足跡は残すつもりがなくとも残っていく 9
もちろんつられるように桜井さんと最後まで居た堪れなさを乗り越えてこの場に残り切った熊野さんも肩を震わせながら笑っている。ちなみに裕貴さんに至ってはお父さん達と一緒に声を立てて笑っていた。
「ああ、おやじ、やっぱりこの家での食事は楽しいな。
親父がいなくなってから集まってももう誰もこうやって声を立てて笑う事がなくなった」
楓雅さんが写真を見上げながら目じりに涙を浮かべる。
「好き勝手していたように見えたけど親父は偉大だった。
まだまだすぐ親父のようになれるとは思わないけど、せめて親父より長生きする頃には親父並みにはなってみせるよ」
そんな展望的決意。
かなりの長期戦、結構。結構。
爺さんみたいなめんどくさい年寄りが量産されてたまるかっていうものか。
だけど楓雅さんは俺達と向かい合い
「ここはご存じの通り頑張って維持しても駅前開発に飲み込まれることになりました」
この情報は俺も購入前から知っている情報。
爺さんの持ち家だから頓挫していただけで、やっぱり俺の名前なんてないにも等しいゆえに一気に話が進んだ結果だ。
それでも俺の知る人達にひっそりとこの夏まではという事をこぼしていたのでお目こぼしがあった事も知っている。理由はすでに遠い場所から開発は進んでいるのだから。
意外と財界人の言葉が強い事にビビったもののそれだけの投資はしてきた。目に見えるものではないもので返されただけにこの恩は高くつきそうだとブルってしまう。
そんな背景を思い出しながら楓雅さんの決意に静かに耳を傾ける。
「初盆をこうやって親父なき後まで慕ってくれる人たちと過ごすことが出来、これ以上ない貴重な時間を過ごすことが出来た事を感謝します」
はらりと落ちる涙。
それは当然だ。
生まれてからこの家で過ごし、ここには亡き両親との思い出が詰まっている。
ワンマン社長と思われた父親の営業はたくさんの人を支え、支えられ、見えない所でその力を振るっていた事を亡き後に知った事実。
たった一年で会社を潰すまであと一歩。
最後の最後まで結局亡き親に助けられたこの結果に落ちた涙は純粋に感謝の涙とは言えない。
「最後までこの家の購入だけの金額には手を出しませんでした。
その結果、会社の規模を縮小、部門の縮小、いくつかを統合して派遣やバイトを中心に人材のカット」
むしろその程度で済んでよかったと言うべきか、たった一年で見事崩壊したとか、俺のご機嫌を損ねたからと言うのは切実になしでお願いしたい。
「この家があれば、いつもそうやって頭の片隅で考えていました」
だろうな。
それだけの価値がこの家の立地だけでもある。
さらに言えばこの家におまけのように置いてくれた残置物だけでも数年は食べていける。
いや、生涯か?
手数料にしては多すぎるとつき返したかったが、この展開も読んでいたと言うのならお見事と言うしかないだろう。
ちなみに俺はすでに一年持たず会社を売り渡しているに賭けていたのでギリ残った会社を生き伸ばす方にシフト変換。
それがこの邸の売却だ。
ここで購入できる金額を残していなかったらどうしようもない奴と見捨てるところだったが
「吉野よ、こんなことに巻き込んで本当に済まないと思う。だが、よかったらあのバカ息子をどうか助けてやってやれないだろうか」
俺に家を売る前に言われた言葉。
こうなる未来が見えていたからこそのこの家の売却。
さらに言えば飛行機で会った時にお抱えの財産管理人がいるのにもかかわらずプライベートでトレーダーを雇って私財を増やした理由は子供たちにこの家を買い取れるくらいの財産を作る事だった。
爺さん子供に甘すぎじゃね?
この展開になるほどと納得は出来たとはいえ呆れるしかない。
爺さん亡き後は俺に喧嘩を吹っ掛けながら俺にバカにされて撃退したり、其れこそ嫌がらせのような電話にからかってみたりと坊ちゃん育ちな二人をバカにしてバカにしまくった挙句にどうしようもないほどのバカだと言うように笑った俺は多分楽しんでいたと思う。
だけどそのおかげで、長男と言うプライドだろうか。
楓雅さんだけはこの初盆に俺に会いに来るだけのメンタルは育っていた。
なんで俺のメンタル強化されないんだろうなー……
綾人はそれぐらいがかわいいからいいんだよ。
なんて言う宮下の声が聞こえるような気がして考えるのをやめた。
「俺は親父のようにはなれない。それはこの一年で悔しいほど理解しました。
だけどそれを受け入れるだけでは死してなお心配する親父に顔向けはできません」
爺さんとの会話を懐かしんでいる間も関係なく楓雅さんの独白は続いていたようだった。
って言うか、それぐらいはちゃんとわかってたんだなと褒め称えながらスピーチに耳を傾ける。
「代償としてこの家を売ります。
ですが、それは親父やじいさん達、先祖が懸命に育て、守ってきた会社を引き継ぐためです」
俺達を見て
「大切な人材と言う会社を支えてくれた方たちを失いました。
これ以上親父たちが大切に守って育てた会社から取りこぼすことがないように、厳しい言葉をもってご助言、ご助力を頂ければと思います」
両手をついて頭を下げる。
思わずこちらまで背筋が伸びるような挨拶に
「だったらまずは会社から楓雅さん以外の親族を排除しろ。
それが出来たらこの話の続きをしよう」
俺の言葉に楓雅さんの体がこわばるのは当然かと言うのを表情に出さないようにしながら
「爺さんも言ってた事だ。
木下一族はこの邸と言う財産ありきで親族経営で強く幅を利かせてきたと言う。
邸を売る事でその意味は失うし、むしろ今となってはその親族の方がネックだ。
この不始末を本当に謝罪したいと言うのならそれぐらいをやってみせろ」
そこからの話しはその後だと言えば楓雅さんはぐっと唇をかみしめてもう一度両手をついて頭を下げた。
「九月までには希望に応えた言葉をご用意します」
俺は返事をすることなくお茶を頂き……
月が替わった頃新聞の一角に小さくその報告が載せられていた。
俺の希望に沿った内容、大胆な人事異動。
親族を大量に切った代わりに外部からの人材を大量に入れての改革の報告を見て本当にやり切ったのだと心の中で拍手喝采。とは言え
「寂しそうですね」
「そりゃ、あの爺さんが守って来たものを根底から崩したからね。
爺さんの希望と言っても、それを促した俺だって素直に楓雅さんを褒め称えるのは難しいよ」
ほんのりと焦げ目のついた西京焼きと冷酒を頂きながら
「本当に損な役回りですね」
「遺言を聞いたから。何とかしてあげたい、ジイちゃんにできなかった代わりと思って目をつむってください」
言えばそっと飯田さんは笑い
「さて、今日はパンを焼きまくりますよ!」
「チーズ入った奴焼いてください!
ゴロゴロに切ったソフトフランスパン風な奴でお願いします!」
「クロワッサンではいけませんか?!」
「今日はその気分なので!」
「なんで?!」
そんな普段のやり取り。
ただ餌付けされるだけではない事を主張するように言えば、きっと両方を焼くだろうお犬様にクロワッサンにはチョコを入れて下さいとさらなるリクエストを追加して大騒ぎする俺達の日常は相変わらずで何よりだ。




