表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大学生日記  作者: 江戸銀(エディ)
退寮後編
43/60

十二月七日 社会的健康性


 今日は昨日の反動かずっと引きこもっている一日だった。

 母にどこかのクリスマスマーケットに行かないかと誘われたのになんでかめんどくさくなって断ってしまったのを今になって悔いている。

 とはいえお昼時に一度外に出ており、定期券の更新をした。三か月分を買い、帰り道にある図書館で借りていた『遮光』という小説の貸し出し期限を延ばしてもらった。もう読み終わった小説ではあるが、課題図書で今度大学の読書会で取り扱うのでできればもう一周して分析メモを取っておきたい。そんなことを計画してはいるが、果たしてゲームとユーチューブに時間を取られてしまう俺であるから、意味のない行為だったかもしれない。


 日がな一日エルデンリングをしたり、ユーチューブをみたりだ。

 ゲーム内ではアズールとルーサットという輝石魔術の師を発見し、魔術を教えてもらったところだった。しかし、今のステータスは火の巨人を倒すために魔術をかなぐり捨てたステータスにしていたためにまったく使える代物ではない。そのほかにもメリナが焼身自殺を果たし、謎の場所「くずれゆくファルムアズラ」クソ強い雑魚キャラに蹂躙され続けた。


 神肌の二人という強そうなボスにもあったが、五秒で死んだ。


 いずれエルデンリングをクリアしたら有意義な時間は増えるのだろうか。

 いやそんなことはない。その前は超探偵事件簿レインコードにうつつを抜かし、更にその前はスプラトゥーン3に現を抜かしていた。人生の三分の一が睡眠に消えているというが、俺の場合は更に残った三分のニの半分以上がゲームや暇つぶしに消えている。人生が光のように擦り減っていく。五劫の擦り切れもびっくりな体感時間に対して、現実はさざれ石を形成する間もなく風化していく。


 何もしないでいることに疑問を感じてしまう自分が憎い。何もしない、何もすることがない、何もするべきことがない状態は自由であるのに今の俺には空虚という捉え方しかできない。これも一つのワーカーホリックなのだろうか。いいや、そう心の隅で思っていても重い腰が上がることはなかったし、勤勉でもないのに「ワーカー」ホリックを騙るのは分が悪い。


 孤独、空虚、それを見ないふりをせずに埋めなければならないという強迫観念が何もしないでいることの疑念として表出している。日本人は簡素さの美を知っているはずなのに、どうして人生においては余白を遺すことに美しさを感じられないのか。そうであれば俺はもっと何に悩むことも無く、火の光も浴びない生活に満足し、苦しみあぐねることもない。


 ひきこもりは何に充足感を覚えているのだろうか。これだけ卑屈な俺がエナジードリンクを飲み、カップラーメンだけを食べていきる引きこもりにならなかったのは生活に対する未練がそうさせたのかもしれない。


 もっとおしゃれがしたいとか、もっとおいしいものがたべたいとか、そんな欲求がなんの師範も同胞も持たずされど出現してしまっているからこそ鬱々とするけれど、その未熟児か水子のような人間的欲求があるおかげで私は日陰の生活に鬱屈することが出来る。

 それだけは良かったと思う。閉塞感を覚えるから人間なんだろう。動物や人の慣れ果てたる者どもは閉塞感を覚えても打破しようとは思わない。人とは閉じられた世界を開く者なのかもしれない。

 俺は少なくともそう思う。オリンピック選手なんかを見ると世界大会なんかの眼に見えた光を追うことで自分の踏みしめる道が茨であっても手をのばしている。自分を啓き、未熟さに抗う姿。

 何かをする人物が輝いているように見えるのは人のあるべき姿がそうだからじゃないだろうか。私たちは何かを目指す人間をふと応援したくなるのは、それが自然なことで、それが人間の性質だからではないだろうか。


 だとすれば夢を失っていく現代社会というのは病巣そのもので不健康極まれりだ。


 性悪説とか性善説を抜きにして俺の中で人間とはこうである、というのは「閉塞感を打ち破る者」だ。それ以外は不健康な慣れ果てだ。


 何も目指さず生きる。社会に許されているから死ぬほどの――ただ死にゆくほどの努力しかしていなくても生きてしまう。そういった人間が生まれてしまう。これは本来自然界ではありえないことではないか。互助社会が生み出した不健康な病巣である。何かを託せるほど強い人間でもないのに無為に生かし、無為に苦痛を与えて生かす。殺せとまでは言わないが、何もなしえない人間を生かしてどうするのかと思う。


 だが、それでも助けるのは人間が人間に保険をかけているからだ。もしかしたら、この人間はあと少ししたら何かを追おうと走り出すかもしれない、そんな先の見えない期待感がそうさせるのだ。社会が互助をし続けるのはそんな母性的性格をもった共同体だからだ。赤子が最初から歩けなくても見捨てないように、社会は人を赤子として見ている。立ち上がり言葉を話し、己を啓蒙できる強さがあると信じている。しかし、残念ながらダメな人間はダメなのだ。社会の中で起こるいわば「二回目の流産」を経験した社会便益性のない水子をいくら、生きているようにエンバーミングしてもそれは報われないことだ。俺たちが本来すべきなのは葦の船を編んで、水子を乗せて海に流すこと。それもまた輪廻転生の期待を投げかけているわけだが。供養されるように赤い頭巾を被せた地蔵を彫るしかあるまい。


 水子の話と言えば、日本神話に遡って天照が最初に産んだヒルコとアハシマの話を思い返させるわけだが、アハシマはその後淡路島という島になったという諸説がある中、ヒルコは海に流された後今度は恵比寿として漂着するという伝説がある。よくあるヒルコ=エビスの等式伝説だ。あれもまた水子に願いを掛けているようなものだ。海の向こうから帰ってきたときには少し違う人物になっていて、英雄的な働きを見せてくれるに違いない、というのは現代日本人が外国留学や海外移住に思いを馳せる構図と似ているかもしれない。無理やりなこじつけのようだが、しかし海の向こうから来る漂着物を神として信仰していたのは本当のことだ。遠い世界に夢を見続けて、近い現実に辟易するところも人間の不健康さの一部ではないだろうか。


 我々に足りないのは健康だ。健康に対する強い意識だ。なまじ医療や社会のセーフティーネットが広がってしまったせいで人間は己の健康を蔑ろにし始めてしまった。それは肉体の健康でもあるし、精神の健康でもあるし、或いは魂の健康と言っても構わない。特に魂という部分では芯のある人間はほとんどいなくなってしまった。風見鶏のようにあっちを向いたりこっちを見たり、自分の意見よりも他人を尊重し、それが間違っていないと思っている。それを否定してしまえば自分の不健康さが暴露されてしまうし、尊重の精神という美辞麗句に隠れたただの臆病な精神が露になってしまう。だから臆病者であるから尊敬を忘れることが出来ないのだ。年長者の言うことを真に受け、褒めはやし、そして間違いを間違いと言わない。なんと不健康なことだ。それもこれも間違いを否定しなくてもなんとかなってしまう強い社会のおかげだ。


 間違いの弾劾よりも受け流しの方がいいとされる社会は本当に間違っていないと、健康的であると言えるだろうか。そもそも今の人間は何が間違いで何が正解などと二元論できちんと答えられるだけの己が基準を持っているのだろうか。もう持たずとも法律がどうにかしてくれると投げやりになっているのではないか。その末路がモラルの低下を引き起こし、挙句法律にだけ頼り切った息苦しい不寛容社会の成り立ちではなかったか。


 間違いも正しさも知らず、自分の上に立つ法の良し悪しを考えずに従順にそれに則って弱者も強者も同じように裁く。それは公平で正しいことだ。だが、人らしからざる。


 何も自分の眼では見ていない。見極めていない。

 法の条文に従い、例を持ち出して、適合率を測っている。これは法廷での話をしているんじゃなく、社会という開かれた場所でも同じように閉塞的な法則主義者が増えている現状を訴えている。


 法律家でもない一般人が間違うこともしようとせず、自分の中の意見も持たず法に全ての責任を押し付けている。だから何の責任も取るようなことが出来ず、選択を迫られ逃げて法の網をかいくぐることしか考えられないのだ。人が人のことを考えられない社会に何の意味があるというのだろうか。もはや我々は自分たちで再度抜け目のない繭を作り出し、蛹になったのだ。


 社会という安全な揺りかごにいることで蝶であることを忘れ、幼虫のように振る舞っている。

 糞尿をまき散らし、糞を喰い、そして他者の愚行を笑いものにし、不快になればただ喚く。

 こんなのは赤子のすることだ。つまり、人々の魂は糞食いの赤子になったのだ。

 最悪なのは赤子は赤子を育てることが出来ず、繭の中で藻掻くだけということだ。

 だから我々はいずれ流産する。自らが引きこもった繭の中でぐちゃぐちゃに糞と溶け合い、胞状奇胎としてずるりと滑り落ち、羊水ではなく糞尿の中から漏れ出る。悪臭を放つ悪病の根源となるのだ。


 そんな風にならないために我々は健康にならなければならない。

 その前に健康の重要性を顧みなければならない。

 尊重することを尊重せず、まずは自己の意見を持ち、立たせるだけの角を持ちそれから受け入れる柔軟さを持たなければならない。

 逆行しよう。遡上しよう。

 打ち破り、健康な社会を手に入れよう。




 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ