表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
半人は滅びつつある  作者: ほろび
第1章 百鬼夜行
12/14

第12話 天使

 部屋の中央には、鉄格子の(おり)があった。

 檻のなかには巨大な昆虫の(まゆ)のようなものが押しこめられている。

 かやの背丈と同じくらいか、それ以上の大きさだ。


 「おい」


 と船員が繭のほうにむかって声をかけた。

 食器を床に置いて、もう一度言った。


 「おい、おい!」


 声をかけられても繭はぴくりとも動かない。

 船員は近くのブラシをひろいあげると、()の先っぽを繭につきさした。

 パキパキと小枝をふんだような乾いた音を立てて、柄の半分までが繭に埋まった。


 かやは鉄格子(てつごうし)に近づいて、目をこらしてそれを見た。

 柄のめりこんだ箇所には、ふわりと羽毛のようなものが毛羽立っている。

 それどころか繭全体に羽毛がある。

 それは翼だった。

 信じられないくらい巨大な翼が折り(たた)まれており、それが繭のように見えたのだった。


 「おかしいな……」


 と船員が言った。

 異常な大きさの翼は、きつく閉じられたまま、ひらく気配がない。

 もう一度、船員が柄を突きさしたとき、かすかに翼が動いた。


 「ひらけ! おい!」


 船員のかけ声に呼応して、重そうな翼がゆっくり、ゆっくりとひらいていく。

 花のつぼみがひらいていくような、気の遠くなるのろさで左右に広がっていった。


 そのとき翼のあいだから、ひざを立てて座っている人間のすねが見えた。

 やがて翼の内側から手で押しひらくようにして、若い女が姿をあらわしたとき、その美しさにかやは圧倒された。

 若い女が翼のなかで汗ばみ、あやしくかがやいていた。

 船員が天使と言ったのは彼女のことだとすぐにわかった。


 「遅い!!」


 と船員が白いもちをちぎって、鉄格子のあいだから投げこんだ。

 天使は床にひっついたもちをちぎって、しずかに息をふきかけて口にいれた。

 残りのもちを投げこんだ船員は、鉄格子の(じょう)をはずして扉をあけると、かやに用便桶(ようべんおけ)を片づけるよう言いつけて、上甲板に戻っていった。


 「あなた私の言葉わかる?」


 と天使はかやの顔をまじまじと見つめて言った。

 かやと同じなまりのアラル語だ。


 「あなたも連れてこられたの?」


 かやはうなずく。

 それから二人はしばらくのあいだ黙りこんでいた。

 天使は床にねばつくもちをちぎっては口にはこんだ。

 かやは鉄格子をにぎりながら、遠慮がちに天使に話しかけた。


 「わたしたち、食べられちゃうの?」


 天使はそれを聞いたとたん、おかしそうにくすくすと笑いはじめた。

 それからむせて、また笑った。


 「そんなこと誰から言われたの?」


 「だって、いけにえにされちゃうんでしょ」


 「あのね、あの人たちはだれも神を知らないのよ。いけにえなんていらないの」


 かやはそう言われると、船員たちが食前に祈りをささげなかったのを思い出した。

 ではいったいなぜ自分はこんな目に合わないといけないのだろう。

 どこに連れて行かれて、何をされるのか。

 それはかやの理解を超えていることだった。

 今はわかるのは、とにかくこの船から逃げないといけないということだ。


 「わたし、こんなところもういや。こんなの、売りものと同じだよ」


 「そうね。わたしもそう思う」


 「これからどうなっちゃうの? 人も、船も、(さめ)もいっぱいいる。どうやったって逃げられない」


 そう話すかやの前で、天使は翼を何度も押し返していた。

 全身をつつんでいる翼は檻いっぱいにひらかれているが、何もしないと、少しずつばねの戻るようにして、内へ内へ閉じていくのだ。

 かやも翼の上のほうをもって、外に引っぱってやった。


 「わたしもこの檻からは逃げられない」


 短い沈黙のあと、天使が言った。


 「でも、あなたなら逃げられるかもしれない。わたしたちのこと、だれかに伝えてほしいの」


 「どうやって?」


 「これ」


 と天使は前にかがんで身体をくねらせると、翼のつけ根をかやに見せた。


 「これを切ることができたら、あなたは逃げられる」


 そのとき、船員が戻ってきた。

 階段をおりてくるあいだに、天使がいそいで言った。


 「切ることのできる人をさがして。わたしのこと信じてくれる?」


 船員が来ると、かやをはげしく怒鳴り上げた。

 用便桶の片づけがおわっていないからだ。

 かやは天使と言葉をかわす間もなく、上甲板に連れ戻され、さらに全居住区の食器集めの仕事をさせられた。


 さんざん働いて、夜になって仕事がおえると、女性居住区に入った。

 窓の外には黒い結晶(けっしょう)のような奴隷船が数隻、夜の水路をすべっている。

 数隻の窓から灯がもれて、内部を人が通るたびに光がさえぎられたり、また突然ほとばしった。


 それがなにか幻の出来事のように感じられた。

 いのちのあるものが、いっぱいに閉じこめられた船が、正常に動いている。

 その船のなかに自分もいる。

 かやは自分のこと、これからのことを考えた。でもそのあとはもうなにも考えなかった。

 汗まみれのまま、うずくまり、獣のように眠った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ