2020年6月29日 星の王子さまの日
2020年6月29日
逃げたくなった。
私はこの数字会社で働くことになった。決められた数字、水準、平均値、それらを意識して成長し、そうしておとなになった後ではそれを調整しながら、更に管理して、されて。名前の通り、数字を扱う会社だ。
数字会社は今の世界で最も大切な仕事とされている。数字会社のやることは絶対に正しいから、誰もが数字会社に所属している。
夢のない話かもしれないが、これでも私には夢があった。私はものを見て感動を覚えることが多かったから、自分自身も何かを作る人になりたくて、自分の作ったもので誰かに感動を与えたいと思っていた。感動を与えてくれた作品は私の中で大切な宝物だ。
でも数字の上で、それは単に不要なモノでしかない。別の大人が、私の大切なモノを見て良い燃料になると言った。
燃料? 私は尋ねた。「そう、燃料だ」……私もその燃料を使って、今数字を管理しているらしい。そんな燃料を使った自覚は一切なかったから、もう少し詳しく聞いてみることにした。
その大人は、じゃあ君の大切なものを燃料にしようと言った。私は嫌だと言ったが、その大人は怖いことかもしれないが、通らなければならない道だし、みんな通っていると言って私を連れて行く。
そうして連れてこられた場所で私はあるものを受け取った。それは一枚の手紙で、そこにはこうあった。
『残念ながらあなたの作品は誰からも評価されませんでした。小さな評価だけはされますが、結局のところ、誰の心にも留まらず、忘れられ、全く意味のない作品です。存在価値はありません。私も残念に思います。でも、ただもう少し上手に出来るようになってから挑戦すべきでしたね』
宛先には私の名前が書かれている。大人は「さぁ燃料になったよ」と言った。
私の中から、なにかが砕けて、それがチューブに吸われていく。私から出ていったモノは星々のようにとてもキラキラしていて、目を奪われるほどに美しい。でも、隣にいる大人にはそうは見えていないらしい。掃除機のようなチューブで吸って、どうやら社内に散布されているらしい。
そういえば、私がここで働きだして、私も数字会社を頑張ろうと思ったことがあった。
たしかそのときもキラキラが降ってきた。誰かの大切なものが砕かれて、それを浴びたんだ。それは私のキラキラよりもずっと量が多かった。きっと今みたいな手紙を受け取るまでは、私よりももっと純粋に大切にしたものがあった人のキラキラだ。
「燃料だよ」大人は言った。
「こうして大切なモノを砕けると、他の人が頑張る燃料に代わる。キミが大切にしていたものは大人からすれば無駄なものだったけど、最終的に無駄じゃなくなってよかったね。君が好きだったものを諦めて、砕いてでも数字会社に勤める姿を見た人は、もっと頑張ろうと思うし、自分の今の頑張りを肯定出来るんだ」
そう言われて、私は逃げ出すことにした。でもどこへ?
数字会社のセキュリティはとても厳重で、抜け出すことは出来ない。メインホールもシャッターだらけで外すら見えないほどに開いてないし、地下からも出られない。でも誰も追ってこない。なぜならみんな自分の担当する数字を管理することでいっぱいだし、逃げ出そうとする人はこれまでにもいっぱいいた。
でもその大半は自発的に戻ってきたからだ。
私は上に向かった。このビルの一番上なら外は見える。私は一番眺めのいいところから外を見た。そこから街を見ると、所々が輝いて見える。どうやら自分の宝物を砕いたキラキラを見たことで、他の人の宝物の光が見えるようになったらしい。
みんな持っていた。宝物を。でもおとなになって、この中の何人がその宝物を持ち続けることが出来るのだろう。きっと大半の子どもたちがそれを砕くことになる。私のように。
じゃあ、大人になるということは数字と向き合って、決められたことをして……宝物を砕くこと?
私の中には、まだ幸い少しだけ砕かれていない宝物が残っていた。これだけは砕きたくない。他の人の燃料にもしたくない。
でもこれを持ち続けていることは出来ない。そのまま抱えてここから落ちればずっと持ち続けられると思うけど。
「誰か……助けて!」
私は叫んだ。数字会社の連中にも聞こえてたはずだけど、何人かはこっちを見て、それだけ。
でも。
「誰が叫んだ悲しき声を!」
「すっかり応えてあげましょう」
「忘れてしまった心のスイーツ!」
「スイーツ? なにを言ってるんですの?」
全くリズムの揃わない五人の女の子達が、いつの間にか私の目の前にいて。
「私達に助けを求めたのはあなたね」
小さな子がそう言った。助けてくれるなら誰でもいい、私は頷く。
「私達は対数字会社のレジスタンスグループ。ここから秘密裏に脱出したい人たちを手助けしているの」
「最近増えてきたんだよな、数字会社が嫌だって人」
「前からいましたけど、教育が盛んでしたから、ちゃんと逃げられない人が多くて……」
「ここはたしかにダメですわよ。大変な仕事量な割に全く稼ぎになりませんから。あなた幸運でしたわね。とは言えこの先の道は、もっと大変かずっと楽か、あるいは両方かですわ」
どんな道でも良い。数字会社じゃない場所に行きたい。すると静かな子が手を伸ばしてきて、私はその子の手をとった。
「これから、少し信じられないことが起こるかもしれないし、聞いたり見たりするかもしれない。数字会社から抜け出すための道はかなり独特なの。でもその全てを受け入れられたら、数字会社を抜けることが出来るわ」
「はじめに言っておくぞ。私は超最強だからやばいやつが出てきても一撃で倒すけど特に気にする必要はないからな」
「わたしも惑星を粉々にするタイプでーす☆」
「もしも成功したらわたくしに連絡くださいね。はい、これアドレス。それ以外で連絡は控えてください、ファンが悲しむので」
そうして、私は突如落ちてきた隕石に乗せられた。もう既に信じられないけど、でも受け入れる。それから小さな子がこう言った。
「この脱出ルートを抜けた後、私達は次の依頼人のところへ行くからあなたと話している暇はないかもしれない。先にこの箱を渡しておくわ」
小さい子が私に両手で持つくらいの箱を渡した。
「この中にはあなたの一番大切な物が入ってる。でも開けちゃだめ。もし開けたら何が起こるかわからない。数字会社に戻ることになるかもしれないし、もっとひどいことになるかもしれない。だから、開けて見ちゃだめ。見たくなったら見てもいいけど、箱を開けちゃだめ」
そうして私は、わからないながらに隕石に乗って脱出ルートを進んだ。
それから一年。私は数字会社を抜けて、別の道で生きることにした。周りからは反対もされたけど、でもいいんだ。この箱もあるし。
当時は箱を開けないだけだった。家の、ベッドの近くに置いて、いつも眺めてる。最初は箱を開けないで中にある大切なものを見るということがどういうことかわからなかった。
でも時間が経って、最近ようやく箱の中身が――――――。




