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大学生日記  作者: 江戸銀(エディ)
退寮後編
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五月十八日 変貌


 昨日久々に日記を書いたらよく見に来てくださる方から感想を書いてもらえた。小説でないにしろ、こうやって私の作品に共感してくれる人がいることを嬉しく思うし、安堵もする。

 私の価値観は孤独ではなく、ずれてもいない。かといって誰かと完璧に同じでもないだろうが、分かち合えない世界ではなかった。


 今日は実は大学のテストがすべて終わる日だった。

 何かに追われ続ける日々からの解放というのはとても心地がいい。見えない手に追われ続けるというのは真綿で首を絞めつけられるような苦しみを感じるのだ。


 何事もメリハリだというが、大学のテストともなると端から端まで教科書を読み込んだりしない限り絶対的な達成感を得ることはできない。

 それは理論上可能なのかもしれないだろうが、私には不可能で永遠に期限と言う透明の鬼に追い詰められていた。隅々まで終わるか、試験を達成しきるまで不安は蟠り続けるなんて理不尽なことだ。


 四時間のテストを終え、今は安寧の中。

 過ぎ去ってみれば地獄もただの平らな砂漠に見える。

 人間の思考というのは恐ろしいものだ。

 私を苦しめているのはテストや将来の不安ではなく私自身の心に巣食う精神的虚弱に過ぎず、時には私の脳の歪みから発生しているのではないかとすら思える。


 最近はダンテだの、ゴッホだの妙に宗教色の強い偉人の本を読んでいる聖火は分からないが、人間の自由意思について考えることもある。

 人間が下す判断と言うのは神によって決められることではなく、人間が自分自身の自由意思によって行うものであり、そこで分かたれる善悪の責任というのも、それもまた人間に帰属するのだという。


 要するに、全ての人間は自分のしでかしたことの責任を自分で背負うというわけだ。


 だが、これはもちろん人間に自由意思があればの話だ。

 人間は神に操られているとコイツは言っているのか? と思うかもしれないが、その推察は半分正しく半分間違っている。


 私たちの思考というモノはニューロンが伝達物質を受け渡したり、神経を流れる電気信号だったりでできている。科学的にみれば人間もまたミクロでバイオな精密機械のようだ。


 だが、その電気信号の発生や入力も世界の法則に従ってできているものだ。


 どんな些細なことでも、針を落とした時の音でさえも、それは全て因果と絶対の物理法則の世界の中で起こったこと。

 その因果を遡っていけば私たちは最初にビッグバンが起きた時から全ての因果が決まっていたのではないかと思う。

 全ての事象はドミノ倒しのように、或いは映画のフィルムのように一本の直線道路を描いていて、そこに枝分かれする余地がない。つまりは人間の意思が介入する余地がない。


 それもそのはずだ。

 その人間の思考というモノでさえ物理現象の一部でしかなかったのだから。


 私たちには果たして自由意思というモノは存在するのか。

 連綿と続いてきたドミノ倒しの中にたまたま巻き込まれたドミノの一枚に過ぎないのではないだろうか。


 少なくとも私たちの意識と言うのはこのちょっとした頭蓋の中に幽閉されている半球状の皺塗れのグロテスクな演算機によって発生するもので、それはいうなれば私たちの行いは私たちによってなされるのではなく、この『脳』とかいう演算装置がはじき出した電気信号の一連の打鍵音に過ぎないのではないだろうか。


 はたして私たちに真に善悪を何のしがらみもなく犯せる能力はあるのか。

 

 などと電車に揺られながら考えたものだ。

 まぁもし私たちと言うのが物理法則の中で演算される事象の一つに過ぎないというのなら、なんと気が楽なことか。これから先に起こるすべての不祥事は全て私のせいではなく、これすなわちビッグバンが起きた時に決定された物理的因果に過ぎない。よって私たちには一切の非がない。責められる筋合いはない。

 

 神に赦しを乞うよりも物理学者に赦しを乞う方がよっぽど救われたりするのだろうか。ニュートンみたくリンゴでも眺めていたい気分になる。


 まぁ、専門外の哲学と物理と宗教学の話はこれくらいにして、私は他にも供したことがある。久々に高校の時の同級生にメールを送ってみたのだ。

 彼が高校一年生の時に同じクラスだったが、その後疎遠になってしまい今の今まで連絡も余り取らなかった人物なのだが、私はなぜか彼の夢を知っていた。


 彼は声優になるのが夢だった。

 彼はよくいるオタクの一人だったが、高校時代はその快活さからまったくオタクっぽさを感じさせなかった。一方その頃の私はというと痛い陰キャみたいに内輪の三人くらいで寄り集まってダべっているような奴だった。

 まぁ、小説を書いたり日記を書いたりするのが趣味なのだから往々にして活発でないことは読者の皆様は承知しているかもしれないが。


 彼は私にとってきらびやかだったが、今に振り返ってみれば私の眼は曇っていて彼も私も大して変わらなかったのかもしれない。


 だが、一点だけ。

 今も思い出の中で輝き続ける事実は彼が確固たる情熱をもって、その職業を高校生と言う幼く迷いある時期に明確に見出していたことだ。


 私にはその決断力と夢を見るチカラが今も昔も輝かしくうらやましく思っていた。


 私がいくつかの他愛ないメールを送ると彼からは少しの返信と一本の電話が寄こされた。


 受話器のマークが書かれた緑のボタンが画面に表示された時の一瞬の焦りとすぐさま応じた自分の迷いなさ。自分の中に矛盾を感じた。


 受話器越しの彼、高校一年生以来まともに話した彼の声はまるでがらりと違っていた。


 なんというか、少女らしいような中性的なミックスボイス(?)のように変じていた。それは彼が目指した声優という職業の為に身に着けた能力なのか、どうかはあいまいだったが、彼は着実に変化していた。


 今はどうしているのか。

 どこに住んでいるのか。


 思えばそれ以外はロクなことを聞いていなかった。ある意味で話題を探して少ない思い出を一生懸命かき集めて話したせいで、大したことは言えなかったのかもしれない。


 彼は煙草を吸っていた。

 彼の誕生日は五か月先だった。


 受話器の向こう側にいる相手がザムザのように変身してしまったのではないかと思った。まるで蝶のような羽が生えた彼を想像し、どうしてか怖くなった。私は彼との会話を終始笑った。


 それから短いような長いような電話は大した内容もなく終わった。

 私は彼の変貌ぶりに怖気づいてしまったのかもしれない。これならば、もっと分かりやすく虎にでもなっててもらった方がマシだった。

 彼は蝶になったのだ。

 

 切った後のスマートフォンの画面を見ると丁度6分だった。私たちの話はたった六分のうちに終わり、私は六分のうちに底知れぬ変貌を感じた。


 だが、恐怖や絶望に終わったわけではない。

 私は変化することを大事だと思うし、彼ほどに変化していないように思える自分もまた内面は着実に変化しているように感じている。


 私もいずれどうにかなる。

 それは諦観ではなく、何かになってしまうということだ。


 それが決まっているならば今の未熟さを味わうのもまた一つの楽しみだろうと、だからこの日記を降り積もらせるばかりだ。

 かつての蝶の羽を、ペンのインクに変えて。



 

 

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