2019年11月29日 いい筋肉の日だし筋トレでもしよう
2019年11月29日
発端はそう、今日がいい筋肉の日であることだった。
留音「というわけで……今日はすごいぞ。いい筋肉の日だ」
留音は体育座りをしたみんなの前で仁王立ちしてそう言った。
衣玖「やだ」
留音「説明しよう。まず筋肉の日についてだ。金曜日の29日。これが筋肉の日になる。今年は今日を含めて2回だった。でも基本的に年に1度しか来ない」
聞いてもいないのに説明を始める留音に対し、数秒後の未来を読んでいる衣玖が首を横に振り続けている。
衣玖「しないわよ」
留音「でもこれがいい筋肉の日、となると11月縛りになる。前回あったのは2013年だし、次に来るのは5年後だ」
すごい日なんだぞ。と一人でうんうんうなずく留音。それからビシッとガッツポーズを作って言った。
留音「だからみんな!今日は筋トレをしよう!」
衣玖「未来会話で断ってるの。話聞いて」
西香「わたくしも面倒くさいんですけど」
真凛「筋トレかぁ、やらないですねぇ~……」
留音「いいか。健康第一だとか、体が資本だとか、色々人間の体をより良い状態でいようみたいな言葉はあるけどさ……回りくどいんだよ。全部一言で済む。みんな、筋肉をつけよう、これだけだ。正しい筋肉はイコールで健康につながるんだからな。ということでみんなにはもうトレーニングウェアを着させてもらった」
西香「はっ、いつの間に……本人にも気づかせない速度で着させていた……?」
衣玖「他人にサイズぴったりのトレーニングウェア勝手に買ってくるだけでもやばいのに」
真凛「本気すぎますよぉ……」
留音「それじゃあみんな、あたしのお古だけど、ヨガマット余ってるからそれ使ってくれ。もう背後に設置してあるから。とりあえず筋力がどんなもんかみたいから腕立てから行こうか」
こうして留音は呆れたみんなを引っ張りながら筋トレというものを教えていく。だが問題は衣玖だった。
衣玖は腕立ての腕を浅く曲げるので数回、正しいフォームに近づけるとぺたんと地に伏してしまう。腹筋に関しては半分ほどしか上体を持ち上げることが出来なかったのだ。これは流石にまずいと留音。今後のトレーニングプランを考え、少しでも衣玖が丈夫な体になるようにという気持ちで「いずれ腹筋連続10回を3セット出来るようになろうな!」と提案した。それはごくごく初心者向けの、本当に優しい数字であった。
だが衣玖は現在0.5回で全体力を消耗する事からそれを受け入れることは出来なかったのだ。
衣玖「そんなのするんだったら強化外骨格を作ったほうが早いわよ!」
そう言って衣玖は家を飛び出したのだ。衣玖はその日の夜も、次の日の朝も帰ってくることはなかった。
留音は暗い表情で窓の外を眺めている。当日は街に探しに出たりしたものだが見つかることはなく。
留音「衣玖……」
真凛「き、きっとだいじょうぶですよぉ……衣玖さんはとってもお馬鹿さんですけど一応頭がいいですし、お金や寝場所に困ったりはしないと思いますし……」
留音「……そう、だよな……」
留音はそれでも暗い表情を消すことはなかった。「あたしが調子に乗っていい筋肉の日に筋トレなんて推奨しなければ……」そんな後悔でいっぱいなのだ。
そんなある日。衣玖が消えてから一週間ほどした頃のことだった。その日も留音はなんとなく街をグルグル周り、衣玖の影がないかを探す。もう日は落ちてしまったのでそろそろ家に帰ろうと、そんな時である。
衣玖「ルー」
背後から声をかけられた留音には、それが誰だかすぐにわかった。振り返り切る前に「衣玖!」と名を呼ぶ。
留音「どこに行ってたんだ!心配させやがって……!……ってあれ?どこだ?」
振り向いた留音の視界に衣玖の姿はない。だが「ここよ」という声が上空から届き、留音は視線を上げる。ビルの上から垂直に落下してくる物体を捉えると、それは軽々と、しかも何の衝撃も受けないかのように地上に降り立ったのだ。暗くて何なのかはわからなかったが、声の様子から衣玖本人ということはわかるし、うっすら見えるシルエットも衣玖の大きさをしている。
衣玖「久しぶりね……筋トレスパルタ女、ルー」
今は悪口などどうでもいい。留音にとってまた衣玖が元気にしていてくれたことの安堵感が勝っている。
留音「心配し……みんな心配してるんだぞ!家に帰ろう、な?」
衣玖「そうね……でもその前に、あなたに勝負を挑みたい」
留音「勝負?一体……」
衣玖は一歩、二歩と『ガションガション』と音を立てながら歩みを進め、その身を月明かりに晒した。衣玖の体にはそのつま先から方まで、骨組みのようなプロテクターらしきものが装着されていたのだ。
留音「お前、それは……」
衣玖「この世に筋トレなんて必要ない……筋力は科学が補えるの。それを証明する」
留音「衣玖、まさかそのために……本当に強化外骨格を作っていたのか」
衣玖「さぁ……腕立てよ」
衣玖はぴょーんと上空30メートルまで飛び上がり、そのままくるくる舞って地面に接地した瞬間、既に腕立て伏せのポーズを取っていた。
留音「わかった……」
衣玖「私が勝ったら……もう筋トレを強要しないと約束して。でもあなたが勝ったら……外骨格無しで筋トレに挑戦するわ」
留音「いいだろう」
留音も同じように腕立ての体勢を取る。
衣玖「30秒以内に、どちらがより多く腕立てできるかが勝負よ。……レディ」
留音「……」
留音は地面を睨む。そして衣玖の「ゴー!」の声に合わせ、腕を折りたたんだ。
留音「1!2!3!……」
路上で本気で腕立てをする美少女がそこにいた。しかも二人。うち一人はリズムを刻んでやっぱり『ガションガション!』と音を立てている。
衣玖「123456789!……」
留音と同じ時間で衣玖は3倍のスピードを数えている。早すぎる。留音はちらりと横を見た。そこにはロボットアームがしっかりと腕を折り曲げ、バネのように戻す動作と、腕を組んだ衣玖が骨格に支えられて軽く上下している様子が見える。
留音「……(本人が腕立てしてねぇじゃねぇか!!!)」
衣玖「はい、時間よ。私は291回。ルーは80回……私の勝ちね」
留音「いやいやいや!!しんみり空気だったのにさぁ!お前流石に卑怯すぎるだろ!!」
衣玖「まだ終わりじゃないわよ、ルー。次は私達の因縁を作り出した腹筋……これを最後の戦いにしましょう。勝った方に2ポイント」
留音「なんで自らアドバンテージ捨てていくの!?」
衣玖「さぁ!いくわよルー!勝っても負けても恨みっこなし!レディ!」
留音「ゴー!!」
留音は渾身の力で腹筋を始めた。「フンフンフンフン!」めちゃくちゃシュールな光景である。衣玖も同様に、軽く折り曲げた足の裏を地面から少しも離すこと無くものすごい早さで上半身を前に後ろにと振りまくっている。
衣玖「フハハハ!私の強化外骨格は人体の負担を減らし、例え体中の筋力が衰えてしまった病気の方でも完全に日常生活に復帰できるほど完璧ないたいたいたいたいたいたいたい!!!!!とめて!!」
トラブル発生か?留音は衣玖の方を見るのだが、普通にお腹を抱えている衣玖がいた。そのまま留音はストレート勝ちである。
衣玖「うっ……ううっ……いった……首いった……お腹いったっ……腹筋いった……」
留音「んまぁ……さっきの腕立てと違って姿勢保とうとするだけで腹筋やら首筋やら筋力使うから……」
衣玖「骨格でカバーしてない首周りがネックになるとは笑えない……くっ」
留音「ちょっとおしゃれに負けるんじゃないよ。満足したか?帰るぞ」
衣玖「仕方ないわね……で、筋トレはやっぱりさせられるの?」
留音「お前するって言ったじゃん。まぁ安心しろ、負担にならないくらい超簡単なのにしとくから」
筋トレは一度にたくさんやるよりも少しだけを継続する方がいいんだ。そんな事を語りながら留音は衣玖を連れて帰っていくのだった。
その後、衣玖は連続で3回だけ腹筋が出来るようになったという。