冬が来る前に 6
チームススキ刈りは去年のリベンジだと言う様に皆さん張り切っていた。
家の畑のススキを無償提供の代わりに刈り取ったススキの一部を烏骨鶏の為に用意してもらう、そう言う話になっている。
陸斗烏骨鶏の為に頑張って皆さんが刈り取った物を纏めて一輪車で畑の急な坂道を駆けあがり、馬小屋に用意した竹竿にススキをかけて乾燥させてくれるのだった。これがお米なら鳥や猿が集まる事態になるのだが生憎ススキなので鳥が巣材に奪いに来るか鼠が住み着くか、そんな価値。蛇がいたら困るなぁ、と思うも生憎この辺りは暑くても三十度なせいか見かけない。抜け殻は見た事があるから全くいないわけじゃないのだろうが、ちょっと山を下りればもっと住みやすい環境があるのだ。そっち行ってもらっても全然かまわないと思うもいない理由は烏骨鶏達が小さな蛇を自主規制。
弱肉強食の生態系を目の当たりにするも、これが体格が逆転すれば立場はまた変わるのだ。俺には早々蛇は捕まえれなさそうなので是非とも頑張ってくださいと「ウコよ、タンパク質美味しいなぁ。頑張って食べつくせよ」なんて振り回して奪い合う奴らを見ないようにして農作業に励んだ夏の日を思い出していた。
俺はそれを横目に飯田さんとハーブ畑を回っていた。
圭斗達が帰った後の滞在中にハーブ師匠事オラスにいろいろハーブ農園を巡って見せてもらっていた。
そう、飯田さんが持ち込む日本ではあまり見かけないハーブの種の伝手はオラスさんだったのだ。
ワインに合う料理と言う研究の一環で出汁を取るに日本の文化とは違いハーブを駆使する料理の多いフランスならではの勉強の一環でハーブの知識もまたワインの知識並みに深かった。
なので、城の裏に作った畑はハーブ農園へと急きょ変わる事になった。
まあ、まだ土作りの段階だったから良いけどさ。観賞用のハーブもいっぱいあるしねと、秘密の裏庭的な実は裏庭ってすごいんだぜと言うたくらみは一気に庶民的な物へと変るのだった。まあ使用方法が全く庶民的じゃないからいいけどね。
とりあえずあの改造した馬小屋が朽ち果てた建物にならないように、こっそり息抜きをするのにふさわしいホッとする場となれれば改造したかいがある物だと思う事にしている。まぁ、何とか滞在中に植え付けまでは出来たけど、後はオラスが水撒きをしてくれると言うので後はお願いしてある。
因みにあんなにも詳しいのに実際に世話をするのは初めてだと言うアパートメント暮らしのオラスはなんとあの馬小屋に住み込んで世話をすると言う熱の入れっぷり。奥さんや子供さん達も呆れているけど、あの年で初めて仕事抜きで始めた趣味を微笑ましく見守ると言う素敵家族だった。
正直に言えば一応念の為にと断熱材で囲った小屋なのでフランスの寒さがどれほどかは知らないが浩太さんからOKサインが貰えるくらいだから問題はないだろうと思っている。
そんなオラスさんからハーブの種を貰って帰って来た。
農協のラインナップの物から園芸用の品種を抜いて土を整えてphを合わせて帰国後すぐに発芽させた苗をポッドから移し替える。勿論その後トンネル型のビニールハウスを設置する。本音を言えばこれから冬を迎えるこんな季節に発芽したばかりの苗を植えたくない。だけどポッドに入れて家の中で育てても徒長して強い苗にはならない。なので移植したけどこの山奥は雪が深いし日照時間も短いどうした物かと思うも
「それならいろんな場所で育ててみましょう」
何て飯田さんの提案。
「麓の家の軒先にプランターで植えてみてはどうでしょう?」
「まぁ、雪は被らないしここほど雪は降らないし?
でも温室作らないとダメだろうな」
風の冷たさでダメになると判断して早速探す。もちろんそこまでお値段の高い物を買うつもりはない。
ホームセンターの通販でヒットした一万円もしないビニールハウスがお手頃価格でちょうどいいと思いこれでどうだと聞けば飯田さんの許可を得て即決。
「日本で入手しにくい物でも駄目ならまたオラスに送らせますよ」
「あー、何だかどんどん種類が増えて行きそう」
「こう言うのはついコレクションしちゃいますからね」
何て俺がスマホでビニールハウスを購入しているのを見た飯田さんもスマホを操作しながら
「東京でも作ってみます。ありがたい事にベランダは日当たりもよく広いので俺もビニールハウスで育ててみたいです」
「じゃあ、まだ植えつけてない奴ポッドごと持ち帰れる?って車じゃないから無理か。なら来週まで預かるよ?」
「あー、レンタカー屋に返却場所変更できるかききます。出来たのなら父さん達を名古屋まで送ってからそのまま車で東京に帰ります」
きりっといい顔で親よりも苗を取った飯田さん。。そろそろお昼の準備に取り掛かるから戻ってらっしゃいと言いたげなお母さんが後ろに立ってらっしゃいますよと教えるべきかどうか悩む合間に飯田さんはお母さんに無言で連れて行かれてしまうのを黙って見送るのだった。
幾つになっても親には敵わないのかと微笑ましく見守るもあの父親と母親だからなのだろう。
無言のお父さんとこじれた時期もあったみたいだけど、同じ料理の世界に入って一番身近な人が誰よりも高みにいた事を改めて思い知らされれば……
さらにこじれて距離が離れてしまったのは懐かしい話だと一年前を思い出して全く同じ行動をするこの親子に笑みをこぼすのだった。




