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03:愛情の不在は哀れみよりも温かい

 最近どうも体調が悪いと自覚したのはいつ頃だったか。

 何だか身体が重い、怠い。

 こんな生活を続けて疲れが一気に来たのだろうかと璃亜夢りあむは困る。倦怠感はまだ我慢できる。一番困るのは眠気だった。

 格安の漫画喫茶で寝ることもあるが、最初に決めた利用時間を超えてしまい延長料金を払うことになってしまったことが何度もあった。

 熱っぽさもあるけれど、どれくらの熱があるのかそもそも体温計がないからわからない。

 こういう時は寝ているのが一番良いというのが、家出前の璃亜夢の認識だった。


 だけど、今は時間も環境も気にせずゆっくりと眠ることができない。

 漫画喫茶では時間を気にして、ホテルでは男を気にして眠っている。

 一人でゆっくり眠りたい。

 じゃあ家に帰れば良いじゃないのか。

 そんな考えが一瞬浮かぶけれど、それと同時に母の顔が浮かぶ。

 冷ややかな表情で璃亜夢を見つめてくる。

 今帰れば、もう一生あの顔と向き合わないといけない気がした。

 それくらいなら、漫画喫茶の狭い椅子で丸まって眠る方が救われた。



 漫画喫茶で消費するお金を浮かせるため、璃亜夢は朝から夕方まで外を彷徨く。

 ショッピングモールのフードコートや、コンビニのイートインコーナー。

 今日は駅の中のベンチだ。

 春になって昼間は暖かくなってきて、外で過ごすのが楽になってきた近頃。

 ただ時間を潰すだけ。

 何をするでもない、ただ無駄に時間を費やす。


 午後になって目の前を楽しそうに歩く璃亜夢と近い歳の、制服姿の女の子が笑い合って駄弁ってる姿を見ると、本当に自分は何をしているのだろうという気持ちになる。

 彼女たちはキラキラとした笑顔を浮かべて、夜には家に帰るのだろう。

 家に帰れば家族が彼女たちを迎え、暖かい夕食や柔らかいベッドが待っているのだろうか。

 母の愛もあるのだろうか。


 璃亜夢は自分の頬をなぞる。

 もう随分笑った記憶がない。

 荒んだ気分で、その日を何とか過ごしている。

 補導が怖くて俯いて歩く日々。

 彼女たちは顔をあげてあんなにも堂々と歩いているのに。


 彼女たちと璃亜夢を分かったのは何だったのか。

 考えても答えなんて出ない。

 ただ、璃亜夢は、彼女たちが普通に享受しているものが手に入らなかっただけ。

 それとも璃亜夢自身が手放したのか。

 今となってはもうわからない。


「……今日の晩御飯、どうしよう」

 璃亜夢はお腹を擦る。

 今朝は食べていないのだが、不思議と空腹感がない。

 というか、食欲がない。

 昨晩はスーパーで半額シールが貼っていたおにぎりを一つだけ買ったのだが、その一つが食べきれなかった。それどころか、気持ち悪くて路上で吐いてしまった。

 勿体無いことをしてしまったと悔やんだ。

 それでも何か食べないと。

 ゼリーとかそういうのは大丈夫だろうか。

 そんなことを考えていると、スマートフォンが震える。

 画面を見ると『永延隼人ながのぶはやと』の文字。

 初めて会って名刺を渡されて以降、本当に寝る場所と空腹に困った時に二回程彼に連絡をした。

 その二度とも、永延は夕食の後、璃亜夢をホテルへ連れて行き一晩を過ごした。

 朝には近くのファミレスで朝食を食べさせてくれ、一万円札を二枚渡してくれるのだ。

 ホテルに連れて行かれるのは兎も角、食事と現金は心底有難かった。

 現金は幾らあっても良い。


「……もしもし」

 璃亜夢が通話に出ると、永延の軽薄な声が聞こえてくる。

 ―――あっ、璃亜夢ちゃん。元気?

 そう問われて、正直取り繕うのも面倒臭くて「あんまり」と素直に返すと永延は笑う。

 ―――急に予定がキャンセルになっちゃってさ。今晩会わない?

「えっと」

 ―――じゃあ三十分後に駅で集合ね。何食べたいか考えておいで。

 永延は一方的にそう言うと通話を切ってしまう。璃亜夢は行くなんて言っていないのに。璃亜夢はスマートフォンをポケットに捩じ込んで溜息をつく。

 きっと行けば、今夜もホテルに連れて行かれるのだろう。

 彼の食事の誘いは性交までがワンセットだから。

 身体の気怠さを思えば行きたくない。

 でも……。

 璃亜夢は、翌日ファミレスのテーブルに置かれる一万円札を想像してしまう。

 あの二枚の紙切れがあれば、どれだけ救われるか。


 璃亜夢は項垂れて溜息をつく。

 選択肢はない。

 自分の体調と、現金を秤にかけたとき、現金の方が圧倒的に尊いのだ。

 璃亜夢はゆっくりと立ち上がると覚束無い足取りで駅へ向かった。


 ***


 駅に着くと、既に永延がいた。

 璃亜夢を見つけて軽く手を振ってくる。

「やっほお、十日ぶりくらい?」

「あんまり覚えてない」

「相変わらず素っ気無いけど、そういうとこも良いよね。……でも顔色悪いね、ちゃんと御飯食べてる?」

「食欲はあんまり」

「ふーん、何食べたい? 何なら食べれる?」

「なんだろう、あっさりしたもの」

「じゃあうどんにする」

 永延はそう言うと歩き始める。

 うどん、か。うどんくらいなら食べれるだろうか。

 璃亜夢は大人しく永延に付いていった。


 駅から少し歩いた場所に、うどんのチェーン店がある。

 何でも好きなものを頼んでもいいと言われたので、梅とカツオ節のさっぱり系のうどんを頼んだ。

 これなら食べれそうだ。

 璃亜夢はうどんを一本一本啜っていく。

 その様子を永延は見ながら、自分は豪快に釜揚げうどんを啜っていく。


「璃亜夢ちゃんさあ、あれからも家に帰ってないんだよね」

 永延は唐突に呟く。

 幸いまだ夕食の時間には早かったせいか、周囲のテーブル席に他の客はおらずこの会話を咎められることはない。

「うん」

「連絡してきてるスマホって誰のなの?」

 彼は不思議そうに訊いてくる。

 璃亜夢はその問いに、永延が何を言いたいのかわからず怪訝そうに彼を見た。


「誰のって、私のだけど」

「……家出する前からの所持品ってこと?」

「そうだけど」

 ますますわからない。

 璃亜夢は意味がわからないと思いながら、うどんを啜る。


「璃亜夢ちゃんさあ、知ってる? スマホから自分の居場所ってわかるんだよ」

「はあ」

 永延の言葉に璃亜夢は曖昧な相槌を返す。

 何が言いたいのかわからない。

「璃亜夢ちゃんの親は、璃亜夢ちゃんのこと探してないんだね。普通警察に届け出されて連れ戻されるのにさ」

 そう言われて、璃亜夢は箸で摘んでいるうどんが器の中に落としてしまう。

 あまり深く考えていなかった。

 そういえばドラマとかでそういうシーンがあったような気がする。

 だけどもう何ヶ月も経つが、辛うじて警察から職務質問を受けたことがない。

 それはつまり……。


「璃亜夢ちゃんって、家族に愛されてなかったんだね」


 可哀想に。

 永延は璃亜夢を心底憐れむように呟く。

 彼の声色と同じくらい軽薄な言葉だと璃亜夢は思った。

 別に、憐れまれることなんて、どうでも良い。

 彼は食事の世話をしてくれ、現金まで持たせてくれる。

 其処に愛はなくて良い。

 哀れや同情でも良い。


 愛じゃなくて良い。


 璃亜夢は器に落としたうどんを箸で摘まみ上げると「知ってるから家出してるの」と答えてうどんを啜った。

 永延は「そっか」と薄く笑って同じようにうどんを啜った。

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