四月十九日 ダウンな日の話
今日は三百円しか手持ちがなく、授業が一限から五限まであったからとても腹が空いたままこの日記を書いている。
コロナ対策で窓を開けて、鼓膜が千切れそうなほどの騒音を受け入れる電車内で、コロナを呪いながら書いている。
空腹になると精神を病むらしい、今とてもダウナーな気分だ。人に優しくするほどの気力が残ってない。だから、僕は目の前のお婆さんに席を譲るために重い腰を上げることができない。それは仕方のないことで、それを仕方ないと済ましても自分の中に罪悪感として積もることだ。
本当はお婆さんなどいない。電車ガラガラだからな。こんな騒音列車乗ってるのは本当に一、二駅で済ませられない可哀想なドナドナ豚だけだ。
でも、お婆さんに席を譲ることができないくらいの悲しみに覆われているのだ。僕は今居もしないお婆さんを虐げてる。
後から見たら分からなくなりそうだからこのくらいにする。
今日はたくさん授業を受けた。火曜日はこれから一番憂鬱な日になりそうだ。その憂鬱な隙間を縫って、僕は友人たちと休み時間中に学内探索をした。誰がそうしたのか、僕らの授業は一三五限に入ってしまって、偶数番の授業中は暇なのだ。だから、その暇な時間に勉強をしたり、ご飯を食べたりするんだが、僕ら4人は学内の探索をすることにした。
色んな館を巡り、立ち入り禁止を覗き見て、或いは立ち入り禁止とは書かれていない鎖の向こう側に足を踏み入れようとしてみたりして。
特に面白かったのは地下室だな。僕が地下が好きだからというのもあるが、暗くて肝試しスポットのようなところにずかずかと入り、その後ろで怯える奴らの反応が堪らなく好きなのもある。僕はゲイのサディストだから、仕方ない。
現在は閉鎖されてる×号館地下一階の室内プール場へと通じる地下の不気味さは素晴らしかったな。物陰から妖怪の類が出てきても納得してしまうほどの気味の悪さだった。
干上がったプールをガラス越しに見て、奇妙な作動音とモヤモヤと光る赤い警告灯のマッチ具合と言ったら、もう、凄いんだ。
「肝試しは灯を付けずに行く、その方がよりスリリングで面白い」
そんなことを言ったら、友達から「ヤバい」「イカれてる」と言われた。
正直傷ついた。怖い物をちゃんと味わいたいと思うことはそんなに「ヤバい」ことなのだろうか。だが、人と分かり合えないのはいつものことで思うことをひた隠しにしても、結局は滲み出てしまうのを高校で経験してる。ならば、自らの感性を自らが否定する必要はもうない。受け入れられないという事実に目を向けながら、時折受け入れない人を受け入れられるようにすれば良い。
秩序立った行動より自分の利益と効率を重視した行動を先に起こしてしまうから、それに明確な理由を述べることも苦手だ。咄嗟の判断であり、太陽が東から出て西に沈むのが当たり前なくらい僕にとっては当たり前のこと。
決して意味不明なんかじゃない。僕にすら分からない時があっても。
傷つくこともあるけど、優しい人間もいる。ご飯を食いっぱぐれた僕にチョコをくれた人がいた。一粒だけ貰った。それだけでいいの? 僕はその一粒だけで嬉しかった。気味悪かろうともそれでも情けくらいはかけてくれる人はいる。
人に似せるのが苦手だから、人より弱い存在になってその慈悲に縋ろうとしてた時期もあった。そうしたら、仲間になれるかもしれないと思ったから。
でも、今度は強くなりたい。だから、本当はチョコで情けをかけられるのは不本意に分類すべきだろうに、喜ばしい。
黄泉竈食ひって呪いがある。あの世の食べ物を生者が食うとあの世から出られなくなるという。その逆もあるかもしれない。この世の物じゃないヤツがこの世の物を食べたならそっちに近寄ることができるかもしれない。
人と足並みを揃えて、ちゃんと話して、死んでももう一度会いたいと思えるような友人を作りたい。




