前日譚
ホテルに着いたのはほんの五分ほど前だった。
受付で渡されたカードキーの番号を頼りに、辺りをぐるっと見渡す。
「…そこか」
カードキーを鍵口に差すと、少し遅れてロック解除のランプが点灯した。
一泊だけと急に用意した部屋は、一人には充分広すぎる程の空間だった。中の造りは多少派手で、長旅のせいで疲れていた冬織の目には少し刺激が強いくらいのシャンデリアが、神々しく光を放っている。
空港から送った荷物は既に届いており、ベッドに鎮座したボストンバッグから、この時代では珍しいであろう「ガラケー」を取り出した。
「……あ、もしもし。姉さん? …うん、今日本に着いたよ」
『そう、よかったわ。無事について。そっちはもう夜中の十一時頃かしら』
「うん、時差ボケが酷いからもうすぐ寝るけどね。…それより、初雪の容態はどう?」
『ええ、あの子なら大丈夫。意識は取り戻したわ。冬織が日本に着く丁度一時間前くらいにね』
冬織はここに着くまでの間、それだけが気掛かりだった。なにせ、大切な妹を置いてまでこの国へ来たのだから。
「そっか、それなら良かった…。それじゃ、今日はもう寝るよ」
『ええ、おやすみなさい、冬織』
姉が電話を切ったのを確認し、ケータイを閉じるや否や、冬織はベッドに倒れ込んだ。
「今日はもう寝よう…」
ほんの少し香る洗剤の匂いが、冬織を睡眠へと誘う。
──接触まで残り、九時間余り。