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理想か、野望か



「今日はお友達がお見舞いに来ていたね」


 白衣の優男は、ゆっくりとした口調で話しかけてくる。病院関係者は皆同じようなしゃべり方をして、いつも私をイライラさせた。

 けれど苛立ちを外へ出したりはしない。にっこり笑って応じる。


「ええ」


 彼は『友達』ではないのだが、『見舞い』であることは確かなのでうなずいておく。


「あの男の子、よく来てるみたいだね。あ、もしかして彼氏?薫子さん綺麗だからもてるでしょ?」

「ただの幼馴染よ」


 少し、声が沈んだ。感情が表に出ないように意識していたはずなのに、体の端々に命令が行き届かなくなっている。


「幼馴染か。大きくなっても付き合いが続く友達っていいものだね」

「友達じゃないわ。ただの幼馴染」


 笑顔で言う。決して強がりに聞こえないように。


「彼は私の理解者。友人とは違うわ」


 私は、本気で彼を陥れることすらためらわない。彼も必要と判断すれば私を陥れる。それを友とは呼ばないだろう。


「・・・わかるよ。理解者は、必要だよね。時には友人よりも」

「ええ、そうね」


 私にとっては、常に友人より恋人より必要な存在だった。面倒だから、これ以上の問答は避けたけれど。

 きっと普通は、友人や恋人や家族が、己の理解者となるのだと思う。

 だけど私は、家族やただの友人と一緒に過ごしていると、どうしようもない孤独感に襲われた。今は慣れたせいでそんなもの感じないけれど、十歳くらいまでは酷かった。

 みんなが笑ったり怒ったりしたとき、その理由が理解できない。世の中にまかり通る道徳をありがたがる理由がわからない。そんなことが多々あった。

 だから私はその理由を必死に探し、合わせるように努力した。

 思えば、私が打算的になった原因はここにもあるのだろう。





「今日、道徳の授業があったの。いつも意味がわからないけど、今日は特にひどかったわ」


 当時十歳の私が不満をぶつけた相手は、七歳年上の少年だった。

 有名な私立進学校の二年生だった彼は、このときにもテキストを開いていた。これに私は酷く呆れた記憶がある。だってその場は、一族の花見の集まりだったから。桜を無視して、無機質なテキストを広げるとは、無粋にもほどがある。あとから聞いた話、家やそのほかから、成績優秀であれと圧力をかけられていたのだという。

 少し固く冷たい態度や、周囲を見下しているともとれる言動は、それが要因であろう。――年齢が上がるにつれて柔らかくなっていったが、それは彼の本質が変わったのではなく、処世術だ。

 私たちが生まれ育ち、そして生きてきた場所は、人をじわじわとゆがめてしまう、――そんなところだった。


「宗教の授業だったら、きみも受け入れられたかもね」


 背後では、酒に酔った大人たちが騒いでいる。


「しゅうきょう?私は神様なんて信じないわ」

「宗教って言うのは、なにも祈るため、救いのためだけに存在しているんじゃないんだよ」

「どういうこと?」

「たとえば、宗教による道徳教育。――日本は政教分離をしてしまったから公立の学校ではこれができないけれどね。神様はいつだってあなたを見ているだとか、悪いことをすれば地獄に落ちるだとか。――そうやって、良いこと悪いことを区別させるんだ」

「ばかじゃないの?どうして悪いことをしちゃいけないかくらい考えればわかるでしょう?」

「・・・・・・きみの発言が良心からきているとは思えないから、・・・悪いけれど、教えて?きみの考えって奴を」


 本気で彼のことをばかだと思った。――この頃にはすでに、自分は人と随分異なる思考回路をしているとわかっていた。だから他人をばかにしたり、家族を見下したりすることは少なくなっていたのだけれど。


「本当にわからないの?あなた、頭いいんでしょう?」

「きみほどじゃないよ」

「私、あなたほど勉強できないわ」

「賢さには種類があるんだよ、ぼくはいわゆる頭でっかちで、机上のお勉強にしか発揮されないタイプなんだ」

「それってものすごく、無意味ね」

「まあね。――で、お話をどうぞ」

「どうぞってほどたいそうなことはないわ。――簡単な話よ。全員が協力するのが一番いいことなの。例えばうちの一族は必死で節税しているみたいだけど、税金をみんながたくさん納めれば、公共事業に使われて仕事がしやすくなって、自分の利益に跳ね返ってくるのよ」

「でも、官僚や政治家が無駄遣いするじゃないか」

「そうね、ばかなのよ。ちゃんとしたところに使えば己の利益になって返ってくることを理解していないんだもの。私、大人の全てが賢いなんて、もう思ってないわよ」


 彼は苦笑した。


「そうだね、きみのほうが賢い。――つまりきみは、悪いことをしないのが合理的だといいたいわけだ」

「そう」

「神や死後という未知のもので威す必要なんて無いと。ましてや道徳の授業など、くだらない」

「そう」

「きみは意外にばかだね」


 ――響いてきたのは、私にとってこそものすごく意外な言葉。

 彼は特に表情を変えていない。


「きみの言うとおり、世の中そんなに賢い人ばかりで埋め尽くされてるわけじゃない。みんなが税金をしっかり納めればいいときみは言ったけど、他人が納めて自分だけ納めない、ただ乗りってやつが一番得だよ。人によっては、目の前の誘惑に負けて借金をする人がいるくらいなんだからね。人間はそんな高度なこと考えられない。そんなに優秀な生き物じゃないよ。――だから死後や神様で縛るんだ」


 彼は、自分で言うほどに頭でっかちではなかった。

 ただ、この世に対して何の理想も持っていなかった。冷めた目で世界を見て、理解している。理解しているから理想が持てず、理想がないから不満がない。

 これを不思議なほど愛おしく思った。もしくは、憐れんだのかもしれない。自分でもその正体がわからないけれど、強烈な感情だった。


(ねえ、わからない?――それでもこの世は楽しいのよ。だってこんなに感情をくれるわ。不満だらけで、全然理想どおりじゃなくて、でも可変なのよ)


 その楽しさを、彼に見せてみたい。そう感じたのが、思えば始まりだったのだ。





*後半二人が話しているのは「公共財のジレンマ」などと呼ばれているもの。

 例え話が臭いのは主人公が当時幼いが故。

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