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理解者


 時折、幼馴染の少年が訪れる。

 彼との会話は苦痛にならない。体は大丈夫なのか、と聞かないし、無理はするなとも、もうやめろとも言わない。

 けれどいつも、病室に入った瞬間に、ほんの一瞬だけ顔をしかめる。呼吸をしたときに、だ。

 薬を飲み始めて、私の体臭が変わった。あの薬の成分が、体に染み付いているのだ。彼はそれに気づいている。――死が近づいてくる、その足音に気づいている。


「外にでも、出るか?」


 ある日唐突に誘われて、二つ上の階の喫茶室に行った。

 検査や検診がない限り、私は自分の病室があるフロアからほとんど出ない。喫茶室は初めてだった。

 窓際の席に座る。欲しいものを言えば、彼が取ってきてくれる。人に使役されることが嫌いなはずなのに、私のために自ら動く彼を見て、私はもうすぐ死ぬんだなと改めて思う。


「いつまでこうしていられるのかしら」


 ぽつりとこぼれた言葉。――私らしくなかった。「私」という人間は、すでに少しずつ、死んでいっているようだった。


「さあな。でもそれは、――どんな瞬間にだって言えることだろう」


 言われなくたってわかっていた。

 だからこそ、模範解答なんて必要じゃなかった。

 彼は私に、一度だって慰めを言わない。心配のそぶりも見せない。私と別れつつあることを、惜しんだりしない。――それは私の望んだこと。彼はきっと、私が死ぬ瞬間まで最高の理解者であり続ける。

 それを悲しいと思う瞬間があるのは、やはり私自身が失われているせいなのか。


弓弦ゆづるは、どうしてるの?」


 やって来ない想い人の名を出すと、ほんの少し馬鹿にしたように彼は笑う。


「相変わらず馬鹿やってるよ」

「あら。弓弦って、ちっとも学習能力がないのね」

「学習できるほど女寄せ付けてないんだよ。あれに期待するな。おまえに会いに来たりは、しない」

「・・・・・・」


 そんなこと聞いてないわ、とは言わなかった。

 聞いていないけれど、聞きたかったことだから。


「私は、」


 微笑を浮かべる。強がりと悟られないように。


「私は、弓弦のこと好きよ。だけど、傍にいるなら、あなたでいいの」


 彼は私のほうをまっすぐ見て、やがて目を伏せた。

 私は彼を失えない。彼は私の唯一の理解者であるから。そういう意味では、迷うことなく「愛している」と言える。逆もきっと、然りだ。

 けれど私は死に、彼は生き残る。

 彼は、私を失った世界でどうやって生きていくのだろうか。

 それを思うと、彼が不憫でしょうがない。

 逆の立場だったらと思うと、不安で仕方ないほどだ。

 べったりとした重たい沈黙を破ったのは、彼のほうからだった。


「俺個人の方針として、浮気と不倫はしないでおきたいんだけどな」


 冗談めかして、彼は言う。その軽さが、私にとっての救いになる。――ああ、どうして救いを求めるほどに私は弱くなってしまったんだろう。


「意外にあなた真面目よね」

「何人もの機嫌とってられるかよ。大事なものは、少しあればいい」

「浮気をしろとは言わないけど、それって淋しくないかしら?私は私に関わるもの全部、好きだと言えるわよ」


 たどっていけば、世界のすべてを。

 彼が「へぇ」とおどけたしぐさをする。


「信じていないの?」


 怒ったように顔をしかめて見せると、ふいに彼は真面目になった。


「そんなの、昔から知ってる」

「じゃあ、なんなのよ、さっきの」

「不思議なだけだよ・・・・・・迷いなくすべてを好きだって言いながら、なんで躊躇なくすべてを裏切れるのか」

「あなたはなんで、全部を疑問なく愛せないの?愛したら、裏切れないから?」


 そんな話、初めてだった。

 まじめすぎる会話なんて、気恥ずかしくて出来やしないはずなのに。それなのに口にするのは、終わりが近いから。こうして寂しさを埋めようとしていたんだと思う。


「・・・大切なものは、少しでいい。自分が守れる範囲だけが、俺の好きなものだ。沢山あっても、守れなかったら、意味がない」

「あなたの愛を背負う人は大変だわ。――加減しないと、相手を潰すことになるわよ」

「裏切りで相手を潰すよりマシだ」

「馬鹿ね。それってあなたにとって弱点よ。ほどほどにしなさい」

「わかってるさ。だけど、弱点を受け入れないと、何一つ手に入れられない」

「そうね。私もわかってるのよ」


 私は少しだけ笑った。

 表情筋を支配するなんて容易いことだったはずなのに、やけに難しかった。



 本当はわかっているのだ。

 求める答えが、どの道を選べば得られるのか。


 本当はわかっているのだ。

 どうすれば本当に欲しいものが手に入るのか。




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