2019年10月27日 テディベアズ・デー 誘惑のくまちゃん
2019年10月27日
西香「あら?これは……」
西香はリビングの一角、取り込まれた洗濯物の中にくまのぬいぐるみが入っているのを見つけた。真凛が天日干しにして、乾いたものを取り込んだのだろう。
西香「真凛さんか留音さんのものですわね。全く。いい年をしてぬいぐるみと一緒に寝るなんて。あざとすぎですわ……」
西香はそのぬいぐるみを片手でひょいと持ち上げる。腕をひっぱりあげられたくまちゃんは西香に摘まれて伸ばした片手以外をだらんとさせて、間抜けなポーズのまま空中にその身を遊ばせている。
西香「……随分お間抜けな顔ですわね」
じーっとその顔を見つめる西香の前には、普通のテディベアよりも目の距離が離れているし、口は小さいのに頭は大きめに形取られており、またどこか不安げな表情がやや上向き加減であることからも普通のテディベアとは違う、ぼんやりした絶妙な表情をしていた。
西香「……」
そのくまちゃんにはどこか引き込まれるものを西香は感じたようだ。持っている手はすべすべで、極短い毛並みはテディベアとは全く違う感触を作っている。そして中に入っている綿はもこもこに詰まっており、西香がつまむ指としっかり握手をしているようだった。
しかもその上、このぬいぐるみの独特な上向き加減の顔が西香をしっかり見上げているようにも見えるのだ。
西香「……もこもこですわね……もこ……ふわ……」
西香は誰もいないのを確認して、そのくまちゃんの頭に片手を滑らせてみた。そこは手の毛並み同様に極短の毛並みで、顔いっぱいに詰められた綿のふわふわした感触をダイレクトに伝えながらも、同時にすべすべである。
西香「(なんということですの……)」
気づけば西香はそのくまちゃんのおでこからほっぺまでに手を這わせていた。
西香「(綿の弾力がこんなにも心地よく……すべすべの感触に愛らしさを覚えるなんて……)」
綿の寄ってしまった肩に当たる部分は弾力の代わりに毛並みの滑りがダイレクトに反映され、撫でる指がまるで吸い込まれるようにも感じられる。
西香「これはまずいですわね……」
西香は息を呑み、家の中から物音がしないことを確認した。大丈夫、数秒で済ませられるのだから、今大丈夫なら問題はない……ゴクリと生唾を飲み込み、それから不安げに自分を見つめているくまちゃんに視線をあわせる。笑顔や無表情ではなく、この間抜けな表情にしたデザイナーを恨みたい気持ちで讃えた。
西香「……!(ぎゅっ)」
西香は意を決してそのぬいぐるみを胸いっぱいに、少女のようにぎゅっと抱いてみた。適度な弾力は西香を受け入れるように、そして間抜けで大きな頭は西香の頬に触れ、西香がぎゅぎゅっと力を込める度にそのぬいぐるみは少し動いて親愛を示すかのように頬ずりする。
西香「(た、たまりませんわね……これはっ……)」
すべすべで、ふわふわ。抱いていると心の芯の方からぼんやりと温かい安心感が溢れ出してくる。
西香「はー……なんということでしょう……あぁっいけない……でもそろそろやめておかないと誰かが戻って……はっ」
廊下からリビングに通じる扉が開いたことに一瞬反応を遅らせ、衣玖が西香を一瞥して入ってきたのに気づかなかった。
衣玖「……」
衣玖は気に留めないかのように西香の行動を無視してソファに座り、ゲームのコントローラーを握る。その様子に危機感を持ったように西香が言った。
西香「あ、あの、衣玖さん。これは違うんですのよっ?別にこのぬいぐるみが可愛いと思って抱いてたのではなくてですね、今日はこのくまのぬいぐるみを日めくりで使おうかと思って具合を確かめていたのであって……っ」
衣玖「あら、よく知ってるわね、今日がテディベアズ・デーだって。そうだったの。てっきりその適度に間抜けな顔とふわもこの感触に当てられて抱きたくなっちゃっただけかと思ったわ」
西香「えぇっそうだったんですのね?!そういえばそうだったんですの!今日はまさかわたくしでも信じられないテディベアズ・デーでしたから……そうだったんですのね……っ!わたくしったら本当、記念日にすら愛されていますわ……衣玖さんが馬鹿で助かった……」
衣玖「なんか言った?」
西香「いえ別に」
西香はそれ以来、ぬいぐるみとはなんの関係でもないような素振りで距離感を保ってはいるのだが、留音や真凛の部屋からなにかを勝手に拝借する際には置いてあるぬいぐるみと密会することがあるようだ。手を握ったり、撫でたりして、いつかそんな事をしているのがばれないかという背徳的なスリルを楽しんでいるようだ。
西香「(わたくしが人の所有するくまさんを弄んでいるなんて、こんな事が他の方たちにバレたら……いえ、きっとだいじょうぶ……バレるわけありません……っ)」
真凛「最近、わたしのくまさんから他の女の子のにおいがするような気がするんですよね……」
西香「(ドキッ)」
だがスリルは愛により深みを生む。西香の密会はこれからも続くようだ。