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第二話 寡聞少見 ―― 甲斐の鰯 ――

寡聞少見:見識が狭いこと。また、世間知らずなこと






 戦支度を済ますと早々に妙覚寺に移るため、足早に宿営を後にする。


 時折、松明を掲げている兵が小走りで駆けていく。その光は不規則に揺れて京の街を妖しく包んでいる。


 走りながらも周囲を見れば、等しく一点 ―― 妙覚寺 ―― に向かって集まりだしている音は見えるが、その影が幾つなのかさえ定かではない。



  ―― これが二度目の戦か。



 これが多いのか少ないのかは分らぬが、生家に帰属してから何かと目紛(めまぐ)るしい。


 一昔前の農繁期と絡み合って戦をしていた時代と異なり、全国津々浦々で戦が増えていることも事実。


 寺までの短い路進みながら、焔の揺らめきによってこの数ヶ月の移り変わりが瞼の裏にチラリと覗かせた。






■ 天正九年(1581年)11月初旬 甲斐 ― 信濃 ― 美濃 ― 近江の復路


 ◆ 御坊丸




 甲斐を発ったのは(いわし)雲が現れ始めた神楽月の初め。


 甲斐から美濃までの旅路は十年前に通ったものと同じであった。中山道を北上し、諏訪湖(すわのうみ)を右手に観えると折り返して南西に下る。


 頭の中では”あの海は何と呼ばれている?”、”あの三連にそびえる山々は何という名だ?”などと問掛けが浮かぶ。


 だが明日からは敵味方となる間柄である故に、武田方の従者に聴くことも憚られる。


 旅路の節々で”もうすぐ諏訪でございます。そこで休息を摂りましょう”と申し出を受ければ、その地が諏訪と呼ばれており遠くに見えるのが諏訪湖なのだと察する。


 ”今夜は伊那の城下で夜を明かしましょう”と言われ、”ああ、あれが仁科盛信殿が城主を務める高遠城(現 長野県伊那市高遠町東高遠)か”と勝手に決めつけて、後でその城が的場城(現 長野県伊那市高遠町的場)だと知った時は思わず顔が熱くなったことはご愛敬だろう。


 それにしても伊那、飯田、恵那、大垣、……そして安土。


 甲信の路に住む民は、近年続く戦に掛かる重税にて、その日の食にもあり付けぬ事も多いようで、無気力な表情が続いていた。


 逆に美濃に入れば、どの家にも衣食が十分に行き渡って生活が豊かなのか、徐々に満ち足りた明るい顔が増えてくる。



  ―― 俺は無知だ。



 地形に風土、領民や風俗、産業と所産。甲斐府中で見聞きしてきた事柄以外の総てが初めて触るモノだった。


 武田家の掌握している地に十年余も住んでいて、改めて俺は府中以外を何も存じていないことに気付く。


 織田家に生まれていながら、その支配する地の水の味すら知らない。


 気づけば今日(こんにち)までの己に冷笑を贈っていた。


 「フフッ」


 「御坊丸様、如何なさいました?」


 俺が気でも触れたかと訝しんだのだろう、従者が問い掛けてきた。


 それにしても”御坊丸様”か……。既に元服は済ませているのだが、他家での儀は認められぬとでも通達されているのだろうか。


 「埒外のことだ、大事無い」


 「はあ……」


 流石に他人に言える訳もなく適当に従者をあしらうと、従者の方も返事に困ったのだろうか曖昧な相槌を返してきた。



  ―― そもそも十年前は甲信を包む空の色を愛でる余裕など持ち合わせていたかったな。



 十年前は周りを囲む大人たちは勿論のことだが、これから何が待ち受けているのかすら判らない得体の知れない恐怖との同道であった。


 武田家の従者は美濃との国境(くにざかい)までなのは変わらなかった。そして恵那以降に周りを囲っている織田家からの従者たちも初めて会う顔ではあるのは変わらぬのだが。


 この三人ほどいる従者を先導を担っている男。菅屋角蔵という名で、今は実父の小姓を務めているらしい。他の二名は荷を運ぶ中間(ちゅうげん)で、周囲の警戒も担っているようだ。


 角蔵は俺と大して歳が離れていないのに妙に悠然とした男だった。実父の周りにはこのような者が多いのだろうかと思うと、少し自分が恥ずかしくなる。






 先に現当主に帰還を告げに岐阜城(現 岐阜県岐阜市天主閣(金華山))に寄るのかと目算していたが、角蔵は美濃を素通りして近江へと案内した。


 「角蔵、兄上には挨拶せんで良いのか?」


 「御坊丸様、既に織田家の家督を継がれておりますので”御屋形様”とお呼びになられた方が宜しいかと。それから家督は譲られても依然として上様が家臣一同の舵取りをされておりますので、まずは安土へ」


 どうやら実父への面会が前らしい。


 それから角蔵の言が暗に”主従の別は明瞭にすべき。最初から呼び方もそれに沿っていた方が良い”と述べていることに気付かされた。



  ―― 兄弟でも主従……。



 幾ら兄弟とはいえ俺は家臣となるのだから、公私を乱すべきではない。


 それは家中を騒がせる元凶となり得ることを武田家を見ていて知っていたのに、つい帰郷で心が浮ついていたのか忘れていたようだ。


 「角蔵、……助かる」


 「いえ、これもそれがしの務めですので、お気になさいませぬよう」


 角蔵の気配りに謝辞を示すと、角蔵は一つ首を縦に振ってきた。






 岐阜での一件から徐々に角蔵と打ち解けることができ、大垣に入る頃には俺が甲斐に送られてから今まで当家の躍進を聴くことができた。


 いつしか俺も物心ついた頃から見てきたことを思いつくままに話していた。


 「設楽ヶ原での戦では鉄砲衆の働きに注目が集まっているようですが、実は両軍の間に広がる泥濘(ぬかるみ)も肝であったようです」


 「成程、泥濘に騎馬や徒士(かち)の足が捕られ鈍ることで、武田方の機動力を()いだ訳か……」


 「その後の武田家中は如何でしたか?」


 「山県三郎兵衛尉昌景や馬場美濃守信春を始め、歴戦の将が多数亡くなった。それ故か古株と新参の間に溝が……深まったようだ」


 一瞬、”溝ができた”と口から出そうになったが、よくよく考えれば勝頼殿が跡目を継いだときから”溝”は有ったことを思い出す。それにしても……。



  ―― 甲斐では存念を悟られぬように心を閉ざし、誰とも深くは付き合わぬように心掛けていた俺が……。



 長年近くに居た者達には開けなかったことを、僅か数日前に会ったばかりの男に許すとは。もしや、俺には衆道の()でもあるのであろうか。


 そう思い返したら、改めて自嘲してしまった。






  ―― な、なんだ、あれはッ!



 関ケ原を抜け、徐々に巨大な”(あお)”が見えてくる。


 「御坊丸様、あれが近江(おふみ)の海(琵琶湖)にごうざいます」


 俺が目と口を裂けんばかりに広げている姿が可笑しかったのか、角蔵が自慢気に”蒼”の正体を晒す。



  ―― これが万葉集に歌が載るほどの(うみ)



 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の詠んだ歌。


 淡海の湖(あふみのうみ)夕波千鳥(ゆふなみちどり)()が鳴けば、心もしのに、いにしへ思ほゆ


 先日の諏訪の湖も壮大ではあったが、この荘厳さを前にすると遠く及ばぬ。


 しばらくは右手に続く湖に目が釘付けになりながら西に歩を進めと、左目の端に異形な島が映ってくる。


 「角蔵、あ、あれはッ!?」


 「あれこそ上様の居城であられる安土城(現 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にございます」



  ―― これが城だと?



 甲斐のどこにでもある山城は勿論の事、美濃から此処に着くまでに観たどの城とも全く異なる。


 これまでの織田家の城には”天守”があった。もっとも、館のみの躑躅ヶ崎館(現 山梨県甲府市古府中町(武田神社))に見慣れていれば、それだけで十分に仰天したのだが。



  ―― 島? 城が水の上に浮いている!?



 「か、角蔵。正門は何処だ、……あれか?」


 何気に南東で陸と繋がっている処を指して尋ねれた。


 だが、角蔵は別の場所を告げる。


 「御坊丸様が指されている場所は搦手(からめて)となります。大手門は南の下街道から橋を渡った先です」


 そういうと角蔵は、まるで攻め寄せてきた敵兵が恰好の弓矢の的になるであろう一本の細い(みち)を指で指した、その路が”下街道”なのだろうが、その真ん中辺りから続く橋を目で追うと先程の”島”へと続く大手門があった。


 北は湖。攻め口は南からの三か所のみ。これが日ノ本の最前線を征く城……。このような城割(築城の事)の趣向など見たことも聞いたことも無い。



  ―― だが、見れば見るほど理に適っていると思えてしまう。



 舟があれば際限無く荷入れもできる故、兵站攻めは無理だろう。更に城から落ちることも容易そうだ。


 川堀には若干の流れもあるようで泳いで渡ることは出来そうにない。その為、三か所に兵を厚く配しておけば城自体が落ちることも無いだろう。


 「此処からは見え難いですが、南西には町人街があり、其処とは百々橋で結んでおります」


 角蔵が誇らしげに解説しだした安土城は、俺が今までに見たどの城とも違う異形なるモノにしか見えなかった。







今話に出てきた柿本人麻呂の詠んだ歌について。


 淡海の湖、夕波千鳥、汝が鳴けば、心もしのに、いにしへ思ほゆ


 訳は、「琵琶湖の周りを飛んでる鳥が鳴くのを見ると、心がポッキーしちゃう位に、”暗黒の厨二”時代を思い出すから恥ずかしいよー」ですかね?


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