短い秋の駆け足とともに駆けずり回るのが山の生活です 3
圭斗の家でお茶を貰っている合間に飯田さんがお迎えに来た。
先ほどの一件があったのでしょぼんとしたお犬様だったけど、俺は圭斗たちに何も言わせないまま
「じゃあ、今日は忙しいから帰るな」
またな、そういって飯田さんに山に向かって走らせてもらうのだった。
「綾人さん、ご迷惑おかけしまして申し訳ありませんでした」
「いえ、俺は何も迷惑をかけられていませんので」
単なる事実。
余計飯田さんがしょぼんとしたお犬様になってしまった。よほど青山さんが怖いらしい。
まあ、怖いよな。
あの笑顔で怒られるのメンタルを瞬殺されるんだよな。滅多に怒るような人じゃないだけに良く見るあの笑顔で怒るから怖いのだ。
笑顔をうまく使っているよなーと思うも俺が使える手ではないので少しあの笑顔を羨ましくなる。
俺がやれば確実に
「綾人、熱があるんじゃない?」
真っ先に宮下に言われる予感しかないので絶対真似はしない。
そんなことを考えていればいつもは右に曲がるT字路を
「あ、そこ左に曲がってください」
少し先に宮下商店が見え、少しずれた左に曲がれるところが我が家につながる道だけど今日はそっちじゃないと言って左に曲がる。
そこから先は旧村道。
今主要になっている村道とは違い、車の対面通行すら難しい細くそして心細い道となっている。
「下の畑にでも用があるのですか?」
「いえ、もうちょっと先までお願いします。ちょっと開けた場所があるので近くになったらまた言います」
なんておしゃべりしたくないというスタンスではない。
下の畑の先は道沿いにぽつりぽつりと家があるくらいで集落とは言えないくらいにまばらにしか人の気配はない。
養殖をやっていたり、畑をやっていたり。
挨拶をすれば高齢化社会の縮図と言うようなくらいにお年寄りしか住んでいない。
むしろ不安じゃないのかと聞きたいが返ってくる言葉は今さらほかの所に住む事は出来ないの一言だろう。なのであえて何も聞かないが、寂しそうに思えても宮下商店で会う時は満面の笑顔でおしゃべりを楽しんでいるのを見れば口をはさむ懸案ではない事は確かだ。
俺だって一人山奥に住んでいる。
寂しいと思いながらも煩わしい人間関係を切り捨て選んだ場所だ。
どうしようもなくなるまでそこで踏ん張る事を選んだ以上口を挟まないでほしいと願うのはきっと俺だけじゃないと思う事にしている。
細く、片側は切り立った崖の曲がりくねった道を飯田さんは慎重に運転しながら数分。
急に開けた石がごろごろと転がりながらもしっかりと雑草の生い茂った場所に車を止めてもらった。
「うん。あそこの路側帯に車止めてもらえるかな?」
言えば丁寧に止めてもらい、俺は車から降りた。
飯田さんも一緒に降りてきて俺は雑草をかき分けて石がごろごろと転がる確かに人が手を入れて切り開けた形跡のある場所へと足を運べば飯田さんも遅れまいとついてきてくれる。
そしてたどり着いた開けた場所。
違和感ありまくるぐらいにそこだけ草が生えない巨大な岩の大地の場所に立っていた。
「あの、ここって……」
心当たりがあるのだろう。
顔面蒼白になりながら俺を見るお犬様を無視していかにも人が手を入れたと言わんばかりに突如崖が始まる場所を見上げながら
「この上から松茸の匂いしますか?」
切り立った斜面を見上げながら聞けば飯田さんは少し口を開いてスンスンと鼻を鳴らす。
少し困ったかのような顔をして
「しませんね。って、ここ松茸の群生地ですか?」
「例の現場です」
言えば飯田さんは一瞬固まり、そして焦りながら周囲を確かめるように首を振り回していた。
「大丈夫です。今は獣の足音はしないので」
そこで俺を見て信頼するかのようにほっと肩の力を抜いた。
だけど俺は崖の上を見上げながら
「事件があって一年になろうとしているけど、俺はあれからここに来れませんでした」
聳え立つ崖で聞いた話で何があったかと想像をしながら
「もちろんここでクマに人が襲われて亡くなった事も理由の一つです。
なくなったというのが理由ではなく、あの時の熊が未だに見つかってないこともあります。
下手に近づくと人の味を覚えたクマに襲われる心配があるというのも理由の一つですが、本音を言えば叔父たちと向かい合う勇気がありません。
もちろん春先の雪解けの水が注ぎ込む川に突き落とされた恐怖の経験もありますが、それを引きずってなくなった今も向き合う気になれません」
肌寒い風が通りすぎていく中俺は飯田さんを見上げ
「あの後ここは警察官の現場検証によってずいぶんと荒らされました。
あの人たちはある程度勢いで登ったようで、警官達も同様に登らざるを得ないようでした。現場に何か落ちてないか調べたり、はしごをかけて上り下りした成果ずいぶんと踏み荒らしてくれたらしく、今年は生えないだろうなと思ってましたが……」
やっぱり駄目だったかと言うようにため息をこぼす。
飯田はその背中を眺めながら綾人が言いたい本音をなんとなく察した。
それは自分と同じく綾人の様子を心配するとある教師が酔っ払ったときに零した言葉にあった。
「あいつは何かと不思議が付きまとってよ、それはめっぽう恐ろしい不思議でさぁ。
あいつに害をなそうと思えば手痛いしっぺ返しが来るんだよ。
まあ、そこは正しい人付き合いをすればいいだけで解消できる問題だけどよ、あいつの恐ろしい所はあいつが嫌いだと決めた相手は俺の知る限りどいつも手痛いどころじゃないぐらいの悲惨な目に合っている。
多分あいつもうすうす気には止めているみたいだけどよ、心ってそういうもんじゃないだろ?ただでさえ押さえ続けられて脆いあいつだから簡単に砕けるものを持っているから……
一瞬の感情に飲まれて取り返しがつかない事にならなければって思うわけよ」
今まで気にも留めてなかった言葉が不意によみがえった。
まるで何かの忠告のようなその言葉。
冷や汗が出て足も震える俺だけど綾人さんは俺を見上げて
「飯田さんの舌が正しいからここはもう放置にしましょう。
今まで手を入れてきたから少し寂しいけど、あんな事もあったから自然に返しましょう」
少し寂しげな顔で俺を置いていくように後姿を向ける綾人の背中をしばし眺めて呆然とする。
それはまるで感情を隠すかのような表情。
近しい所で叔父と言ったような顔や声、瞳の揺らぎなどを作るようになった綾人の言いたい事は不意に思い出した言葉に突如合致した。
「俺の信頼を損なわないでください」
かなり遠回しな言葉だと思ったが、其れゆえに一番近寄りもしたくもない場所に俺を案内したのだろう。
ふっと零した息をなぜか再び吸い込むことが出来ず、だけど視線は雑草に掻き消えた後姿を追いかけて……
「飯田さーん、ぼちぼちかえりましょう!
おなかすきましたー!」
ほんの数分もしない合間の呼びかけに我を取り戻して
「因みに今日のお昼食べたいものは何ですか?」
聞けば
「あのねー……」
雑草をかき分けて道路に出れば屈託のない笑顔が大好物を一択するのを俺は苦笑しながら受け入れたのだった。




