2話 嘘は人を傷つけます
ジミーでの仕事が終えると、次は転移者保護に仕事である。町中を見回り、転移者や怪しい扉がないか確認する。この仕事を始めて1ヶ月以上経っているが、今のところは怪しいところはない。
最初はこの仕事の熱意を持って担当していたカーラが上司ではあったが、彼女は死亡してしまった。代わりにマリーというあまりヤル気のない役所の職員が上司になった。毎日見回りをするのは、やり過ぎだとマリーに言われ、今は3日に1回程度の頻度になった。その分、給料は減ったわけだが「猫の手」も始めたので、金銭面では問題はない。
ただ、転移者も不審な扉も出そうな感じもなく、私の新しく仕事を始めたのでちょいどいい。それにこの「猫の手」の仕事は村中を駆け巡るので、結果的に毎日見回りをやっているようなものだった。
まず、ジミーの家の近くにある牧場を見回り商店街の方にいく。
商店街は、デレクのカフェが着々と施工されていた。かつては杏奈先生のあったカフェの跡地ではあるが、こうして新しくカフェができるとなると、事件の影響でスカスカになった商店街も少しは賑わいを取り戻すだろう。
「ハイ、マスミ!元気?」
「ええ、元気よ」
リリーが店から出てきた。リリーは雑貨屋を運営している。相変わらず明るく朗らかな女性だったが、少し体重が痩せたようである。
「あれ? リリー、痩せた?」
「そうなの! 夏からマイナス3キロよ。やっぱりアナのジュースがよかったのね」
リリーは痩せたことでいつもよりご機嫌だった。アナのジュース屋は今や健康路線で成功していた。カーラの事件の時は、デレクのタピオカ屋も出来たりして一時期は経営が危ぶまれた。しかし、私は日本で健康志向の青汁やスムージーが人気がある事を伝え、健康路線に転換。もともと美食よりは健康という村人の需要にマッチし、経営は安定中。
私もアナのジュースのおかげで、健康も美容も順調である。アナからは今も時々ジュースについて相談を受けている。私の力は微々たる物ではあるが、日本で流行っていたものなどを教えるとかなり参考になると重宝がられた。
「ところで、新しく村に住む人が増えるっていう噂知ってる?」
「ええ、噂は聞いた事があるけど、誰が来るか知ってるの?」
ロブの店があった店舗は売りにださてていたが、誰かが買い取ったらしい。誰が来るのかはわからないが、村人達の好奇心を満たすのに十分だったが。
「噂だけど、パン屋が来るらしいわ」
リリーはちょと声を落として言う。
「パン屋って…。ミッキーのパン屋の隣に? ぜいぶんと挑発的ね…」
リリーが声を落とすのもわかる。もうすでにミッキーのパン屋が村人に愛されているのに、今更新しいパン屋が隣にくるなんて。確かに挑発的だ。
日本でも近場に同じ系列のコンビニが立ち並ぶ事も思い出す。噂では、本部のいう事を聞かないコンビニの店長がいる店に嫌がらせのように、近くに同じ系列の店を置く事もありらしい。ブラック企業そのものである。別にミッキーは誰ともトラブルを起こしていないと思うが、これはちょっと嫌らしい。
「でも、私達はミッキーのパン屋があれば十分よ。新しいパン屋なんて興味ないわ」
「そうね。私も興味ない!」
リリーに同意する。確かにミッキーのパンは日本人好みではない硬くて酸味の強いパンだがもう慣れた。生ハムにオリーブオイルを垂らして食べると絶品だし、最近は日本のパンを参考にしたパンも新しく開発していると聞く。
別に新参者を村八分のようにいじめるわけではないが、パン屋の隣に新しくパン屋というのは、ちょっと受け入れ難かった。
「じゃあね、リリー」
「ええ。マスミみ仕事頑張って」
リリーと軽くハグして別れ、ミッキーのパン屋に直行する。あんな話を聞いた後では、心配になる。それにもともとパンを買う予定だった。
ミッキーの店に入ると、焼き立てのパンや小麦粉の匂いが鼻をくすぐる。ここに来たばかりの頃はあんなにここのパンが苦手だったのに、今はちょっとこの匂いや黒くてどっしりとしたパンを見ていると、ちょっとホッとするぐらいになっていた。住めば都という言葉は本当かもしれない。
「あら、ダニエルじゃない。こんにちは」
すでにパン屋には客がいた。新しく村の住民になった男で、村長選挙にも立候補中。前の村長はあんな形で消えたので、他に立候補もいない。おそらくダニエルが新しい村長になる可能性が高い。このダニエルは前村長と違い性格も良く、人当たりもいいのでさっそく無村人に好かれていた。
「マスミか。こんにちは。いや、ここのパンは本当に美味しいね」
「そうね。私は今日も田舎パンを買おうかな。あとシチューパンも」
「マスミはシチューパン好きなんですね。僕はちょっとな」
シチューパンは日本の惣菜パンの事を元につくられたパンだ。私が色々と話し、ミッキーが開発したが村人達は賛否両論。おかずとパンが一緒になっている発想がどうも受け入れ難いらしい。日本のパンは独特な経緯で発達したため、そう簡単に主食がパンであるこの村で受け入れられないようである。
ちょうどそこのミッキーが工房の方から出てきた。
「マスミにダニエル、いらっしゃい」
「こんにちは、ミッキー。雑穀パン貰えるかい?」
先に来ていたダニエルが注文し、続いて私も注文する。
「聞いたわよ。隣に新しくパン屋ができるっていう噂」
「そっか…」
心なしかミッキーは元気がない。やっぱり、同業者が隣にできるなんていい気分はしないのだろう。私も同じ仕事をそている業者が村にいたらと想像すると、気が気じゃない。
「大丈夫ですよ。我々は、ミッキーのパン屋のファンですから」
「そうよ。隣にできるなんて嫌らしいわね」
私とダニエルは、ミッキーを精一杯励ます。
「でもさ、王都はもっとパン屋の激戦区だし、こんな事でワガママ言ってられないよな」
ミッキーは、謙虚だった。
「そっか。真面目だな、君は」
「無理しないでよ。村の人はみんなあなたの味方なんだから!」
「はは、マスミもダニエルも優しいな。よし! 今日はお代は要らないよ」
「いいの?」
私とダニエルはこの提案に目を輝かせた。
「うん、二人ともありがとう。お世辞じゃなくて、心から励ましてくれるのが伝わってきて嬉しかったよ」
ミッキーはちょっと頬が赤くなり、鼻を指でこする。いかにも職人らしいゴツゴツと太くて逞しい指だった。
「たまにお世辞で褒めてくるヤツいるんだよな。やっぱり嘘言われるとガッカリするわ」
「そうなの?」
お世辞なんていう人間がいるのか。色々と明け透けなこの村人ではないと思うが、確かの嘘つかれてまで褒められたくは無いと思う。
「そうさ。嘘は人を傷つけるね。俺は傷つけられても本当の事を言ってくれる人の方が好きだな。うちの師匠なんて絶対褒めなかったけど、返って俺のパン作りの腕は上がったからな」
少し懐かしそうにミッキーはつぶやいた。
「ま、褒めて伸びるというには、ケースバケースだろ。マスミも学校の先生やってたんだから、わかるだろ?」
私はミッキーの言葉に深く頷く。確かに褒める事は大事だが、カンニングや万引きなど悪い事をした生徒にはきちんと叱らなければならない。やっぱり甘やかす事だけがいい事とは思えなかった。
「じゃ、ミッキー。本当に頑張ってね!」
「僕も応援してるよ」
最後に二人でミッキーを励まし、パン屋を後にした。