2020年5月13日 カクテルの日
2020年5月13日
路地の奥に隠れた静かなバー、逢空。ここには日々様々な客が訪れる。
メディアにも乗らない、ネットでもほとんど目にすることが出来ないこの店は、しかし特定の人を寄せ付けるような不思議な魅力を持っていた。
マスター、衣玖。ここに迷い込んだ客の心の乾いた心を潤いで満たすのだ。
カランカランとベルが鳴り開いたドア。そこから今日の最初の客が現れた。
衣玖「いらっしゃい」
西香「……やってるんですの?」
衣玖「えぇ。どうぞ。なににする?」
初めての客だ。その客はこんな路地裏にある店には似つかわしくない清楚な格好に身を包んでおり、いかにも入り慣れていないような感じで店内をキョロキョロ見回しながらカウンターに座った。
西香「よくわからないんですけど……美味しいのを一つください。甘めで強いのがいいですわ。……はぁ」
客は小さくため息をついている。
衣玖「お疲れみたいね」
衣玖はリキュールやフレーバーをシェイカーに入れてシャカシャカと振り始めた。
西香「疲れちゃいませんのよ。ただちょっと、世の中うまくいかないなと」
衣玖「話、よかったら聞くけど」
西香「ふんっ……こんな小さな店で愚痴なんて……さっさとお酒をください」
衣玖は何も気にせず、グラスを少し滑らせて作り上げたカクテルを西香の元へ。
見慣れない色のカクテルに、西香は少し見入りながら喉へ流し込んだ。
西香「……こくん。美味しい……飲んだことがない味ですわね」
衣玖「まぁね。ブレンドにはタコとイカのエキスを少しずつ使ってる。そこに秘伝の食パンの耳を揚げるパンの耳ドーナツを作ったときの油を少し入れて、あとはメントス溶液とオキシトシンにカルモトリンを入れて、最後にYoutubeを見れば出来上がり」
西香「うっ、うっぅ……」
西香は突然、涙を流し始めた。その美味しさに感動した、とも言えるが本当の意味は違う。
西香「タコとイカの花言葉は友情……! マスター、どうしてわたくしに今必要な言葉がわかったんですの!?」
衣玖「人を見てきたから。あなたが今一番欲しているものが友達かなって、少し思ったのよ。だからタコとイカを使った。……『似た者同士、集まる、友達』。素敵な花言葉よね」
こうして逢空には常連が増えていくのである。そうして、起こる日にはこんなことも起こる。
聖美「マスタ~~っ」
ぴえーんと泣きながら入ってきたのは常連の聖美。マスターに泣きつき、マスターはやれやれと肩をすくめながらグラスを拭いている。
衣玖「またなの?」
聖美「また~~~!」
彼女、聖美のここに来る日は振られた日。毎回そうだ。
聖美「美少女ちゃんとお風呂に入ったり一緒に寝たりしたいだけなのに! 仲良くなりたいだけなのに! なんでだめなのぉ……」
衣玖「はいはい。とりあえず一杯作るからね」
うん、と力を抜けさせてぐったりとする聖美。西香はしっとりと一人で飲んでいる。
聖美「はぁ……いっそマスターが私と……」
衣玖「やだ」
聖美「つきあっ……ぴえーん、未来会話はやめてよ~!」
そうして衣玖はまたカクテルを作り上げた。ハンマーで叩きあげ、熱でこしらえたその酒は特別な輝きを放っている。
聖美「うわぁ……今日のお酒も美味しそう……何が使わてるの?」
衣玖「見ての通り、打ち上げた鋼の汁を使っていちご牛乳を溶き合わせてる。それからVR果樹園から直輸入してきたバナナと大根とほうれん草で味付けしてるわ」
聖美「すごい……だからこんな風に紅の稲妻が走るようなお酒になってるんだね……」
衣玖「まぁね。ほら、飲んで」
聖美は期待しているような表情でくいっと飲んだ。その期待は上回る形で裏切られる。
聖美「っくはぁ。やっぱり美味しいなぁ、マスターのお酒は……このお酒、二つ名があるんでしょう?」
衣玖「えぇ。夢見がちピンク破壊弾。もしくは変態ブレイカー」
聖美「やっぱりね。浄化されていく気がするもん」
西香はそのお酒も美味しそうだと横目にチラチラ見ていた。
衣玖「あ、そうだ。お客さん、これ、常連の聖美。聖美、こっちは……えっと、友達がいない子」
紹介された西香はどうしたらいいのかと、少しキョロキョロしつつも何かを期待するように聖美に向き合った。
西香「あ……」
聖美「どうも。お友達、いないんですか……?」
聖美の方はひと目で西香に興味を持ったようだ。
西香「え、えぇ。一人も……」
聖美「嘘……こんなに可愛いのに? すごい美少女なのに……」
西香「さっぱりですわよ……みんなわたくしの価値がわからないから……」
聖美「ねぇマスター……需要と供給って……」
衣玖「そうね。試してもいいんじゃない?」
西香「え……?」
聖美「ねぇ……ちょっと遊びにでてみよっか……?」
聖美は西香の隣に座って言った。このバーは空のように自由で、そして人を引き逢わせる衣玖の店、逢空。今日も迷い込んだ誰かの心を潤している。




