六月二十八日 心の話
自分の脳の構造について思うことはある。
嫌なことばかり覚えていないで、良いことを覚えておくことをしたいと思うが、私の脳は構造がそのように変質しているから難しい。
思考をポジティブに切り替えるコツがあるというのなら調べるべきだろうか。
最近は無気力で、穏やかな状態が続いている。そんな穏やかな心を時々思い出したように不安の氷山が浮上しだす。
心の砂浜、曇り空で熱い刺激のない海を見ながらパラソルの下で寝転がる私。
時々浮上するその氷山がこちらに向かってくると、それが恐怖になる。
くろがねの戦艦のような轟音を立ててやってくる。大きな波を立てて、砂浜を蹂躙しようとやってくる。
それに心がくしゃくしゃになりそうになるが、パラソルの下で胎児のような形になって寝ていると、心が夢の中に落ちて行ってまた別の砂浜に辿り着く。
そこもまた曇り空で穏やかで開放的に見えて曇天に塞がれた閉塞的解放。
人もおらず、変わらない景色に嫌気が差すが、読書をして気を紛らわす。
海を見て自分は泳げるからと、この海辺を楽しめる素養があると思い込んでいる。
詩的かもしれないが私の心はそんな感じだ。何重にも重なった夢に逃避しつつ、同じ海岸の夢からは逃れられない。逃げているようで、逃げることにすら億劫さを感じている。そんな怠惰が私である。
せめてこの海岸が晴れ渡ってくれれば、砂浜に襲い掛かる巨大氷山も少しは溶けるだろう。
私は晴れ間を探している。晴れ間を探すのは足じゃなくて目だ。または脳である。
セラピーでも受けに行くべきだろうか。心を穏やかにしつつ、エネルギーに富んだ自分になりたい。
小心者である自分につかれてしまった。
大雑把に、人を支配できる恐ろしい自分になりたい。




