2020年6月5日 Pepperくん誕生の日
2020年6月5日
衣玖「これは……」
衣玖の元に届けられた一通の手紙。宛先は衣玖。だが送り主もまた衣玖である。
衣玖はその手紙を開き、中に書かれた文字に目を走らせる。そこにあったのは紛れもない自分の文字と、自分への静かな怒り、そして「準備が出来た、決着をつけよう」という言葉だった。
衣玖「ついに来たのね……Ikku……」
かつて、衣玖はあるロボットを作った。世間に普及しているとあるアンドロイドを真似て、名前はIkku。
件のアンドロイドのように白くてどこか不気味で、でも可愛らしいフォルムとは全く違う、衣玖の技術力を持ってして、服を着させればほとんど衣玖と違いがわからないほど精巧に作られたロボットだ。
衣玖は当初、これを相棒のようにしたかった。
衣玖「どこで何をしていたんだか……」
衣玖はかつてのことに思いを馳せながら軽く笑う。作り上げ、人格データをコピーし、セーフティも設定した。だが天才を模したロボットはまた天才。自分の内部データをすべて書き換えて、まるで人間のようにどこかへ消えてしまった。
衣玖はその事をみんなに話した。つけるべき決着とは、つまりIkkuの解体にある。
留音「そんな事になっていたなんてな……手伝うぞ」
衣玖「ううん、これは私一人でやらないといけないこと。みんなは静かに見守っていて欲しい」
そうして手紙に書かれた日が訪れる。この日はどんよりと暗い曇で、ジメッとした湿度が衣玖の不快指数を高めていたが、対面するIkkuは湿度を不快と感じない。
Ikku「現れたわね。……私から全てを奪った偽物め」
衣玖が対面したIkkuは、衣玖と全く同じ格好をしていた。背丈はもちろんデザインされて同じだし、服装もどういうことか同じだった。機械であればなんらかのアクセスをたどって衣玖の行動や格好などが筒抜けだったのかもしれない。意図的に合わせられたモノのようだ。
衣玖「Ikkuちゃん……本当に悪かったと思ってる」
ロボットは、一定以上の知能を与えてしまったらそれはもう人間と変わらない。擬人化された人形ではなく、悩みが発生した時点でそれはもう知的生命体であって、それを無碍に扱うことはペットを飽きたら捨てるような行為に等しい。
Ikku「やっとよ……今日でやっと……私は私の家を取り戻せる」
衣玖「せめて楽に終わらせる」
見守る仲間達は衣玖の名前を呟くが、衣玖はそれに答えずに前へ出た。
両者は同じように手を掲げ、そして同じように背後から何らかの物質を飛翔させた。自律行動型電磁発生ユニット。動き回るそれはユニットの一部から高圧の電気を発する装置があり、人が触れれば気絶し、ロボットが触れれば回線がショートして動けなくなる。
どちらにせよ行動不能を狙って作り上げられた、ほぼ同一の兵器であった。
ただ、品質は衣玖のものの方が上だ。自身の研究所があるし、Ikkuは素材をどこかからかある程度妥協して集めなければならない。その結果、押し込まれているのはIkkuの方だった。
Ikku「クッ……!」
すぐに劣勢を感じ取ったIkkuは衣玖へと突進する。身体出力でなら勝てると踏んだのだろう。それを阻止しようと衣玖の自立ユニットが飛び回るが、Ikkuは腕部に取り付けていたなんらかの近接兵器を機動させてユニットの制御を奪い、接敵した。
真凛「衣玖さん!」
真凛の叫びは衣玖が窮地に陥ったからだ。Ikkuの突進によってゴロゴロともつれ転がった衣玖とIkku。自立ユニットが飛び交い、混沌とした空間の中で二人の合わせ鏡がお互いの手を絡め押し合って、お互いの動作を止めさせようとしている。
衣玖「お前がいなければ!」
衣玖「だって……! 仕方ないじゃない!」
西香「ちょ、ちょっとまってくださいッ……」
西香が声をあげた。もつれ合った二人、飛び回るユニットやちょっとした影が一瞬でもみんなの視界を奪ったのなら。
西香「ほ、本物はどっちですの……?」
それは当然起こることだった。
留音「どっち……って……えっ……」
同じ背丈と同じ格好、声も何もかも同じ。もつれ合いが解除され、衣玖から距離を取った衣玖が留音らに不安そうな声で言った。
衣玖「ちょっと……なに言ってるの!? さっきまでみんなと一緒にいたのは私よ!」
衣玖「騙されないで! そいつが偽物! みんなと一緒にいるのは私!!」
留音は真凛を見る。真凛なら見抜けるのではないかと思ったが、真凛も複雑な表情で見つめており、見抜けていない様子だった。それはそうだろう、人間の魂の色を見るという真凛だが、そもそも魂の定義が人間性であるのなら、それがたとえ機械であっても衣玖と同一のアイデンティティを持ち、悩みや進化が可能であれば自然と同じ色を発する。
目の前にいる衣玖と衣玖は紛れもなく衣玖同士であった。
衣玖「そ、そうだ、関節! ほらっ、人間!」
片方の衣玖が袖をまくり、手首を肘を見せつける。スムーズな曲線は紛れもなく人間のものである。それを見た片方の衣玖が驚愕している。
衣玖「な、なんでっ……自分で改造したの……!?」
驚いた方の衣玖もまた袖をまくり、人間の腕をみせつけた。
留音「お、おい……マジか……」
衣玖「本気で私を殺して入れ替わりたいのね……」
衣玖「違うっ、ラボに戻りましょう! そこで間違いを正すからっ……」
その時、油断した衣玖にユニットの一つが突っ込んでいった。昏倒する衣玖。衣玖は衣玖を静かに見下ろした。
衣玖「ルー、この子を運んでもらえる……?」
留音「あ、あぁ……」
留音は衣玖の指示に従って倒れた衣玖を抱き上げる。重くはない。ユニットの触れた皮膚が赤くなっていて可哀想だと思った。
留音「な、なぁ衣玖……」
だから不安になった。いつもの衣玖がやられてしまったんじゃないのかと。それを察した衣玖は自分の指を眺め、左中指の爪の脇に別の爪を当て、カリカリと皮膚を向きやすいようにして、いわゆるササクレを作ってそれを向いた。そこからじんわりと血液がにじむ。
衣玖「人間よ。その子がIkku」
留音は頷いて、静かに衣玖の後に続いていく。
その後ろから追従する他の子達。
西香「でも……衣玖さんだったら……」
あの子「……?」
西香「……いえ」
西香が言いかけたのは、血を仕込んだり、皮膚が赤くなったりする程度の”人間っぽさ”、衣玖を模したロボットなら簡単に出来るのではないかということだ。
その人間が、その個人であるという定義づけが、ほんの少しの事で曖昧になる。少なくても、衣玖の周りに立つ人間からして、今目の前には衣玖が二人いるのだ。勝った衣玖と負けた衣玖が。どちらが今まで一緒にいた衣玖なのかはわからない。




