夏がくる前に 3
「なんか知らんのが居る」
「兄ちゃん、失礼だよ……」
「この寝てる人が例の飯田さん。フランス帰りのフランス料理のシェフの人で別名水木の人」
「何?その水木の人って……」
「水曜日と木曜日のにやってくる単身赴任のお父さんな感じで」
「……」
そんなふうに宮下商店では思われてたのかと思うもこの人まだ三十代だし、せんせーより若いんだし、独身だしと頭の中でいい加減なことを言うなと反論するものの宮下家の設定が面白いので黙って採用しておく。
「猟友会の人には天敵だとか達人とか呼ばれてるけど」
「それもどうなんだよ……」
何て両極端なと陸斗は笑う。
「鹿や熊をバラすのはやっぱり料理人だから手際が良いってみんなべた褒めだけど、綾人の家の烏骨鶏を食べる猟友会の敵だって」
「なるほど、自分達の取り分を減らす敵か」
「毎年クリスマスローストチキン作ってくれるいい人だよ」
宮下家への餌付けは既に完了されていた。
「よし!綾人、今年は俺の分も頼む」
「えー、解体するの俺なんだぜ?」
「陸斗も烏骨鶏のクリスマスチキン食べたいよな?」
「兄ちゃん人をだしにしないでよ」
三和土で喋っているのに一向に起きそうもない飯田さんの説明をしていれば内田さんまでやってきた。玄関は鍵が開けっぱなしの上今は扉自体開けっ放しだ。
「ほう、あれがフランス料理のシェフか」
「内田さんまで、どこまで噂が……」
「そりゃ猟友会のやつらだ。これがよく鹿肉を買いに行くからなぁ」
しゃくる顎の先には息子さんの浩太さんがいた。
「親父、この家やっぱりすごいわ。さすがジイ様達が作った家だけあって梁なんかすっげー味があってなんで小屋にしていたのか理不尽だ。吉野さんせっかく大規模に手を入れるのだからと屋根を葺き替えて下地も変えて、あ、お金あります?土地持ちなんだから少し畑を売ればいけますよね?でしたらとことんやっちゃいましょうか」
「何バカなこと言ってる」
無茶苦茶な事を言う息子とは別に内田の棟梁は呆れながらも大工仲間と茅葺き職人仲間を連れてきて状態をじっくりと見ていた。
「で、実際どうです?住まいとして使えますか?」
「使えるも何も、ちゃんと手入れをすればいくらでも使える。
むしろ改めて手を入れて使ってくれる事に感謝するぞ」
どこか潤む内田さんの白内障で濁った目は今の母屋を作る時はまだ若造だったらしく、すでに亡くなった祖父が現場を取り仕切る様子を今でも覚えているという思い出もあるのだろう。その時は今回手入れをする家にまだ住んでいて、母屋を建てるに当たり山を切り崩して建てたと言うのだから当時の建築は大変だった事がそれだけで伺えた。
「それで屋根裏の茅とか納屋の木も使っていいのか?」
大工仲間のひょろりとした背の高い山川さんが別の納屋を案内してみせた木材に目をキラキラとさせていた。
「使ってください。ジイちゃんがいつか家に手を入れる時にって切り出していた物らしいからってバアちゃんが言ってたし」
「まあ、吉野家は昔は林業で一財産築いた家だからなあ。これぐらいの木は持ってて当然だろう」
「俺としては使いみちのない木を目的通りに使っていただければ供養にもつながるというもんだと思ってますので」
言えば内田さんもそうに違いないと大声で笑う。
「それにしても一郎さんは家の大黒柱はシロアリに食わせてやっても切り出していた木のシロアリ対策は万全を整えてるなんて、やっぱりあの人も木こりなんだなあ」
「晩年はすっかり農家に成り果ててたくせにな」
山川さん内田さんの会話に俺の知らないジイちゃんの話に自然と口元が緩む。
「それで土間の冷蔵庫はどうする?そのまま置いて作業してもいいがホコリまみれになるぞ」
「移す場所がないのでそのままお願いします」
言いながらも数時間前に話を思い出して
「そう言えばまだ変更ってききますか?」
集まった大工の人達の顔は今ならどうとでもと言う。
「土間側の台所を少し変更をお願いしたいのですが……」
「何だ?ついにフランス料理屋でも始めるつもりか?」
内田の爺さんのまるで思いつきのような言葉になんて言えばいいのか戸惑ってしまえば全員が物好きめと呆れた顔をする。
「なんて言うか、フランスも窯を使って料理作ったりするでしょ?今庭に作った簡単窯じゃ料理できるサイズも限りがあるし、雨の日は使えないから家の中にあればいいかなって?」
「古民家にピザ窯って違和感しかなくね?」
いつも率直な意見を言ってくれる宮下に圭斗も陸斗も盛大に頷く。
「まあ、普段の料理は母屋だし別に客を取るつもりはないんだろ?」
そこは内田の親父さんが何やら考えてくれるようだ。
「店屋を開くつもりはありませんよ。ただ、茅葺きの家なので防火の面で火事を起こしたくないのでそれぐらいしっかりとお願いしてもいいでしょうかというお話になります」
「そう言った話か。てっきり店でも開くかと思ったが……」
なぜ内田の棟梁がそんなにもがっくりとした顔をするのだと思えば
「親父、飯田さんのフランス料理が食べてみたいからってそんな顔するなって」
単なるフランス料理を召し上がりたいだけのようだった。
「いやな、仕事で色んな所で飯を食わせてもらうんだがいつだったか東京で食べたフランスの田舎料理が忘れられなくてなあ。
こってりとしたシチューとホックリとした魚の料理は見た目ほど辛くもしょっぱくもなく、デザートのりんごのタルトもアップルパイと違って美味かった」
「爺ちゃんそんなうまそうなもの食べてたのかよ」
そばにいて全く会話に参加してこなかった内田さんのお孫さんがここで初めて会話に参加してきた。
因みに陸斗もお孫さんも今日は個人懇談があるから早く帰ってきたらしく、俺が午後からなら会えると言った為に偶然にも学校に迎えに行ってから拾ってそのままやってきたと言う流れらしい。
内田さんが孫が将来大工を継ぎたいと言ってくれたから見学させてくれと紹介されたのは雅治くん十五歳、陸斗君のクラスメイトでもありここで顔を合わせてふたりともびっくりしていたようだった。今も一言も喋らなく視線を合わせないようにしている様子を見ればどう考えても仲は良さそうには見えなかったからね。そっと俺達も知らないフリをしておいた。
「これが職人冥利ってやつだ。雅治も食べたければ一人前の大工になれ」
言いながらゴツゴツの硬い手の平で孫の頭を撫でる姿は棟梁というよりただの好々爺だ。
笑いながらもかつての居住区へと全員で足を運び
「綾人、台所は土間のままでいいのか?」
「靴のまま入れるのは楽なんだよ。だからといって油で土間が汚れるから」
掃除が面倒なんだよと悩めばやっぱり土間に台所を入れるのはやめようか台所自体を無くそうかと考えてみた。




