エピローグ
秋の湖は相変わらず静かだった。水面は太陽の光を反射し、大きな鏡のようにも見える。
まだ秋だったが、風は少し冷たい。アナのところで買ったジュースは氷抜きにして正解だった。アナのジュース屋み冬はひとまず休業し、暖かいブラックティーと全粒粉のクッキーや冬の野菜を屋台で売る予定らしい。せっかく美容と健康にいいジュースであったが、寒空の下で売れるかどうかはわからない。
私は湖のそばのベンチに座り、ミッキーのパン屋の袋を開ける。中フルーツサンドをとるだし、一口齧る。口いっぱいに木苺と果樹とふわふわのパン、それに濃厚なクリームを頬張る。ミッキーによると、甘さを控えたらしいがこの土地の濃い生クリームを使っているためか、普通に甘い。完全にデザートであり、主食であるこの土地のパンと差別化もできるから良いかも知れない。確かにマリトッツォと比べるとクリームの量は少ないが、罪悪感なく食べられるのでちょいど良い。
「あれ、マスミじゃないですか」
牧師さんだった。今日は私服で、仕事は休みのようだった。
「牧師さんは散歩?」
「ええ。最近はアビーとジーンもリリーのところで大人しいですからね。ちょっと暇にもなっています」
牧師さんは、苦笑しながら私の隣に座る。
「ミシェルはどう? 最近全く連絡ないけど」
「あの子はやっぱり試験で忙しくてね。でも冬にはネルに会うために帰ってくると思いますよ」
ここで沈黙が落ちる。
なぜか牧師さんは落ち着きなくソワソワとしていた。いつもはおっとりと優しい人なので、この様子は自然だと思いつつ、フルーツサンドを齧る。すっかりミッキーのところで買ったフルーツサンドを完食してしまった。
ミッキーはこれを出汁に牧師さんを誘えと言っていたが、私は色気より食い気のようだ。こんな綺麗な湖の前で牧師さんと二人きりという最高なシチュエーションを無駄にしていた。
「あの」
「なんですか?」
牧師さんが何か言いかけた。
「今回ありがとうございます。お陰で私の濡れ衣が晴れたし」
「いえ、大した事はしていないですよ?」
それどころか、殺人事件が起きた時は牧師さんを疑っていたし、事件捜査も特に私が活躍した感じがしない。
「うん、でも私が捕まっていた時、聖書を持ってきてくれたでしょう。あれは嬉しかった」
「いいえ、当然の事をしただけよ」
ただ、確かに心細い時に聖書の言葉を読むと何故か勇気づけられるのかも知れない。私がこの土地に初めてきたときも、聖書の言葉が書かれたメモを拾った事を思い出した。もうあれから数ヶ月たってしまった事が嘘のようだった。
「マスミ、事件を解決したご褒美は何がいいですか?」
そんな約束をした事はすっかりと忘れていた。当人が忘れていた事もいちいち覚えていた牧師さんにちょっとキュンとしてしまう。
それだけが理由ではなく、私の心臓はドキドキとしていた。ご褒美の内容を口に出すのは、ろくに恋愛をして来なかった自分にとってはかなりハードルが高い。
でも、どうしても言いたくなってしまった。ドキドキしているのに妙に嬉しい。血結局今回の事件も最後には牧師さんに助けられた。あの日、リリーが私が湖の方に行ったまま帰ってこない事を心配して牧師さんを呼んだらしい。牧師さんは、何か嫌な予感を感じとりアラン保安官も読んで湖の方に行った。この機転がなかったら、ケイトは捕まっていなかったかも知れないし、私もどうなっていたわからない。
緊張して少し怖いけれど、声に出す。
ロマンス小説のヒロイン、特に日本のロマンス小説のヒロインは何も言わなくてもヒーローがエスパーのように察してくれている。しかしそんな事はない。日本人やアジア人同士ならともかく、この土地の人はあまり察しない。言葉ではっきりと具体的に言う文化にようだ。この国の言葉もより具体的に言う事が求められる。今の自分の願いを察して貰うのは、きっと不可能。
「一つお願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
牧師さんはニコニコと笑っていた。優しい人だが鈍感である。この人に察して貰う事は絶対に不可能である。
「私は牧師さんに興味をもっています」
さすがに惚れているとは言えない。顔から火が出そうである。本当に免疫の無さが嫌になる。
意外にも牧師さんはびっくりしていなかった。リリーかアナあたりから何か噂を聞いているのかも知れないが。
「私は牧師さんの事をよく知りたいです!」
ハッキリと英語で言えた。これが日本語だったらもっと曖昧な言い方になったのかも知れない。
最後にもう一回勇気を出す。思えばデレクにも告白めいた事を言われていた。軽くあしらってしまったが、彼の勇気も相当なものだったのかもしれない。
「だから、ご褒美は牧師さんと一緒に食事に行きたいです!」
声は震えて、ちょっと声は裏返る。でも発音や文法は間違っていないはずだ。それにこんな恥ずかしい台詞も母国語ではないので、少し冷静になって言える面もあった。発音、アクセント文法の事を考えると少し冷静になれる。もし、牧師さんに断られても仕方ないと、心を落ち着かせた。
しかし牧師さんは、ニコニコと笑っていた。ちょっと呆れたような苦笑にも見えたが、いつもより柔らかな笑顔だった。
「いいですよ。ハードボイルド町に美味しいお店があります」
「良いんですか!」
私は飛び上がるほど嬉しかった。この時だけはソニアもビックリするほどのぶりっ子だったかもしれない。
「僕もマスミの事をよく知りたいです」
その言葉は嘘みたいだったが、紛れもなく現実だった。
ロマンス小説で他人の恋愛を見るだけだった。今は自分の恋愛のために一歩だけ前進した。小さな歩みかもしれないが、私にとっては大きな一歩だったら。私は、この一歩を踏み出せた事に幸せを感じていた。
願わくはこの村にも神様のご加護があらん事を。
God bless you!
ご覧頂きありがとうございました。
パンケーキ編完結です。
次はティラミス→フルーツサンドで完結予定です。




