大変恐縮ではございますがお集まりいただきたく思います 7
飯田さんが来ると思って玄関前で待っていようと早く寝たはずなのに真夜中にたたき起こされた丑三つ時。
ここは深山でなくご近所と言うには近くはない都内だっていう事をすっかり忘れていたために想像以上に早くたどり着いた顔はどこか疲れ切ったように表情が抜け落ちていた。
「仕事上がりですか?」
今まで見たことがないほどの能面な顔をしている飯田さんに恐る恐ると言うように問えば
「青山から今日はもういいから行きなさいと追い出されまして」
仕事上がりですぐに来たという流れなのだろう。
青山さん、足止めしてくれたっていいのにと心の中で文句を言いつつ
「お仕事お疲れ様です。
よかったら中に入ってお茶にしませんか?」
きっとお酒を飲みたい気分だろうがザルの人に飲ませる酒はこの家にはない。地下倉庫に気づかれてはいけないという事でお茶を勧めてみれば
「いただきます。自分で淹れますので大丈夫です」
疲れている時に俺の淹れるまずいお茶は飲みたくないと遠回しに言われた気がしたが否定できないのが悲しいかな。
まあ、飯田さんが淹れたお茶を飲めば反省するしかない納得の文句には黙って賛成しておくのがベター。
とりあえず一回のキッチンに案内すればさっそく内覧会。
冷蔵庫の中身はもちろん、食器や鍋を片付けている棚のチェック。当然ながらコンロから換気扇はもちろん排水溝まで隅々とチェックを入れてマーキング完了。
「ずいぶん使われた形跡はありませんね」
見るところ可もなく不可もなくというところだろう。
「あー、メインは二階のプライベートルームのキッチンかな」
あとは客間近くに用意されたミニキッチン。
お湯を沸かすか茶碗を洗うくらいの機能しかなくてもお客の対応をするには十分な設備。サイズとすれば団地のキッチンぐらいはあり、改めてこの家の規模がおかしいことがよくわかった。
だけど今いるのは一回のメインキッチン。ステンレスで構成された、むしろ飯田さんには見慣れた室内の出入り口で俺はすぐに逃げ出せるように取手に手をかけたままにこにこと飯田判定の結果を待っていた。
「冷蔵庫にはこれと言った食品がありませんね」
「今日俺が来た時のおやつが入っているだけだと思います。
ちなみに夕食は二階のキッチンで作って頂いたものを食べました」
「そちらは木下様のプライベートなので拝見はしませんが……」
この大きな冷蔵庫の中身の割にはしょぼ過ぎるだろうという視線が俺に向けられても何とも言えない。
我が家の一つとはいえまだ爺さんに預けてある家なのだから俺が口をはさむ権利はない。
と言うかだ。
「飯田さんは爺さんの事知ってるの?」
「木下様は俺が子供の時はもちろん今も実家の方に出入りしている方なので」
好みとかは変わってなければ知っていますよとさらりとさわやかな顔で言うアラフォーの飯田さんを素直にかっこいいと思ってしまう。
「じゃあ、飯田さんを紹介したら知っているかな?」
「当然です。店にも来ますし、青山ともよく話をしているので時々呼び出されては挨拶をしています」
なるほど。
俺と出会ったのは偶然だけど、どこかで繋がる縁と言うものはあると言うだけの話し。
「世間って狭いなー」
「ですね。綾人さんから聞いていた爺さんがまさか木下様とはさすがに青山共々驚きました」
「そういや空港で遭遇したことなかったね」
「悔やまれます。もし一度でもお会いしていればこんな事にはならなかったのに」
言いながらお湯を沸かして温度を調節して淹れたお茶を俺にも差し出してからゆっくりと口をつけていた。
半分ほど黙って飲んだ所で
「ところで、どうしてこの木下邸をお買い上げに?」
その質問に俺は長い説明を始め
「ただ、爺さんの目が黒いうちはこの屋敷を維持してやりたかっただけだよ。
白内障で濁っているけどな」
なんて説明を終えたけど何度も泣き言を言ってきた飯田さんは嘘おっしゃいという視線で他にもある本音を吐けとまっすぐ俺を見るから少しだけ視線をそらせながら
「みんな爺さんが死ぬのを待ってるんだ」
呼吸の音まで消えたこの決して小さいとは言えないキッチンの中で俺は飯田さんと視線を合わせ
「死亡宣告は受けてしまった爺さんはこの家で先立たれた奥様との思い出のこの家に最後まで居たい。
だけどすでに始まってる財産分与でこの家の立地と敷地面積が評価額を超える、骨肉の争いになっていて、それはこの場所の行方からも周囲も目を光らせていて爺さんと爺さんの奥さんとの思いでなんて誰も気にしちゃいない、そんなの寂しすぎるだろ……」
きっとこの最後の言葉が俺の本音なのだろう。自分でも言ってびっくりして、気が付けばきれいに磨き上げられた冷たいステンレスの作業台の上に小さな水たまりがぽつぽつと作られていた。
「綾人さん……」
ぐっと唇を嚙みながらゆっくりと呼吸を繰り返して
「最も掛け替えのないものから目をそらした奴らにこの家を譲ってやるつもりはない。
当面の管理人も見つけて確保できたから……
爺さんが俺を頼ってくれたんだ。壊して売り払うばかりの話しばかり聞かされた爺さんにこれ以上寂しい思いはさせない」
世の中独立した子供達が生家を放置したり手放したりするのは悲しくも仕方がないと思う。だけどこの場合はこの土地の価値として、そして自分達のエゴで処分しようとしている。
仕方がない。
維持するだけでも莫大な税金がのしかかる以上庭付き一戸建てなんて贅沢はこの街ではそれだけでお宝でしかない。しかも目に見える宝。周囲の目がぎらつくのは当然だという事も体験したばかり。
じっと黙って耳を傾けていた飯田さんは
「仕方がない人ですね」
すべての文句を飲み込んで溜息を吐きながらそっとため息を吐き出して
「ここまで来たのならお付き合いしますよ。
このまま朝を待って木下様にご挨拶させていただいてから休ませてもらいます」
「すみません。いつもお世話になってばかりで」
多分青山さんに早まった真似をするようなら止めて来いと言われたのだろう。
ただ想像以上に物事が早く進んでいて止められる事が出来なかったのはごめんなさいと言う所だが、おもむろに飯田さんはスマホを取り出して
「あ、俺です。
綾人さんすでに木下様のお屋敷を購入した後でした。
悪いけど父さんにも一言連絡しておいてください。俺は綾人さんがこれ以上しでかさないように監視しているので」
物騒な言葉が聞こえたけどそういや今日から飯田さんの休みの日だな。ひょっとして金曜の出勤時間まで監視されるの?
なんて考えている間にお願いしますと会話を結んでスマホを片付けた飯田さんは何やら建設的な色の瞳を浮かべ
「とりあえず着替えてシャワー浴びてすぐ戻ってきます。着替えも持ってくるので俺の部屋の確保をお願いします」
そういって差し出した手とともに
「合鍵下さい」
お犬様のお願いってなんで強制命令に聞こえるのだろうかと俺は無言のまま残り一つになってしまったスペアを渡すのだった。




