろうか。生きるだけに見合う哲学を持てているだろうか、研げているだろうか。三日前、私は三か月前にウケた大きなテストの結果を受け取った。全く持ってよろしくなかった、また受けることになるだろう。そのテストはそれなりに準備をし、勉強に励んだものだと思っていた。しかし、私はまだ全力を注ぐようなことをしていなかったのだ。大事にしていなかった。そのしっぺ返しが来た。ただ生きるだけではだめなのだ。どんな小さなことでも、全力を持っていることが大事になってくるとここ最近は痛感する。努力することを真正面から向かって否定して、逃亡していたこれまでから私はようやく認められるようになった。そして、努力したいと思っている。思っているだけかもしれない。けれど、行動に移したくて、私はこの思いをもっと強いものにしたいのだ。こうしてここで言葉を紡ぐことは楽しい。本音を全て載せて一言一句私の肌のおぞけすらそっくりそのまま伝えられたらと腐心する。あの思い出たちを、私を迎え入れてくれた人たちの愛を、絆を、思いやりを、愛想笑いや隠された苛立ちの先触れでさえも、鮮明に振り返られればいいと思う。人生は歓びだけではない。この夏もまた同じく。私がただむかむかと過ごしていただけでないことを示したい。誰かに愛されたい。誰かに求められたい。そう思い続けた中で今年は私を必要としてくれた人がいたことを、私が必要としたときに結果こたえてくれた人がいたことを忘れてはならないと決心するのだ。私は私がいてよかったと、生まれてよかったと言いたいのだ。今なら言えそうだ。今日は何にもない一日。この夏に過ごした何でもない一日の中でも特に何にもない一日だ。あるのはこの日記を書こうと決心し、実際書いていることだ。あぁ、どうして気づかなかったんだろう。私はここまで思っているじゃないか。言葉を尽くせるじゃないか。だから、私が身を尽くした日々に報いられるように全力で生きたいのだ。全力で生きるに値する夏だった。今年の日はとても大きく、身を焼き焦がし、生命に溢れていた。それも暮れていく。後私は何回この夏夜の下に踊りだせるか。悔いなく舞いたい。無駄なことばかりでも、悔やむばかりでも、日々を同じ日だとは言いたくない。踊るんだ。踊るのなら寝転がってはられないのだ。言葉を尽くせ、全力を尽くせ、心を尽くして人共にありたい。友とありたい。家族とありたい。未だ見ぬ恋する方とありたい。たった一度の関係でもあなたとありたい。いつでも切れてしまいそうなこの細い縁を手繰り寄せて、線香花火の日が消えぬように、じっくりとそして、その美しさをほめたたえたい。私とあなたこそ夜半に咲き、夜半に光る、いずれの星よりも明るい星なのだと。




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