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Phase 018:「ワークアラウンド?」

「ワークアラウンド」とは、予想外の事態が起きた時の迂回策です。

多くの場合、根本的な解決とはなりませんが、こういう回避策を考えられるかどうかも、ビジネスの世界では大切です。

押してもダメなら引いてみる……そんな柔軟なワークアラウンドを考えるようにしたいところです。

 その知らせを聞いても、第一聖典神国(セィクリッド)託宣巫女(オラクラシビュラ)も、第九聖典神国(セィクリッド)託宣巫女(オラクラシビュラ)も内容を理解できなかった。

 そのため、二人はもう一度、報告を聞きなおした。

 しかし、二人に報告しに来た情報官は、まったく同じ言葉をくりかえした。


「第九聖典神国(セィクリッド)英雄騎士ヴァロル様が戦死なさいました。また、そのお嬢様も同じく戦死なさったものと思われます。第四、第五、第八の各聖典神国(セィクリッド)英雄騎士ヴァロル様はご無事とのこと。また、【黒の血脈同盟】側は、一位と五位の盟主が戦死したものと思われます」


 思わず立ちあがって聞いていた第九聖典巫女は、目を回すように椅子に座りこんだ。

 慌てて、周りのものが彼女を支える。

 気丈な第九聖典巫女が倒れるのも無理はない。

 彼女にとって……いや。すべての聖典巫女にとって、自国の英雄騎士は希望なのだ。


 英雄騎士は、神の世界から魂を召喚され、この世界で開眼する。

 そして、開眼した英雄騎士の力は絶大だ。

 騎士を目指す者達は、大勢存在する。

 しかし、その者たちがどんなに訓練しようと、英雄騎士の力の領域にたどりつくことはできない。

 能力の格が違うのだ。

 そのためか、中には他の人々を軽視する英雄騎士もある。

 もともと、神の使徒である彼らにとっては、人間は下等に見えるのかも知れない。

 しかし、その中でも第九聖典神国(セィクリッド)英雄騎士ヴァロルは人格者として知られていた。

 傲りや傲慢さもなく、謙虚さも持ち合わせ、その上でその力は英雄騎士の中でも、三本指に入るものだった。

 ちなみに、第一英雄騎士の強さは、英雄騎士随一と言われている。

 そして、基本的な人格も悪くはなかったのだが、唯一の問題として女癖が悪いという欠点がある。

 その点においては、第一聖典巫女は第九英雄のまじめさがうらやましいと思っていた。

 まさに第九英雄騎士は、他の英雄騎士の模範となるべき存在だったのだ。

 しかも、そのすぐれた騎士の娘さえも死んでしまったという。

 これは、自国の騎士ではないにしろ、第一聖典巫女にとっても大きな衝撃だったのだ。


「な、なぜ……そのようなことに……」


 絞りだすような第一聖典巫女の言葉に、男の情報官は頭をさげたまま「恐れながら」と告げてから、言葉を続ける。


「情報が混乱して伝わっているため、本当に正しいのかわかりませんが……」

「よい。わかっていることを言いなさい」

「はっ。突然、空が闇に呑まれたと」

「……闇に? どういうことです? 同盟の攻撃ではないのですか?」

「いえ。同盟にも大きな動揺があったようですし、ましてや一位盟主の命を一緒にとは考えにくいかと。さらに申し上げれば、空に現れた全軍を覆うほどの巨大な闇は、破裂したように拡散し、その闇に触れたものは達は吹き消されたと……」

「そ、そのようなことがありうるのですか……」

「わかりません。現在、情報管理官長が直接調査に向かっております。それから、もうひとつ、不可思議なことが……」


 そこで若い男性情報官は、一度唾を飲みこんだ。

 これから自分が口にすることが、信じられないのだろう。

 眉を思いっきり顰めて、続く言葉を紡げずにいる。


「今はとにかく情報が欲しい。言ってください」

「はっ。……それが、吹き飛ばされた戦場に、大量の魔物……アンデッドが現れたとの報告も……」

「なっ……。大量とはどの程度の……」

「推定5万は……」

「ま、まさか……」


 アンデッド、もしくはリビングデッド。

 これには何タイプか種類が存在する。

 まずは不死者と呼ばれる、「死」から遠い存在。

 次に死しても動き続ける呪われた魔物。

 そして、他の魔力により操られる死体。

 どれも始末が悪い存在ではある。

 もっとも敵対したくないのは、「不死者」と呼ばれる存在だが、これは非常に特殊な存在であり、大量発生ということはまず考えられない。

 戦場に大量発生するとすれば、一番考えられるのは、意志を持たずに基本的な本能である食欲を満たすために動き回る呪われた亡者。

 いつまでも満たされない飢えを満たそうと、生き物を手当たり次第に襲う。

 そして襲われたものは、たとえ生き延びても、呪いを受けて生きたまま亡者となるという。

 それはまるで、伝染病のように広まっていくのだ。


「なんということでしょう……」


 もしこれが本当ならば、とんでもない事態である。

 通常、戦場の亡者となれば、戦死者たちである。

 つまり、今回出陣していた自軍と敵軍の帰らぬ者たちが、アンデッドとなった可能性が高い。

 それならば、5万体ではきかないかもしれない。


 だが、未だかつてそのような大量のアンデッドが生まれることなど考えられなかった。

 このようなこと、予想外の状態すぎて対策など思いつかない。


(今から聖典様に相談を……。いや。間に合わない。聖典様も臨機応変に対応することが、プロジェクトマネージャーとして大事だと……)


 第一聖典巫女は、心の中の決意に深くうなずくと、力強く立ちあがった。

 そしてその場にいた者たち全員を一瞥して声をあげる。


「まず、我が英雄騎士殿に英雄騎士団の半数を連れて出陣命令を。アンデッドの進行を食い止め、可能な限り撃退せよと伝えてください。ただし、無理はしないようにと。また、1小隊を第九聖典巫女様の帰還護衛に。残りは、国境守備の強化にあたってください。外交官を呼んで、全連合の聖典巫女に応援要請を! 全部隊がそろい次第、本格的なアンデッド対策に乗りだします! また、各長を至急、第一会議室に収集してください!」


 不安ながらも第一聖典巫女は、臨時対策を立てて気丈にふるまうのだった。



   ◆



 ここしばらくのPM部の活動は殺人的な忙しさだった。

 次々に発生するクレームに追われ、プロジェクトの修正を行い、交渉に校内を走り回った。

 発生した課題は、ほとんどが想定外のものばかり。

 俺をはじめ、PM部のメンバーも回避策を講じるのに必死だった。

 気がつけば、9月も終わり。

 根本的な解決もできないまま、ここまで来てしまった。


 しかし、これも今日で終わるだろう。

 なにしろ、俺たちがてんてこ舞いしている間に、【木角(きずみ) 有楽(うら)】は今日、目的を見事に果たしたはずなのだ。


――ピコンッ!


 放課後。

 今日も部室で書類を作っていた俺の端末に、チャットメッセージが投げ込まれる。

 めがね型のヘッドマウントディスプレイの中で、視線をポップアップされたアイコンに向ける。

 すると「開きますか?」というメッセージが出るので、俺は軽く首肯する。


――〈ちゃらんぽらん〉さんからの送信:お客さんがそっちに行ったぞ~


 あいつからの情報。

 俺は引き出しに用意していた物を取り出すことにした。

 有楽が着々と企てを進めている間に、俺の方の準備もバッチリだ。

 とうとうこのアイテムを使う日が来たのかと思うと、ワクワクしてしまう。


――コンッコンッ


 しばらくすると、柔らかいノックが部室に響いた。


「は~い」


 制服姿の露先輩が明るく返事をしてから、楚々と扉に向かう。

 和服姿の時はもちろんだが、制服姿でも立ち振る舞いがどこか優雅だ。

 などと俺が感心しているうちに、彼女は扉の前に立つ。


「…………」


 ……が、しばらくしても取っ手に手をかけない。

 怪訝に思い見ていると、彼女はなぜか耳を扉に近づけ、そして周りをはばかるように口元に手を当てた。


「合言葉を言うのや。……山!」

「…………はい?」


 ドアの向こうから、少しすっとんきょな声が届く。


「合言葉や。合言葉を言わぬ者は、入れるわけにはいかないのや」

「……え? え? そんなルールがあるんですか!?」


 俺も初めて知ったわ。


「山! 合言葉を言わぬ者は敵とみなすのや」

「え? えええぇ~~~! …………じゃ、じゃあ、川!」

「うむ。よろしい。入るのや」


 そういうと、露先輩はドアを開けた。


 まあ、俺にしてみれば可愛らしいお茶目だ。

 が、どうやら相手はお気に召さなかったらしい。

 入ってきた見覚えのある男子生徒は、明らかに眉を吊り上げていた。


「あの、先輩。この部に入るのに、毎回あんなやりとりをやっているのですか!?」

「いいんや。今、思いつきで取り入れたセキュリティ対策や」

「……ずいぶんと、やっつけセキュリティですね」


 まったくだ。


「えーっと。ボクは監査部会計係の大前で、こちらは会計係長の木角先輩です。今日は木角先輩の方からPM部にお話があるというこど伺いました」


 咳払いとともに、しきりなおした来訪者の大前は、自分の後ろにいた女性を我々に紹介した。

 その女性は、すっと前に出る。

 少し茶色い肩口までの髪に、健康的な白い肌。

 艶やかなリップと、絶妙に薄く化粧された顔は、子供っぽさを残しながらも大人の色香を漂わしている。

 彼女は腕組みをしたまま、頭も下げずに挨拶する。


「どうも。木角です。今日は最近、多発しているPM部の監査問題についてお話を聞きに参りました」

「あら。それはどうもご丁寧に。京の茶漬(ぶぶづ)けでもいかがですか?」


 そうニコリと笑って応対したのは、もちろん桂香さんだ。


「相変わらずですわね、九笛さん。わたくし、こちらに落語を聞きに来たわけではありませんのよ」

「もちろん承知しています。あなたと笑い話をしたいわけではありませんから」


 二人とも、腹に一物持っているくせに、ぴくりとも笑顔を崩さない。

 まるで狐狸の騙しあいでも見ている気分だ。


「それから、柑梨もお久しぶりね」

「……は、はい……」


 やはりトラウマになっているのだろう。

 柑梨は、すっかり華代姉の後ろに隠れて顔をこわばらせている。

 その視線は、有楽から逃げるように下を向いておびえている。

 こちらは妖狐に睨まれ、怯えた子猫のようだ。


「…………」


 有楽の目が、まさに狐のように細くなる。

 その瞳の奥に、獲物を狙う肉食獣のように爛々としたのは気のせいではないだろう。

 やはり、彼女は柑梨のことをあきらめていないのだ。


「とにかく、お座りになられては?」


 その視線を遮るように体を挟んだ桂香さんは、大前と有楽は来客用のソファをうながした。


「……そうですわね」


 二人は、黙ってそれに従う。

 そこに華代姉が、静々とお茶を運んでくる。


「粗茶でございます」


 もちろん、華代姉の見た目は委員長モード。

 彼女も優雅な手つきで、二人の前に湯呑を置いた。


 ……って、湯呑?

 いつもなら紅茶とかなのに、日本茶なのか?

 しかも、鼈甲色の蓋が上に載っている。

 これは嫌な予感がする。


「ああ。ありがとうございます。いただきます」


 俺の心配をよそに、大前が嬉しそうに湯呑の蓋を取った。

 だが、蓋を取ったポーズのままで固まってしまう。

 さもありなん。

 湯呑の中には、真っ黒なおどろおどろしさのある液体が湯気を上げていたのだ。

 しかも、しばらくするとすごい刺激臭が襲ってくる。


「こ、これは……?」

「PM部特製ドクダミ茶ですわ」


 冷や汗をかく大前に、華代姉がさわやかに答える。


「ドクダミ?」

「そうですわ。健康にいいんですよ。PM部では、みんなこれを飲んで健康を保っていますから」


 初めて知ったわ。


「へぇ~。そうなんですか。……それなら頂きます」

「――!?」


 全員の予想をはずし、大前が湯呑をふぅふぅと吹きながら、真っ黒なドクダミ茶を口に運んだ。

 そして、苦そうな顔をしてから、もう一度、口に運ぶ。


「うん。死ぬほど苦くて癖があるけど、元気になりそうな味ですね!」

「そ、それはよかったですわ……」


 逆にやられた感じの華代姉は、複雑な表情だ。

 それはそうだろう。

 これは、嫌がらせのはずなのだから。


 しかし、大前がこんな面白い奴だとは。

 同じクラスだが、初めて知ったわ。

 まあ、滅多に話さないからな……。


「悪いけど、わたくしには臭くてたまらないの。さげてもらえますかしら」

「……そうなんですか。健康にいいらしいのに、もったいないですね」


 有楽の言葉に、大前は心底残念そうに湯呑を華代姉に戻した。

 大前の悪気のない返しに、華代姉もおとなしく引きさがる。

 すると、有楽がわざとらしいぐらい大きな咳払いをする。


「と・こ・ろ・で――」


 そして、やたらに力を入れた話題転換で、有楽はオフィスデスクに向かったままだった俺の方を向いた。


「わたくしたちが歓迎されていないのはわかっている上で聞くのですけど、それはいったい何のつもりなのかしら?」


 そして蔑んだ眼で、俺を指さした。


「どうして、そこのあなたは、そのようなかっこをなさっているのかしら?」


 ふふふふふ。

 とうとう気がついたか。

 俺が今日のために用意していた、このとっておきの変装アイテムに!


「それは私も聞きたいと思っていたわ」

「……あれ?」


 なぜか桂香さんまで、かなり冷たい目。


「私も気になっていたんですよね」


 華代姉が、訝しげな顔で見る。


「ロウくん……そ、それはさすがに……」


 柑梨が、困惑した顔で視線をそらす。


「主殿。なにか辛いことでもあったのかや?」


 露先輩が、不安そうに覗きこむ。


「ミーは、意外とクールだと、アイ シンク イッツ!」


 スケさんが、いつものヘンテコ英語で褒める。


「スケさんに褒めらたら、いきなり恥ずかしく感じてきましたよ」


 俺は思わず変装をとりたくなったが、そこはグッと我慢した。

 ここで顔を見せるわけにはいかない。

 だからこそあらかじめ、変装グッズを用意しておいたのだ。

 それも、伝説級のアイテム。

 そう……。


 毛が一本しかない禿げ頭カツラと、髭眼鏡!


 大昔、企業戦士(サラリーマン)たちが、お得意様との関係を円滑にするため、ウケ狙いで装着し、その後の商談を見事に成功させたという伝説を持つ変装アイテムの代表だ。

 昔のエライ人は言った。「笑談は商談に通ずる」と!


 カツラは、サイドにしか髪の毛がなく、前方から後方にかけて剥げまくっている。

 ただし、チャームポイントのように頭頂部に毛が一本だけ雄々しく立っていた。


 髭眼鏡は、叡智をイメージさせる太い黒縁の眼鏡の下に、人物の大きさを感じさせる立派な鼻がつく。

 そして、その鼻の下には、威厳さえも感じさせる黒々とした髭が飾られていた。


 ネットで写真を見て、一度はつけてみたくなり、この機会を狙っていた。

 しかし、すでに今時では使われることはなく、あまりに入手困難なために、知り合いに頼んで作ってもらったぐらいだ。

 かつらの皮膚部分は、人口合皮。

 毛はもちろん人毛だ。

 そして黒縁メガネは、アレルギー対策もばっちりなチタン製。

 レンズの部分は強化ガラスでできており、激しい動きで落としても壊れない設計になっている。


 きっと、これでバカウケするだろうと思ったのだが……。


「え……え~~~っとですね。これは今度のハロウィンパーティの時の仮装アイテムの一つでして。装着感とか蒸れないかを確認中であります。……まあ、あの、俺のことはかまわず、話を続けてください」

「……ずいぶんと、ハロウィンっぽくない仮装ですわね」


 俺の苦し紛れの言い訳を有楽が鼻で嗤う。

 うーん。

 ウケなかったか……。

 ネクタイハチマキと同じぐらい、ビジネスの必勝アイテムだと聞いていたんだが。

 伝説はしょせん伝説か……。


「はあああぁぁぁ。もうなにか、あなたたちの馬鹿さ加減を見ていたら、面倒になりましたわ」


 突然、有楽が深呼吸に近い大きさでため息をついた。

 そして、力を抜くように背もたれに寄りかかる。


「もう回りくどいのはなしにしますわ。……九笛さん。これ以上、周りを巻き込みたくないなら、さっさと私に誠意をこめて謝罪してくださいな」

「……なにを謝れというのかしら?」


 桂香さんも、有楽の向かいに静かに着席する。


「とぼけないでいただけます? 人のおもちゃを横取りしておいて」

「柑梨は、あなたのおもちゃではありません」


 静かだがきっぱりとした物言いで、桂香さんは否定する。


「……あなた、何様なの? 私の物を横取りして、ただで済むと思っているのかしら?」


 本当にもう、何も隠すつもりはないらしい。

 有楽は微笑を崩して、眉をひそめて桂香さんをにらみつけている。

 もちろん、桂香さんも負けていない。

 無感情な表情のままだが、負けずと睨み返す。


「…………」


 ここですごいのは、大前だった。

 さすが15組(・・・・・・)

 2年1組の有楽。

 2年2組の桂香さん。

 上位組の事情に、我関せずと口を挟まず、横で静かに座って微笑のままスルーしている。

 後輩だからではない。

 これは「組」の違いによるものだ。

 監査に直接かかわる話が出ない限りは、きっと口を出すつもりはないのだろう。

 最底辺組にいる者として、処世術をわかっている。


「私は、あなたの物を横取りしたつもりはないわ」


 無言の攻防を先に破ったのは、桂香さんだった。

 彼女は無表情のままで言葉をつづける。


「それにもう一度言うけど、柑梨はあなたのおもちゃじゃないわ。……だって今は、彼のおもちゃですもの」

「……なんですって?」


 桂香さんが視線で指示したのは……俺かよ!

 おかげで、有楽の殺意までこもっていそうな視線が俺を突き刺してくる。


「どういうことかしら?」


 どういうことなのかしらねぇ?

 俺も初めて知ったわ。

 今日は初めて知ることが本当に多い。

 「俺のペット」とは言ったことがあったけど、さすがにおもちゃ扱いはして……ないよな?


 ……って、まあ、問題はそこじゃない。

 わかっていますよ。

 ここは下がるシーンじゃないですよね。


「悪いね。柑梨は、俺のおもちゃなんだ!」

「ロ、ロウくん!?」


 俺は立ちあがって、驚き(まなこ)の柑梨のそばに行く。

 そして、彼女の頭に掌をのせてわしづかみする。

 力づくで柑梨の顔を俺の正面に向かせて、背けさせることができないようにする。


「最近は、ずっとこうしていじめているよ。この前も水着姿を辱めてやったら、恍惚とした顔でへたり込んでたよなぁ」

「あっ、あうあう! そ、それは……」


 ハゲヅラヒゲメガネに迫られている女子高生とは、随分とマニアックな構図かもしれない。

 これではただのエロオヤジのようだが、始めてしまったからにはやめるわけにはいかない。


「なあ、柑梨。今ここで、『パンツ脱げ』と命令しても言うこと聞くよな」

「ロロロロロ、ロウくん!? そっ、そんなこと、絶対に言わないで……」

「ほらね。『やらない』ではなく『言わないで』だ。逆らえないことが、自分でもわかっている」

「ああああうううぅぅぅ~~~」


 柑梨は恥辱のためか、半泣き状態だ。

 つぶらな瞳から、今にも涙がこぼれそうになっている。

 しかし、普通ならこの顔の女の子を前にしたら沸いてくるはずの罪悪感をまったく感じられない。

 むしろ、恍惚感が出てしまう。

 これぞ、彼女の才能なのだろう。


「ロ……ロウくぅん~。い、いじめないでくださぁいぃぃ……」

「おいおい。違うだろう。『いじめてください』じゃないの? ……ここで一度、確認しておこうか。柑梨は誰のおもちゃなのかな?」

「あう……。そ、それはその……。か、柑梨は……ロ、ロウくんのぉ……お――」


「ふざけないで!」


 非常にいいところで、怒りあらわな有楽の声が割ってはいった。

 彼女は立ちあがって、憎しみの限りをぶつけるようにこちらをにらんでいる。

 やれやれ、まったく無粋なやつだな……と思っていると、なぜか桂香さんまで席を立つ。


「そうよ、ロウくん。あなた、なんて外道なの?」

「え?」

「いやぁ~。さすがに引きますわ、ロウくん」

「え? え? 華代姉まで?」

「本当に主殿は、エロいのや。そういえば、わらわの全裸も見られてしまったのや」

「ちょっ! 露先輩!?」

「ああ。そういえば、私の胸に顔をうずめられたりもした変態ですよねぇ~」

「華代姉、それは――」

「ほぼ裸状態で、思いっきり抱きしめられていた娘もいたわよ。ひどいスケベだわ」

「桂香さん、言い方が卑猥! あれは水着でしょ!」

「ロウくん、ロウくん。ミーもいじめてプリーズ!」

「うるさい、消えろ、ごみ虫!」

「オーゥ! その見下す視線にエレクト!」

「主殿は、男もあるなのかや?」

「ありありだね」

「ねえぇーよ!」


 いつの間にか、ターゲットが俺に代わっている。

 なんで救援に駆けつけたら、背後から味方に撃たれているんだ?

 いつの間にか、みんなが俺の周りに集まって、ワイワイと好き勝手に言いだしている。

 客が来ているというのに、これではいつもの部活と大して変わらんじゃないか。


「……そう。あなたが噂の『ロウ』なのね」


 そのせいで、すっかり蚊帳の外になった有楽が、言葉を噛みしめるように吐いた。

 腕を組んで、相変わらずこちらをすごい顔でにらみ続けている。

 その迫力に、周りもすっと口を閉じた。


「俺の噂……って?」

「いろいろ聞きましたわ。なんでも、PM部の中の女性を次々と手籠めにして、さらに訪れた生徒会長も襲ったとか。酒池肉林を連日謳歌し、隠し子も何人かいるとも聞いていますわ」

「予想を上回る酷さだな!」

「あなた、何組ですの?」

「……15組だけど」

「はんっ! お笑いですわね。庶民組のくせに、ハーレム王気取りですの?」


 この学校には、金持ちの子供が多い。

 しかしながら、金持ちだけではなく、一般庶民でも優秀な成績や、特筆すべき才能があれば、試験点数や推薦などで入学することができる。

 しかも、優秀ならば特待生扱いで、学費がかなり免除されるというシステムまで取り入れられている。

 そしてなぜか、そのようにして入ってきた子供たちは、数字の大きな組に組み込まれている仕組みとなっていた。

 逆に名家の出だったり、資産家の子供たちほど、組の数字が小さい方に寄せられる。

 もしかしたら学校側の「金持ちと一般人では話が合わないだろう」という考慮なのかもしれないが、そのせいで組に対する格差は確実に生まれていた。


 ちなみに、俺の入っている15組は、庶民組でも底辺クラスと言われている。

 クラスは40名。

 しかし俺は、クラスメイトとまったく交流がない。

 きっとクラスの連中は、俺が無口で暗い奴だと思っていることだろう。

 俺の声でさえ、まともに聞いたことがある奴はそういないはずだ。

 だから、同じクラスの大前が、今のイメージが全く違う俺になかなか気がつかなくても不思議ではない。


「15組? あれ? もしかして君は……」


 さすがに気がついたらしい大前へ、俺は口元に「シー」と指を当てた。


「俺は、ここでは『ロウ』なんだ」

「でも、君は……もしかして……まさか……」


 大前は、さらに別のことにも気がついたらしい。

 15組の連中は、先ほど説明した通り、何かしらの才能がある奴や、頭の回転がいい奴が多い。

 こっそりとメンバーを調べているのだが、上位組よりもよっぽど興味深い。

 大前も類にもれず、頭の回転はいいのだろう。


「大前君。いったい、なんですの?」

「いや、それが……」


 なにか事情を察知した大前が口ごもる。

 その様子に、有楽がイラついた。


「……フン。もう、いいですわ! 15組の変人の名前など知っても仕方ないこと。とにかく庶民は、そんなに多くの女を養う甲斐性もないでしょう。身分相応につつましく生きたほうがいいのではないかしら?」

「おや。そんな心配は無用なのや。主殿のことなら、わらわが養うのや」


 露先輩の言葉に、有楽が眉間を少し痙攣させる。


「……歴史ある鳥渡(とりわたり)家の者が、こんな男を婿養子にするとでも?」

「主殿がやりたいことをやりたいように助力する。それがわらわの運命なのや」

「う、運命って……あなたなにを……」

「いやいや。私が養いますよ」


 華代姉もすすっと寄ってきたかと思うと、俺の腕を抱きかかえた。

 さらに反対側に、対抗意識バリバリで柑梨がしがみつく。


「あ、あたしも養います!」


 その瞬間、「失礼!」という言葉と同時にドアが開く。

 現れたのは、久々に見る金髪のチョココロネたる生徒会長だ。

 その突然の登場に、みんなが言葉を失っている間に彼女は俺の正面に立つ。

 そしてまるで俺をかばうように、有楽に向き合う。


「わたくしも、彼を養う用意はありますわ」

「大守生徒会長……あなたまで……」


 さらにトドメは、桂香さんだった。

 彼女も席を立つと、少しだけ俺の近くに来てから有楽に、ニッコリと笑みを見せる。


「もちろん、私も彼を養いますわ」

「あ、あなたたち……なにを言っているのかわかっているのかしら?」


 目をピクピクと痙攣させながら、信じられないとばかり、有楽は首を数回振った。


「あなたたち、それなりの家柄や資産家の娘でしょう。そんな馬の骨に簡単に謀られて……」

「いや、謀ったつもりはないぞ。人聞き悪い……」

「オー! だけど、ロウくん。この状態は、どうルックしても、ベリーヒモ男だね!」

「うぐっ……」

「すごいヒモ男、つまりぃ~……スーパー・ロープ・マン!」

「翻訳する気ゼロだな!」


 スケさんに突っこむが、確かにこれでは女性に守られているヒモ男状態だ。

 なかなか情けない状態ではある。


 だが、落ち着いて考えれば、これはとんでもないことだ。

 有楽の言うとおり、彼女たちは権威や資産のある家の娘たち。

 その彼女たちが、そろいもそろって正体不明の高校生のバックにつくと言っているようなものなのだ。

 普通の高校生……いや。この学校にいる生徒なら、こう判断するはずだ。

 俺に敵対するれば、厄介なことになると。


「まったく。そんな変人のなにがいいのやら……。理解に苦しみますわ」


 しかし、有楽は別だ。

 木角家は、彼女たちをまとめて相手にしたところで勝つだけの力を持つ。

 だがら、有楽が恐れることはない。

 それに彼女には、まだ隠し玉がある。


「まあ、いいですわ。ただ、一つだけ言っておきます。柑梨は、わたくしのものですから」

「……どういうことです?」


 自信たっぷりの有楽に、少しだけ桂香さんの顔に不安が浮かぶ。


「【株式会社ストライト】の株式76%を【木角産業】が取得させていただきましたわ」

「――っ!?」


 桂香さんの顔が青ざめる。

 さらに、柑梨が一拍の間をおいてから呆然とする。

 【株式会社ストライト】は、柑梨の父親の会社だ。

 そして【木角産業】は、有楽の父親が代表を務める会社である。

 要するに、中学時代に戻った……いや。悪化したというべきか。

 生かすも殺すも、彼女次第というわけだ。


「い、いったいどうやって……」

「手段なんていくらでもありますわ。管理の甘い子会社に株を持たせたのは、失敗でしたわね」

「…………」

「というわけで、柑梨とわたくしは、これからもっと仲良くしていきたいと思ってますの」


 その双眸の奥に淫猥な光が宿る。


「さあ、柑梨。今日は一緒に帰りましょう。……来てくれるわよね?」


 その内容とは裏腹に、含んだ脅迫的な感情に柑梨が逆らえるはずもなかった。

 こうなれば、桂香さんさえ逆らえない。

 下手をすれば、柑梨のお父さんの首が飛ぶことになるだろう。

 柑梨は俺を一瞥するも、すぐに視線を下に落とす。

 そして俺から離れて、有楽の元に行こうとした。

 だから俺は、そんな柑梨の腕をつかんだ。


「――ロウくん?」


 一瞬、俺に助けを求めようとして、すぐにあきらめるとは何事だ。

 このハゲヅラヒゲメガネをなめてもらっては困る。


「……どういうつもりですの、庶民組の変人さん。あなたごときが、木角から会社を奪い返せるとでも思っているわけありませんわよね?」

「もちろん、そんなことは思っておりませんよ、先輩」


 少々俺は、慇懃無礼に答えてやる。


「ただ、ちょっと気になることがありまして。先輩、『木角産業が株を取得した』と言っていましたよね?」

「……それがなに?」

「いや。さっきニュース速報をたまたま見たんですけどね。株を取得したのは、【KZH(木角ホールディングス)】となっていましたよ?」

「は? なにをバカなことを……」

「ほら、これですよ」


 俺は、手元の端末を操作して【VWB――バーチャルホワイトボード――】に、該当ニュースのページを表示させた。

 とたん、有楽の表情が見る見るうちに青くなる。


「……うそ……」


 慌てて彼女は、腕にはめていたブレスレット状のデバイスを操作した。

 そして、それを耳元に近づける。


「……お父様! 有楽です! ストライトの件ですが……」

〈おお。有楽か! 無事にすべて上手くいったよ!〉


 ムダに大きい声のためか、通話相手の声が周りにまでもれてくる。


「上手くいったて……株主は木角産業では……」

〈いや。KZHだよ。今回の買収は非常によいと、企画当初から本家の方々にも認められてね。KZHで買い取ってくれることになっていたんだよ。ストライト側とも事前交渉をKZH側が進めてくれてね。非常にすんなり事が運んだ。おかげで株価どころか、私の木角家内の株も一気にあがった! これもすべて、有楽がストライト買収を推してくれたおかげだよ! 自慢の娘だ、お前は! ありがとう!〉

「そ、そんな……」


 彼女は腕をダランとさげて脱力する。

 KZHは、木角本家の人間が牛耳る親会社だ。

 分家である有楽の父親が、もうストライトの人事に口を出すことなどできないだろう。

 ましてや、有楽のわがままなど、もう完全にどうやっても届くわけがない。


「……ど、どうして……こんなことに……」


 彼女は今日、ここに勝利宣言をしに来たつもりだったのだろう。

 ところが蓋を開けてみれば、敗北宣言となってしまった。

 彼女の落胆は、尋常ではないはずだ。

 もう彼女は、柑梨に容易に手を出せなくなってしまったのだ。


「え~っと。とりあえず、今日はこんなところですかね」


 多くの者が急展開についていけなくなっている中、そう口火を切ったのは大前だった。

 彼は席を立つと、手をパンパンと二回叩く。


「なんだかよくわかりませんが。まあ、なんというか、今後、もう監査に関するトラブルも、そうそう発生しなさそうな気もしますし。……さあ、木角先輩。戻りましょう」


 大前の作った流れに乗るため、俺はササッと小走りし、ドアを開けて退出をうながした。

 その俺に、まるで親の敵でも見るような視線を有楽は投げてくる。


「……これで済むなんて思わない事ね……」


 見事な捨て台詞だ。

 まったく困った娘である。


 二人を部室から退出させると、俺も一緒に出てドアを閉めた。

 そんな俺を二人は怪訝そうに見るが、すぐに背を向けて歩きだす。

 だから俺は、その背中に小さな声で声をかける。


「有楽。これ以上、俺の周りをうろつくな」

「……なぜ庶民ごときが、この私を呼び捨てにしたうえに、命令しているのかしら!?」

「悪い、大前くん。ちょっと先に行ってもらえるかな」


 大前は、特に何も聞かずかるく首肯しただけで早足で去って行く。

 勘のいい奴は嫌いじゃない。

 それに、大前はちょっと面白い。

 あいつとは、仲良くなっておきたい。


「……どういうつもりですの?」


 大前の姿が見えなくなると、有楽は嫌悪感をこめて口火を切った。


「たかが15組の生徒を消すぐらい、わけなくできますわよ」

「15組のメンバーをなめない方がいい。1組のメンバーより、よっぽど優秀なのがいるぞ。それにその中でも、俺を消すのは、少々難しいんじゃないか」

「なにを偉そうな事を……」


 俺は禿のカツラを外し、髭眼鏡もとった。

 それからきっかり3秒ぐらいの間を置いただろうか。

 やっと有楽が反応する。


「なっ!? なんで、あなたが――」

「――しっ!」


 俺は大前にやった時のように、口に指を当てた。


「俺の本当の名前を呼ばない方がいい。今はあくまで『PM部のロウ』として動いているけど、本当の名前で呼ばれれば、その人物として行動する。そうなれば、敵対した者に容赦するわけにはいかなくなる」

「……あ、あなたが、PM部で、しかも15組にいるなんて情報、まったくありませんでしたわ」

「君に情報を運んでくる犬は、君の犬じゃない。木角の犬だ。それを忘れてないか?」

「……で、では……まさか、あの買収……」

「もう、その話は終わったことだ。とにかく今後、俺の気に入らないことをしてみろ。俺はロウではなく、お前がよく知っている方の人物として対処するぞ」

「くっ……。承知しましたわ」


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