2020年6月16日 スペースインベーダーの日
2020年6月16日
ちょっとお出かけ中の衣玖。気が向いて買い物にでも出ていたようだ。
しかし天気の荒れやすいこの時期。局所的な大雨に見舞われて、ビショビショになった衣玖は道の途中にある屋根付きのバス停で雨宿りすることにした。
衣玖「ふぅ……」
面倒な。衣玖は空を見上げ、空気の流れを見て数分後にはやむ通り雨であろうことを推測し、備え付けのベンチに座って一息ついた。体はびしょびしょだが、普段からハンカチなどを持ち歩くようなタイプでない。
ポケットに入れていたスマホは防水性で、留音に電話して傘を持ってきてもらうか迷った。だがまぁ、どうせすぐやむ雨だ。涼しさも増して、快適な時間をのんびり過ごすのも悪くないかも知れない。ここは大雨に遮断されて、自分ひとりだけが住む城のよう。
なんて思っていた矢先。
「ちゃー。サイアク」
衣玖の入っていたバス停に、若干日焼けして金髪の女性が飛び込んできた。見るからに遊んでいるタイプというか、一昔前なら一言で「ギャル」という感じの人だ。
衣玖は「陽キャだ」とチラチラ見ながら身を丸めて少し緊張する。
「っとにもー……ビショビショじゃん……ホント最悪ー……」
陽キャはハンカチを取り出し、濡れた髪、腕などを拭いて軽くハンカチを搾っている。ぴちゃぴちゃと少量の水滴が落ちている。
それから衣玖の隣のベンチに座り、衣玖と同じようにスマホを取り出すとどこかに電話をかけ始めた。
「……ぁもしもし? あーしだけど。今バス停のとこ。……うん、うん」
衣玖の耳にかすかに電話の向こうの声が聞こえる。この陽キャと同じようにどこか明るさを感じるような女性の声だ、友達なのだろう。それがプツンと切れて。
「……あれっ。もしもし。もしもーし……」
陽キャはスマホを耳にあてたり、ボタンを押したり画面をタッチしてみたり。しかしどうやら起動しないらしい。
「なにこれサイアク! もうー!」
どうやら雨に濡れてしまったのが原因で接触不良になっているようだ。陽キャはイライラした様子でスマホをぶんぶんと振ろうとしたところで、衣玖は「あっ」と声を出した。
「……? なに?」
陽キャは衣玖の声と視線に気づき振るのをやめている。衣玖はしまったなと思いつつ、機械愛みたいな部分から控えめにこう言った。
衣玖「あんまり振らないほうが良い、完全に壊れちゃうかもしれないから……」
「そうなの?」
衣玖はうんと小さく頷く。
「でも振ったほうが水飛ばない?」
衣玖「雨みたいな水だと基礎部分が濡れたら二度とつかなくなっちゃうかもだから、自然に乾くのを待ったほうが良い。乾ききるまで電源も入れちゃだめ。一晩乾燥剤と置いとくとかして……」
「へぇ……」
陽キャは素直に言うことを聞いて、なるべくスマホを動かさないようにベンチの脇に置いた。
「ねぇ、ビショビショ。これ使いなよ」
陽キャは衣玖を見て、雨にたくさん濡れているのが気になったらしい、先程のハンカチを差し出してきた。
衣玖「い、いや、大丈夫。全然、涼しいから」
「風邪引くよ。ほら」
陽キャはお構いなしに衣玖の頭から優しくハンカチで拭き始める。がさつさはない。友達同士で髪をいじりあったりするのを慣れているのか、丁度いい力強さで衣玖の水滴を拭っていった。
衣玖「ど、ども……」
「ん。すごい雨だね」
衣玖「まぁ……」
なんだか奇妙な気分を覚える衣玖。名前も知らない、会ってばかりの人とビショビショで隣に座っている。
「いつやむんだろ……傘持ってないし、コンビニも遠いし……」
衣玖「通り雨だからすぐやむ。多分10分とかで」
「こんなにめっちゃ降ってるのに?」
衣玖「うん。涼しくなる」
「……ホントかなぁ」
二人はぼんやりと落ちる雨粒が地面に打つかって激しく弾ける様子に目を向けていたのだが。
「……友達のとこ行こうと思ってたんだけどさ」
衣玖「え?」
「その子やばいんだ。聞いてくれる?」
衣玖「いいけど……」
陽キャのやばいはどれくらいやばいのか掴めない。態度からすれば、あまりやばそうではない。
「好きだった人が海外に行っちゃってさ。まぁ3回告っても成功しなかったんだけど」
衣玖「うん」
「でもいなくなった途端に誰でもいいみたいになっちゃって。ネットで50歳の男と知り合ったとか言ってんの」
衣玖「……?」
「自分の年の2倍はやばいっしょ。生き急ぎすぎじゃない?」
衣玖「へぇー……?」
衣玖はよくわからないながら相槌を打っている。
「しかも相手独身らしいし。いや既婚者はもっとやばいけどさ。デートするか迷ってんだわ。絶対やめとけって話なんだけど寂しいとか言って」
衣玖「寂しい?」
「そ。おかしくなってんの。趣味ないからさその子。ちょっと説教しにいくんだわ」
衣玖「そうなんだ」
「人肌寂しいんだってー。まともに付き合ったこともないのにそういうことばっかやってんの。ちょっとぶっ飛んでるっしょ」
衣玖「よくわからないけど、人肌寂しいっていう感覚は錯覚よ。無視してれば収まる」
「すれてんねー。でもそうなんだわ、そんなので続けてたら絶対悪いやつに泣かされる時が来るもん」
衣玖「……」
ぼんやり、雨の音を聞く。衣玖にはどういう意味だったのかしっかりと把握出来ていないが、会話が終わったということは相手も満足する会話だったのだろうと推測している。
やがて十分弱という時間が経つと。
「あ、ホントにやんできた。すごい」
衣玖「偏西風が吹いてたし典型的なにわか雨よ。ちょっと見てればわかる」
「何? 博士なの?」
衣玖「うんそんなもん」
「面白っ。じゃあ友達がおっさんに騙される前に行くわ。ありがとね、ちっこい博士ちゃん」
衣玖「ちっこい博士……」
陽キャは衣玖に構わずスタスタ行ってしまった。
結局衣玖にはよくわからない話だった。衣玖にとってはまるきり宇宙人。小さなバス停という衣玖の城に侵入してきた宇宙人だ。
衣玖「……帰ろ」




