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第三話 形単影隻 ―― 南近江の一瞥 ――

形単影隻:孤独なこと。身体も一つ、影も一つの意から。






■ 天正九年(1581年)11月下旬 近江 安土城


 ◆ 御坊丸




 安土に着き、二日程の間、城内の西に位置する総見寺に停泊した。もっとも、俺の面談相手の実父も何かと多忙のようで、その辺りの日取りの調整も兼ねているようだ。



  ―― 城内に寺? 寝食の場にまで坊主が居るだと?



 俺は、軽く頭の中で連想してみる。


 己が最も心を鎮められる場所に坊主、坊主……、信玄入道と快川のジジイ……。


  ―― 駄目だッ! 想像しただけで寒気を通り越して、吐き気を催してきた。


 そこで、ここまで案内した角蔵が言うからは、”まずは旅衣と共に心身の垢を落して頂きたく”と請われた。内心、一刻も早く頭の中のジジイ共を追い出したい俺には、有難い一言だ。


 今までに(やしろ)を奉っていた城は有っても、寺社が建てられている城は初めてだ。それと此処に着くまでに羽柴や前田、武井といった家臣の邸宅まで備えられていた、……それも城内にだ。


 この城は外から見ても驚かされたが、大手門をくぐってからも追い討ちをかけた。まさに言葉を発する暇さえ無い。



  ―― それにしても、”天守”ではなく”天主”とは……。



 この総見寺のすぐ上に長兄であり現織田家当主の館があり、更にその最上段に実父の居る”天主閣”が置かれている。


 世間は実父に畏敬の念を抱いている事、己のことを”第六天魔王”と評している事から、実父の為人が如何ほどのものかが伺い知れる。



  ―― とても正気を保っている人間(もの)とは思えぬ。




 俺はこの二日の間に実父の前に出る際の作法の手解きを受けた。礼装については、角蔵の同僚の近習たちが用意した。


 そして多くの時間を割いて角蔵からこれからの段取りや、織田家での作法や家訓、実父の為人などを伝えられる。


 「御坊丸様、この安土に限らず当家の城内では無闇な談笑は慎んでください」


 「承知した」


 これは別段、疑念を挟む余地はない。織田家に限った話でもない。武田でも、聞く処によれば北条家や今川家でもそうであったと伝え聞いている。


 それに、この十余年に談笑する相手は居なかった。そして今も相手は居ない。今後も居ないのでは無かろうかとさえ思う。


 「また、御坊丸様におかれましては会談の後に岐阜にて御屋形様に会われ、そちらにて元服の儀を執り行われる運びとなっております」


 「……そうか」


 その言わんとするところに辿り着き、美濃から燻っていた怪訝が解消した。


 美濃に入ってより、角蔵に限らず織田家中の者はすべからく俺を”御坊丸”と幼名で呼び、頑なに甲斐での元服の折に与えられた”勝長”の名ではなかった。


 それは徹底されていた。では何故か……。簡単な話だ。”他家での元服など承諾しかねる”と誰かが申しているのだ。



  ―― 誰か……。



 その矛先は限られてくるが最右翼は実父、次席は御当主の長兄であろう。


 これから一門に連なろうとする者の名に”信”の字が含まれていないことへの体面か……、はたまた”長”よりも勝頼殿より賜った”勝”が先に来ていることを含めた武田家への意趣返しか?


 覆す理由(わけ)は武田家での営みの否定とするならば、おのずと二者にしぼられる。



  ―― ま、執着が湧くほど”勝長”に貰って日も経っていないがな。



 俺の内心の自嘲もどこ吹く風で、いつの間にか角蔵の講釈は明日の実父との会談に対するものに変わっていた。


 「上様との会談に際して、主殿では下座に座って頂きたく」


 「主殿? まずは廊下にて待つのではないか? それに広間ではなく主殿とは……」


 俺は角蔵の口伝に二点ばかり訝しむ。


 普通は廊下で座し、上座から許しが出てはじめて室内に上がれるはず。それから通される部屋だが、主殿は本来家臣との評定や来賓との接客に使われる部屋だ。今回、家族である実父と会うのであれば、実父の私的な広間や書院で良いはずだ。


 そう思い首をかしげると、角蔵が答えを返してきた。


 「その事については、まず上様は無駄を忌み嫌う趣がございます。それ故、はじめから下座でお待ち頂いて構いません。また此度、主殿をお選びになられたのも、御坊丸様には一門衆として働かれるくことを肝に命じて頂きたいと願っての差配でございましょう」


 「……成程」


 俺は、いまいち腑に落ちぬ答えだが、これが織田家の作法なのだろうと肯定の意を伝えた。


 すると、俺が納得したものと推察した角蔵が次の説明に入る。


 「勿論、上様自身の言質も無駄がございません」


 「ん?」


 「恐らく御坊丸様への御も短きものとなられるでしょう。それ故、何について訊かれているのか、初見では中々難しいかと存じます。ですが……」


 「……」



  ―― 確かに信玄入道も、他者にその思考を読まれぬために言葉少なであったな。



 織田家でも上に立つ者は、己の言動に常日頃から神経を尖らせていることは変わらぬらしい。何処に間者が潜んでいるか、はたまた家臣に寝首をかかれぬためとは言え、心身を四六時中張りつめていなければ務まらぬ役目なのだろう。


 そう実父を思い遣るが、角蔵の解釈は俺の上をいった。


 「ですが、そこで返答が鈍ることを上様はひどく嫌われます」



  ―― ん?



 「問い掛けの補足を求められるのは、更に論外です。ですので御坊丸様にはくれぐれも、その辺りを御留意頂きたく存じます」


 そうして口伝を終えると、角蔵は(こうべ)を一つ下げると、”それでは、某は別の用がありますので。明日は取次の者が迎えに来られるでしょう、では。”と添えて部屋から出て行ってしまった。


 どうやら、我が実父は極端な偏屈者であるらしい……。






 翌日、現れた取次と共に総見寺を(あと)にする。


 俺は天主へ登城しながらも、着ている礼服に目を向けた。



  ―― 木瓜。



 礼装は、直垂姿、大紋姿、素襖姿の中から大紋が用意されていた。大紋は直垂に大きな家紋が付けられたものだ。


 今日(こんにち)より織田家に属することを暗示しているかの如く、俺の胸元には大きな木瓜が云っているように思えてならなかった。


 取次に先導されて主殿に通される。昨日、角蔵から伝えられた通りだ。


 「こちらでお待ち下さい。まもなく上様が参られます」


 部屋の襖、壁、天井を一瞥すると、そこには見渡す限りにけばけばしい描写が描かれている。特に屏風には水墨で龍が踊っている。



  ―― やはりこの城の主は奇人で間違いなかそうだな。さして心に響くものも無い。



 そう結論に達して下座に腰を降ろすと、さほど待つこともなく廊下側 ―― こちらから見て左手 ―― の襖が動いた。


 「上様の御成りにございます」


 おそらく実父の近習であろうか、若い声が上座の(ぬし)の入室を告げる。それと併せて俺も平服する。


 頭の頂上から何人かの衣切れの()が届いてきた。間違いなく上座の存在が実父なのだと胸の中で推せた。


 「大儀」


 主殿にて平服した姿勢で暫くすると、室内に威圧感のある声が響いた。



  ―― これが初めて聴く実父の声。



 ”大儀”とは甲斐での事を言われているのだと何とか察せられる。



  ―― だが……、長年に亘って虜囚となっていた実子に初めて掛ける言葉かッ!?



 その声に労いの温かみは一切含まれていなかった。無性に内心の憤りを投げつけたい衝動に駆られた。


 部屋住みの次男坊ですら”冷や飯喰い”と呼ばれる。だから、三男以下の俺など虫ケラにも劣ること位は俺でも甲斐で見てきた。


 また武田に限らず、隣国の北条も今川でも次男以下の扱いは同じだった。幼少には寺に預けられたり、他家に養子へ出されたり、人質として盟約を結んだ他家にだされたり。そして、その後は新しい姓を与えられて”一門衆”として家臣となる。


 昨日、角蔵から知らさたのだが、羽柴家に養子に出されたよいう年下の男が四男坊で、俺は五男とされているそうだ。俺が何かの間違いではと再び問うと、”ここだけの話でございますが、上様の次男・信雄様と三男・信孝様も同様に産まれ順は逆でして……”と答えにならいない返答が告げられた。


 改めてこの会見までに城内で停泊していた二日が、実父にとって”俺”がその程度のモノなのだと知らしめる。上座からの無機質な音が無情にも、俺の中に微かに残っていた淡い期待は完全に消し去っただけのこと。


 分かっているのだ、例え親子であろうと今日より主従だと。胸の内でも”大人になれ、甲斐と同じ、ただ続ければ良い”と警鐘が鳴り響いている。


 だが暴れ始めた腹の虫は抑え難く、刻一刻と俺の心をかき乱していた。気付けば最初に言葉を掛けられてからの総ての問いに、草を遣わせれば容易に知れる程度の当たり障りのない返答に徹していた。


 「甲信の民の暮らし向きは如何であるか?」


 「……信玄入道亡きあとの度重なる戦により、嵩む戦費に苦しめられていると見受けられます」


 「武田家は如何か?」


 「……信玄入道の頃に比べれば、上から下まで皆が自儘(じまま)に過ごし、統制とは対極の状態と言えましょう」


 「武田の陣代は?」


 「……勝頼殿は元々諏訪家を継ぐ身であった故、武田の一門衆からは見下されること多く、それを払拭したいがための戦であったのでしょう。また、母方の諏訪家からも”諏訪を攻めた信玄入道の血筋”と見放されております」



  ―― 度し難い程の茶番だな。一度でも元服を済ませた者のすることではない。



 「何ができる?」


 「……何も」



  ―― 虜囚にできる事などが在るものかッ!



 「よく判った。犬山あたりに三、四万石ほどくれてやる」


 「……」


 四万石。これも昨日角蔵から教わったのだが、織田家では実父の代より、その地の年貢を”石高”で徴収しているのだとか。先月まで居た武田家では昔からの”貫高”で徴収していた。



  ―― 一反を三百から五百文として一貫……。石高では、一反は石盛によって異なるが一石五斗から九斗。だから……。



 俺が内心で”四万石”を貫高に換算していると、それをどう捉えたのか実父が面白くなさそうに鼻を鳴らして会談の締めくくりを告げた。


 「フンッ、年が明ければ武田を滅ぼす。そなたも従軍せよ」


 「……ハッ」



  ―― 勝手にやってろ。



 「……大儀であった、下がれ」


 こうして、一度も(おもて)を上げぬまま、子供じみた姿を上座の男に見せつけることで、織田家での初めての報告が終わった。


 主殿から廊下を出ると自身の耳がまるで横っ面を殴られた跡のごとく熱くなっていることに気付いた。


 実家への帰省に確証のない喜びを感じていた事、会って間も無い角蔵に多少とはいえ胸襟を開いた事、初見の実父に期待していた事……。どうやら、俺の耳は己自身の怒りで熱を帯びてしまっている。


 ふと周囲を見れば、ここにも龍が描かれている屏風があった。何気に前を先導する取次に気付かれぬように屏風に寄る。


 「……ェィ」


 俺は実父への意趣返しを込めて、人差し指で龍の目を開眼させた。前方に目をやれば、取次は俺に気付きもせずスタスタと前に歩を進めていた。



  ―― ざまぁみろ。



 そして次の日、見栄えだけの安土に嫌気がさした俺の足は主人の意思を汲み取ったかの如く、美濃と尾張の境にあるらしい”犬山”の地に向かっていた。






タイ・バンコクより愛を込めて(はぁと

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