2020年2月5日 ニコニコ 笑顔の日
2020年2月5日
子供のときは順調で、自分が多くの人よりも優れていると思っていた。
だからきっと、一般的な幸せそうな家庭を見たときに何も考えなかったのだろう。
だって私もいつかそうなると……いつかそれ以上に幸せになると思っていたから。
でも違っていた。現実はあまりにも狭く厳しい。
私を受け入れてくれる場所はなく、やりたくもない仕事をして、何も生み出せず、何も進歩のない生活をしてただ死なないことだけを命題に、ともすれば野生動物よりもずっと意味のない生き方をしていた。
私は呼吸をするだけだった。毎日のルーチンワークを機械のようにこなし、失敗を恐れて過ごす。
このまま生きていくことに怯え、また何もなせぬまま死ぬことにもまた怯え、その事を考えないために機械になってただ消費する人生を送る。
生き甲斐などなかった。ただ臆病だから生きながらえているだけだ。こんな人生に意味はあるのか。
その問いかけを天秤にかけた時、それは均等に釣り合っていた。
でもそれが少しだけ崩れる出来事があった。普通なら少し揺れたって均一に戻る天秤が錆びついてでもいたのか、傾きが元に戻らなかった。
私は力の限りそれを元に戻そうとした。元に戻るはずだった。戻せるはずだったのに。
でも戻らなかった。戻そうとする自分の行動を認識した時、私は更に自問した。
戻したところで……そこゆく家族のようになれるのだろうか。
かつて見た幸せを手に入れられるのか? 戻したところで自分は自分だ。受け入れてくれる場所が増えるとでも? 結局臆病なまま今まで通り、何も変わらないままただ命を消費する。
だから私は天秤を戻そうとするのをやめた。
だって私は、他の人よりもあまりにも欠けている。足りたものがない。他の多くの人が出来る事ができない劣った人間だ。
価値がない。天秤はそう答えを出している。それに抗って来たはずだった。でも気づいてしまった。天秤が均等になっていたのは、両皿に同じだけの重さが乗っていたからじゃない。自分がズルをして片方を支えていたからだ。
その支えが、疲れて取れた。それを自覚した。やっと見えた。
じゃあ、そうだ、少し前から気になっていたことがあったんだ。
私はこの道の途切れる場所を見てみたかった。自分の歩く道を荒れているとは思わなかったが、ここから先に行った時、もっと綺麗な舗装された道に繋がるのだろうか。それとも川や山に繋がって、もっと険しい道に入るのか? その終着はどこにある?
それが気になって、ただただ歩いてみた。それは少し楽しいと感じる。私にもう明日は必要ない。今知りたいのはこの道の終着だけ。
ずっと歩いた。ずっとずっと。私を許容しない狭い世界は、思っていた以上に広かった。だから人一人の歩みで訪れる終着は道が途切れる前に、私の意識にやってきたのだ。
私は静かな土の上に倒れ込み、そして祈った。次はどうか、みんなと同じことが出来るつまらない人間に生まれますように。
――――――――――
でもそう上手くは行かなかったようだ。私はカチャカチャと金属の立てる音と、とても芳しい、甘い香りに鼻孔をつかれて目を覚ました。
??「あっ、起きましたぁっ?」
声をかけてきたのはエプロン姿の少女だ。見回すと、数人の女の子がこっちを見ている。
??「あんた大丈夫か? 近くで倒れてたんだよ。あたしが見つけて……んで担ぎ込んできたんだけど。なんかあったの?」
??「ちなみにお助け料は1億万円ですわ。あのままなら死んでたんですから当然ですわね」
何が起こったのかわからないが、どうやら背の高い子がここに連れ込んだらしい。……余計なことをされたなと思ってしまった。
??「まぁまぁ、何があったのかわかりませんが、とりあえず軽いご飯を用意しておきましたから、それ、食べてくださいね☆」
エプロンの女の子が私の前にある食パンを示す。甘い香りはここからだ。
??「ハニーバタートーストですっ、元気になりますよぉっ☆」
ただのトーストじゃない。切れ込みと焼き加減が美しくて、上からシナモンがふってある。とろんとしたはちみつが食欲をそそる。私はもしゃもしゃとそれを食べた。
あまいはちみつ、シナモンの香り。こんなに美味しいのを食べたのはいつぶりだったか。焼きたてだ。
??「……何か、辛いことがあったの?」
一人の少女が私の近くに来てかけてくれたその一言で、私は涙が溢れてきた。情けない。でも我に返ってしまったのだ。私は終着にたどり着けなかった。それなのにこんなにあたたかい物を食べてしまった。
だからもう、昨日のような勇気を振り絞れないだろう。だから頷いた。辛いことがあったと。自分が何も出来ない人間だと知ってしまったと。見ず知らずの彼女たちにそう告白した。彼女たちだって私の名前など知らないだろうに、私の話を黙って聞いてくれた。
ただ一人を除いて。
??「ぷっは! なにをおっしゃってるのこの方ったら!! そんなの当たり前じゃありませんか! わたくし以外の人間は皆無能でしょう! だからわたくしが導いてあげているんですのよ!」
??「おいバカ! ちょっと黙っとけ! そういう空気じゃねーんだよ!」
??「なーんでですか!この人随分コーマンチキな事おっしゃってるじゃありませんの。わたくしのような才能、わたくしのような美貌、そしてわたくしのようなカリスマを持たないでなーにを偉そうに!」
呆気にとられた。とても可愛いその子は嫌味なく私をこき下ろしにしてくる。
??「もー! 泣いてる人になんて事言うんですかぁ! 西香さんはちょっとあっち行っててくださいー!」
西香と呼ばれた少女「嫌ですわよ! こういう勘違いさんにこそわたくしのファンクラブ入会を勧めなければなりませんわ! そこで圧倒的カリスマを前に、自分という人間が如何に小さいか。そして如何にわたくしのために回る歯車であるかを自覚し、わたくしに貢ぎ……」
??「もー!!」
そしてエプロン姿の女の子はその可愛い女の子を押し出すと、可愛い女の子は「あーれー!」と落ちていくように虚空の中に吸い込まれるように消えていった。私は目を疑って擦ったりするのだが、本当に気配すら消えている。
??「……あれは放っておいて。ねぇ、私はあなたの人生を生きてきたわけじゃないし、若輩者だけど……でも私はね、無意味なものにほど価値を見出したいの。人が気にしないような小石がどこから転がってきたのか、それを考える人生はきっと毎日楽しいと思う」
??「あたしもさ、うまいことは言えないけど……ジョギングはいつもルート決めないんだ。風の吹いた方向とか、音の聞こえた方向とか、空がきれいな方向に走るんだよ。そうしたら今日あんたを拾ったんだよな。そういう事もあるっていうか」
??「うん、無価値なものも、人もいないよ」
でもそう思おうとしても、それを上書きする悪習が蔓延っている。だから多数派に紛れ込まなくてはならない。小石は小石だと認識し、コースはわかりやすい道だけを選び、多くの人に影響がないならそれは無価値だと認める事。そうしなければ追いやられるのがこの社会の真実だ。
??「うーん……わたしが壊し続ける事も出来ますけどぉ……でも社会って結局歴史で出来るものだから……そことは違うもので、何かあなたの助けになるものがあればいいですよねぇ」
先程からエプロンの子はおかしなことをやったり言ったりしている。
そういえば起きてからやったことといえば、美味しいトーストを食べて泣いて語っただけだ。この子達の名前も聞いていない。君たちは一体? 私は尋ねた。
??「私達? 私達は世界に蔓延る退屈な秩序を破壊し、そして混沌を認めゼロの彼方を創造する者……」
??「正義を愛する史上最強のみんなの助っ人」
??「お気楽な五人の女の子っ☆」
??「一人欠けてるけど……五人少女! だよ(⑅•ᴗ•⑅)」
……ふふっ。なんだそれ。
??「おっ、笑った。 泣いたり笑ったり忙しいやつだな」
違う、涙が出てきたんだ。嬉しくて。
??「あっ! そうだー! あなたの助けになるもの、わかったー!」
??「え、何?」
??「ちょっと破壊しまーす☆」
??「えっ! そんなインスタントに!?」
エプロンの子が手を叩いた瞬間、目の前の光景がちぎれていく。まるで世界の終わりを見ているようだ。極彩色が空間の割れ目からどんどん溢れ出して、まるで次元が破れていくようだ。すごく心地よい光景だった。
??「やっぱりただ終わっちゃうのはつまんないですよ。あなた本当は終着がどこにあるかわかっていたんですよね? だってどんな道を行っても、最後に繋がる場所はただ一つなんですから。でも歩くことにした。遠回りしたから……わたし達……会え……」
意識が遠のいていく。あぁ、別れたくない。ずっとこの子達と……いられたら……。
――――――――――
「……っ?」
部屋でテレビを見ている。CMが終わったのか。ボーッとしていた。
テレビからは楽しみにしていた番組が流れている。
西香『さぁピンチヒッターの留音さん! 真凛さんのしょっぱい球なんか一発ホームランですわよ!!』
留音『おうよ! 任せときな!! 来いよ真凛!!』
今日は野球回のようだ。画面隅に「プロ野球の日」と書かれている。
真凛『むむむ……えーい!』
留音『ふんっ、おせーよ! ……だわわわわわあわわ!? ボールめっちゃ揺れる!?』
真凛『これがわたしの魔球、地球揺らしです!!』
留音『揺れてんの地球ゥ!?』
星の破壊者真凛お得意の惑星ネタだ。地面を持ってグラグラするとテレビの中が揺れて画面内のみんなが尻もちをついている。
『ストライーク!』
留音『おおおいー! それは卑怯すぎるだろ! せめて球を揺らせよ!』
真凛『無理です! そこに投げるのでも精一杯なんですからぁ!』
西香『なぁぁにをやってるんですのピンチヒッター! そんなんじゃギャラ払いませんわよ!』
留音『次で撃つっての! 来い真凛!』
真凛『えーい! 地球揺らしナックルー!』
留音『あたしの動体視力を舐めんなよ! どっせい!!!』
カッキーン! サウンドエフェクトに頼ったような爽快な音がなる。一直線にホームランコースだ。
衣玖『……見えた! 行けッ! キャッチャーファンネル!!』
すると真凛と同じチームの衣玖が後ろの方で小さな機械を飛ばしてボールを空中でキャッチした。
『アウトー!』
留音『……なんでもありかよ!?』
テレビ画面からワハハハという笑い声が起きている。
私もまた、テレビの前でククと笑った。この番組は土日も休まず毎日放送してくれる。私は欠かさずに見ていた。
そんなに飛び抜けて面白いわけじゃない。ただこうして毎日のようにちょっとした笑顔をくれるのが少し良くて。
『まいにちニコニコ! 日めくれ! 五人少女!!』
自分の居場所を見つけるのは難しい事だけど、この子達は私を受け入れてくれそうな気がする。話したこともない、テレビの中のキャラクターなのに。
でもそれが幸せだった。それだけで良かったんだ。
今日はニコニコの日。笑顔の日。




