四月十七日 シロワニと子宮と豪邸と
今日は昨日から寮を飛び出て、家に帰ってきている。
家にいるというのは良い。安心感がある。
もうこの環境は僕にとっての内臓のようなものになっているのだろう。ここちよく外敵の入る余地のない子宮のような臓器に。
へその緒の如く伸びた様々なインフラと食料の山。机の上もソファの上も乱れて色々なものが散らばっているが、その乱雑さを少し探れば自分の欲しているモノがすぐに出てくる。そんな自由な環境だ。
子宮と言うのは僕にとって興味深い臓器だ。生殖器と言うのは人類の繁殖欲を司る一部であり、これを失うことは三欲のうちの一つを失うことに等しい。活力を失ってしまう。欲がないことは悟りを啓くための一歩だというが、欲を司る機能を消し去ってしまうのは悟りに至ることとはかけ離れている。増長した正常な臓器を持ち、その上で自らで律する。それこそが悟ることなのではないだろうか。
子宮と言えば、かねてよりシロワニと言う生物を興味深く思っていた。シロワニは三メートル級の鮫で水深がネズミザメ目の中でも浅い海域に生息していることからネズミザメ目で唯一水族館で恒久的に生育可能な生物なのであるが、その生態は『弱肉強食』と割り切るには余りに残酷で凄惨な特徴を持つ。
シロワニのメスは一対の子宮があり、つまり子宮が二つあり、その中で一匹ずつ子供を出産する。それだけならば普通の生態かもしれないが、子宮の中では本来複数の子供が孵化することがある。その子供たちは子宮の中で共食いを始め、最終的に子宮一つに付き一匹だけしか生まれてくることができない。
そんな残酷で人間の倫理的に反した自然の摂理に胸を痛めるような愛おしさを覚えずにはいられないのだろうか。子宮と言う安息の臓器に居ながら、その子供たちに安息はない。いや、最後の一匹だけだ。その一匹にしたって、兄弟姉妹を喰いつくした後はすぐに臓器外へ排出されてしまう。その後は海の中で食った喰われたの食物連鎖のサイクルに組み込まれてしまうのだ。彼らの一生に安寧はない。あるとすれば最期の時を海底の砂に身を擦りつけて眠りにつく時だけだろう。
僕もこの子宮のような我が家で食い合いでも始めようか。安寧とは外敵の入ってこない状況であり、言い換えればその中でどれほど殺伐な事件を繰り広げようとも、介入者がやってくることはない。それが安寧だ。
僕は寮に入ってそんな安寧を一先ずは捨て、代わりにヤドカリの如く貝を背負ったのだ。守る機能こそあれど、その貝殻は給仕をすることはない。貝殻では僕の安寧は届かない。
だが、胎内回帰ほど生産性のない願望もない。僕は男児の身でありながら、自らの子宮を生み出して見せたい。失われた曾祖母の大豪邸。極北の地に吹雪すら押しのけて聳え立っていたあの影をもう一度復権して見せる。彼の家程僕の理想に近い住まいはないのだから。
祖先の権威をもう一度だ。無念と思いながら亡くなった曾祖母にも、無念と嘆く祖父にも安寧を分け与えることのできる穏やかかつ貴族的な豪邸を建てねば。
メモ。
・ケーキを並んで買った
・リュックサックにカヌレを入れているのを忘れずに
・豆乳持ち帰るの忘れた
・肉は冷凍




