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そして、告げる




「あなた、ばかなのね」


 口をついて出た言葉は、ちんけなものだった。そして正直な気持ちだった。

 車椅子に乗った私の背後にいた彼は、言葉を返してこない。唖然としているのだろう。彼の反応は当然と言える。私は今の今まで思い返していた過去と言葉を交わしていたから。

 まあ、思い出に浸っていたとはいえ、彼に対する感想は事実なのだが。


「ねぇ、あなたは、何を祈るの」


 ああ、まだ私は回想から戻りきれないでいる。彼からすれば、私の発言は唐突なことばかりだろう。そんな会話しか出来ない自分が嫌になる。

 だが彼はそれを指摘することはなかった。


「何、を?」


 鸚鵡返し。


「何に、何を、祈るの?あなたは私に聞いて、私は答えたわ。でもあなたのことは聞いていない」

「ぼくは・・・・・・」


 戸惑う声。

 私は不思議に思って彼を振り仰いだ。

 驚くことに、彼は狼狽していた。なぜそのようにうろたえるのだ。あれだけ人に聞いておきながら、己では何も考えていなかったと言うこともあるまい。


「別に、言いたくないならいいのよ」


 そう告げるのだが、彼は気まずそうに沈黙を寄越す。


「あなたは、私に祈れと言ったでしょう。他の人たちのように、あの樹に願いを託せばいいって。でも私は祈ろうとは思わないの。無意味だから。――あなたにこの意味が理解できるかどうかわからないけれどね、」


 息を吐く。

 苦しさを紛らわせるための、無意味な動作だ。


「私は、今、幸せなのよ」


 伝わるであろうか。この、私の本心が。

 口に出した瞬間、嘘のように響く。真実であるのに、軽々しい。


「与えられたものには満足している。満ち足りてるのよ」


 描かれるような美しい世界は存在しない。理想は遠くに霞んでいて、全然思いどおりにならない。不満が募り、不安が心を揺らしていく。


 だけど私は、それすら楽しい。


 私が見聞きし、体験し、感じたもの全てが今の私を作り上げた。そして私は、今の私が好きだ。

 だから私は、『私』を作り上げたもの全てに感謝している。

 この私を作り上げたものたちを「神」と呼ぶのならば、肯定しよう。

 けれどそれに祈ろうとは思わない。次の幸福は、欲しいものは、自分で手に入れられる。できる能力を、すでに与えられている。


「でも、きみは」


 風のささやきに負けそうなほど小さな声で、彼が言う。


「愛おしい人に、傍に居てほしいと言ったよね。その人を手に入れて、他のほしいものまで全て手に入れられたらと思わないの?苦痛が去れば、その病気が治ればと思わないの?時間がもっともっと欲しいとは思わないの?」

「思うわよ」

「じゃあ、なんで」

「ねえ、これ以上は平行線だと思うわよ。あなたは理由が欲しいんじゃなくて、私に祈って欲しいんでしょう?」


 彼が望むもの、そんなの最初からわかっていたのだ。私は相手が望むものを察する能力に長けているのだから。


「あなたは、私を自分の理解の範疇に収めたいのね」

「ちがう・・・」

「あなたの常識では、普通の人は祈るのよね。奇跡を求めて。――悪いけれど、私が変わる可能性はほぼ皆無だわ。嘆くならば、あなたの狭い認識能力を嘆くのね」

「そんなんじゃ、ない」


 私は努めて優しく言ったけれど、返る彼の声は擦れている。


「そんなんじゃない。ぼくは、」

「どうして人は祈るのかしら?」


 彼の言葉の先を言わせないために、私はそれを遮った。


「どうして・・・」

「祈ったところで、成功の確率が上がる?そんなばかなこと、あるわけないわよね。みんなわかっていて、それでもああするの」

「・・・・・・結果や、見返りを、求めてるわけじゃない」

「そうね、あなた前にも言っていた。一方通行なのよね」


 想いが一方通行。片想いと似ているって。


「好きになって欲しい、他の人と仲良くしないで、傍に居て、私だけを見て、笑いかけて、ずっと好きでいて。――これを言って、幸せになれる?無理でしょう?強要なんて出来ないわ。想ってもらえるよう、自分を磨くしかないの。そうしてすら、確実じゃないけれど。

 わかるでしょう?やるべきことを間違えているのよ。語らなくていいの、綴る必要もないのよ」


 視界がゆらゆらと揺れて、思考が乱れてきた。

 胸が熱くて苦しい。熱が出てきたのだ。


「本当に、利己的ね。恋も、祈りも」


 正常な判断ができるのも、あとわずかな時間。

 だから私は断ち切らなければならない。

 隣に並んだ青年を。


「他者に背負わせることが祈りならば、私は祈らない。必要ないの」


 彼がいつか私に渡した、メモ帳から破り取られた紙。私はそれを、彼へと差し出した。

 託すのは、求めるのと同じこと。強要するにも似た行為だ。相手の想いを背負わなければならない。目の前の樹は、つまり、義理もない相手から重いものを背負わされているのだ。

 私には出来ない。されるのも御免被る。

 けれど、彼は私が返そうとするそれを、静かに拒絶した。


「じゃあ、これはぼくのわがままでいい」


 私はその先を遮ろうとした。けれど、痛みが呼吸を邪魔して、呼吸の乱れは喉を圧迫した。

 ――聞いてしまったら、いけないのに。


「ぼくは、きみに生きていて欲しい」


 目を閉じた。――胸の中心が重い。


「きみみたいに、ぼくは優しくなれない。物分りよくなれないよ。これ以上を相手に求めて何が悪い。紙に書いて結ぶ、それのどこが悪いんだ。こうして告げることと、何が違う」


 押し殺された声が、重く、重く降り積もる。

 もう聞きたくない。けれど耳をふさげない。


「私は、――」

「ごめん」


 彼は私に何も言わせたくないらしい。――違う、「何も」ではない。望まぬ言葉を聴きたくないのだ。

 彼は一人、私をその場に残して樹の傍へと立つ。幹に手を当てて、重い枝葉を見上げている。何も言わず、動きもせず。


 祈っているのだろうか。

 私が、彼の望む言葉を言うことを。


 互いに、我慢比べをしていたのかもしれない。長い間、動くのは風と枝葉だけだった。

 私は気力を振り絞って立ち上がり、背筋を伸ばし、樹へと歩み寄る。

 空へと手を伸ばすが、枝は掴めなかった。いつの間にかそれを見ていた彼が、枝を一つ引いて、私の手の届くところまで降ろしてくれる。私はそこへ、長細く畳んだ紙を枝に結び付けた。 

 彼を見る。けれど彼はこちらを見ない。


 通じ合えない。分かり合えない。理解しあえない。伝わらない。

 どうしてこんなにも、もどかしいんだろう。


「ねぇ、私は、私にかかわるもの全てを愛してる。ただそれが在るだけでいいの。それで満足できない?」


 祈ったって、何一つ変わらない。

 みんな知っているはず。知っていて、祈っている。

 彼が私に背を向け、肩越しに振り返る。


「・・・戻ろうか」


 せっかく忘れかけていた涙が、すぐそこまで迫っていた。けれどそれを無理やり嚥下する。

 言ってもよかったのだ。けれどそれは私の自己満足であって、彼は何も満たされない。そう知っていたから、その言葉は、涙の素と一緒に飲み込んだ。



 ――私はあなたも愛してる。








 次の日、庭の大樹はその太い枝を落とした。

 裂けた幹が痛々しく露出した姿は、樹の死を全ての人に理解させた。






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