第一話 無明長夜 ―― 山城の壮途 ――
無明長夜:根本的な無知のために生死流転していくことを長い夜に例えた言葉。
■天正十年(1582年)6月1日 亥三刻(22時頃) 二条城を3里ほど西にいった妙覚寺の周辺に構えられた逗留地
◆ 津田源三郎信房
この部隊の総大将であり、織田家の現当主であり、我が長兄は妙覚寺にて本日は休まれていることだろう。
”だろう”としか言えないのは、俺が妙覚寺に居ないからだ。流石に兄とその近習以外の者までが休めるほどに妙覚寺の境内は広くはなかった。それ故に他の者たちは近場にて雨露をしのいでいる。
我ら犬山勢も例外ではない。
恐らく他の寄子達も妙覚寺の近くで今頃は夢でも見ているのであろうか。
明日には堺、そして和泉灘に出る。その所為かは定かではないがどうも寝付けぬ。
―― まったく元服前の童でもあるまいに……。
廊下に座って酒を嘗めながら中庭に咲く花の蕾をそれとはなしに観ること半刻。
あと少しすれば梅雨に入る。そうなれば、この紫陽花も賑やかに咲き誇るであろう。咲く姿が見れぬのが残念だが、それを想いながら瀬戸内を渡るのもまた一興か……。
「まだお休みになられておられなかったのですか? 御領主殿」
「ああ」
廊下の曲がり角から声を掛けられたので、返事をしながら顔を向ければ勝太が廊下を歩き近づいてきていた。
今夜は新月ゆえに近くに来るまで顔を認めることも叶わない。だが、勝太とは犬山四万石を父信長から拝領してよりの付き合いだ。甲斐から戻ってからの半年間、毎日聴いてきた声で誰だかすぐに分かるというものだ。
犬山は元々祖父信秀の弟で俺の大叔父にあたる織田信康殿が城主を務めてきた土地だ。だが信康殿の子息である下野守信清が永禄七年(1564年)乱を起こした。その後、信清の息子――我が伯母(信長の姉)の子であるため俺の従兄弟でもある――の信益殿は安土城留守居役となった。
その空席に今、甲斐から出戻った俺が座っているのだが、長年犬山で家老職を務めてきたのが中島家であり、その支族が勝太という訳だ。
「家臣や兵たちはもう休んだか?」
「もうとっくに。お気遣いは……無用を通り越して無駄でございます」
「……そうか」
俺が気の利いた言葉を掛ければ、不遜な返事が返ってくる。俺が領する以前から家老職を務める中島家であれば、兵達の差配も難なくこなせるのであろう。
勝太と出会ったのは安土。実父へ帰還を報告した後に初めて会話を交わしたのだが、それはお互いに形式と不信によって支えられたものであった。
―― それが……。
前と今を比べてみれば思わず笑いが零れてしまう。
「フフッ」
「? 御領主殿、男の思い出し笑いほど気持ちの悪いものはございませぬ。……以後は慎まれた方が宜しいと」
「喧しいッ! 用が無ければ、そなたも休め」
俺の感傷を勝太が厚かましい物言いでかき乱す。
―― ふざけた男だ。
最低限の礼節を守りつつも、俺への敬意など全く持ち合わせていない言動。初めて会ったその日から俺のことを”御領主殿”と呼び続けていることに最初は反発を覚えた。
もっとも、今ではこの一貫した姿勢には俺の方が尊敬すら覚えてしまっている。
手に持つ杯を眺めながらこの半年を想い出そうとすると、相変わらずの勝太が引きずり戻しにかかってきた。
「御領主殿、明日も早いのですから早々に床に就いてくだされ」
「俺はもう童ではない。たまには夜風を楽しんでも良かろう」
「いえ、好い歳なのですから、”戯言を吐く暇があれば身体を休めろ”、と申しているのです」
コイツにはもう何を言っても駄目だな。例え相手が誰であろうとも梃子でも己の考えを変えようとはしないのだろう。
実際、コイツは会ったその日から俺が物心ついてから十余年築いてきた”干渉しない生き方”と”深入りしない立ち位置”に我関せずで入り込んできたのだ。
会ってから一貫してこの接し方をされれば、この男が”こういう男”なのだと嫌でも察せられる。
そんな相手に反発だの無視だのを保つのも馬鹿らしく、何時しか諦めてしまった。我ながら情けないが、無駄と嫌でも思い知らされ続ければ己への言い訳も容易に飲み込められた。
「判った、判った。この杯を最後に寝所へ入るとしよう」
そう返して、杯を口元に持ってくる。
空になった膳を置き、縁側に立てば、ほんの少しばかり前に植えられている紫陽花の行く末が改めて目に入ってきた。
すると、明日には堺に入り、その後には四国に渡る道程を進んでいるであろう己を思い自然と口元に憫笑が零れた。
ふと、今度は天を仰いだ。夜半の空には夥しい程に濃淡に富んだ光が揺らめいている。
「寝付かれるまで子守歌でも唄って差し上げましょうか?」
「喧しいッ! 其方が目障りなだけだ、下がれッ!」
寝所に入っても床に就かぬと、勝太が煽ってきおった。目が嗤っているから冗談なのだろうが、少しは主筋に対する謙りの心をだなァ……。
―― 一から十まで不遜極まりない、無礼な男だッ!
日が昇ってから行われるであろう長き行軍を思えば早々に床に就き英気を養うべきなのだろうが、何故か一向に寝付けない。
―― フッ、いまさら親の迎えを待ちわびる童でもあるまいに……。これでは勝太の言う通りとなってしまうな。
僅か十数年の年月しか歩んでおらぬ我が身。
感傷にふけるならば隠居してからすれば良いはずだ。
どうやら頭上の星屑があまりにも時期外れの蛍の如き喧騒に包まれていたため、寝付けぬ理由を重ねていたようだ。
その事に気付き、自然と自嘲が漏れる。
―― さて……、ん?
今度こそと踵を返して寝所へ入ろうとした矢先に急に慌しい足音が近づいてきた。
「火急にて失礼仕るッ!」
―― こんな夜更けにも関わらず寝具を纏いながらも床に就いていないこの様を見ても、気を回すことがないとは……。何事でも起こったか!?
そう思い及ぶが、まだ夜も明けきらぬ内に伝令が飛んできているのであるから重大事に違いなく、こちらも簡潔に先を促す。
「! 何事ッ」
「不躾は平に御容赦をッ! 源三郎様、御館様からの早々のお召しにございます」
「……相分かった。我は召し物を整えるゆえ、そなたは他への報せに向かうが良い」
「はッ!」
返事をするや、急使は早々に他の部屋へ向かった。
それを見届ける事も無く、俺も襖を開き着衣の替えに取り掛かる。
部屋に入ると間を置かずに勝太が現れ、黙々と俺の着替えを手伝い始めた。
―― 急使は御館様からの召集と言ってきた、おまけに火急と。
なれば、……昨夜の内に用意してある大紋では不味くなる。かと申して兄とはいえ織田家当主の前に参上するのである。
―― であれば様式は……、素襖で良かろうか。
しかし、背後から羽織らされた召し物が己の予想を外す。
―― 鎧直垂。つまり戦が待ち構えているようだ。
―― 悠長にしてはおれぬッ!
それにしても何処ぞからの敵襲だろう。少なくとも先程の急使が申した"火急"は誇張ではないという事だ。
鎧直垂を見て頭に残っていた酒は一遍に吹き飛んだが、それでも今の刻が読めぬ。
己の刻が当てにならぬと悟り、俺は勝太に問うた。
「……今は何時だ?」
「もう暫くされれば寅の刻が明け、卯の刻となりましょう」
手を休ませることなく答が返ってきた。
―― 早朝から? 相手は誰であろうか。そもそも当家に気付かれる事無く入京できるものだろうか。
「御館様は何処に?」
俺は本殿か拝殿のどちらに向かえば良いのかを問い質したのだが、別の場所が指された。
「鳥居前でございます、……お急ぎをッ!」
これは誠に一大事であるようだ。そして俺からの問いに対しても動きを緩めない勝太の手伝いもあって、俺は早々に寝所を後にするのであった。
―― それにしても黙っておればこの男は有能であるのに、全くもって勿体ないことだ。
注)本能寺の変の折、『本能寺』の住所が現在と異なることは有名ですが、信忠が宿とした『妙覚寺』も現在とは異なる場所にあったと私は考えました。
井沢元彦著『逆説の日本史10 戦国覇王編 天下布武と信長の謎』中の洛中洛外図で、その禁裏(御所)の北西に描かれているが、wikipediaでは『二条通と衣棚通の辻の辺り』と書かれています。
今作ではwikipedia説を採用します。理由は、信忠や勝長が最後に憤死した二条城に近いからです。
信忠の隊は本能寺が襲われていると聞いて本能寺へ援軍に向かっているのですが、その際、『逆説の…』の説を採ると”行軍の途中に強襲を受けた場合に御所にまで被害が予想される。はたして信忠はそれを是とできただろうか”との疑問がでる。逆にwikipedia説なら行軍が進むに連れて御所から遠ざかることとなる。
また行軍を開始する直前に現れた村井のジッ様から”本能寺が堕ちた”との報せを受けています。なればこそすぐ近くにある二条城に移動したのではないでしょうか? そうでなければ南にある本能寺から攻めてくる明智勢を避ける上で、東の安土か遠回りでも西の丹羽勢に合流する策を採ってもおかしくないと思うのです。
勿論、wikipediaの記述がいつも信頼できるなどとは考えていませんけどね。
それはそうと……当時の二条城と禁裏の間は公家街で、止宿できるような寺院が無いんですよねェー……。