古民家生活憧れますか? 3
土間に降りて台所の電気をつける。
そのまま台所の勝手口から外に出て手作りの渡り廊下の先の風呂場から途中で火を消した薪をいくつかバケツに入れる。一度燃やした薪は火がつきやすいからと、ついでに杉の枝もいくつか持ってきて竈にくべる。
キャンプ用品コーナーでお馴染みのガスバーナーで火をつければあっという間に杉の枝から薪に火がつき、新しい薪を投入する。
間伐した木で作った薪はバアちゃんが居なくなって頻繁に使われることがなくなりもう何年ものかわからないもののしっかりと乾いているために煙は最小限だ。
窯に火が回る前にカゴにもりっと野菜を摘んできた飯田さんは竈の準備をしていた俺に感謝をしてくれる。
「いつもありがとうございます」
「こっちもうまいもんいつも食べさせてもらっているのでおあいこですよ」
笑いながら大した事じゃないというものの飯田さんに任すと薪の火の付け方からストップと待てをしなくてはいけなく、家のために火の管理だけはさせてもらうといってこればかりは仕事を取り上げている。
それにしてもだ。
「竈で料理なんて火加減難しいのによくやるよなあ」
既に八歳年上の人生の先輩への尊敬はない。
「いえ、むしろこちらこそいつも使えるように準備してくださってありがとうございます、だ」
今では歳の離れた兄弟みたいなものか。
冷たい山水で野菜を丁寧に洗う手元を隣の座敷の淵に座って眺める。
俺と飯田さんが出会ったのはバアちゃんの葬式が終わった二週間ぐらいした頃だった。
飯田さんが勤めるレストランのオーナーが飯田さん(運転手)を連れてある日突然やってきたのだった。
当時面識はなく、でも運が良い事にちょうど弁護士の沢村さんが居てくれて親戚も両親もとっくにいなくなった静まり返った家への弔問は手伝ってもらって何とかできた。
仏壇の前で手を合わせた二人に冷茶を出して故人との関係を聞き出してくれたのは話を聞く事が仕事だと言う沢村さんの技術というか、この場に弁護士がいたことにびびった二人が話を盛り上げてくれたのだけど
「オーナーの青山さんって東京でレストランを経営してるのですか?」
「はい、こじんまりとした小さな店ですが庭の景観はもちろんインテリアの細部にまで私が手掛けた自慢の城です」
誇らしげに語る青山さんは遠くを眺める瞳で
「おばあさんの弥生さんには生前お世話になったのですよ」
視線を遠くに投げたまま茶をひとすすりして
「当時あまり浸透してなかったジビエ料理を模索していた私はこの山でご主人の、綾人くんのおじいさまと出会いました。一郎さんでしたね。
ジビエ料理の為に野生の獣を仕留めていただく為の猟師を探してたのですが、当時猟師離れが多く、一郎さんの伝手を辿っても量が確保できなくて、でも何とかと縋る私に喝を入れて断念する結果に導いてくださった今振り返れば恩人です」
言うもすぐに苦笑と共に
「私の準備不足と甘さが導いた結果なので、そこで止まらずにジビエ料理店なんて開いてたら今の成功はありませんでしたよ」
夢を諦めてここまでくるのに葛藤があったもののそれらを省略してすぐにその後の話に結びつけてくれた優しさにこう言う大人になりたいと思う。
「これは私の甥で高校卒業して渡仏してフランス料理を本場で八年修行して帰ってきたのですが」
そう言って苦笑。
まあ、水が合わないと言う経験は俺も知ってるから、この歳でそっぽを向いてる甥の飯田さんはきっと順風満々な人生だったのだろうとは思わないけど。
十八歳で一人渡仏なんてどれだけ夢に向かいすぎてんだ?なんて知り合った当時十八歳の俺は心の中で盛大に突っ込む。
それからは沢村さんと青山さんの盛大な怒涛の飯田さんいじりに俺はさっきからずっと顔を真っ赤にしている飯田さんを連れて家の周辺を案内する事にした。