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相似と差異、望みと後悔




 行き先をどことは言わなかったのに、彼は私を中庭へと連れ出した。

 相変わらず人の姿がない。庭の中央に立つ樹に、白い紙を結びつけるときだけ彼らは姿を現すのだ。樹の異様な様に、恐れにも似た気持ちを抱くのかもしれない。自分たちが成したものだというのに。

 風が吹いて、艶を失った私の髪をかき乱す。それを整えようと手を差し入れれば、髪同士が絡まる嫌な感触がある。


「寒くない?」

「ええ」

「なんだか、うれしいな」

「なにが?」

「きみが頼ってくれたのは初めてだと思う」

「・・・・・・」


 だってあなた、頼って欲しそうだった。私は相手の求めるものがわかってしまうし、わかったそれを餌に他者を動かすことを日常としていた。

 私がその場を動かしている、――その実感が、快感だった。

 違う。――違う、今は、私が、頼りたいのだ。頼らなければ動くこともままならないのだ。それを認めたくない。彼はその認めたくない気持ちを汲み取ったかのように、私を手助けしたがった。

 思い返すまでもなく、彼はいつだって私が望むように在り続けた。

 その事実に、頭がくらくらする。


「あなたは・・・私にとって都合がよすぎる存在だわ」


 これを告げた瞬間、彼が消えてくれるんじゃないかと思った。それくらい、彼は私に都合が良すぎる。薬が見せる幻覚じゃないかと、ずっと疑っていた。

 だけど彼は消えない。


「・・・ええっと、それは、・・・褒められてるのかな」

「どうしてあなたは弓弦に似ているのかしら」


 彼は黙った。

 枝葉がさらさらと鳴っている、その音ばかり耳につく。自分の声が遠い。


「似ているの。傍にいてほしいけれど、決して私の傍に置いてはいけない人に。傍に置いてしまえば、私は絶対に後悔する。でも彼を手に入れられなくたって、悔いは残る。――ねえ、だけど、何度選択を迫られたって、私は彼の傍にいないことを選ぶのよ。私は彼のことよりも自分が好きだから。彼のために多くをあきらめるより、彼一人をあきらめて他の多くを手に入れるの。私はわがままで欲張りで、だけど私はそんな私が好きなのよ」


 私はどうして普通に愛した人を求められないんだろう。どうしてこんなにも欲にまみれているんだろう。――今まではこんなこと考えなかった。疑問なく、自分を愛せた。今になって、自分の生き方に一抹の後悔を抱こうとしている。

 私は目を閉じる瞬間に後悔したくない、そう思って必死に生きてきたのに、どうしてこうなったんだろうか。

 彼は私とは対極に静かに告げる。


「人の想いなんて、そんなものだよ」

「なによ、それ」

「相手を好きだと思うことが、そもそも利己的な感情なんだ。その彼にどんな態度をとろうと、それはきみのわがままでしかない。相手がそのわがままを受け入れてくれるか否かで、きみたちの関係が決まる」


 意味がわからない。

 頭が回らない。

 もどかしい。

 体験に乏しい感覚に苛立ちが募り、涙の素が喉までせりあがってくる。

 けれどもそんな理由では泣けない。私が私ではなくなってしまうから。


「なによ、それ」

「後悔の原因は選択の問題でもなければ、きみの性質のせいでもない。ただの偶然とか巡り会わせとか、そんなものだよ」

「なに、」

「選択の結果は後悔の有無を左右しない。好きになったから後悔する、そういうものなんだよ」

「・・・・・・」


 苦しくて、彼から視線を逸らして目を閉じる。弱みを見せないために入れていた力を少しだけ抜く。


「言っておくけど、好きになったことを後悔してるって話じゃない」


 そんなこと聞いていない。


「――ね、解決。少しは心軽くなった?」


 なるわけがない。

 私がその程度の言葉に丸め込まれるとでも思ったのだろうか。

 彼は長年の想い人と似ているけれど、やはり違うのだ。想い人は適当に誤魔化してあしらうことはあったけれど、安っぽい言葉で慰めたりしなかった。






「きみは、時折賢すぎる」


 彼は私のことをそう評した。

 年下の少女に向かって、――確か当時の私は高校生で、彼は院生だった――そんなことを言う。褒め言葉ではなかった。裏側に「だから厄介だ」という意味があった。


「あからさまに誤魔化すことで、きみがこちらの事情を察して追及の矛先を収めてくれることに賭けるしかない。フェアじゃない、って時々思うよ」

「意味がわからないわよ。私以外にはどうしてるの」

「適当な言葉で丸め込む」


 私はあきれ果てた。


「あなたって、本当に他人と会話する気がないのね」

「興味が持てないんだよね」

「そういえばあなた、無趣味ね」


 彼は他人にも自分にも興味を持っていない。何事にも執着しない。趣味がない、というのは考えてみれば当然だった。

 この頃の私は、自身の行動範囲が広がって、しょっちゅう彼の大学へ出入りしていた。何食わぬ顔で学食を利用し、時に講義に紛れ、人脈を築いていた。おそらく彼よりも知り合いの数は多かった。

 私は人と関わるのが好きだった。考え事の最中に邪魔してくる人間は大嫌いだけれど、情報をくれる相手は大好きだ。

 本、新聞、ラジオ、テレビ、携帯電話、インターネット。情報をくれるものは現代においてたくさんある。けれど、もっとも面白いのは人間のお喋りだ。

 十代半ばも過ぎた私は、すでに他者との差異を完全に受け入れていた。以前は存在した微弱な劣等感も消え去り、それを楽しんでいた。

 人生を真に謳歌し始めた私とは対称的に、無趣味な彼は今日も分厚い本をめくっている。


「趣味・・・なにか欲しいよね」

「あら、欲しいの?」


 意外だった。


「きみは、勘違いしてない?ぼくは確かに無趣味だけど、好きで無趣味なわけじゃないんだ。趣味があれば、充実した人生になるんだろうという予測はつくわけで、それなりに憧れる」


 意外だけれど、真っ当な言い分だ。そういえば、彼は私と違って真っ当な人間だった。


「でもね、収集に興味は湧かない。スポーツも、どうも向いていないらしい。読書は嫌いじゃないけど、必要がなければ読もうと思わない。不特定多数の人間との接触は好きじゃない。ネット上でもそれは同じ。音楽鑑賞は、人並みかな。車とか格闘技とか賭け事とか、はっきり言ってどうでもいいね」


 一般的に好まれるものはほとんど却下されている。――ここまで聞いた時点で、あなたが趣味を持とうが持つまいがどうでもいい、という台詞が喉までせりあがってきた。

 彼は想い人ではあるが、そんな部分まで肯定的に愛せるほど私は盲目になれない。

 ただ。そんなに暇ならば、と思った。――勉学に忙しい彼は暇ではないのだが。


「私のことを見ていればいいのよ」


 私の主張に、彼はきょとんとした。

 彼の反応は正しい。頬を染めたり目を背けたりといった行動をしたら蹴り上げていた。

 事実、可愛らしい色恋の話ではない。


「私のすることをね。絶対に、飽きさせないわ。そうね、この国ひとつくらい、私のものにしたいわ。全世界というのは、正直難しいわね。時代が違えば出来たでしょうけどね、私の命がある間に状況が変わるほど、世界の移り変わりって早くないと思うの」


 思い返せば笑えてくる。このときは何の意味もなく「私の命」と言った。数年後に余命宣告をされるとは、なんという皮肉。

 世界どころか、この国の一部さえ手に入れられていない。せいぜい周囲の人々を翻弄するだけ。彼らに私と言う存在を強烈に焼き付けるだけで終わってしまう。


「でも見せてあげられるわ。たくさんの、面白いこと」


 彼は驚きもしないし、感動もしない。

 少しばかり呆れの混じる、しかし無関心の表情である。


「だから、きみは賢すぎるって話だよ」

「だから?」


 先ほどと話が違う。


「おそらくきみには出来てしまうだろうね。どんな形であるかは、運にも作用されるだろうけれど。きみはそれを本能的と言っていいくらいに、自然に理解している。――残念だな、野心に溺れる愚か者であればよかったのに」

「・・・・・・?」


 眉間に皺を寄せた。

 愚かであれ、とはどういうことだろうか。


「きみがこの意味に気づけるほどに、愚かであることを祈ってる」


 くすり、と彼は笑った。


「そうだな、確かにきみを見ているのを趣味にしたらいいかもしれない。思えば今までもそうだった」

「思えばって、あなたねぇ」


 いつものように、彼はあからさまにはぐらかす。策を弄してはぐらかすのではなく、これ以上は聞いてくれるなと言外に伝えてくる。

 私より年長のくせに、本当の意味で私をこども扱いしなかった。まっすぐ向かい合い、対等の相手としてものを言う。扱いに困ったときは素直にそう言った。――「悪いけれど、教えて?」そんな言葉を、やわらかい声音で。


「・・・・・・ねえ、祈るって、あなたは何に祈るの?」

「特にないよ。言葉の綾だ。ただ、想ってる。そうであればいいって。そうなればいいって」


 そうだ、こんな会話を確かにしていた。――この言葉を思い出したとき、とても不思議な気持ちに包まれた。

 図らずも、想い人に少しばかり似た男と、似たような会話を繰り返しているのだ。






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