四月二十八日 楽しい宴会 闇
サークルの集まり。
陽キャ集団。
陰キャだけど陽キャな友達のいる友達との二人行動。
最初はきついと思った。けど、そのきつさの果てに日の当たる楽しさがあると信じてた。不確定な憧れは内なる欲望、理想と混ざって肥大化し、ついに本質をとらえきれなくなる。これから行くのは夢の国でも何でもないことに集合場所についてから理解する。夏日がいきなり冬になって陽炎が消える。そんな異常現象みたく、サークルの集まりの現実と理想の乖離は私の背骨をぞわぞわさせた。
体育会系のサークルの人々と自分の異物感は酷かった。安心できない、警戒のアラームが皮膚上を波のように広がっていく。その深奥に心臓があって、喉の奥を締め付ける。普通の人、友達だと言い張ってるやつにも薄く感じる隔絶と価値観の差、それをこの人間たちとは分厚く感じる。そう脳みその奥で嫌な自分が言っていた。
関わらない方がいいんじゃないですか
たのしいならなんでもいいだろ
でも、いかつすぎる
ああいう奴らほど人のことを性欲と差別の目で見ているのよ
金髪、チェーン、指輪……
挨拶? 何言えばいいんだろ?
仲良くは成れそうにないな
目まぐるしく自分の中の自分が統合できなくなる程次々に意見を出す。見た情報から憶測を広げて、その情報を吐き出すことができずに溜まって何重にも引かれた偏見の輪郭がキャンパスに一つの『悪』を描くように次々と妄想を垂れ流していく。
体育館まで続く道、でも友達に色々喋りかけたはずだ。
嫌だったのはそれが殆ど独り言として処理されたこと。
元々口数が多くて、価値観がズレてて、要らないことばかり言っていたけど、声が小さくても隣にいるのなら反応して欲しかった。
友達の印象が悪くなっていく、自分を責めるフィードバックの矛先が今度は友達に向かっていく。
なんで、話を聞いてくれないんだ。でも、めげずに話しかける。それくらいしかできることはない。でも、話の種はそうやって消費されて行って、最後には静寂の行進が待っている。前後からの歓談の声、私達二人は夏場の戦場に黙々と向かう。夕日の沈むほうへと歩み進む。
憧れは現実じゃない。
私は飛べない。私は動きを知らない。私は道具を知らない。私は連携を知らない。私は上辺以外を知らない。私は相手を知らない。私は人にどう見られているのかを知らない。私は、私は私のできることを知らない。
知らないことは罪じゃない。知ろうとしないのが罪なんだ。
そんな救いみたいな言葉を何かの小説で見た気がする。
私は知ろうとしている。己の不甲斐なさを克服したくて、己の怪物的な劣等性を超越したくて、こうやって自分のことを書き連ねている。この日記は私そのものだ。
気分屋で、時に明るく振舞って、虚勢を張って、何かスキルを持っているように魅せたくて、人に好かれたくて、性欲に付き従って、考えることが億劫で、人を肯定することしかできないくせに心の底では人の嫌いなところを具体的に書いて、嫉妬して、羨むだけ羨んで伸ばした手はすぐに引っ込める。
そんな人間、蝶になりそこなった芋虫みたいな人間性。負の怪物のように言っても、それは影で本体はミミズのように弱い。貧相な体に似合った貧相な性格と思考。
なんの活躍もなく、ただ幾つかボールを跳ねさせて活動は終わった。
その後は飲み会だった。
何の活躍はなくても初対面の人間の間では似た人間性の持ち主たちが互いに群れるに値するかを品定めして友人関係を構築する。どんな人間性であっても似た人物がいれば帰属欲を満たすことはできる。だから初対面ではあったが、今の友人よりもそこでであった二人の方が良く話せた。精神衛生的にいい。
初対面の人間には自分のボロが見られない。この取り繕われた外見の中、所々虫食いになった歪曲した肉欲の化け物の姿を看破されることはない。でも、一年を共に過ごせばその皮膚の下に手を這わされ、頭蓋骨を覗かれ、醜悪な姿の影を見られてしまう。
それは嫌だ。愛されていたい。友人であり続けたい。回帰し続けたい。
どこまでも人になりきれない。悔しい。今日できた友人だって、一回きりの関係かもしれない。悲しい。
とりあえずこのサークルに入るのはよそうと思った。
中の良い友人がいても、少し、吐きそうだ。
 




