夏が来る前に 9
白樺の並木道の小道が続くアプローチをくぐれば品の良い白壁のエントランスが俺達を向かえ入れてくれた。
予約をしていたのかすぐに案内してくれた店内は平日なので人は少なく窓際に何組かの老夫婦が居るだけ。
俺達はガラスが隔てた厨房が見えるテーブルに案内された。普通ならライトアップされた自慢の庭の見える窓際なのだろうがと思うも椅子を勧められて納得した。
このレストランには竃オーブンが設置されていたのだった。
調理のライブパフォーマンスを見せるレストランがあるのは山奥暮らしでも知っていたがこんなご近所で、いや、高級別荘地だからこそこう言った店があるのだろうか。
厨房で忙しなく働く料理人達に圧倒させていれば程なくしてギャルソンがメニューを取りに来てくれた。
「飯田様ご無沙汰しております。
本日はご友人を紹介いただきありがとうございます」
ギャルソンはロマンスグレーの髪を後ろへなでつけ顔に深いシワを寄せて人の良い笑みを見せてくれた。
「山口さんもご無沙汰してます。ご壮健で何よりです」
ペコリと頭を下げるあたりというか名前を知ってるぐらいの間柄。常連なのかと想像してしまい、じっと二人の様子を伺っていれば
「山口さん、ひょっとしたら叔父からも話を聞いた事があると思いますが、彼が叔父の恩人の吉野さんの孫の綾人さんです。
綾人さん、山口さんはかつて叔父のレストランで二十年近くフロアを仕切ってくれた方です」
そんな紹介に俺はペコリと頭を下げるも少し驚いたように見開いた目を柔らかく細めて
「はじめまして山口と申します。東京のレストランのスピードは流石に老体には厳しくなりまして。こちらのオーナーシェフにのんびりとさせてもらってます」
微笑みながらミネラルウォーターを脚の高いグラスに注いでくれている間にメニューからアペリティフを提案してくれて飯田さんが受け答えしてくれていた。
本格的なフレンチなんて知らないから飯田さん任せにしているもの、視線は厨房へと向かってしまう。
瞬間的立ち昇る炎、活気の良いシェフの声をガラス一枚隔てたこちら側では会話と耳のじゃまにならないようなボリュームの弦楽四重奏の音楽が流れている。
キョロキョロと厨房を見る俺を飯田さんは黙って俺を好きにさせてくれるもすぐにオードブルがはこばれてきた。
そして先ほどの山口さんではない男の人が立っていてくれたって。
その人は山口さんに頼んだアペリティフを持ってきてくれたのでソムリエかと思うもコックの服を纏っている。随分と変わった店だなと思うも
「飯田、よくきてくれた。しかも可愛らしいお客も連れて来てくれて」
「小山も久しぶり。今日は勉強にきたよ」
「飯田に勉強だなんて、怖いな」
そう言って俺に笑みを向ける小山さんにこの人も知り合いなんだと思えば
「それよりもこんな田舎に来るなんて珍しいな。しかも……友人を連れてなんて」
一瞬俺を見て悩んだあたり普通に見れば友人とは思えない年齢の開きを感じたのだろう。そこは俺も何て紹介するつもりだ、どうなんだ?と黙って居れば
「お前には勿体なくて紹介したくはなかったが吉野綾人さんと言ってね、聞いた事あるかも知れないけど青山の恩人のお孫さんなんだ」
それだけのなんて事ない説明にもかかわらず、小山さんは息を飲んで俺を凝視していた。青山さん、一体皆さんにうちのジイちゃんバアちゃんをどんなふうに説明してるんだと心のなかで突っ込んでおくも
「綾人さん、小山は叔父の店で働いていたスー・シェフでして、実家がこちらと言う事もあって山口さんを引き抜いてレストランを開店させた裏切り者です」
くつくつと笑いながらの説明にそこは独り立ちだろうと焦った声で誤解だと言う。
「小山、少し話がしたいのだけど?」
「まあ、今日は後お前達だけだから厨房の奴らに断ってくる」
そう言って帽子を取りコックの服を脱いでいく。流石にズボンまでは脱げないが、戻ってきてテーブルに付けば今度こそ本物のソムリエが小山さんのために水を注いでくれた。
「で、話とは?」
「実はこの綾人さんの家が茅葺屋根の古民家で今度骨組み以外すべて改築するんだ」
「へー、古民家のリフォームってすごいな」
感心するかのように目を見開いている小山さんに
「もちろん竈に囲炉裏もある。梁もむき出しにした趣のある家になる予定だ」
「あー、飯田。お前の趣味全開だな」
「それを増長させてくれるのがこの綾人さんだ」
オードブルのカモのハムを食べている所で振られたものの口に物が入っているので頷けば
「こいつをあまり甘やかさないでくれよ」
ゴクンとカモハムを飲み込んで
「すでにこの話は飯田さん中心に話が進められていて俺はお金を支払うだけですね」
「うわ、お前それはひどい……」
抗議の視線に飯田さんは顔をそらす。一応自分がどれだけ無茶を言っているのか理解しているようなので悪いことをしてしょげているような大型犬を見て俺は笑ってその場を流す。
「まあ、家を解体するつもりでしたので同じお金をかけるとするなら作り直す方が建設的でいいじゃありませんか。お金は倍以上かかりますけどそれを補うくらいに飯田さんの料理が食べれると思えば金額じゃないですよ」
「確かにお抱えコックとは贅沢だ」
コックの言葉じゃないと思う。
「ここの窯はガスか?だが綾人さんの窯は薪だ。
本宅の母屋には今も竈が使えるし五右衛門風呂もある」
「それはなんていうリゾート地だ?」
クツクツと笑う小山さんはお前が夢中になるわけだと話している間にオードブルからスープへと変わる。今は季節柄コーンの冷製ポタージュだった。夏も冬も別け隔てなく美味しく食べれるコーンポタージュは我が家でも時々食卓に上るも裏ごしが適当なのでこんなにもなめらかにならない。
シャンパンのグラスに注がれてそのままドリンクのように飲むという趣向はどうかというもさらりとした舌触りととうもろこしの濃厚な甘みに確かにスープと言うより飲み物だなと感動する。もちろん調理の過程として刻んだ玉ねぎを焦がさないように炒めたりレストランではおなじみにコンソメスープを使ったりするのだろう。粉末のスープばかり飲んでいるので調理の工程はだいたいこんなものだろうという内容しか知らないがそれでも手間ひまのかかった料理だということはわかる。いつも烏骨鶏に与えているとうもろこしもこんなふうに化けるのか感心する。ただし目の前に座る飯田さんは小山さんと離しながらもスープをゆっくりと飲みながら小首をかしげるのを見て、小山さんはさっと視線をそらせるあたり二人には俺にはわからない世界が有る事を察した。




